喰らうモノ

@JULIA_JULIA

第1話

 ポツポツと雨が降る中、女は草臥くたびれた門の下で雨宿りをしていた。その巨大な門は創建されたときには朱色の下地に金銀の装飾が施され、なんとも煌びやかな佇まいを有していた。大の男が五人でも囲うことのできない太い柱が二本と、その上には数十人を雨から守れるほどの大きな屋根を持っていた。しかし今や屋根は殆ど残っておらず、柱も朽ちつつあり、最早なにかしらの遺物のようにしか見えない。だが、それもその筈で、手付かずとなってから三百年もの月日を経ると、如何に豪奢な門であっても、その姿を留めておくことなどできはしない。


 荒れた土地にある、荒れ果てた街。ここはかつての都。廃都となってからというもの、寂れていく一方である。その周りを囲む土壁は至るところが剥がれ落ち、いくつかの場所は人が通れるくらいの穴が開いている。内部の建物にしても随分と崩れ、まともに建っているのは一割にも満たない。棄てられた街は朽ちゆく運命さだめから逃れようがないのだ。よって、昔こそ数多の人々がくぐった豪奢な門も、今や息絶えた枯れ木の如く地肌をあらわにし、連日にわたって風だけが吹き抜けるような状態である。


 そんな僅かに屋根が残る門の下、雨が辿り着けない石の床にて女は座り込み、なにかをただただ待っているような様子。その表情は空模様と同様に曇り、顔はやつれ気味で頬には幾らかの泥まで付いている。衣は纏っているものの、足の先には草鞋わらじ下駄げたはなく、足の裏は泥まみれ。居座っている場所も、表情も、顔や足裏の汚れも、まるで乞食のよう。とはいえ、女は乞食の類いには見えない。どういうことかというと、纏っている衣が大層立派なのだ。


 紫とくれないを基調とした衣は、朝明けに浮かぶ紫雲と夕暮れの空を思わせ、なんだか麗しくもあり、怪しくもある。そこには銀色の糸で随分と細かな刺繍が施され、様々な紋様が刻まれている。また、赤黒い斑点があちこちに付いている。そして細い帯は、金色こんじきの輝きを放っている。


 明らかに乞食が着るような衣裳いしょうではないし、そこらの庶民が着るようなモノでもない。かといって、どこぞの姫君のようには見えない。鮮やかにして華やかな衣裳いしょうではあるが、その着こなし方はあまり酷く、帯にしても結んでいるというよりは単に巻いているに近い。


 鈍色にびいろの厚い雲に天は隙間なく覆れ、密かに昇っていくは既に天頂に差し掛かっているというのに、大地は仄暗い。先刻より降り始めた雨はなんとも弱々しく土を叩き、僅かに痕跡を刻んでいる。


 今にも消え入りそうな弱い雨が降り続く中、やがて女の前に精悍な男二人が現れる。片方の身の丈は普通、もう一方はかなりの大柄。共に首、腕、足は太く、なんとも逞しく見える。彼らは旅人で、この廃都へは偶々たまたま訪れた。本来ならば、ここへ至る算段ではなかったが、道に迷ってしまったのだ。


 仄暗い景色の中、程なくして女の姿を見掛けた男二人は立ち止まり、顔を見合わせる。そうして共にニヤリと笑い、またも女を見ては歩を進める。やがて女の姿が次第に明らかになってくると、男たちはニヤニヤとした笑みをこぼした。


 俯き加減の女の頬は些か不健康そうだし、泥まで付いている。しかしながら顔立ちは整っている。二十代の半ば、といったところか。そして着崩された豪華な衣から覗いている首元や太腿は、中々になまめかしい。まるで、どこぞの花魁おいらんのようだ。そのため男たちは胸を躍らせ、下腹部をたぎらせた。


 朽ちつつある門の傍に民家はない。そして勿論、商家もない。正確にいえば建物はあるのだが、それらは既に崩れていて、とても人が住んでいるようには見えない。ここはかつての都であり、栄えていた頃こそ広大な敷地には十万を超える人々がおり、なんとも盛大な賑わいを見せていたが、今や住む者は百もいない。よって今、曇り空の下で女の姿を見ているのは旅人の男二人のみである。


 そのような状況が旅人の心を狂わせる。別に彼らは生粋の悪人ではない。しかしながら、純然たる善人という訳でもない。ピンッと張られた綱の上を歩く人間の体の如く、左右に揺れる心の持ち主たちだ。右に落ちれば悪に走り、左に落ちれば、善を為す。そのような単なる一般庶民に過ぎない。そして今、旅人たちの心は右へと落ちた。


「やぁ、あねさん。こんなところで雨宿りかい?」


「ここじゃあ体が冷えるだろう」


 男二人は共によわい四十を過ぎたところ。女の正確な年齢は不詳だが、どう見ても年下に思える。しかしながら男たちは女のことを『嬢ちゃん』とは呼ばず、『あねさん』と呼んで敬意を示した。それは卑しい下心によるモノだ。二人の男はニタニタと笑いつつ、女の顔と体を値踏みする。頬は少しけ、些か泥が付いているが、顔立ちはやはり美しい。あらわになっている太腿は程よい肉付きで、衣によって隠されている胸もそれなりにありそうだ。そんな見込みを付け、男二人は女へと更に近寄る。


「腹は減ってないかい? 多少の食い物ならあるぞ」


「汁物でも作ってやろうか。そうすれば体も温まる」


 男二人はそれぞれが女の左右へと回り、挟み込むようにして話し掛けた。しかし女は返事をしない。不思議に思った大柄な男が女の顔を覗く。伏し目がちの瞳は輝きを失い、まるで死人のよう。よって彼は、女の口の前へと手をかざす。すると弱々しいながらも風を感じた。息こそあるが、随分と弱っているらしい。そのため男は問い掛ける。


あねさん、大丈夫かい?」


 女の顔を覗き込んでいた大柄な男が、彼女の肩に触れた。するともう一方の男も逆の肩に触れる。そうやって二人して体を軽く揺すると、女はすぐに顔を上げる。


「・・・んん? どうやら、眠ってしまっていたようだ」


 なんとも呑気なことを言った女。すると男二人は大笑い。


「アハハッ! こんなところで寝るなんて、不用心なことだ!」


「ガハハハッ! ってことは、俺たちの話は聞いてなかったってことか。それにしても、目を開けて寝るなんて!」


 大きく口を開けて笑う男二人を前にして、女はなんとも穏やかに笑う。


「なにが面白い?」


 穏やかな中にも妙な色気がある。そんな顔を見た男たちは、またも女を誘う。


「食い物があるから、一緒にどうだい?」


「そうそう。腹が減ってるだろう」


 すると女は小首を傾げ、ポツリと呟く。


「そんな場合か? オマエたち、つかれてるだろ?」


 しかし、その言葉は男たちの耳には届かなかった。女の呟きは少しばかり強くなった雨音に掻き消されてしまったのだ。よって大柄な男が訊き直す。


「なんだって?」


「オマエたち、つかれてるぞ」


 女の言葉を聞き、もう一方の男が胸を張る。


「いやいや、俺たちは旅には慣れてるからな。まだまだ疲れてなどいないさ」


 その言葉に続けるように、大柄な男が言う。


「俺たちは体力には自信があるからな」


 男二人は女を襲うつもりではいるが、穏便に事が運ぶのなら、その方が良い。そのため自分たちの逞しさを誇らしげに語った。そうして男らしい魅力を示した。しかし、女は呆れるばかり。


阿呆あほうが・・・。『憑かれてる』と言ってるんだ、後ろを見てみろ」


 男二人は女の言葉の意味を未だ理解していない。しかし最初の罵倒と最後の指示は理解できた。そのため些か腹を立てながらも振り返る。しかし、なにも変わったモノはない。男たちの視線の先には、雑草に埋め尽くされた道と、そこに長く伸びる自分たちの影。あとは野山と鈍色にびいろの空とそこそこの雨。よって男たちは即座に女へと顔を向ける。


あねさんよぉ、阿呆あほうとは酷い言い草だな」


「そうだぜ。あんまりふざけてると、痛い目を見ることになるぞ」


 男たちは先程の罵倒により、女を力づくで襲う決意を固めつつあった。しかし女は再び罵る。


阿呆あほうに阿呆と言ってなにが悪い。頭だけじゃなく目まで悪いのか? よく見てみろ、オマエらの影を」


 二度も罵られ、男たちは明確な怒りを覚えた。しかしながら女の言ったことが気になり、またもや振り返る。そうして自分たちの影を見た。しかし、やはり変わったことはない。男二人の影はそれぞれがハッキリとしていて些か細く、随分と長く伸びている。しかし、それだけのことだ。よって男たちは、またしても女の顔を見る。しかし先程までとは目付きが違う。睨むようにして見ているのだ。


「このあま、どういうつもりだ?」


「ふざけるのも大概にしろよ、こら」


 二人して口汚く女をそしり、その襟を掴んだ男たち。彼らは、いよいよ本性を───いや、欲望を現した。このまま、ここで腕力にものを言わせて襲うつもりなのだ。女を喰らうつもりなのだ。しかし女は至って冷静だ。


「影を見なかったのか? 可笑しかっただろ?」


「はぁ?」


「別になに───」


 大柄な男が言葉を止めた。そして、おもむろに振り返る。その目は自身の影を捉えている。そこで、ふと思う。この影は、なんだか変だ───と。


 空は相変わらず厚い雲に覆われていて周囲は仄暗いというのに、男二人の影はあまりにもハッキリとしている。しかも、やたらと伸びている。陽は隠れてこそいるが、未だ天高くにある筈だ。それなのに影が伸びている。しかも男たちは身の丈が異なるというのに、影の長さは同じに見える。


 そのことに気付いた大柄な男は再び女の方へと顔を向ける。そうして女の影を見ようとした。しかし、それは叶わなかった。女は僅かに残る屋根の下にいて、彼女の影は存在しない。屋根の影によって覆われているからだ。とはいえ大柄な男には、それで充分だった。


 屋根の影は色が薄く、その輪郭はぼんやりとしている。そしてどの方向にも伸びてはいない。そのため大柄な男は慌てて首を左右に振り、二本の柱の影も確認する。やはり色は薄く、輪郭はぼやけ、伸びてはいない。


「ど、どうなってんだ?」


「・・・? どうしたんだよ?」


 理解した者と、理解せざる者。しかしながら、二人は共に戸惑い、女の襟から手を離した。そんな男たちを尻目に女は立ち上がる。そして男二人のあいだを一足飛びで通り抜け、彼らから随分と離れた場所で片膝を突いた。その両手には、男たちの影が掴まれている。実体のない影を掴むなど、夢物語のようなモノ。女の動きを目で追っていた男二人は、そんな光景を目の当たりにして大層驚く。しかし、その直後に更なる驚きが待っていた。女が、掴んでいる二本の影を地面から引き剥がしたのだ。


「なっ!?」


「・・・は?」


 驚きの声を発した大柄な男と、驚きのあまり間抜けな声を発した男。それと同時に男たちは腰を抜かした。そんな二人に背を向けたまま、女は彼らに告げる。


「少し痛むだろうが、我慢しろ」


 そう言ったあと、女は両手に力を込めた。


「うぎっ!?」


「あがっ!?」


 女が影を強く握ると、男たちは自身の首を両手で押さえ、程なくして、のたうち回る。首に激しい痛みを感じ、暴れている。しかし彼ら以外にも暴れるモノがいた。それは、二本の影だ。


 女に強く握られたことにより、二本の影はバタバタと暴れて女の手から逃れようとしている。その暴れようは、なんとも激しい。しかし女は全く動じず、より一層の力を込め、影を握る。すると二本の影の暴れようは更に激しくなり、男たちの暴れようは収まった。あまりの痛みに暴れることすら、できなくなったのだ。首を絞められているような、針で刺されているような。そんな、なんともいえない痛みが男たちを襲う。しかしながら息はできるので、なんとか死なずに済んでいる。


 どんどんと握る力を増していく女。すると影は次第に色を変え、やがて深い緑に染まる。更には、その姿を大蛇へと変化へんげさせた。その変化へんげと同時に男たちの首からは痛みが去った。凄まじいまでの苦しみから漸く解放された男二人は女の方へと顔を向ける。そこには激しく暴れる二匹の大蛇と、そんな化物みたモノを両手に掴んでいる女。その光景に男たちは呆然とする。


「蛇か、悪くない」


 女は呟くと、左手で掴んでいる大蛇に噛りついた。より一層暴れる大蛇と、勢いよく噴き出る血。その一部が女の顔と衣を染める。しかし女は全く意に介さず、大蛇の体を噛み千切る。そして数回の咀嚼のあと、それを飲み込み、また噛り、また噛み千切る。それを何度も続ける。


 そのうちに、女の左手に掴まれていた大蛇の体は二つに分かれ、頭側の体が地面にボトリと落ちた。なんともおぞましい光景。そのため男たちは地に伏せ、胃の中の物を全て吐き出す。すぐにでも逃げ出したいところだが、変わらず腰を抜かしているので、それは叶わない。よって、ただただ嘔吐を続けることしかできはしない。


 体が分かれた大蛇は激しい動きを止め、今はピクピクと痙攣をするのみだ。すると女は右手で掴んでいる大蛇へと噛りつく。そうして先程と同じようにその大蛇も仕留める。


 やがて大蛇の体を全て喰らい尽くした女は男たちへと向き直る。その顔は血塗れで、口元は不敵に歪んでいる。そのため、彼らは失禁をしてしまう。生温なまぬるい感覚が下腹部を覆う中、男たちの顔は青ざめていた。その一方で、女はやはり不敵な笑みを浮かべながら男たちへと近寄る。長時間の雨により、道には幾つかの水溜まりができている。それらに女の足が入るたび、鈍い水音が弾けた。その音を耳にするごとに男二人の背中は恐怖のあまり冷たくなる。自分たちも喰われてしまうのだろう、と。


「オマエら、よくやった」


 女から発せられたのは意外な一言。よって男二人は呆気に取られた。そして顔を見合わせて、再び女の顔を見る。


「まぁ、このワシを襲おうなどと、なんとも馬鹿げたことを考えていたのは感心せんがな。しかしオマエらがを運んできたお陰で、ワシの腹は満たされた。褒めてやろう」


 てっきり喰われるものと思い込んでいた男二人は安堵する。とはいえ腰は抜けたままなので、身動きは取れない。いま自由に動くモノといえば、口くらいだ。よって大柄な男が問う。


「オマエ───、いや、アンタ・・・、一体何者なんだ?」


「ワシか? ワシは、『化物を喰らう化物』だ」


 そう答えると女はきびすを返し、未だ地面に座り込んでいる男たちを尻目に、その場から颯爽と去っていった。



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