第7話 魔法少女の正体

 魔法少女の正体は、誰も知らない。

 たとえ、魔法少女であっても。

 自分以外の魔法少女が、何年何組の誰なのかを知らなかった


 それを知っているのは、魔法少女を選んだ、天使リリアナだけなのだ。


☆ ☆ ☆


 新しい魔法少女の噂は、すぐに学園中に広まった。

 まあまあ可愛いけれど、美少女かというとちょっと微妙な、三つ編み輪っかの魔法少女と。それから。

 とても新人とは思えない、少々勝気なポニーテールの魔法美少女の噂。




 練習に練習を重ねたナズナが、五回に一度は魔法の銃を撃てるようになった頃。

 学園にもう一人、新しい魔法少女が誕生した。


「みなさん。リリアナ様よりお告げがありました。たった今、この学園に新たな花が生まれました。みんなで迎えに行きましょう。三階の廊下、一つ上の階ですね」

 蕾が花開く瞬間のような笑みを浮かべて、カトレアがぽんと手を合わせた。


 放課後になると、魔法少女たちはどこからともなく集まってくる。集合する場所や時間は特に決まっていない。ただ、心の声が命じるままに、学園内を歩き回り、心の声のままに変身する。そうすると、そこには他の魔法少女が既に来ていたり、後からやってきたりして、いつの間にか全員揃うのだ。

 ただし、新人のナズナだけは、いつもカトレアに迎えに来てもらっていた。

 リーダーのカトレアは、天使リリアナの導きにより、特別な力を授かっているようだった。

 ナズナが変身する場所は、決まっていた。

 ヘビが出てもすぐにすぐに逃げられるように下駄箱近くで変身するのだ。そのことを誰にも伝えていない時から、カトレアは迷わずナズナを迎えに来てくれた。しかも、変身する前に、当たりに誰もいないことを確認しているのに、ナズナが変身すると待ち構えていたように姿を現すのだ。

 それも、やはりリリアナのお導きなのだという。


(リリアナ様って、すごい)


 その不思議さに、ナズナは素直に感動していた。

 今日も導きに従って全員が東校舎二階の二年一組の教室に集った。そして、ミーティングを始めようとした矢先に、カトレアに天使リリアナからのお告げが下ったのだ。

 メンバーの中で、リーダーであるカトレアだけが、天使のお告げとしてリリアナの声をはっきりと聞くことが出来た。


(あたしの時も、こうやって迎えに来てくれたんだ)


 ナズナは、自分の時のことを思い出して感動したが、すぐに顔を赤らめた。

 みんなと初めて出会ったのは、トイレから出てきたところだったことまで思い出してしまったからだ。

 鏡を見たかっただけで、本当にトイレに行きたかったわけではないのだが、どちらにせよ、あまりカッコいい出会い方ではないな、と肩を落としながら、教室を出て行くみんなの後に続いた。


「あ、いけない! みんな、急いで!!」

 二年一組の教室を出たとたん、カトレアがそう叫んで階段に向かって走り出した。何も言わずに、キキョウとスズランがそれに続く。

「オレたちも行くぞ、ヒナゲシ! 新しい魔法少女が、ヘビに襲われているのかもしれない!」

 どうしていいか分からず戸惑うヒナゲシを、サルビアが振り返った。

 声音に、緊張が含まれている。

「は、はい!」

 みんなが何を慌てているのかが分かり、ヒナゲシもサルビアの後に続いて走り出す。殿は、スイレンが務めた。


 息を切らして階段を駆け上がり、踊り場から廊下へ出たところで、白い光が廊下を走っていくのが見えた。

 光の先では、赤い塊が、塵となって霧散していく。

 白いブレザーを着た、毛先がくりんとした、ポニーテールの後ろ姿が見えた。

 ポニーテールの少女は、赤い塵が完全に見えなくなってから、前に構えていた手を降ろす。その手の中には、白銀の銃があった。

「どうやら、わたくしの出番はなかったようですね。変身してすぐにヘビを倒してしまうなんて。スイレンが一日で銃を使いこなせるようになった時も驚きましたけれど、まさかその上をいく子が現れるなんて、本当にびっくりです。新記録ですね」

 太もものホルスターから手を放して、ポニーテールの後ろ姿を見ながら感嘆の声を洩らすカトレアに、ようやくヒナゲシも事態を把握した。

 あの新人魔法少女は、変身初日にヘビに襲われて、そのヘビを自力で倒してしまったのだ。

 一瞬で追い抜かされてしまったことにショックを受けていると、ポニーテールが振り向いた。

 強い意志を宿した、零れ落ちそうに大きな瞳。

 少々、気が強そうな美少女だ。

 その花の名は――――。

「…………プリムラです。よろしく、先輩方?」

 流れるような所作で銃をホルスターにしまうと、新しい花、プリムラは優雅に一礼してみせた。


(ま、負けた……。魔法少女としても、女の子としても…………)


 現時点で足手まといなのは自分一人という事実と、メンバーの中で美少女ではないのも自分一人という厳しい現実にナズナが打ちひしがれていると、ポンと肩を叩く手があった。

 のろのろと顔を上げると、期待に満ちた表情でナズナを見つめるサルビアがいた。

「そんなに落ち込むなよ、ヒナゲシ。おまえにはおまえの役割がある。プリムラがスイレンの最短記録を抜いたように、おまえはオレの最長記録を抜けばいいだろう?」

 一日で魔法少女の銃を使いこなせるようになったスイレンと、一ヶ月かかったサルビア。

 二人はそれぞれ、最短と最長記録の持ち主だった。

 最長記録保持者のサルビアは、ナズナにその記録を打ち破るよう、事あるごとに迫ってくるのだ。ナズナの練習の邪魔をしてくるわけではないし、本気で言っているわけではないのだろうけれど、たまに目が真剣だ。

「えーと、あはは……」

 ナズナは乾いた笑みで、それとなくサルビアの傍を離れて、プリムラと話しているスイレンの傍へ近寄る。いつもなら、サルビアがこの手の発言をしてくると、スイレンが窘めてくれるのだが、今は新しく加わったばかりのプリムラに魔法少女としての心得をレクチャーしているところだった。

 カトレア以下三名は、いつものように学園内のパトロールへ向かったので、すでにここにはいない。

「え? 魔法少女同士も、お互いの正体を知らないんですか?」

 場所は廊下から、近くにあった一年二組の教室へと移していた。

 教室内に、プリムラの驚いた声が響く。

 つい最近、自分も同じように驚かされたばかりのナズナと、ナズナに相手にされなかったサルビアが、わらわらとプリムラの傍に寄ってきた。

「一般の生徒に正体を隠すのは分かります。普通の学園生活に影響が出てしまうでしょうし。でも、どうして魔法少女同士にも正体を隠す必要があるんですか? 理由が分かりません。仲間なら、むしろお互いの正体を知っていた方が、いざという時に対応できると思うんですけど」

「うーん、どうしてなのかは私たちも知らないのよねー。リリアナ様と直接、話ができるわけでもないし。カトレアに一方的にお告げが下されるだけだしね」

 スイレンは両手を広げたポーズで、肩をすくめてみせた。

「天使リリアナにとって、何か不都合がある……ということなんでしょうか……?」

 軽く握った拳を顎の下にあてて、プリムラが呟く。

「えーっと、プリムラ? その発言は、魔法少女として、さすがにどうかと思うんだけど?」

 スイレンの顔が少々、引きつっている。

 同じ魔法少女の中でも、サルビアとスイレンは割と柔らかめというか、自由な発言をしている方だが、さすがに天使リリアナへの不信ともとれる発言は見過ごせないようだ。

「うんうん、そうだぞー。まあ、このメンバーの中でならいいけどさ、真面目でお堅いキキョウやスズランの前では絶対に言うなよ、そういうこと。あいつらはかなりガチでリリアナ様の信者だからな。狂信者ってヤツ?」

「サルビア。あんたの発言も十分ヤバいから。あと、狂信者はさすがに言い過ぎだから」

 スイレンがサルビアを小突く。

「お気に障ったのなら、すみません。少し疑問に思ったもので……」

 プリムラは素直に頭を下げた。


(プ、プリムラって、なんかいろいろ考えてるんだな……)


 ナズナは、口をポカンと開けて、感心しながらそのやり取りを見つめていた。

「ま、分かれば、よし! あ、それから、その口調! もっと普通にしゃべっていいぞ。オレたちのことも呼び捨てで構わないし。てゆーか、魔法少女同士は、原則呼び捨てだから」

 サルビアが腰に手を当ててニカっと笑う。

「わ、分かりました。サ、サルビア」

 プリムラは呆気にとられた顔をした後、ぎこちなくサルビアの名を呼んだ。その初々しい様子に、ナズナは自分を思い出して、口元を緩ませる。

(うんうん。分かる、分かる。いきなり呼び捨てにはしづらいよね)

 一人で勝手に敗北感を味わっていたナズナだが、プリムラ自身に嫌な感情を抱いているわけではない。

 一見、とても勝気に見えるので、仲良くなれるかナズナは心配したが、話してみると割と礼儀正しい子だと分かった。最短記録を打ち立てたことも、特に自慢するでもなく、無我夢中で心の中に聞こえてきたリリアナの声に従っただけですと、謙虚な答えを返していた。

 ただし、その実力は間違いがないようで、その後の試し打ちでは、カトレアに次ぐほどの腕前を見せつけた。力を充てんする速度や、射撃の正確さ。カトレアには一歩及ばないものの、いつでも実戦で活躍できそうだった。

「え、と。じゃあ、これまでのところをおさらいしますね。まず、魔法少女の正体は不明。魔法少女自身も、自分以外の魔法少女の正体は知らない。それから、変身する場所やタイミングは、天使リリアナの導きに従うこと。たとえ魔法少女であっても、単独での行動はなるべく避けること」

 プリムラの言葉に、確認の意味を込めて、ナズナも一つ一つ頷いていく。

 頷きながら、ナズナは「そうか」と今さらながらに納得していた。

 今まで、下駄箱近くで変身していたのは、自分の意志でやっているつもりだったけれど、もしかしたらそれもすべて天使リリアナの導きによるものだったのかもしれない、と思い直していた。ああしろ、こうしろと指示をする声が聞こえてきたわけではないから気づかなかっただけで、知らず知らずのうちに導かれていたのだろう。だからこそ、何時もちょうどいいタイミングでカトレアが現れたのだ。

 そうなるように、天使リリアナによって采配されていたのだ。

 改めて天使リリアナに畏敬の念を抱いてひっそりと震えているナズナを余所に、会話は続いていた。

「そうそう。特に最後の、単独行動禁止! 本当に気を付けてね? プリムラは、もうヘビを倒した経験もあるし、いつでも実戦行けそうだけど、だからこそ、油断しないで気を付けてね! 一人の時に不意を突かれると、動転してうまく力を込められなかったりすること、あるから」

「あ、はい。気を付けます」

 これは、ナズナは言われなかったやつだ。

 言われなかったというか、言うまでもないことだったというか。まだ、言うには早かったというか。

 厳しくも悲しい現実に震えも止まり、ガクリと肩を落としていると、またサルビアが絡んできた。

「元気を出せ、ヒナゲシ。おまえには、おまえの役割が……」

「それはもう、いいですからぁ!?」

 さすがに、堪忍袋の緒が切れた。

 むがーっと両手を振り上げる。

 いきなり騒ぎ出したヒナゲシたちに、スイレンは呆れた表情で肩をすくめ。

 プリムラは。

 きょとんとした目で、そんな三人を見つめている。

 大きな瞳が、まん丸になっていた。



☆ ☆ ☆


「おはよう、比奈鳥ひなどりさん」

「あ、おはよう。西野さん」

 翌朝。ナズナが下駄箱で上履きに履き替えていると、ポニーテールの少女に声を掛けられた。零れ落ちそうに大きな瞳が印象的な美しい少女。同じクラスの、西野桂花けいかだった。

 大きな瞳がじっと見つめてくる。

 至近距離で美少女に見つめられて、知らず頬が赤らんだ。

「桂花でいいよ」

「あ、じゃあ、あたしのこともナズナって呼んで」

「分かった。また、放課後にね、ナズナ」

 そう言うと、桂花はナズナを置いて、先に教室へと向かってしまう。

「え……? 友達になろう…………ってことなのかな?」

 だったら、一緒に教室まで行ってもよさそうなのに、とナズナは首を傾げる。

「まあ、いっか」

 外履きを下駄箱にしまって、とりあえず教室へと向かうことにした。



 そうして、足を踏み入れた教室内は。

 新しい魔法少女の噂で持ちきりだった。


 三つ編み輪っかの魔法少女ヒナゲシの話に加えて。

 昨日登場したばかりの、ポニーテールの魔法美少女プリムラの噂。


 部活が終わった生徒とすれ違った時に名前を聞かれたりして、ヒナゲシの名前は既に知れ渡っていた。プリムラも、昨日数人の生徒に名前を聞かれて答えていたが、昨日の今日で、もう名前が広まったようだ。


「そのプリムラって魔法少女、とても新入りとは思えないくらいに馴染んでて、先に魔法少女になったはずのヒナゲシの方が、一番下っぱに見えたって聞いた」

 ナズナが教室に入ると、先に来ていたルカが、どこからか仕入れてきた話を早速、聞かせてくれた。

「うーん。でも、私は庶民派のヒナゲシちゃんの方が好きかなー。ちょっと、頼りないけど」

「あ、分かる! 頼りないけど、一生懸命で応援したくなるよな!」

「そ、そうなんだー」

 ヒナゲシを応援してくれているらしいルカと睦美に、ナズナは棒読みで答える。

 味方になってくれるのは嬉しいけれど、内容が情けない。

 もちろん、二人は、ナズナがヒナゲシだとは知らない。

 魔法少女の正体は、誰も知らないのだ。

 魔法の銃の練習をしている姿を、ルカや他のクラスメートに見られたことがあった。ナズナは見つかったとたんに、正体がバレるのではと身を竦めたのだが、ルカたちはまるで気づいた様子はなかった。

「全部、リリアナ様のお力らしいよー」

 というスイレンの言葉に、ほっと胸を撫で下ろしたのだが、全く気付かれないというのも少々、寂しい気がした。

 それでも。正体を知らないのに、二人がヒナゲシ=ナズナを応援してくれることに、密かに勇気づけられた。

 新入りがナズナだけだった時は、あまり気にならなかったけれど、プリムラが現れたことでいろいろと比較されるのはやっぱり堪える。

 見た目的なことといい、実力的なことといい、自覚があるだけに尚更だ。


(魔法少女と魔法美少女って、いちいち区別するの、やめて欲しい。いやいや、魔法少女はアイドルじゃないんだから、そんなこと気にしてる場合じゃないんだよ! もっと、練習頑張って、早く一人前にならないと! ユリハナさんの…………ためにも。それに、むっちゃんとルカちゃんの期待に応えるためにも!)


 ナズナは、何度目か分からない気合を入れ直す。



 早く、一人前の魔法少女になること。

 そのことで、ナズナは頭がいっぱいだった。

 だから、なのか。いずれにせよ、なのか。

 ナズナは気が付かなかった。


 ナズナが魔法少女のリーダー・カトレアに突撃したことや、魔法少女を目指していたことを、誰も何も言わないことの不自然さに。

 みんなすっかりそのことを忘れてしまったかのように、誰もそのことに触れない。

 睦美やルカでさえも。

 ナズナがヒナゲシなのではと疑うこともなければ、先を越されて残念だったねと同情することもない。悪眼立ちしていたナズナへのやっかみから、口先だけでやっぱり無理だったんだよ、なんて陰口を叩くものもいない。

 まるで、なかったことにされたかのようだった。

 ナズナの突撃事件も。

 ナズナが魔法少女を目指していたことも。

 最初から、そんな事実はなかったみたいに。

 みんなの記憶を、塗り替えたみたいに。


 そして、また。

 魔法少女や天使の存在に半信半疑だった睦美やルカが、いつの間にかすっかりその存在を受け入れてしまっていること。

 睦美やルカだけでなく、一年生全員が、何のきっかけもなく自然と、天使と魔法少女を信じているという事実。

 一年生のみんがみんな、いつの間にか当たり前のように天使リリアナを信じて受け入れている、その不自然さに。


 ナズナは気が付かなかった。

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