第8話 魔法少女は永遠の放課後を生きる

 今日の集合場所は、一年三組の教室だった。

 魔法少女ヒナゲシに変身して、カトレアに連れられて。

 みんなが集まって。


 さあ、今日も練習、がんばるぞ!――――と、全身に気合をみなぎらせた矢先。

 ナズナは激しく打ちのめされた。


「あの。私も、もう戦えます。私も、パトロールに加えてください」

 昨日、仲間になったばかりの新人魔法少女プリムラが、カトレアに願い出たのだ。

 妥当な申し出だった。

 プリムラは既に魔法少女の武器である白銀の銃をマスターし、初日にして一人でヘビを倒しているのだ。

 未だに、発射成功率が五回に一回程度のナズナは、両手で頭を抱えてカタカタと震えだした。

「が、頑張らなくちゃ…………頑張らなくちゃ…………」

 このままでは、自分だけが足手まといになってしまう。

 呪文のようにぶつぶつと唱えだしたナズナを、プリムラが不思議そうに振り返った。ナズナの挙動不審の訳を、よく分かっていないようだった。

 ポンと誰かが、ナズナの肩を叩く。

 誰なのかは、確認するまでもなかった。

「気にすることないぞ、ヒナゲシ。ゆっくり行こうぜ。大丈夫、おまえは落ちこぼれなんかじゃない。おまえには、未来への希望が託されて……」

「負の希望じゃないですかぁ!?」

 叫びながらサルビアの手を振り払う。

 魔法の銃マスターまでの最長記録保持者のサルビアは、ヒナゲシがその記録を打ち破ってくれることを期待しているのだ。

「気を落ち着けてください、ヒナゲシ。大丈夫、去年のサルビアと比べたら、十分、順調なペースで上達していますから」

 カトレアがヒナゲシだけに微笑みながら、優しく声をかけてくれた。

「ケ、ケンカ売ってんのかよ!?」

「喧嘩だなんて、わたくしはただ真実を伝えただけです」

 サルビアがいきり立ったが、カトレアはそれにはそっぽを向きながらそっけなく答えた。

「それは兎も角。どうするんです、カトレア?」

 収集がつかなくなりそうな場に割って入ったのは、スズランだった。

 鈴の音のような耳に優しい声音に、ほんの少し心が安らぐ。

「そうですね。ヒナゲシもあともう一歩といったところですし、いつも通りの練習を続けるよりも、ここらで一度、パトロールに出てみるのもいいかもしれませんね」

 ハッとなってナズナがカトレアを見ると、カトレアは柔らかく笑んで、それからキリッと表情を引き締めた。

「でも、その前に。お二人に大切なお話があります。赤い髪の魔法少女、ユリハナのことです」

 思いがけない名前が出てきて、ナズナは呼吸も忘れてカトレアの顔を見つめる。

 それはナズナが、ずっと聞きたいと思っていたことだ。まさか、今このタイミングで、その話が聞けるとは思っていなかった。

 銃をマスターしたら、思い切ってナズナの方から尋ねようと思っていたのに、予想外の展開だ。

「学園内をパトロールしていると、偶然、出会ってしまうこともありますから。毎年、蕾が完全に花開いた時に、リーダーからお話しすることになっているんです。お二人とも、心して聞いてくださいね」

 以前、ユリハナの話になった時に、サルビアたちが、いずれカトレアから話があると言っていたことを思い出し、こういうことだったのかと思う。

 ようやく、この話が聞ける。

 まだ銃をマスターしていないのが心残りだが、話を聞きたいという誘惑には抗えない。


(ユリハナへの誤解を晴らすためにも、まずは、何があったのかを知らないと!)


 大きく息を吸い込むと、ナズナはカトレアに向けて力強く頷いてみせた。

 カトレアの唇がゆっくりと動く。

「ユリハナは―――――」




「え? それって、どういうことですか?」

「いくらなんでも、そんなこと、あり得るはずが……」

 動揺する新人二人に謎めいた微笑みだけを返して、カトレアはキキョウとスズランを引きつれて、パトロールへと向かっていった。後のことを、サルビアとスイレンの二人に託して。

 毎年のことなのだろう。

 混乱しているのは、ヒナゲシとプリムラの二人だけで、先輩魔法少女たちは、予め計画していたかのように、指示されるまでもなく、自分たちのやるべき行動をとっていた。

 いつも通りのパトロールに向かうものと、新人の面倒を見るものとに分かれて。


 結局。ヒナゲシたちは今日もパトロールへは行けそうもなかった。

 というより、それどころではなかった。

 聞きたいことはいろいろあるのだけれど、何を聞いたらいいのか分からない。


 カトレアの話は荒唐無稽すぎて、正直、どう反応していいのかすら、よく分からなかった。

 カトレアが嘘を言っているとは、ヒナゲシには思えない。

 魔法少女のリーダーであるカトレアは、天使リリアナの声を聞くことが出来る。天使からのお告げという形で。

 カトレアの声はリリアナの声。

 天使様がそう言っているのなら、それは真実なのだと、ナズナは無条件で信じた。

 ただ、その真実が自分とユリハナにとってどういう意味を持つのかまでは、考えが回っていない。


「永遠の魔法少女」


 そのフレーズだけが、何度も頭の中で木魂する。


「そんなこと、あり得るんですか? 二人はそれを、信じているんですか?」

 プリムラが、サルビアとスイレンに詰め寄った。

 動揺に揺らぐ瞳は、今にも落っこちそうだった。

「まあ……な。今年卒業した魔法少女の先輩たちも、新人の頃に同じ話を聞かされたって言ってたしな。永遠かどうかは兎も角、少なくとも6年以上前から、ユリハナがこの学園にいるのは確かだと思うぜ」

「なのに、見た目的には私たちとそんなに変りない年に見える。リリ女でそんなに何年も留年している生徒がいるっていう話も聞かないし、つまりは、そういうことなんじゃないかな」

「キキョウやスズランは、ユリハナは天使様を裏切って、悪魔と契約したからああなったんだって言ってる。ユリハナの赤い髪は、契約の証なんだって」

 新人二人から目を逸らし、窓の外を見ながらサルビアが言った。

「そんな! ユリハナが何をしたっていうんですか!?」

 カッとなってナズナが叫ぶと、プリムラが冷静に続けた。

「それなんですよね。カトレアは、裏切りの内容については、何も教えてくれませんでした。どうしてなんでしょう?」

 険しい表情のまま、ナズナは問うようにサルビアとスイレンを見つめる。

「私たちも、裏切りの内容については聞かされてないのよ。それは、リリアナ様とユリハナしか知らないことなのかも」

「何も知らないのに、どうしてっ、ユリハナが裏切り者って決めつけるんですかっ!?」

 言いづらそうに答えるスイレンに、ナズナが食ってかかかると、サルビアが落ち着かせるようにナズナの頭をポンポンと叩いた。

「頼むから、オレたちに怒るなって。そう言ってたのは、オレたちじゃなくて、キキョウたちなんだからさ。あいつらは、なんてーか、結構ガチでリリアナ様の信者だからな。まあ、魔法少女としては、そっちが普通なんだろうけど」

 最後の一言に、ナズナはまた叫びそうになったが、それより早くプリムラがナズナに問いかける。

「ヒナゲシがユリハナに肩入れするのは、ユリハナがヘビから助けてくれた恩人だからなんだよね?」

 サルビアたちには敬語で話しかけるプリムラも、同じ新人同士のナズナにはため口だった。

 ナズナは、大きく吸い込んだ息を止めて、頷いた。


(…………どうして、プリムラがそのことを知っているんだろう? あ、そうか、あの時は結構、噂になってたし、別におかしくない? あれ? でも、ユリハナに助けてもらったのはただのナズナの時で、魔法少女の正体は不明で…………)


 何かがおかしいような気がしたのだが、それが何なのかが分からなくて、気持ちが悪い。

 一人で百面相をしているナズナの様子に、サルビアは気づかなかったようだ。

「なんだ、ヒナゲシもユリハナに助けられたことがあるのか。そっか、それでこんなに怒ってるんだな」

 そう独りごちたあと、サルビアは少々気まずげに、片手で頭の後ろを掻いた。

「あー、これはカトレアたちには内緒の話なんだが、実は、オレもユリハナに助けられたことがあるんだ。去年の話なんだけどな」

「そうなの。二人でパトロール中にヘビに遭遇したんだけど、サルビアったら調子に乗って、ポーズを決めながら撃とうとして、銃を落っことしてね。まさかそんなことになるとは思ってなかったから、私も動転しちゃってうまく充填できなくて。大ピンチのところを助けてくれたのがユリハナだったの。でも、お礼を言う間もなく、すぐにどっかに行っちゃったのよねー」

「あいつ、ちょっと、カッコつけてるよな。いや、それは置いといて。これ、カトレアたちには絶対、内緒な。特にキキョウとスズランに知られたら、説教じゃ済まないかも知れん」

 顔を青褪めさせながら、大真面目にそういうサルビアに、ナズナは目を丸くした。プリムラの目も、零れ落ちそうになっている。

 そう言えば二人は、ユリハナのことを一方的に悪く言ったりはしていなかったなと思い出す。あれは、こういう理由だったのだ。

 いろんな意味で衝撃の告白に、先ほど感じた違和感のことはすっかりどこかへ行ってしまった。

「それは……………………いろいろな意味で、聞かなかったことにしておきます。でも、他にもユリハナに助けられた生徒はいるんですよね。裏切ったのかどうかは兎も角、悪魔の手下になったとは思えないんですが……」

「それは、オレたちも同感」

「なんていうか、肝心なところがぼんやりしてるのよねー」

 プリムラの意見に、サルビアとスイレンも頷いている。

 どうやら、三人はユリハナが裏切り者だという話を鵜呑みにしているわけではないようだった。

 そのことを喜びながらも、ナズナは。


(そっか、ユリハナの味方は、あたしだけじゃないんだ)


 胸の奥に、ツキリとした痛みを感じる。

 サルビアもまた、ユリハナに助けられたことがあるという事実が、棘のようにナズナの胸に刺さった。

 心のどこかで、自分だけがユリハナの特別なような気がしていた。

 ユリハナに助けられた生徒は、ナズナとサルビアの他にもいるというのに。

 ナズナは、その棘を振り払った。


(ううん、だったら! 特別には、これからなればいい! そのために、あたしは魔法少女になったんだから! ユリハナのことを心から信じて、ユリハナのことを一番に思っているのは、あたしだけのはず!)


 痛みを自覚したことで、ナズナは開き直った。

 棘から目を逸らすのではなく、棘を包み込むための誓いを新たに立て直した。

 そのために。まず、自分がやるべきことは……。

「ユリハナと会って、話がしたい。ユリハナの話が聞きたい」

 思わず、口から零れ出ていた。

 ナズナの声に何かを感じ取ったのか、三人の視線がナズナに集中する。

 ナズナは、怯まずにそれを受け止めた。

 カトレアから話が聞けないなら、ユリハナに事情を聞いてみるしかない。

「いいんじゃないかな。事情も知らないで裏切り者って決めつけるのは、良くないと思うし」

「ああ。オレもユリハナが悪い奴だとは思えないし、何か事情があるなら聞いてみたい」

「私も賛成です。私もユリハナに会って、この目でちゃんと確かめたい」

 スイレンがフフッと笑い、サルビアはうむ、と腕組みをした。プリムラは、顎の下に握りこぶしの先を当てて、一人頷いている。

「え、と。あの、じゃあ?」

 ナズナとしては、自分の決意を表明しただけのつもりだったのだが、思いがけず皆の賛同が得られたようだ。

「ええ。今後、このメンバーでパトロールしている時にユリハナを見かけたら、話を聞いてみましょうか」

「は、はい!」

 ナズナの顔に、ぱあっと希望の光が射した。

 決意したはいいものの、まだ銃をマスターしていないナズナだ。ユリハナを探すために単独行動をするなど到底無理なことは、自分でもよく分かっていた。実際にユリハナを探しに行けるのはまだ先のことだと覚悟はしていたのだが、思ったよりも早く、その機会が訪れそうだった。



 ユリハナに会える。

 それだけで、ナズナの心は浮き立った。


 自分だけがユリハナの特別じゃなかった。

 その事実は小さな棘となってナズナの胸をじくじくと苛んだ。

 けれど、ユリハナと会って話が出来るかもしれないという希望は、それだけでナズナの棘を吹き飛ばした。


 ユリハナへの誤解を解くこと。

 カトレアたちにも認めてもらうこと。

 ユリハナの…………特別になること。

 ユリハナの特別になって、ユリハナの隣で、ユリハナのパートナーとして、魔法少女として活躍すること。

 ――――それが、ナズナの今の願いだ。


 ユリハナと会って話をすれば、きっと何もかもがうまくいく。

 ユリハナへの誤解が解け、ユリハナは裏切り者じゃなくなる。

 そして、誤解を解くために貢献した自分は、ユリハナの特別となるのだ、と。


 ――――何の根拠もなく、ナズナはそう信じた。

 小さい頃に読んだお伽噺のようなハッピーエンドが、これから訪れるのだと、何の根拠もないのに、何の疑いもなく信じていた。



☆ ☆ ☆


 新しく咲いた花たちに、カトレアはあの時、こう告げた。


「ユリハナは、永遠の魔法少女なの。もうずっと、何年も何年も昔に、ユリハナはリリアナ様の元を離れて、赤い髪の魔法少女となりました。この学園の、放課後だけを生き続ける、永遠の魔法少女に。放課後だけに存在する魔法少女に。だから、いいですか、二人とも。これから先、もしもユリハナに出会うことがあっても、彼女の話に耳を傾けてはだめよ。闇に引きずり込まれてしまうから」



『永遠に、放課後だけを生きる魔法少女』


 それが、どういう意味なのか。

 カトレアの言葉の意味を。

 この時のナズナは、何にも分かっていなかった。

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