魔女とネコ
猫は喋るものなんかじゃない。
ましてや、人間のような仕草もしない。
それは、学校からの帰り道でのことだった。
ずっと後ろからついてくる猫が気になっていた。
最初は気のせいかとも思ったが、ずっとついてくる。
角を三、四回は曲がったのに、まだ同じ方向へ歩いている。
これはちょっとおかしいのではないか。
とりあえず、家に着いたので、玄関を開けて中に入った。
部屋に入り、窓から外を眺めると路地が見えるのだが、そこにあの猫がいた。
黒い毛並みの、すらっとした猫は、こちらを見つめている。
私は気になって、猫のもとへ向かった。
「ねぇ、あんた、なんか私に用があるの?」
私は猫に聞いてみた。
猫は少し驚いたように見えた。
――話せるわけないのはわかってるんだけどさ。
私は当たり前のようにため息を吐いて、立ち上がろうとした。
が、その時、猫が眩しい光に覆われた。
光がやみ、視界が開いた次の瞬間、私の目の前には、女性がいた。
波打ったボリュームのある艶やかな黒髪をなびかせた、ふくよかな体つきの、少々化粧の濃い女性だった。
しかも、全身黒尽くめの異様な格好だった。
そう、例えば絵本によく出てくる魔女のような……。
呆然と私が女性を見つめていると、女性はこちらに近寄った。
「ちょっとあなた、もしかして女の子なの?」
女性はその眉間に皺を寄せ、顔をますます近づける。
「…………は……はい」
私は思わず仰け反って、驚きつつも何とか答えを返した。
その答えを聞くと、女性は頭を抱えてその場に座り込んでしまった。
「あー!! なんてことなの!! 私としたことが、男の子と女の子を間違えるなんて!! というより、あなたが男の子みたいな格好してるから悪いのよ!! 女の子ならもっとそれっぽい外見になりなさいってのよ!!」
女性は立ち上がって、私に指をつきつけた。
確かに、私は部活帰りでジャージを着ていて、髪は短いし、男勝りだから、よく男子に絡まれたりもするけど……。
(そんな無茶な……)
身体は相変わらず固まったままだが、頭だけは冷静にツッコミを返せた。
しかし、その間にも女性は一人で話を進めている。
「そうね、これはもうあなたにも手伝ってもらうしかないわね」
「は……何を、ですか……?」
私は訳がわからなかった。一人で話を進めないでください。
「私、若い男の子と恋をするために人間の世界に来たのよ。でも、あまり長い間この姿でいられないの。だからこの美貌で誘惑するってことができないわけよ。そこで、あなたにも男の子探しを手伝ってもらうわけ。あなたなら、同年代の男の子の友達とかいるでしょ? 紹介してよ」
「え………?」
(なんだか、めんどうなことに巻き込まれてしまった……)
そして私は、どうこの状況を切り抜けようか頭を悩ませることになるのだ。
「それにしても、あなた一体何なんですか。本当は猫なんですか? 人間なんですか?」
「うーん、それを話すと色々複雑なんだけど……とりあえず元は人間よ」
「どこから来たんですか?」
「とりあえず、この世界ではないところ。私みたいに、人間が猫の姿になっても驚かれないような世界。ただ、あんまりここと大きく違うことはないわね」
「……面倒なので、聞くのはやめます。疑問が出たら、その都度聞きます」
私の理解を超えそうな話だったので、話題を変えることにした。
「うん、そうして」
ローザも面倒だったのか、前足を持ち上げて振った。
実に人間らしい仕草だ。
「とりあえず、名前をつけなければいけないですね。何か猫らしいやつ」
私はその黒猫を家族にバレないように家の中へ入れ、現在は私の部屋にいる。
「私にはローザって名前があるわ。それで呼べばいいじゃない」
だんだん慣れてきたが、やはり猫に普通に喋られると、とても妙な気分だ。
「嫌です。妙にこった名前つけて、すごい猫バカみたいに思われるから」
「何よ、それ」
「決めた。うに。これから、うにって呼びます。」
「待ってよ。私にはローザって名前がちゃんとあるってのよ。だいたいウニって何よ」
「ウニは、ウニ綱に属する棘皮動物の総称。別名にガゼ、ガンガゼなど。多くの種が全身にトゲを持ち、中にはガンガゼのように毒を持つものもある。また、タコノマクラなど一般に知られるウニとはかけ離れた外見を持つものも……」
「そういうことじゃないわよ! ウニがどういうものかぐらい知ってるっての! これでも勉強したんだから!」
「あ、そうですか」
「だから、何でウニって名前になるのよ。私からなぜウニが連想されるの?」
「黒いから」
「黒いものってもっと他にあるでしょ?!」
「あーうるさい! あんたの名前なんか、うにでいいわ!」
結局、うにになった。
こうなると、世話をしている私の方が上なのだ。
彼女はあくまで違う世界の人間だから、誰かに頼らなければいけない。
ここから、私と彼女の関係は対等になる。
「そういえば、あんたの名前は何て言うの? これから、一応互いに協力しあわなきゃいけないわけだし、あなたの名前も知っておかないとね」
この女は、何となく引っかかる言い方をする。
だが、これも彼女の性格であって、悪気がないような気がしてきたので、些細なことは流すことにした。
「矢吹藍(やぶきあい)」
「名前は意外と女の子っぽいのね」
「そんなのあるの」
「いや、イメージ」
「そう……」
なんか、だんだん疲れてきた。
「それにしても、部屋に入ってくる途中で声聞こえたけど、この家には若い男の子がいる?」
「耳よすぎ」
「ね、いるんでしょ?」
ローザは目を輝かせていた。
私は、だんだん頭が痛くなってきた。
「いるけど……」
「兄弟とか? 何人いるの? さすがに人数まではわからなかったから」
「六歳上の兄が一人、同い年が一人、二歳下の弟が一人、の三人」
「うわぁ、よりどりみどりじゃない! あんたの兄弟だから、顔も悪くなさそうだし」
「あー、でも、私実は母さんの連れ子なの。だから、男兄弟とは血がつながってない」
何だか、だんだん話が嫌な方向に流れているな、と思う。
「あら、そうなの。ごめんなさいね。でも、こっちも必死だから続けるわよ」
「……別に、いいけど……」
そうだろうとは思っていたから、今更気にはしない。
「で、あんたから見て、兄弟の顔はどう。性格とかも」
「……顔は……悪くないんじゃない。兄の拓(たく)と弟の翼(つばさ)はよくイベントごとにはプレゼントもらうし、そうでなくても女性関係は結構あるらしいし。あ、拓さんは彼女いたかもしれない。なんかあんまり話したがらないから、よくわからないんだけど、それらしい人を見たことある。あと、小兄の統(すばる)は、少し無愛想だから、そういうのはないけど、密かなファンはいるらしい。友人に聞いた話だけど。だから、悪くはないんじゃないかと」
と言い終えて、ローザの顔を見ると、彼女は非常にいい顔をしていた。
猫の笑顔など、初めて見たが、とても気持ち悪い。
「いや、むしろあんたの話聞いてると、非常にいいわね。これは落としがいがあるわ。彼女持ちは除外しておくけど」
「そう。そこはモラルがあるんだね」
「あんまり面倒はごめんなの。そういうことしても、先は見えてるわ」
「まぁ、手近で見つけてくれると、私もどうしようか考えなくていいから楽でいいけど」
「あんたはいいの? 兄弟となんかーとか、そういう嫌悪感とか、ないわけ?」
「妙に気を遣ってくれるのね。別に、惚れるのもどうするのも自由だし」
「でも、翼は結構女に慣れてるから、そうそう落ちるイメージがつかないな。統は、本当無愛想だから、女が好きなのかどうかさえ疑問。嫌味だけは一人前だけど」
「……ん、その統君にはなんか引っかかる言い方するのね」
「うーん、あいつはよく私につっかかってくるからね。何が気に入らないのかわからないけど。学校ではあまり話しかけてこないけど」
「ふーん」
ローザは、首をひねって、私の顔を見ている。
「何、あんたもひっかかる言い方ね」
私は何だかイライラして、ついきつい口調で聞いてしまった。
いけないと思ってはいたが、思ったことがすぐ顔に出てしまうため、どうしようもなかった。
だが、ローザはそれを見通しているかのように、変わらず笑んでいた。
彼女は表情がコロコロ変わる。それが猫だと、非常に君が悪くて仕方がないのだが。
表情が変わっても、奥底の部分はさらけ出さないような。
何となく扱いづらい感じはした。
「別に。私、人のことそんなに興味ないし」
「うん、っぽいよ」
「とりあえず、あんたには、友達だとでも言って、その兄弟に紹介してくれるだけでいいわ。後は私で何とかするから」
「それも結構難しいけどね。さっきの姿だと、私との接点全然わかんないんだけど」
「友達の友達ーとでも言っておけばいいでしょ」
「……まぁ、じゃあ、それでいってみる」
大丈夫か、という心配はあったが、この家の者は妙にドライなところがあるので、もしかしたら気にしないかもしれない、という思った。
しかし、そう思っても、やはりこの女を家族に紹介するのは、気が重かった。
「あれ、藍ちゃん帰ってたの?」
人間の姿になったローザと共に、家の玄関を開けると、声がかけられた。
そこには、弟の翼がいた。
どことなくあどけなさが残る顔が、くしゃりと破顔する。
「おかえり」
藍もそれに少し表情を崩して答える。
「ただいま。友達連れてきたんだ」
「友達? はじめましてだよね? 会ったことない子だ」
翼はずいと近寄って、ローザを顔を見る。
「はじめまして。ローザと言います」
ローザは、めいっぱいの光が飛び散りそうな笑顔を向けた。
藍は、違う人物かと思って目を瞬かせる。
「藍とは、同級生……?」
翼は怪訝そうな顔で、藍とローザの顔を見比べた。
明らかに年が違うだろう、と翼は気づいているのだろう。
「……友達の友達で、たまたま知り合ったの。うちに見たい本があるって言うから連れてきたんだ」
藍は、ローザの言い訳を借りて、何とか言葉を並べた。
そして、ボロが出る前にさっさと離れることにした。
「さ、こっちが部屋だよ。おいで」
そう言って、ローザを押しやって中に入り、二階へ上がった。
自分の部屋に入った藍は、ふうと息をついた。
「ちょっと、もう少し話をさせてくれてもいいんじゃない? あれじゃ全然これから話すきっかけを持てないじゃない」
すると、ローザがその藍の背中に文句を投げた。
藍は、ギリギリと錆びたロボットのようにぎこちなく首を動かした。
「私にはあれが限界だよ。だいたい怪しまれないようにっていうのが無理なんだ。翼は特に勘が良いし」
藍の言葉に、ローザは顎に手をあてて、ふむと小さく息をついた。
「確かに、あの子は何か察してそうだったなぁ。でも、逆にあの子を懐柔できれば、攻略は容易いってことよね」
「……私は、それには何も答えられないよ」
ローザが顎に手を当てて真剣に考えているのに対し、藍は呆れた表情を向けていた。
「わかったわよ。とりあえずあんたは一緒にいる理由にだけ使わせてもらうわね。そういうことで、これからよろしく、藍ちゃん♪」
「何その呼び方……」
藍は、重くため息を吐いた。
「猫を飼いたいって?」
そして藍は、家族全員集まった場で、猫の姿になったローザを紹介することになった。
「うん……」
「…………」
藍がうなずくと、その場は一瞬静まり返った。
周りにいる兄弟たちは、それぞれ他の家族に視線をやって様子を窺っている。
場の中心にいる父は、目を閉じて腕組みをしている。
藍は、息を飲んで父の返答を待った。
「まぁ、いいんじゃないか?」
父は、なぁ母さん?と隣の母を見やる。
母も、そうねぇとなごやかに言う。
「え……」
藍はこんなにすんなり認められるとも思っておらず、拍子抜けして言葉を失った。
「藍はしっかりしてるから、猫の世話もできるだろう」
周りにいた者も、特に異論はないのか、何も言わないでいる。
「あ、ありがとう……」
思ったよりも順調に事が進んだことに戸惑いながら、藍はぎこちなく笑って返した。
猫のローザは、藍の椅子の横で、にゃーんと一声機嫌良さそうに泣いてみせた。
「うまくいったわねー」
食事の後部屋に戻って、ローザは第一声そう言った。
藍は、盛大にため息をついた。
「もう勘弁して……。みんなの視線に耐えられない……」
「何よー。案外小心者なのね」
「私は、波風たてずにできるだけ穏やかに過ごしたい人だよ……」
苦々しげにローザを見ながら、藍は言った。
「まぁ、とりあえずこれで私は猫の姿ならこの家に堂々といれるようになったから、これからよろしくね」
「私はあとは知らないからね」
「まぁまぁ、そう言わずに、ここまできたら一蓮托生よ」
ローザはあははと笑いながら、藍の肩をポンポンと軽く叩いた。
藍は、げんなりとした顔で盛大にため息をついた。
その日から、ローザと藍の共同生活が始まった。
と言っても、表向きには特に今までと変わったことはなかった。
食事の時に、猫のローザの分が増えただけ。
もちろん、猫のご飯をあげるわけにいかず、食後に藍が適当に見繕って部屋で食べさせている。
これは正直手間だが、仕方がないと藍は割り切ることにした。
こうなると、本当に一蓮托生だった。
もう、あの時なぜこの猫に気づいてしまったのだろうか、などと後悔することもなくなった。
その辺り、あきらめの早い自分に藍は少しうんざりしていた。
いつも自分は、すぐあきらめてしまう。
今一緒にいる友人も、そういうところが似ているから、一緒にいるのかもしれない。
ローザはしばらく猫の姿で過ごし、藍の行くところに静かについてきた。
特に大きな動きもない。
学校で藍が授業を受けている間は、どこかを適当にうろついているようだ。
その静かなのが、逆に藍は怖かった。
何を企んでいるのか。
ローザの考えることは、藍には全く読めない。
でも、何かあれば藍は巻き込まれる。
何が起こるかわからないことに巻き込まれるのは、平穏な生活を望む藍には、避けたいことだった。
だから、できれば何をするのかわかった方が良い。
少しローザとコミュニケーションをとるか……。
藍は、そう考えていた。
「あんたの学校って、良い男いないわねー」
しかし、帰宅して早々、ローザの方から藍に話しかけてきた。
藍は、適当にあしらわないで、話を聞くことにした。
だが、ローザの言うことに対して、適切な返答は持ち合わせてはいなかった。
「まぁ、田舎の学校なので……」
ローザが言う良い男というのもよくわからない。
何だか理想が高いような気はしたから、そういう風に返した。
「やっぱり、あんたのところの兄弟が良いわね」
藍はそもそもローザがそのつもりだと思っていたのだが、一応彼女なりに他の候補も吟味していたようだ。
そういうのを知るにつけ、何だか生々しい行為に、藍はわずかに嫌悪感を感じた。
自分以外の他の人がどういう風に生きようが、それはその人の自由だから特に関わるつもりはなかったが、身内に関わるものは、やはり多少の違和感を感じてしまう。
協力する気も、だんだんなくなっていってるのだが、藍はもうローザに関わってしまった。
妙な緊張感を持ちながら、次は何を言われるのだろうかと、藍はローザの様子を窺う。
ローザの、こちらを窺うような視線と合った。
藍は、気まずくなって思わず視線をそらす。
「……まぁ、あんたは気分が良くないわよね」
ローザは、苦笑いを浮かべていた。
「…………」
藍は、何も答えなかった。
「でも、私にも事情があるから、これは譲れないわよ」
そのローザの表情は、鋭さを帯びていた。
「事情って何なの?」
巻き込まれるのなら、そういう表情をする事情を知りたい。
知る権利があるのではないかと思い、藍は聞いた。
「…………それは、言わない」
「は?」
藍は、未だかつてないほど顔を歪めただろうと、後に振り返る。
そして、藍はここで心の中で何かが切れた気がした。
「そこまで言っておいて、言わないって何? 私は何もしてないのにあんたに巻き込まれてるのに。今ここであんたを追い出してもいいんだよ。何で私がそこまで気を遣わなきゃいけないの? いい加減にしなよ!」
藍の怒鳴る声に、ローザは呆けた顔で藍を見つめていた。
そして、ははっと笑みを漏らす。
藍はその様子に呆れるのと、理解を超えたものを感じて、すぐに沸き上がった熱いものは冷めてしまった。
「……あなたも、そんな風に言えるんじゃない。よかった」
何が良かったのだろう。藍はまたイライラしてきた。
すると、ローザは表情を引き締めた。
「ごめんなさい……。確かにあなたの言うとおり、説明しないのは不誠実だったわ。長くなるけど、聞いてくれるかしら」
藍は、ただ静かにうなずいてローザを見た。
ローザは、その藍を見つめ返して、口を開いた。
ローザは、魔法使いの国に生まれた。
人間がいる世界とは全く別にある、魔法が世界の理を作り出す世界だ。
その支配者は魔女であり、その魔女は女王と呼ばれた。
女性の方が持っている魔力が大きいことが、その所以だ。
この世界では、力が大きな権力にもつながる。
ローザは、その女王の大勢いる娘のうちの一人だった。
魔女の力は、得られる愛の力に比例するという。
しかしローザは、数ある魔女の娘たちの中に埋もれ、誰の目にも止まらぬ平凡な女性であった。
彼女が愛を得て、女王になる力を得るのは難しかった。
このままでは、ただ魔女の世界で皆に蔑まれながら生きていくしかない。
それを受け入れる者もいたが、ローザはそれが嫌だった。
魔女の世界に愛してくれる人がいないのなら、他の世界で見つけよう。
他の世界なら、自分を愛してくれる人がいる。
この世は広い。必ず自分を愛してくれる人がいるはずだ。
そして力を得るのに、都合の良い条件もあった。
たくさんの人に愛されなくても良い。愛の大きさで、その力は決まるのだとも言う。
また、最強の力でなくても良い。蔑まれない力がほしい。
未知の世界へ踏み出すのに不安はあったが、魔女の世界にも自分の居場所はない。
それなら、どこでだって同じだ。
そうして、ローザはこの人間の世界に来たのだった。
「案外短かったね」
ローザが話し終わると、藍は感想を述べた。
「そんな言い方ある?!」
ローザは、思わず藍に大声を出していた。
「あ……ごめんなさい」
藍は、さすがにまずいと思ったのか、気まずそうな顔を浮かべていた。
「まぁ、私は心が広いから、別に許してあげるけど」
「へへ、ありがと」
ローザは両腕を組んで、大げさにため息をついた。
言葉の後に、ちらりと藍に視線をやって、意味ありげに唇の端をあげた。
藍も、それを見て安心したのか、照れ笑いを浮かべた。
「そういう訳があるから、私も引くに引けないところがあるのよ。よろしくね」
「うん。私もどこまでできるかわからないけれど、何とかやってみるよ」
「ありがとう、藍」
言うとローザは、藍をそっと抱きしめた。
彼女の甘い匂いに包まれると、藍は途端に照れくさい気持ちになった。
「ロ、ローザ……」
「嬉しいこと言ってくれるから、今日は大サービスよ」
「何言ってるんだよ……」
藍はもごもごと何か言っていると、外から声がかけられた。
「藍ー、ちょっといいか?」
「え」
藍は驚いて、一瞬返事ができなかったが、扉が開いてしまった。
「入るぞー」
「入っていいって言ってないでしょ!」
入ってきたのは、統だった。
藍が怒鳴ったのに、少し気圧されたように統は目を見開いて仰け反った。
「そんなに怒るなよ。どうしたんだ?」
藍は一瞬戸惑って、自分の周りを見る。
人の姿のローザがいたはずだが、すっかりいなくなっていた。
にゃあと鳴く声が聞こえて、その方向を見ると、小首をかしげる黒猫がいた。
藍は、ほっと息をついた。
「……ごめん、ちょっと考え事していて、イライラしちゃっただけ」
「……どうかしたのか……?」
統は、鋭い顔つきをしていた。
統はこういう時妙に勘が良い。
何とかごまかさなければ、と藍は思った。
「イライラすることなんかよくあるよ。大丈夫」
かと言って、藍にうまく言える語彙力などなかった。
「…………」
統は、じっと藍を見つめた。
その目は、何もかも見透かされそうで、藍は思わず目をわずかにそらした。
ふと、軽く息をはく音が聞こえた気がした。
「……何かあったら、言えよ」
統は、あまり抑揚なくそう言った。
「ところで、何か用なの?」
藍も、そっけなく聞く。
すると、統は何か放り投げた。
投げられたものは、藍の目の前にやわらかく落ちた。
ベッドにかすかに皺を作ったそれは、文庫本だった。
「借りてた本、返しに来た」
藍はそれを手に取って、中身をぱらりとめくる。
「ありがと。どうだった?」
「……まぁ……面白かったと思う……」
やはり言い方はそっけない。
全然面白そうに聞こえない。
統は、通学時間が長くて読書が趣味になった藍に、おすすめの本を貸してくれと言って、それをずっと続けている。
統は案外読むのが早く、いい加減藍もおすすめできるものがなくなってきたのでどうしようかと思っていたところだった。
「続編出てるけど、読む?」
「読む」
その返答は、早かった。
とりあえず興味を持っているのなら、続編でも貸せばいいだろうという安易な考えだったが、受け入れられてよかった。
「ちょっと待ってね」
藍はそう言って、立って本棚へ向かう。
目当てのラベルを見つけて、人差し指をかけて取る。
「はい、どうぞ」
手に取って、片手で統へ差し出した。
統は、藍が持っている本をじっと見つめて黙った。
そのまま静止して、少し過ぎた。
「統……?」
統ははっと気づいたように、目線を藍へ向けた。
「ありがとう。読んでみる」
そう言うと、本をさっと受け取って部屋を出ていった。
静かに扉が閉まったのを確認して、藍は首をひねった。
「何だったんだ?」
「……とりあえず、あの子は狙えないっていうことはわかったわ」
ローザは、訳知り顔でしなやかに伸びをした。
「どういうこと?」
藍は、ローザの方を向く。
「本当あなたって人の心の機微がわからないわよね。もうあの子はあなたのことしか見ていないわ」
「……まぁ、私は所詮十六年しか生きていない高校生ですから、人の心の機微がわからないところもあるだろうが、統が私のことしか見ていないというのは、どういうこと?」
ローザは、大きく見せつけるようにため息をついた。
藍は、彼女のこのようないちいち見せる大きいリアクションに苛立っていた。
「あんなあからさまなのに、かわいそうね。それを私から言わせるのは野暮ってものよ」
そう言うと、ローザはしっぽを一つ波打たせて、そのまま首をおろして寝る姿勢になった。
目を閉じて、彼女は口を閉じた。
藍は、ため息をつく。
「全く、何なのよ……」
世の中理解できないことだらけだ、と藍もため息をついた。
次の日の朝、朝食の席に家族全員がつく。
藍は、つい統に視線を向けていた。
ローザは、藍の部屋で食事を待っていた。
猫用のご飯など食べれたものではない、と、初日に言われてしまっているので、彼女用に人間の食べるものを持っていくことになっていた。
用意する身にもなってくれと思いながら、藍は気まずい朝食を食べていた。
ローザに言われて、何となく統のことが気になってしまっていた。
統が無表情で黙々と朝食を食べるのはいつものことだ。
やっぱり、何も気にすることはなかったんだと藍も食事に集中しようとした。
すると、ちょうど統と視線が合った。
動揺して、思わず持とうとした茶碗を落としそうになったのを、手に力をこめて何とかこらえた。
気まずくなって、藍はそのまま視線をそらしたので、その後の統の様子はわからなかった。
その後ご飯は食べ切ったが、味はあまり感じなかった。
作ってくれた母には、申し訳ないなと思いながら。
統たちのことを、そういう風に見たことがなかった。
そもそも、小学生ぐらいの時から兄弟として育って、それ以外の存在として見たことがなかった。
みんなそういう風に接していたし。
色々癖を持った兄弟たちだが、かわいがってもらった記憶はある。
だから嫌いなわけではない。それなりの愛情、というか愛着のようなものは持っている。
だけど、相手は自分のことをどう見ているかなど、考えたことはなかった。
勝手に、同じようなものだと思っていた。
そう思うと、急に怖くなった。
これからどのように接すれば良いのか、わからない。
食事の味は、あまりよく覚えていない。
誰かと会話をかわしたような気もするが、それも覚えていない。
そのまま、部屋に戻って学校へ行く支度をする。
「あんた、大丈夫?」
部屋のドアを開けた瞬間、ローザが声をかけてきた。
顔に出ていただろうか、と藍は思わず頬に手を触れていた。
「この世の終わりみたいな顔してたわよ」
ローザは、にやりと笑いながら言った。
猫の顔でも、口の端を持ち上げたような独特な表情はわかった。
彼女がこうからかうように言う時は、それほど深刻な話ではない。
そこまでひどい顔ではないが、少し気になる程度の変化であったのだろう。
ほっとしつつ、藍は気持ち頬を両手で触ってぐりぐりと動かした。
その様子に、ローザは小さく笑う。
強気な態度の彼女だが、しぐさは上品で人をあまり嫌な気持ちにしない。
そういうところは好ましいと思っていた。
猫の姿であるのに。
「もう成人するような年齢のあなたたちなのに、子どもみたいな恋愛をしているのね」
「大人になったって、人の心がわかるわけじゃあるまいし、わからないことに戸惑うことはあるでしょ」
藍はローザの言葉に間髪入れず、きつい口調で言い返した。
ローザは、小さく息をつく。
「それもそうね。あなたがあまりにも大人のような態度をするから、つい大人のように思ってしまっていたわ。ごめんなさいね」
※ 何だか、言い方に棘を感じたが、藍はその言葉はそのまま受け取ることにした。
落ち着いている、という風に解釈することにしたのだ。
落ち着いて見えることは、藍としてはそうありたい自分の姿だったから。
「……あまり意地悪を言わないで。わからないから、私もちゃんと教えてほしいの……」
できれば、あまり彼女と対立するようなことはしたくない。
藍は、できるだけ穏やかな言葉を選んで言った。
ローザは、特に表情は変わらなかったが、首をかしげて藍を見た。
「意地悪ではないわ。そう感じたのならごめんなさいね。私も、うまく人に伝えられる方じゃないから」
猫の姿のローザは、しなやかな足取りで藍に近づく。
藍のそばに寄って、その肩に飛び乗った。
少しの重みが藍の肩に乗り、よろけそうになる。
何とか踏ん張って立つと、ローザが頬を摺り寄せた。
ふわふわとした猫の毛が頬をなでると、つい心地良さに心が緩んだ。
しかし、すぐに藍ははっと気づく。
「こんなことしてる場合じゃなかった」
藍は慌ててかばんをつかんで、部屋を飛び出した。
今日も学校には行かなければならないのだ。
統とは同い年だから、学校も同じなのだが、一緒には通わない。
それはそうだろう。この年齢の男女というものは繊細なのだ。
人間関係にあまり頓着しない私も、さすがにそれは察せられる。
ローザは、私のスポーツバッグの中に入っている。
スポーツ部でもない、そもそも部活にも入っていないのに、こんなバッグを持ち歩いて、自分でも一体何だろうと思う。
学校に着くと、狭い荷物入れに無理やり押し込んで、自分の席に座った。
「おはよう」
声がかけられた方を見ると、そこには友人の光がいた。
「おはよう」
久しぶりに安心できる顔が見られて、藍は表情を緩めた。
「どうかした? 何だか朝から憂鬱そうな顔してたから気になっちゃったよ」
「え……」
藍は、光の言葉に表情を強張らせる。
そんなに顔に出ていただろうか。
思わず頬に手を触れた。
その藍の様子に、光も何か察して笑顔をぎこちなく強張らせた。
「……あー……今日放課後、空いてる?」
これは光なりに、学校の外で話をしよう、という意味だ。
「……うん……大丈夫」
藍もそれを察してうなずいた。
そして放課後。学校から市街地には歩いて行くには少し距離があり、バスに乗って藍たちは移動した。
ローザは、スポーツバッグの中に入って、おとなしくしてくれている。
ほっとしつつ、藍は横目で光を窺った。
光は、窓際に座って窓の外へ視線を向けていた。
藍は、少しそれにほっとする。
二人は、特にここでは会話をかわさず、街の大通のバス停で降りた。
「いつもの所でいい?」
「うん」
二人はそのまま、大通りに面したスーパーのフードコートへ向かった。
ドリンクを二つ頼み、品物を受け取って二人は席を取る。
放課後のこの時間は、ゆったりと過ごす主婦や他の学生、高齢者ぐらいしかいない。
二人は対面テーブルに座り、目の前にそれぞれのドリンクを置く。
一口それを飲んで、テーブルに置いて、一息ついた。
「で、どうしたの?」
光が先に口を開いた。
こういう時に、口火を切ってくれるのは光の優しさだった。
彼女の、こういうところが藍は居心地が良いと感じる。
ただ、藍はひどい言いづらさを感じていた。
口を開こうとしても、口の中に砂が入ってでもいるかのような不快さだ。
「……何を話せばいいのか……」
そうしてまた口を閉じてしまった藍に、光はふっと表情をやわらげた。
「前は、逆のことがあったよね」
「!」
藍は、はっと顔を上げた。
少し前に、光も隠し事をしていて、彼女はその性格から藍に全く打ち明けようとしなかったが、藍は光が何か様子がおかしいことを察して、彼女と険悪になっていたことがあった。
すると、藍も何だかおかしさがこみあげてきた。
「言いづらいことがあるって気持ち……今ならわかる……」
「だから、私は藍が言えることを聞くし、言えるようになるまで待つよ」
その時の光の声は、とても優しさに満ちていた。
その声を聞くと、藍の胸は、奥底から湧き上がってくるもので満たされた。
「………………」
しばらく、二人は無言でうつむいて過ごした。
その姿を端から見ていたら、とても奇妙に見えたことだろう。
「統が……」
どのぐらいたったかわからないが、周りにいた客は一通り変わった頃、藍が口を開いた。
光は、顔を上げて藍へ目線を合わせた。
「統が、もしかしたら私のこと好きかもしれない」
光は、目をぱちくりと一回瞬かせた。
「は?」
その後に、頓狂な声を出して藍を訝しげな表情で見た。
「え、何?」
藍も、その光の反応に戸惑った。
「今更?」
「え?」
藍は驚いて、思わず身をのり出す。
「前から知ってましたけど?」
「えぇ?」
藍は、思わず大声を出した。
その直後に、慌てて両手で口を押える。
「……い、いつから……?」
光に顔を近づけて、小声で藍は言う。
光は、盛大にため息をついて、藍と同様に顔を近づけた。
「初めて家に行って会った時から」
同じ声量で言った後、光は姿勢を戻した。
「…………」
藍は言葉がでなかった。
二人は場をごまかすように、それぞれ目の前にあった飲み物を手に取った。
一口飲んで、テーブルにそっと置く。
その後もしばらく沈黙が続いた後に、ようやく藍が口を開いた。
「…………私……全然知らなかった……」
「その反応を見ると、そうなんだろうね」
光は、こらえきれないようにふっと笑みをもらした。
「統のことそういう風に考えたことなくて、どうしたら良いんだろう……」
「別に、藍が気にすることなくない?」
藍が頭を抱える体勢をすると、光はあっけらかんと言い返した。
目の前の飲み物のストローをくわえて、ずずーっと残りの飲み物を吸いきった。
「え?」
目をぱちくりと瞬かせて、藍は光を見る。
「統君が何か言ってきたの?」
「いや……」
「じゃあ、藍が気にしてもしょうがなくない? 向こうが何も行動起こしてないことにこっちが何かしたら、逆に向こうが気まずいじゃん。言われてから考えればいいんだよ」
「そうだね……」
言われてみればそうだ。
藍は、第三者の言葉を聞いて、だんだんと気持ちが落ち着いてきた。
「統君ついに言ったのかなーって思ったんだけど、藍の様子からするとそうじゃなかったんだね」
「う、うん……」
藍は、光の言葉に何か引っかかった。
「じゃあさ、どうして藍は統君が藍を好きだってこと気づいたの? 今まで気づかなかった鈍感魔神が」
「…………」
散々な言われようだが、藍は色々な意味で何も言い返せなかった。
当然の疑問だが、藍はそれに対する答えを出せない。
「……なんとなく」
そうとしか返せなかった。
「…………」
光は、じっと藍を見る。
当たり前だろう。こんな答えで納得してくれるとは、藍も思っていない。
「そう……」
しかし、光はそう言ったきりまた黙ってしまった。
少し藍から視線をそらし、うつむいた。
何か考え込んでいるようにも見えた。
「光……?」
「……私、夏に不思議な体験をしたの」
藍が呼びかけると、光は口を開いた。
「藍が私の様子がおかしいって言ってた時、あの時は何も言えなかったけど、私は確かにいつもと違う状況だった」
「…………」
藍は、光の話に黙って耳を傾ける。
「あの夏の日、私の前に喋る猫が突然現れたの」
「!」
その言葉に、藍は驚いた。
その藍の表情を、光はじっと見つめる。
何かに気づかれただろうか。言うべきだろうか。
藍が逡巡している間に、光はまた次の話をし始めた。
「その猫は、私に何かを伝えるでもなく、ただ一緒にいた」
それは自分のそばにいる猫とは違った。
彼女はしっかり目的を持っていた。
世の中には、もしかして色々な喋る猫がいるのだろうか。
藍は、光のその話題がとても気になってきた。
「その猫……今どうしてるの……?」
藍が聞くと、光はスマートホンを取り出した。
少し操作をして、ある画面を藍の前に出す。
「今も、一緒にいるよ」
その画面には、光と一緒に写る三毛猫の写真があった。
藍は、その写真をじっと見つめる。
一見すれば、ただ仲の良い飼い主と猫だ。
その写真と、光を交互に見る。
明らかに自分の態度が不審なのはわかっていた。
「……実は私の家にも、喋る猫がいるの」
藍は、意を決して口を開いた。
光は、ふっと表情をやわらげた。
「そんな気がしてた。その子が教えてくれたの?」
「うん……そう……」
「その猫は、女の子なのかな?」
「そうだね」
「そんなこと気づいてくれるのは女の子だよね」
光の言い方に、藍はついくすっと微笑んだ。
「今度、その子に会いに行ってもいい?」
「うん、そうだね。会ってほしい。これから来る?」
「いや、今から行くと帰りが遅くなっちゃうから、休みの日にしよう」
「そうだね」
そうして、藍と光はしばらく世間話をして二人は解散した。
帰り道、藍は気分がいくらかすっきりとしたものになっていた。
話を聞いてもらえて、何でもないことだと言ってもらえて、ふんぎりがついたようだ。
「あーいっ」
足取り軽めに歩いていると、藍を呼び止める声が聞こえた。
声の方を見ると、しなやかな動きで藍のもとへ歩いてくる黒猫がいた。
「ローザ」
藍はその猫の名を呼ぶ。
ローザは、藍の足元にすり寄る仕草をした。
「どうしたの?」
その様子が猫らしくて、藍はつい手をのばしそうになったが、その手はしっかりとローザはよけた。
藍は、何だか裏切られたような気持ちになって、顔をしかめた。
「藍の帰りがいつもより遅かったから、どうしたのかなと思って迎えに来たのよ。あなたがいないと、私はずっと家にいるしかないんだもの」
「別に、人間の姿にもなれるんだから、好きにでかけたら良いのに」
「私一人で回れるところは、だいたい回りきっちゃったのよね。知らない場所は怖いし、姿を変えれるなんて他の人にバレたら大変なことになるし。あなたと一緒にいる方がいいのよ。ね、やっぱり学校についていっちゃダメ?」
「学校にいても、私はあなたを自由には歩かせないよ?」
「…………ですよねー」
にべもなく言われる藍の言葉に、ローザは苦笑いを浮かべてうなだれる。
猫の表情だが、それがはっきりとわかる。
「……じゃあ……」
そのローザを見て、藍が口を開くと、ローザはピクっと耳を動かして顔を上げた。
反応がいちいちわかりやすい。
だから藍は、ローザを何となく憎めないでいた。
「今度の休みは一緒にでかけようか」
「やった! さすが藍! 話がわかるわね!」
ローザは、ころっとその表情を変えた。
ひょいと藍の肩に飛び乗って、頬をすり寄せる。
藍は、つい小さくため息をついた。
「ローザはおねだり上手だね」
ローザの頭をそっとなでながら、藍は言った。
「そう? あなたには私のおねだりがちゃんときいているようでよかったわ」
悪戯っぽく言うローザだったが、藍は何となく言い方に引っ掛かりを覚えた。
恐らく、彼女の出生のせいだと思うので、藍はそれをあえて流すことにした。
今目の前にいるローザは、本当に嬉しそうにしていたから。
余計なことを考えるのは、彼女に失礼だと思ったのだ。
そして週末。
「はじめまして! 私は光です! よろしくね!」
これ以上ないほどの明るい笑顔で、光はローザに挨拶をした。
ローザと藍は、表情をなくしてそんな光を見つめる。
「……あの、なんかごめんね。僕はアルです」
「ちょっと、なんでアルが謝ってるの? 今の何がだめだった?」
「まぁ、何かわかってないなら別にいいんじゃない?」
アルと名乗った猫は、呆れ顔で返す。
光は納得していなかったが、ここで食い下がってもどうしようもないと思ったのか、藍たちに向き直った。
「せっかくのお休みのところ、お邪魔させてもらってごめんなさい、ローザさん」
「いえいえ。私も興味があったから大丈夫よ」
ローザは、そう言ってどこか挑戦的な視線をアルと名乗った三毛猫に投げかけた。
アルは、その視線を受け取って、うっと後ずさりして光のそばに寄った。
光は、無意識に手を指し伸ばして体をなでていた。
「なんか、やっぱり光とアルくんは仲が良いよね」
藍は、その二人を見て何とはなしにつぶやくように言った。
言われて、光とアルは二人とも一瞬硬直する。
そして、二人そろって藍の方へ顔を向けた。
「ど、どういう意味……?」
光の声が少し震えている。
藍は、どうしたのだろうと逆に訝った。
「いや、見たままの感想を言っただけだけど?」
「そ、そうか……」
光は、あははとぎこちなく笑って返した。
「ねぇ、あなたところでどこから来たの?」
ローザが、ずいと顔をテーブルに乗り出して声を出す。
藍は、何とか外から見えないように、体でローザを隠している。
問われてアルは、少し戸惑ったように表情が揺れた。
「……それが、わからないんだ」
「え?」
「気づいたら、この辺りを歩いていて、それで光に出会った。光を見た時、何だか猛烈に話しかけなきゃいけないって思ったんだ」
「へぇ……」
さすがのローザも少しひいているようだ。
「逆に聞きたいんだけど、あなたはどこから来たの?」
光は、ローザに対して質問していた。
その様子は、とても真剣だった。
とても茶化したりごまかしたりできる雰囲気ではない。
ローザは少し逡巡を見せたものの、藍が思ったよりもすんなり口を開いた。
「私は、魔女の国から来たの」
「…………」
光とアルは、呆けた顔をしてローザを見ていた。
先ほどと同じ空気を、今度は自分たちが作ってしまったことに、藍とローザはとてつもない羞恥を感じていた。
「まぁ……そういう反応になるよね……」
「藍も最初は同じような反応だったわよね」
藍は苦笑いを浮かべながら返し、ローザは小さくため息をついた。
それぞれ違う反応だが、二人とも表している気持ちはあきらめと受け入れである。
「詳しい説明は省くけど、本当よ。魔女の国で生き残るためにここにいるの」
「しかも結構重い感じなんだね」
アルがすかさず言う。
「そうよ、こっちは人生かけてるのよ」
ローザが、ふんと鼻を鳴らす。
「魔女っていうのは、私たちが一般的にイメージしているものでいいのかな。魔法を使って空を飛んだり、不思議なことをしたりする感じの」
「人間のイメージがどんなものかよく知らないけど、だいたいそんなところで良いと思うわ」
光の問いに、ローザは寝そべりながら答えた。
「ふーん……」
光は、ローザを見つめる。
「なんかそっちはそっちで大変そうだけど、お互い変なもの抱えてる同士、何かあったらできることなら協力するから、いつでも言ってね」
笑顔の光に、どことなく哀れみを向けられているような気が藍はした。
藍と光は別れて、帰り道ローザと藍は並んで歩いた。
ローザは、道路の脇にある家の塀の上を歩く。
さすがに人間の横を歩いていると、悪目立ちしてしまう。
「ローザ、今日はつきあってくれてありがとう」
「私も退屈していたし、あなたのお友達には会ってみたかったし、ちょうどよかったわ」
「そう言ってくれるなら良かった」
藍は、安心したように表情をやわらげた。
ローザは、その藍を少し見て、また前へ視線を向けた。
「なんか、私も安心できたわ」
「え?」
ローザの言葉に、藍は意外そうにローザを見た。
「あんな何もわからないのに、一緒に過ごして、相手を大事だって思える関係もあるんだなって。私、色々難しく考えていたのかもしれない。人との関係の築き方って、色々あるのね」
ローザの言葉に、藍もはっとして立ち止まった。
つられて、ローザも止まる。
「藍?」
ローザは、怪訝そうに藍を見た。
藍は、そのローザに淡く笑って返した。
「そうだよね……そうなんだよね……」
藍がつぶやくように言うのに、ローザはますます眉根にしわを寄せた。
「私も、難しく考えてたみたい」
はは、っと何か吐き出すように笑うと、藍はまた歩き出した。
その日、藍は家に帰ると、いつもよりもすぐに眠りにつけたような気がした。
そして次の日、またいつものように朝食の席につく。
皆も同じように席についた。
藍の目の前には、統がいた。
いつも統とは特に会話をすることもないが、やはり気まずさもあって目も合わせづらかった。
統も、その気配を感じているのかどことなく視線が下になっているような気がする。
藍から特にすることはない、気にしない方が良いと言われた通り、私はなるべく普段どおりに接することにした。
全く気にしないということは無理でも、会話さえぎこちなくなるのは、何だか寂しかった。
今まで仲良くしてきた兄弟なのだから。
「藍」
家を出ようとしたところで、統が藍に声をかけてきた。
「何?」
藍が振り返って聞くと、統は一瞬ためらうように口ごもるそぶりを見せる。
だが、すぐに藍の方をまっすぐに見つめた。
「今日、一緒に行かないか」
「うん、いいよ」
統の誘いに、藍はすぐに答えた。
即決すぎて逆に統に不審がられないだろうかと気になったが、統は気にしていないようだった。
「じゃあ、すぐ準備してくる」
そう言うと、すぐに踵を返して二階の自分の部屋へ向かって行った。
藍が、玄関でぼーっと待っていると、統はすぐに戻ってきた。
「行くぞ」
声をかけると、すぐに玄関から出ていった。
待ってたのはこっちですが?、という声は飲み込んで、藍は統の後ろについて玄関を出た。
出ると、すぐに統はこちらを見て待っていたので、少しいらだった気持ちも緩和された。
「うん」
藍はそっけなく返して、並んで歩き出した。
歩きながら、二人は少しの間無言だった。
「……お前さ、なんかあった?」
すると、統が世間話をするように聞いてきた。
目線は、前を向いたままだ。
藍は、ちらりと統の様子を見る。
「……何でそう思う?」
答えずに、質問で返してしまった。
これでは、何かあると言っているようなものなのに。
「……別に……」
統はそれだけ言うと、また黙り込んだ。
「……なんか、お前が元気がないように見えたんだよ」
少しして、つけ加えるように統は言った。
「……元気がない、か……」
藍は、どこか皮肉げに息をつくように笑った。
統は、その様子に表情を険しくした。
「あぁ、ごめんね。確かに気になることがあって、ずっとそのことについて考えていたの」
「それは、俺が聞けることか?」
うーん、と少し考え込むように藍は口を結ぶ。
「……ちょっと、まだ話せないかな」
「そうか……」
また言葉が途切れた。
「……ところで、統は私に何か話したいことがあるんじゃない?」
藍が声をかけると、統は明らかに体を震わせて口をぐっと引き結んだ。
そして、そのまま黙ってしまった。
何だろう。そんなに言いづらいことだったのだろうか。
そう藍が考えて、はっと気づいた。
――もしかして、告白か?
統が自分のことを好きかもしれないという可能性に気づいて、ぎこちなくなっていた自覚はある。
統もそれに気づいて、何かアクションを起こそうと思ったのかもしれない。
まさかそういう風に影響するとは思わず、藍は藍で表情には出さないものの、心の中はとても慌ただしかった。
二人して黙ったまま、時間はどんどん過ぎ、学校は近づいてくる。
学校が近づいてくると、周りに生徒もちらほらいるようになり、余計に会話がしづらくなった。
「藍」
学校の校門が見えてきたところ、統は藍の名を呼んだ。
「あ、はい!」
藍は緊張しすぎて、妙に上ずった声で返事をした。
すると、統はその藍の反応を見てこらえきれないように噴き出した。
「なんだよ、お前、その反応……!」
背を折って、腹の底から笑っている姿を、藍は久しぶりに見た気がした。
何だか、それを懐かしく感じてしまった。
「何さ、そんなに笑わないでよ」
藍は、少しすねた口調で言ったが、本当に怒っているわけではないことは、その緩い口元でわかる。
「あぁ、悪い悪い。早く行かないと遅刻する」
姿勢を直して、統は藍を見た。
「やっぱ、家帰ってから話すわ。家でまた声かける」
「わかった」
にこやかに笑う統に戸惑いながら、藍はうなずいた。
それを聞くと、統はそのままの笑顔で、じゃあな、と片手を上げながら学校へ向かって行った。
藍は、学校が終わるまで統のことが気になってしょうがなかった。
何だか、授業も半ばで聞いていたような気がする。
これも統のせいなのだから、統にはきちんと責任をとってもらいたいものだ。
そんな責任転嫁のようなことを考えながら、藍は学校の一日を終え、帰路についていた。
家に帰り着いても、誰もいない。
両親は仕事だし、兄たちは皆部活をしていた。
「藍ー、おかえりー」
出迎えてくれるのは、人がいないことをいいことに、ここぞとばかりに出てくるローザだけである。
だが、藍はどこかほっとしていた。
統と話す前に、ローザに会いたいと思っていた。
「ただいま、ローザ。今日は何をしてたの?」
こうやってローザの状況を聞くのも習慣になっていた。
「今日も良い男はいなかったわねー。また休日に行動範囲を広げに行きたいわ」
「わかったよ。予定はないから一緒に行こうか」
「あなたのそういうところ、私好きよー」
「はいはい」
猫の愛らしい声をあげて、ローザは言った。
藍はひらひらと手を振って、ローザから離れて部屋に行く。
ローザも共に藍と部屋に入る。
「藍の方はどうなのよ。今日はあの統って子と一緒に登校したじゃない」
ローザに言われて、藍は学校の荷物を下ろしながら、思わず笑いが出た。
「別に。何も話さなかった。話せなかったよ」
「相手も?」
「うん」
「えぇー」
ローザが明らかに非難するような声をあげた。
「統君も、ずいぶん女々しいところがあるのね。なんだか幻滅しちゃったー。顔が良くても、そういう男はごめんだわ」
盛大にため息をついて、ローザは言った。
藍は、はははと乾いた笑いを浮かべた。
「でも、家で話したいって言われたから、統が帰ってきたらちょっと話をしないといけないんだ」
その間おとなしくしててね、と言おうとしたが、ローザがぐいと藍に顔を近づけてきたので、言葉が飲み込まれてしまった。
「それはもう告白よ」
ローザは重々しく言った。
近づけた顔を離し、ため息をついた。
「私よりも先に藍が……」
「いやいや、そうとは限らないし」
ローザが決めつけているので、藍は盛大に否定をした。
「そんな状況で違ったら、もう逆にがっかりよ。あんたも覚悟決めなさいよね。そして、この後も私にちゃんと協力するのよ」
「う、うん……」
ローザに押し切られ、それ以上話すのも不毛だと感じ、藍はとりあえずうなずいておいた。
「ローザ、おやつでも食べる?」
「食べる食べる~。今日は何があるの?」
藍は話題を変えるのに、そう提案をした。
案の定、ローラは嬉しそうにしっぽをゆらりと振って、乗っていた椅子から床に降りた。
うーん、そうだなーなどと頬に指を当てながら、藍はローザと共に下の階へ降りて行った。
ローザとおやつを食べて、リビングでおやつを食べ終わったところだった。
玄関から扉が開く音が聞こえ、ローザと藍はすぐに姿勢を正した。
数か月の間に身についた危機管理能力であった。
「ただいまー」
入ってきたのは統だった。
もうそんな時間かと時計を見ると、いつもより少し早い。
「早かったね」
リビングに入ってきた統に藍は声をかけた。
すると、どこか不満そうに口をへの字にして藍を見てため息をついた。
「誰のために早く帰ってきたと思ってんだよ」
「え?」
低い声で言われる言葉に、藍は怪訝そうに眉根を寄せて返した。
横にいたローザは、音もなくするりと藍の横を抜けてリビングを出ていった。
こういう時の動作は、とても猫らしい。
ローザの様子を見ながら、統の様子も窺っていると、統はため息をついて頭をかいた。
統のこの態度がどういう理由によるものなのかわからないので、藍はとりあえず統の出方を待つしかなかった。
「とりあえず、俺の部屋来いよ。みんなが揃う前に話したい」
指で上を指し示すと、統はそのままリビングを去った。
藍は慌てて立ち上がって、統に続いて階段を上がった。
統が彼の部屋に入るのが見えて、藍も開けられたドアを通って部屋に入る。
統の部屋に入ると、藍は急に緊張してきた。
後ろ手にそっと扉を閉めた。
「座れよ」
言われて、藍は部屋にあった小さなテーブルのそばに正座をした。
統も、その斜め向かいに膝を立てて座った。
統の部屋に入るのはいつ以来だろう。
そわそわと視線を彷徨わせていると、藍と向かい合わせになるように統も座った。
膝を立てて、テーブルに肘をつく。
背筋をびしっと伸ばしている藍とは、全く相対する態度だ。
「……話って、何?」
藍は、沈黙に耐え切れずに切りだした。
「あぁ……」
言われて、統は返事をするものの、煮え切らずこちらも視線を彷徨わせて口を開かない。
少しイライラしてきたが、藍は黙ることにした。
これを逃すと、もう統と話をすることができなくなると思ったからだ。
「…………お前最近さ、俺のこと避けてるだろ」
統の言葉に、藍は言葉を継げなかった。
統に視線を合わすことができないまま、沈黙が続く。
統の視線が、こちらに向いているのは感じられた。
「…………うん」
藍は、何とかうなずいた。
恐る恐る統へ視線を向ける。
統は、鋭い目で藍をじっと見ていた。
その視線に絡めとられるように、藍も統から目を離せなくなった。
「……何でだよ」
統の目と声に、悲しさが宿った。
「…………なんとなく」
本当の理由を言うのは、気が引けた。
こちらが勝手に憶測しているということを知られるのは、統に嫌われそうで言えなかった。
藍の返答に、統はもちろん納得しておらず、表情がそれを物語るように眉間に皺が寄った。
藍は、緊張に胸が締め付けられるような痛みを感じた。
統は一度目を閉じ、ゆっくりと開いて藍を見た。
「……まぁ俺も……最近、お前への態度が良くなかったと思うから、お互い様だな」
すると、統は立ち上がり、ちょっと待ってろと言うと部屋から出ていった。
少しして戻ってくると、統の手には、手のひらにおさまる程度のガラス容器が二つあった。
ガラス容器の向こうは、カスタード色をしている。
「ほら」
テーブルのそれぞれの場所に、その二つのガラス容器を置き、プラスチックのスプーンを置いた。
「どうしたの、これ?」
藍が目の前にあるものを指さして、統を見た。
「買ってきた。話があるって呼んでおいて、何もないのも悪いと思ったから。お前、この店のプリン好きだろ」
「好き」
藍は、いただきますと両手を合わせていそいそとプリンの包装をはがし始めた。
「…………」
その様子を、統は眉間に皺を寄せながら見ていた。
それに気づいて、藍も怪訝な顔をする。
「何?」
「何でもねぇよ」
ちっ、と舌打ちのようなものが聞こえた気がしたのに、何でもないもないだろう。
だが、これ以上不興を買いたくもなかったので、藍は黙ってプリンを食べ始めた。
あぁ、やっぱりここのプリンはおいしいなぁ。
一口入れただけで、幸福が口の中に広がる。
ふと見ると、統はこちらを見て笑っていた。
それに気づいた時に、自分の口元が持ち上がっているのに気づいた。
プリンを食べて、にやついてしまっていたようだ。
何だか恥ずかしくなって、頬を触ってごまかしながら統を睨んだ。
「何さ」
「いや、お前は変わらないなって思って」
「どういうこと?」
今日の統は、本当によくわからない。
「変わらなくて良かったな、って思ってるってこと」
ますます意味がわからなかった。
「俺は、お前とこのまま変わらずに一緒にいられたら良いなと思ってるんだよ」
「う、うん……」
やけにその言葉を言う時に、自分の方を見つめられ、藍は妙な居心地になった。
これは、ちゃんと聞かないといけないだろうかと、藍も統を見つめる。
すると、統は急に視線をそらした。
「まぁ、今日はそれだけだ。用は終わったから、とっとと出てけ」
「何その言い方……」
統が手を振ってそっけなく言うと、藍は呆れた吐息混じりの声を出した。
「まぁ、プリンもごちそうになったし、別に良いけど」
藍がプリンの器を二つ持っていこうとすると、統はそれを遮って、二つ自分の手に持って立ち上がった。
「俺が片付けるからいいよ」
「え……」
戸惑っていると、そのまま統は持って部屋を出てしまった。
藍は、何となく統の後を追った。
「ありがと」
台所で処理をしている統に、藍は声をかける。
すると、藍がいると思っていなかったのか、統は驚いたように目を見開いて見た。
「なんだよ」
統は、何か気まずいのか、視線がさまよっていた。
「いや、久しぶりに統と話をしたから、小説とかの話したいなーって思って……」
だめかな、と藍は窺うように統を見た。
「……そうだな。お前の本棚、また見せてもらおうかな」
統は、今までに見たことのないような笑顔を見せた。
藍は、何だかその顔をかわいいなと感じた。
「う、うん、おいでよ」
そう思ったことに戸惑って、藍は顔を隠すように後ろを向いて自分の部屋へ向かった。
二人は、また連れ立って二階に歩いていった。
統の足取りが、どこか軽やかになったように見えた。
ローザは、一階のソファに座って、その二人を眺めていた。
「よかったわね」
自分の部屋に戻ると、先にいたローザが声をかけてきた。
にやにやと笑みを浮かべているのがわかる。
「うん、よかった」
「まぁ、私としては、ちょっと物足りないけどねー」
ローザは伏せながら目を閉じ、しっぽをゆっくりと揺らした。
「何が物足りないっていうの」
藍は、ローザの額を軽く小突いた。
そのまま机の前に移動して、明日の学校の準備を始めた。
「統君が告白するかなーって思ってたんだけど、なんかほんわかして終わっちゃったんだもの」
「ローザ」
ローザの言葉に、藍は彼女の名前を呼んで制した。
「私と統は、兄弟なんだよ」
ローザの息を飲む音が聞こえた。
目を大きく見開いて、藍を見つめる。
藍は微笑んでいたが、人に何も言わせない圧があるように感じられた。
「私は、そういう風に統のことは見られない」
藍はそう言うと、また準備の手を動かし始めた。
ローザは何も言わずに、ただ息をついてゆっくりと目を閉じながら寝そべった。
その口は、少しへの字に曲がっているようにも見えた。
準備を終え、藍の寝る支度も整ったところ。
ローザはいつも、藍のベッドのそばで寝る。
あまりにも文句を言うので、彼女のために藍が渋々買った彼女用のやわらかくて彼女好みのクッションがそこに置いてある。
ローザはゆったりとした動作で、藍がベッドに入る頃にそのクッションの上に座るのだ。
「おやすみ、ローザ」
藍はベッドに入りながら、伏せて目を閉じる彼女に声をかける。
「おやすみ」
ローザは簡単に返すだけ。
そのまま藍もベッドに入って明かりを消し、部屋は暗闇と沈黙に包まれる。
「ねぇ、藍」
少しすると、ローザが声をかけてきた。
「何」
珍しいなと思いながら、藍は返事をした。
この話は、きっときちんと聞くべきなのだろうと感じた。
「私、愛や恋っていうのは、ゆっくり見つけるものなのかなって思ってきたわ」
「…………」
何と返事をしたら良いのか、藍はとっさに思いつかず、言葉につまった。
「なんか、藍たちのこと見てたら、必死になってるのが馬鹿らしくなってきたの」
「故郷に帰れなくてもいいの?」
藍は、気になることを聞いた。
そもそも彼女が恋をする男性を探していたのは、故郷に居場所を作るためだ。
藍は、息をつくように間をとった。
「……私、藍と一緒にいるのも悪くないなって思ってきてるのよ」
「…………そっか」
またとっさに藍は返事をできなかった。
ローザがそういうことを言うとは思わなくて、驚いたからだ。
自由気ままに生き、正直何を考えているかわからなかった彼女からそう言われるのは、悪い気はしなかった。
こちらも彼女に愛着を持っていたので、彼女もこちらに好意を持ってくれていたとわかるのは素直に嬉しかった。
藍は、自然と笑みがこぼれた。
「何笑ってるのよ。気持ち悪い」
「何さ。嬉しいから笑うんだよ」
「……ふーん……そう……」
そこで一瞬沈黙が流れる。
だんだんと藍の意識が、眠りと覚醒の狭間になってきていた。
「だから、あんたか私がもう嫌だって思うまでは、一緒にいさせてもらうから、よろしくね」
藍、と呼ぶローザの声が優しく聞こえ、子守歌のように藍を眠りへと誘う。
「うん……」
自分でも返事をしたかしないか怪しげな返事をし、藍は目を閉じた。
その息は、すぐに安らかなリズムを刻み始める。
ローザは小さく息を吐き、彼女もその身をクッションに沈めて目を閉じた。
優しい夜が、二人を包んだ。
私とネコ RAN @ran0101
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