第1話-7

「お前ら正気か……⁉」

 命が助かったにもかかわらず、アストレインは思わずそんなことを言ってしまった。

「正気か、とはどういう意味でしょうか?」

 頭を下げたまま、ヴァネッサが尋ねてくる。


「あんたらからしたら、俺は最も殺したい人間だろうが。それを見逃した挙句、回復させるなんてどう考えても頭おかしいだろうが」

「そうでしょうか? 弱った相手を倒したところで、我らの戦闘欲は満たされません。私がエスカリーテ様の立場だったとしても、同じことをしたでしょう」

「せ、『戦闘欲』……⁉」

 おかしな単語が出てきた。


「魔族には四つの欲があると言います。すなわち、食欲、睡眠欲、性欲、そして戦闘欲」

「初めて来たぞそんな欲」

「人間には理解できない概念ゆえ、あまり伝わっていないのでしょう」

 わかった。

 エスカリーテだけでなく、魔族全体が戦闘狂なのだ。

 戦闘種族と言ってもいい。


 アストレインとヴァネッサのやり取りを聞いていたエスカリーテは満足そうに微笑み、高らかに宣言した。

「これより、勇者アストレインはこの魔王城の客人だ。みな、礼節の欠いた振る舞いはしないように!」

「「「「「承知いたしました」」」」」

 主人の号令に、部下の魔族たちは一斉に恭しく礼をした。


「しかし、です。エスカリーテ様」

 と、ヴァネッサが付け加えてくる。

「うん?」

「ご承知の通り、我々はみな多忙です。勇者を世話をする余裕がある者など一人もおりません」

「わかっている。言い出した私が責任を持って面倒を見る。お前たちの手を煩わせるつもりは最初からない。なので、客室ではなく、私の居室に引き取ろうと思っている」

「それならば結構です」

「……一応言っておくが、私も暇というわけではないからな?」

「私は何も言っておりませんが」

 渋面になったエスカリーテに対し、ヴァネッサはクスリと笑った。が、すぐに気を取り直し、

「それでは、勇者殿」

「は、はい?」

「ごゆるりと静養くださいませ」

 信じられない展開についていけないアストレインが呆気に取られていると、ヴァネッサは主人に対するのを変わらぬ丁寧さで深々と頭を下げてきた。


「さて、それでは勇者、私に付いて来い」

「あ、ああ……」

 エスカリーテに促され、城の奥にある階段を上っていく。

 上機嫌なエスカリーテの背中を追いかけながら、

「本来、圧倒的に強いはずの魔族が人間に敗北し続けている理由が分かった気がする。お前ら魔族は、戦うことのそのものが好きなんだな?」

 勝利が主目的ではないから、勝てる戦も勝てなくなってしまうのだ。

「それは少し違うな。我々だってもちろん勝ちたい。肥沃な大地である人間界を手中にしたい。だからこそ、何度も挑んでいる。だが、誇れるような勝利でなければ胸を張って人間界を支配できないだろう。胸が張れなければ、支配や統治がうまくいくはずがない」

「詭弁だな。勝てなければ意味がない」

「そこは、考え方の違いだな」

 エスカリーテが軽く肩をすくめるのを見て、アストレインは嘆息するしかなかった。


「まるっきり、戦闘狂だな」

 彼女に聞こえないように小さく呟く。

 数え切れないほど繰り返されてきた人魔戦争のほとんどが人間側の勝利で終結しているのは、人間側に『勇者』と『聖剣』という対魔族に特化した武器があるのが大きな理由とされている。だが、それ以上に、魔族のこの正々堂々とした戦闘を好む気質が大きく影響を与えているのではないだろうか。


「言っておくが、勇者を静養させようと決めたのは、それだけが理由ではないぞ? 先程までの貴様があまりに惨めで哀れだったからだ」

「……それは否定できないが」

 魔族の少女に泣き縋る勇者なんて、惨めで哀れ以外何ものでもない。

「惨めついでに一つ頼みを聞いてくれないか?」

「頼み?」

「『勇者』って呼ぶのはやめてくれないか? 正直、その呼び方は、つらい」

 今の自分が勇者失格なのは、アストレイン自身が一番理解している。それだけに、『勇者』と呼ばれると胸が痛くなってしまう。


「……なるほど」

 こちらの気持ちを察したエスカリーテは一つ頷き、それから考え込む。

「ならば、アストレイン……は少し長いな。『アスト』と呼ぶことにしよう。ついでだ。私のことも『エスカ』と呼ぶといい」

 『勇者』と呼ばれることと同様に『魔王』という呼び名を口にするのもつらかったから、彼女の提案はアストレインにとって、ありがたかった。



 エスカリーテに案内され、魔王城の最上階に到着した。

「や、やっと着いた……」

 魔王城は想像以上に高く、大きく、深かった。正直なところ、疲れ果てているアストレインにとってはなかなかの重労働であった。ゼェゼェと肩で息をしてしまう。

「ここが私の居室だ」

 対して特に息を切らせた様子も見せないエスカリーテが、階段を上がってすぐのところにあるごく普通のドアをガチャリと開けた。


「……まるでホテルのVIPルームだな」

 入室した部屋は高級感はあるが、余計な装飾品などは一切なく、生活感もあまりなかった。

 室内をぐるりと見回していると、エスカリーテは苦笑を漏らした。

「まあ、間違いではない。聞いたところによると、人間界にある高級ホテルをモデルにしたらしい。元々魔王は玉座の後ろにある隠し階段の奥に居住スペースを確保していたのだが、日当たりが悪いし、空気の通りも悪いしと、ものすごく住みにくくてな。こんなドブネズミみたいな環境で次世代魔王を育てられるか! と四代ほど前の魔王が突然言い出し、慌てて作られたのがここなのだ。最上階に無理矢理はめ込むように作ったものだから、こんな風になってしまった」

「魔王って、ずっと玉座に座っているものかと思っていた」

 人間界では、魔王は大抵そういう風に描かれている。


 アストレインは何気なく言ったのだが、エスカリーテに思い切り顔をしかめられてしまった。

「冗談ではない。あの椅子、見た目はデカくて豪奢だが、座り心地は最悪だ。半日座っただけでお尻が悲鳴を上げてしまう。よかったら、今度座ってみるといい」

「いや、遠慮する」

 形がよく引き締まったお尻を見せつけてくるエスカリーテから視線を逸らすと、彼女はニヤリと笑いながら距離を詰めてきた。


 そして、アストレインをギュッと抱き締めてくる。

「お、おい……⁉」

「さぁて、思い切り甘やかして、可愛がってやるからな。まずはお風呂だ。お互い泥だらけでびしょ濡れだしな」

「ちょ、待てって……!」

 半ば引きずるようにして浴室に連れて行かれる。


 こちらも壁や浴槽などは高級な材質を使っているようだが、ゴテゴテした装飾などは一切ない。まさにランクが少し上のホテルの浴室だった。

「お湯を張らないとな」

 浴槽の上でエスカリーテが魔陣石をグッと握り砕くと、一瞬で温かそうなお湯で満たされる。やわらかい湯気が上り立つのを見ると、それだけで心が安らぐのを感じた。

「アスト、貴様から入るか?」

「いや、遠慮する。エスカが先に入ってくれ」

 体は冷え切っているし、泥だらけだ。気持ちよさそうなお風呂を前にしていると、すぐにでも飛び込みたい衝動に駆られるが、家人であり女の子であるエスカリーテを差し置いて入浴するのはさすがに憚られる。


 アストレインが首を横に振ると、エスカリーテはふむと考え込み始めた。

 そして、とんでもないことを言い出す。

「ならば、一緒に入るか」

「は……? いきなり何を言い出すんだお前」

「一緒に入るのが一番効率的だと思ったのだが」

「いやいや、それはよくないだろう。というか、マズすぎるって」

「遠慮することはない。私が体を洗ってやる」

 と、ボディ用のスポンジを握り締め始めた。

 コイツ、冗談じゃなくて、本気か……⁉

 目をキラキラ輝かせながらにじり寄ってくる魔族の少女を見て、アストレインは戦慄してしまった。

「いやいい。全力で遠慮させてもらう。それくらい自分でできるから」

 魔族とはいえ、一回りも年下の女の子に体を洗われてしまえば、アストレインの尊厳は粉みじんになってしまう。

「……そうか。それは、残念だ。やってみたかったのだが」

 ブンブンと手を振って拒絶すると、エスカリーテは心底ガッカリした表情になり、スポンジをポトリと床に落とした。


「いいからさっさと入ってくれ。そうしたら、俺もゆっくり風呂に入らせてもらう」

「そうか。まあ、ここで揉めてもお互い体を冷やすだけだしな。今日はアストの言うとおり、私が先に入ることにしよう」

 そんなことを言いながらエスカリーテは着ている服に手をかけた。

 目の前に男がいるにもかかわらず。

「ちょ、待……!」

 アストレインが制止しようとしたがもう遅い。


 エスカリーテは勢いよく服を脱ぎ捨て、上半身が裸になった。


 見てはいけない。

 魔族とはいえ、少女の裸を見るなんて大人として許されないことだ。すぐさま顔を背けるなり目を瞑るなりするのが正解である。

 だが、エスカリーテの裸体を見た途端、アストレインの視線は彼女に釘付けになってしまった。

 美しい、と思った。

 艶やかに輝く白い肌と共に、十代らしい張りのある見事な乳房も露わになっている。

 抱き締められた時から気づいていたが、エスカリーテの胸はかなりのボリュームがある。だが、少しも重力に負けて垂れてはいない。むしろ、可愛らしいピンク色の先端部分は上を向いている。それが若さのおかげなのか、魔族だからか、エスカリーテ本人の鍛錬によるものなのかはアストレインにはわからない。しかし、フラフラと引き寄せられてしまいそうなほど綺麗で、扇情的で、魅力的な胸だった。


「……ん?」

 エスカリーテはそんなアストレインの視線に気づいたが、胸を隠そうとはせず、それどころか見えやすいように正面に回り込んできた。

「アスト、もしかして貴様はおっぱいが好きなのか?」

「え⁉ いや、それは、まあ、その……男でおっぱいが嫌いな奴はいないだろ」

 何とか誤魔化そうかとも考えたが、思い切り凝視していた手前、さすがにそれは無理がある。

 アストレインは頬を赤らめながらぎこちなく頷いた。


 するとエスカリーテは上半身裸のまま考え込み始めた。

「ふむ。そうなのか。どうするかな……。ヴァネッサはおっぱいが小さいし、何より多忙だからちょっと難しいな。とりあえず用意できるのは、乳牛やヤギの雌くらいなのだが、それでもいいか?」

「……牛やヤギ? それを俺にどうしろって言うんだ」

「アストはおっぱいが好きなんだろう? 今私が用意できるおっぱいは牛とヤギくらいだということだ」

「は……?」

 なんだか、話が致命的に噛み合っていない気がする。

「あのな、おっぱいだったらなんでもいいってわけじゃないんだからな。牛やヤギのおっぱいを見たって欠片も嬉しくない」

 というか、牛やヤギの胸を見て興奮したら、人間として色々よろしくない。


 アストレインは至極当然のことを言ったつもりだったが、エスカリーテはよくわからないと首を傾げる。

「私のおっぱいはものすごく見ているのに、牛やヤギのおっぱいは見たくないのか?」

「全然違うだろうが」

 目の前で揺れるエスカリーテの胸にどうしても視線が注がれてしまう。これを牛やヤギのおっぱいと同列に並べるのはどう考えても理屈に合わない。

「エスカの胸はすごく綺麗だし、その、すごくエロい。これを見たくないなんて言う男がいるはずがないだろう」

「褒めてくれるのは嬉しいが、私は魔族だぞ。人間ではない」

 その言葉でわかった。

 この魔族の少女は、異種族ゆえに己がアストレインの性的好奇心をくすぐる存在だとは全く思っていないのだ。だから、裸を見られてもなんとも思わない。


「……あのな、確かに俺とエスカは種族が違う。だけど、人間の俺から見てもエスカはすごく可愛らしい美人な女の子だと思うぞ。だから、俺の前で裸になるなんてやめてくれ」

「魔族のおっぱいなのにか?」

「魔族のおっぱいでもだ」

「ふむ……」

 丁寧に説明したつもりだったが、エスカリーテはよくわからないようだった。

「まあ、貴様の考えはわかった。こちらも痴女と思われたいわけではない。貴様がそう言うのなら、裸を晒すのは控えよう」

「そうしてくれ」

「ただし、だ」

 と、言いながらエスカリーテがますます距離を詰めてきて、耳元で囁いてくる。

「見たくなったら遠慮なく言うといい。貴様が癒されるのならば、少しくらい触ってもいいぞ」

「……これ以上、俺の尊厳を破壊しかねないことはやめてくれ」

 アストレインが思い切り情けない顔をすると、エスカリーテはクスクスと笑った。


「冗談だ。だが、貴様が元気になるのならば、おっぱいくらいいくらでも見せてやるとも思っているぞ」

「……とりあえず、早く風呂に入って、俺も入らせてくれると元気になるんだがな」

「おっと。ついつい長話をしてしまったな。貴様の言うとおり早く風呂に入った方がよさそうだ」

 そう言いながら、エスカリーテは履いているパンツをバッと勢いよく下ろした。

「バ、バカ! 言ってる側から!」

 さすがに全裸まで見るわけにはいかないと慌てて浴室から飛び出す。

 ……一瞬、白く輝くお尻を見てしまった。

 脳裏に焼き付いてしまったエスカリーテの裸体を追い出そうと頭を振っていると、浴室からパシャパシャと水音が聞こえてきた。

「エスカの奴、俺を野良犬程度にしか思っていないんだな」

 だから魔王城で静養させようなんてとんでもないことを思いつくし、裸を見られてもなんとも思わない。

「……人間と魔族のハーフがいることをあいつは知らないのか?」

 はぁああと大きく嘆息してしまう。


 大人として、人間として、勇者として、自分を厳しく律しよう。

 そうでなければ、無防備で無警戒で無邪気な魔族の少女の厚意を踏みにじりかねない。

 高級そうなソファを汚したくないので床に座り込みながら、アストレインは強く誓うのだった。

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落ちぶれたアラサー勇者が新米魔王少女にひたすら甘やかされる話 水口敬文 @takamizu19

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