第5話 電波時計-アメリカン2杯目-
朝、目が覚めたら一杯のアメリカンコーヒーを淹れる。汎用的でファストフード的な、お湯割りアメリカンではなく、ちゃんと焙煎の浅い、アメリカンコーヒー用の豆を使う。出来るだけこだわりたかったから、手動のやつだけれど、ミルも買って来た。目覚めの運動とばかりに、その日に使用するであろう分の豆をごりごりと挽き潰すのだ。ここまでで、ベッドへの未練は随分断ち切れている。そこに、ダメ押しのように、熱いアメリカンコーヒーを飲む。
いかにも優雅な感じがしてすっかり病みつきになってしまった。朝、授業も無いのに起き出して、自分のためだけにモーニングコーヒーの仕込みをする大学生なんて日本中を眺めまわしても殆どいないだろう。そう考えると、はっきりとした理由もないのに“勝った”ような気がする。挑まれていないような勝負でも、負けるよりは勝った方が嬉しい。
何でも、アメリカンコーヒーというものは目覚めにとても良いらしい。焙煎が浅いからコーヒー本来の成分が強く残っていて、当然カフェイン成分も強いから、朝の覚醒を助けてくれるらしいのだ。本当のような、そうでもないような、胡散臭いティップスではあったけれど、何となく自分の行動の正当性を後押しされたようで少し嬉しくなった。そういう事もあって、私は毎朝欠かさず、アメリカンコーヒーを自分のために淹れている。
きっかけは、簡単であるような、複雑であるような。ちょっとした気の迷いのようなものだ。ジャムがパキスタンへと飛び立った日のアメリカンコーヒーが、今から思えば単なるお湯割りアメリカンなのだけれど不思議と印象深い味だったからというのがまず一つ。そのせいで、空港からの帰路、私の頭の中が随分とコーヒー色になってしまっていた事がもう一つ。地元商店街でたまたまやっていた“日替わり催事”でコーヒーメーカーがものすごく安かったのがダメ押し。
思考がコーヒー色になってしまっていた私はあっさりとそれを購入。どうせなら、と思ってコーヒーショップで“アメリカンコーヒーを自分で淹れたい”と相談したら、前に示したような“特徴”や“本来のアメリカン”を教えてくれて、アメリカンローストの豆を200グラム購入。それが、言うなれば、第一段階だ。
第二段階は……もう少し複雑だ。まずも何もない。色々な事がどうでもよくなるくらいに最悪。世界中のコーヒーが泥水に変わったような気分。ジャムから、パキスタンに到着した翌日の電話以降、連絡が来なくなってしまったのだ。
最初で最後――とは思いたくない――の電話で、私は、コーヒーメーカーの話やアメリカンコーヒーの話をした。
「いいですね。アメリカンコーヒー、お腹痛くならないでしょ?」
「コーヒー屋さん言ってたけど、そういうわけじゃないんだって。ちゃんとアメリカンローストの豆使ったら、かえって胃への負担って大きいみたいだよ」
「難しい事よく分からないけど、今度、ニホン行ったらナカさんの淹れるアメリカン飲めるね」
「うん、だからさ、私のコーヒーとジャムのチャーイでアフタヌーンパーティーしようよ」
「いいですね。ワタシもチャーイ用の葉を沢山持っていくよ。いけないオクスリと間違えられないようにしないとね。じゃあ、また電話かけます」
そんな、何処かふざけた調子の電話があって、僅か二日後の事。世間的にどういう順番で報じられていたのかは分らないけれど、私がそれを知ったのはインターネット上のニュースサイトだった。パソコンを起動して、インターネットに接続。就職活動中から何かと世話になっている国際ニュースの専門サイトにアクセスすると、“臨時ニュース”としてピックアップされていたのが、“パキスタン、非常事態宣言下へ”※だった。
きっと、私が勉強不足なのだろう。とっさに“非常事態宣言”と言われても、具体的にそれが何を意味するのかが分からなかった。ニュースサイトの記事には、“事実上の戒厳令”と書かれていたけれど、その戒厳令も良く分からない。
調べてみると、国民権利を保護する法律などの一部が一時的に停止されて、“国家の保全”が最優先されるような事態の事らしい……そんな事は別にどうでもよかった。少なくとも、私とパキスタンの繋がりはジャムだけなのだから。最大限に広い範囲で見てもジャムの家族くらいまで。非常事態だろうと何でもいいけれど、とにかくジャムの安否。
すぐに電話したかったけれど、問題点。私はパキスタンで使用可能な言語を殆ど話せない。これもまたインターネットで調べた事だけれど、第一言語のウルドゥー語とやらは確実に無理だ。“こんにちは”、だって言えやしない。ジャムの日本語習得を優先して――という言い訳のもと――ジャムの言葉を何一つ学ばなかったのは本当に失敗だった。
高等教育機関や、公文書では英語が使われているらしいけれど、これもどちらかと言えば苦手。“こんにちは”や“さようなら”は言えたとしても“非常事態宣言が起きてどんな状況ですか”ともなってしまうと絶望的だ。ジャムが電話をしてきてくれるのがベスト。心配だけれど別に戦争が始まったというわけではないから……と言う事で、“卒業旅行でパキスタンに行くから寂しくなんかない”、と息巻いていた私は、あっさりと、安否を気遣いながら待機するだけの、何も出来ない人間になってしまった。そして、あたかもそんな私の様子を知ってでもいるかのように、ジャムからの電話は一向にかかってこなかった。
*
電話の無いままで二週間が経過して、私のコーヒースキルだけが無意味に上昇していた。自分ではっきり分かる。不慣れな手つきで淹れていた最初の頃よりも明らかに美味しくなっていた。最初の頃は苦すぎたり、薄すぎたりでバランスに苦労したのだ。慣れる事によって、自分の舌に一番心地よい味の分量を発見して、さらなるスキルアップがそれに安定性を加えてくれた。この段階の私は、自分好みの味になる分量を、ほぼ誤差無く用意する事が出来るようになっていた。
ジャムから電話があったら、面倒な話もそこそこにしてこの事をまず自慢してやろうと思った。練習してるんだから早いとこ日本に戻っておいで、と言ってやる。“戻れ”と言えば、きっと“そこワタシの国じゃないよ”と何処かとぼけた回答が戻ってくる。私は、それが聞きたいのだ。それだけでいい。
自分の淹れたコーヒーの味に満足しながら、壁にかかっている時計を眺める。まだ、午前十一時だった。そういう時私は決まって、大学四年生という立場の微妙さを想う。なまじ、一年生、二年生と真面目な学生生活を送ってしまったものだから、四年生のこの段階で就職も決まってしまったとなると、もう殆どやるべき事が無かったのだ。
授業で学校に行くのは週に一日。卒業論文も、実際のところもう殆ど書き終わっていたから慌てて終わらせなければいけないような状態でも無し。サークルは……一年生の頃こそ、周りの空気に流されるようにテニスサークルに入ってみたけれど、ジャムとの付き合いが始まってからは一切行かなくなってしまった。比較対象があると、片方を見限るのはものすごく簡単だ。知識があって、将来の目的が定まっているジャムと、刹那的に今を楽しむことを存在意義にしているかのようなテニスサークル。天秤にかけた時にどちらに振れるかはその人次第なのだろうけれど、私の場合は、迷う事も無かった。
学校の近くに一人暮らしでもしていたらまだ友達とも会いやすかっただろうし時間の潰し方にもバリエーションがあったのだろうけれど、私が住んでいたのは学校から電車で二時間、遠隔の地。私から会いにいくようにしなければ、誰かがわざわざ私に会いに来るような事もなかった。
サークルに参加していない事も大きく関係しているのだろうけれど、友達の数もそう多くないから、何かに誘われることも少ない。冗談半分に言いきってしまうのであれば、私はジャムのために、本来の大学生が持っているべき色々なものの殆どを捨てたのだ。そう、つまり、このままジャムと会えなくなってしまうような事態を、私は容認することは出来ない。だったら、最初から出会う事も無いほうがまだすっきりするくらいに。
壁かけ時計を眺めるのに飽きて、今度は自分の腕時計とにらめっこしてみた。どっちを見たところで同じ時刻だ。壁かけ時計の方は、自分の部屋がもらえた時に貯金で買った安物で、腕時計の方はジャムが買ってくれた。知り合ってすぐに誕生日プレゼントとしてもらったそれは、見た目も性能も、いかにもビジネスマン向けなデジタル時計だった。
「コレ、店員さんに聞いて買ったよ、ナカさんへ、ワタシから」
何をどう店員に聞いたのかを問い質すと、何でも、“狂わない時計”というその一点だけだったらしい。確かに、時計の性能、時計の用途、どの面から見てもジャムは間違っていない。間違っていないけれど、根本的な何かがおかしい。そんな思いが、笑いになって噴出さないようにするのが大変だった。
「つけて見せて下さい」
全く似合わなかった。ベルトがごつ過ぎるし、無機質なデジタル表記は何だか私の事を馬鹿にしているみたいに見えた。
「絶対に狂わない時計だったらしいですよ。太陽と振動で充電してくれたり、電波で合ったりする、ワタシのより、いいやつ」
日本語における過去形の用法、それから、プレゼントの選び方。教えるべき事が山のようにあったけれど、とりあえずお礼を言って受け取って、文句を言いながらもう一年以上巻いている。確かに、これまで一度も時刻が狂う事は無かった。
デジタル時計も、こういう退屈な時には悪くないな、と思う。デジタル数字が必要最低限の動作で移り変わっていくのを見るのは楽しい。それに何より、“時間が確かに移り変わっていく”という実感を持つ事が出来た。ゾロ目の喜びもある。“時間の浪費”というのは正にこういう作業の事を言うのだろうな、と思いながら、ぼんやりと五分くらい眺めていた。
「そんなに隙間なく仕事して楽しいのかな、こいつは」
ひとつ、ちょっとした発見だ。独り言を言うと、負の感情は倍加される。退屈さも、うざったさも、行くあての無い苛立ちも、何もかも。
*
ちょうど、アメリカンローストが切れていたのを幸いに外出したのは、その日の夕方になってからだった。近場の散歩以外は二週間ぶりのまともな外出。腕時計を巻いて、ちゃんと着替えて。
家にある手頃な本を読んで、時計を眺めて、ニュースサイトを見ても、うんざりするくらい悪い続報しか出ていなくて、何かやる事の一つでもないか、と思っていたら翌日分のコーヒーが切れていた。何にしても、やるべき事が明確に定まらないと動きたがらない自分の性格は矯正すべきかもしれない。いつからか、可能性に賭ける事を厭うようになった。確信や裏付けを愛するようになった。そう言えばジャムも、「それじゃあ面白くないでしょ?」なんて言っていた気がする。歩きながら少しだけ、思いだし怒り。
私の家は都会と都会の隙間に挟まれたような小さな町の小さな駅から歩いて十五分。向こう両隣にお向いさん全て民家。最寄りのコンビニまで歩いて十分。郵便局は駅の反対側にしか無いから二十分。銀行は駅前だから十五分。何をするにも最低限の徒歩を要求される、要するに、ちゃっちい街なのだ。行政は何をやっているのか、と若干怒りが湧いてくるほどだ。当然のように再開発プランが上がって、早くも十年。一ミリも進んでいないところ見ると、強硬な反対派でもいるのかもしれない。まとめてパイルドライバーか何かが踏みつぶしてしまえ、というのは少し乱暴だろうか。就職しても、転勤が無い限りは自宅から出勤する私としてはさっさと何とかしてほしいところだ。せめて、複合商業ビルの一つや二つ、作ってほしい。出来れば、美味しいコーヒーショップと、大型家電ショップ、大型書店は外さないでほしい。そのどれもが、私の現在環境上、電車に乗らなければたどり着けない場所にあるのだ。不便だし、面倒くさい、効率も悪い。
そういうわけで、電車で十分、二駅。行きつけのコーヒーショップは、駅ビルの地上フロアの中ほどにある。チェーン店らしいけれど、今のところまだ他店を見た事が無い。初めて入った時の印象が良くて、すっかり行き着けだ。豆を買ったのは前回、ジャムが帰った日が最初だったけれど、その味も良かった。アメリカンに関する蘊蓄も聞かせてもらう事が出来た。大学生になった時から行き始めてもう三年半以上。店長とはすっかり顔なじみだった。
「こんにちは、いらっしゃい」
店に入るとすぐに店長がカウンターの中から声をかけてくれた。十席くらいしか無い小さな店内に他のお客は無し。平日の午後四時過ぎ。いくら微妙な時間でも、何かしら寂しいものを感じずにはいられない。
「暇そうですね」
「余計なお世話です。竹中さんこそ、こんな時間にどうしたの? 」
「……とりあえずモカ下さい」
「鬱な表情してないで、座ってお待ちください」
すっかり顔なじみで、それぞれが言いたい放題だ。店長はまだ三十にはなっていないだろうな、という若い男で、田村さんという名前。
私のオーダーは誰もいない店内に「一卓のお客様、モカです」「一卓のお客様、モカありがとうございます」と田村さんの一人二役で復唱された。普段、アルバイトの人がいる時は交互にやる復唱確認。マニュアルで決まっているのだろうけれど、一人はさすがにどうかと思う。
「それ、必ずやらないといけないんですか?」
「いやあ、今日は一人だけど駅ビルだし、どこかでバイトが見てるかもしれんから、手抜きしてるところ見せられないんだよ」
カウンターからは、コーヒーのドリップされるかすかな音。香りが、色々な面倒事から何から何まで引き受けてくれて、混ぜ合わせてくれて、小さな事から順番にやっつけてくれる。自分で淹れるとこうはいかない。蒸らしの時間を計ったり、お湯を注いだりと忙しい。ドリップされている間も、出来栄えが気になったりする。何だかんだとこだわったところで、やはりコーヒーは人に淹れてもらうのが一番だなあ、と実感する瞬間だ。
「一卓のお客様、モカお待たせいたしました」「お待たせいたしました」
儀式めいた一人芝居を経て、私の前にコーヒーカップが置かれる。次に小さなミルクポット。最後に伝票。
「やっぱり、人が淹れたコーヒーが一番ですね」
「怠け者の台詞、と言いたいところだけど、気持ちは分かるね。それより、こないだ買っていったアメリカンローストはどうだった?」
「おいしかったですよ。もう無くなっちゃって、おんなじの買いに来たんです」
「飲み過ぎ。腹壊すよ……アメリカンね。ちょっと在庫見てくるから待ってて。挽かないでいいんだよね?」
お願いします、と言うと田村さんは「在庫取ってくるからさ、適当に店番しててよ」と言って店の外に出て行ってしまった。店内保管分のアメリカンローストが無かったらしい。もし私がそのつもりなら豆に売上金、盗みのし放題だ。そんな事はもちろんしないし、それを田村さんにも見抜かれているから本来は客であるべき私に店ごと放り投げて行ってしまったのだろうけれど。本当にお客さんが来てしまったらどうしてくれようか。
そういうわけで、私は店内に一人になった。一緒にいてくれるのは、まだかろうじて湯気を立てるだけの温度を残しているモカだけだ。優しくて力強い香り。すぐに飲み干してしまうのがもったいなく感じるほどだ。
外で飲むコーヒーには、いつだって不思議な活力を与えられるから面白い。帰りに書店に寄って行こう、とか、せっかく電車に乗ったから服も見て行こうか、とか、小さなプランが頭の中に湧いてくる。どうせなら学校の最寄駅まで電車に乗って行って、誰か友達の家にでも押し掛けてみようか。流石にそれは頑張り過ぎだ、と思いとどまってみたり。小さなカップから立ち上る、私の周りにだけ届く香りが、そこまで私を引っ張り上げてくれていると思うと、なんだかおかしくなってくる。
店の入り口の方を伺うと、駅ビルだけあって、誰もが前だけ見て足早に歩いて行く。私の目線から見て、左に歩いて行く人は駅券売機方面。右に歩いて行く人はショッピング、または帰宅コース。決してそんな事は無いのだろうけれど、こうして見ていると、誰もが何がしかの目的を持っているように見えた。
ビジネスマン風の男性が腕時計を見ながら走って行った。何に遅れそうなのか知らないけれど、物凄い慌てぶりだ。ちらりと見えた腕時計が、何処かジャムにプレゼントしたビジネスウォッチと似ていた。それだけの事で、何だか悲しくなる。そんな自分が何処か病的な感じがして、無意味に腹が立ってきた。
モカ君の協力を仰ごうかと思ったら、すっかり冷めてしまっていて、返答は沈黙。報復に、一息で飲み干してやった。
「お客さん、当店での一気飲みはちょっとご遠慮いただいてるんですが」
「居酒屋みたいな事言わないで下さい、て言うか一気飲みなんかしてませんって」
「まあ、どっちでもいいや。アメリカン、二百グラムね。お客さん来た?」
「誰も。駅ビルでこれはやばくないですか?」
「重くやばいけど……今日は平日だし、まだ夜のピークもあるから気にしない」
「それこそ、どっちでもいいですけど」
*
「モカって港の名前だって知ってた?」
時間あるなら話し相手にでもなってよ、という田村さんに引き留められて、何やかやと話した挙句にコーヒー話になった。何でも、社内資格を取るために勉強を強いられているらしく、田村さんの言い回しをそのまま引用すると「こぼれ出る一夜漬けを受け止めてくれる相手が欲しい」らしい。そういうわけで、モカの話。
今度また、ジャムから電話がかかってきたら教えてあげよう、と思いながら私は頷いた。目の前には、田村さんがサービスで出してくれた二杯目のモカ。温かな香りのおかげで、心の中のスイッチが“ネガティブ”から“ポジティブ”に切り替わったのだ。カチリ、という私にしか聞こえない音を伴って。
「イエメンの首都、サヌアにある外港で、昔、コーヒー豆はそこから出荷されてたために、港の名前をとってモカ、と呼ばれるようになったんだよ。とは言っても、エチオピアのコーヒーも一緒に輸出されてた関係で、どっちも総称はモカなんだけどね」
「へえ、何か区別はあるんですか?」
「イエメン産のはモカ・マタリっていうのが一般的かな。エチオピア産のは地区名が多くて“ハラー”とか“シダモ”とかね。うちで使ってるのはイエメン産のNo.9。最高品質のやつね」
「そんなトリビアみたいなのが社内試験で出るんですか?」
「出るんだよね、鬱陶しいことに。ちなみに、モカ港は堆積した砂のために閉鎖、今は西岸のホデイダや南岸のアデンから輸出されているらしい」
「いや、私が聞いても“へえ”としか言えないんですけど」
「本当にね、多分、うちの本社の連中あれだよ。カフェインで脳みそ溶けてるんだよ、間違い無い」
「コーヒーショップの店長が言う台詞じゃないと思います」
「そんなところで今日のコーヒートークはおしまい。俺、発注やらないといけないから。次回はブルーマウンテンについて語るからお楽しみに」
*
田村さんに会計してもらい、店を出た。紙袋からコーヒーの匂いがしてくるのが何か嬉しい。
これからどうしようか、と時計を見た。久々に服でも買いに行くか、本屋に行くか。CDショップでも良かった。ジャムとのアルバイト時代に作った貯金と、使うあての無いまま残っているお年玉貯金。年明けにパキスタンへ行こう、などと企む以上はある程度自粛していかないといけない、とまで考えたところで違和感を感じた。時計をもう一回確認。“絶対狂わない”が売りだったはずの時計に異常事態。停止こそしていなかったものの、何故か午後の四時半過ぎを刻んでいたのだ。四時半と言えば私が田村さんのところに入った直後くらいだから、それはあり得ない。つまり、隙間なく仕事する事が売りなはずの電波時計は、私が見ていない隙に、ちょっとサボっていたらしかった。
原因が明らかだったから文句も言えない。二週間、外にも出して貰えず、腕にはめてすら貰えなかった可哀想な腕時計のストライキ。何だか申し訳ない気になってきて、私はそのまま時計店へと向かった。狂わないと言われてろくに説明書を読んでいなかったから、合わせ方がさっぱり分からなかったのだ。
時計のために、ジャムのために、まずは時刻を正しく合わせよう。そう思った。コーヒーの力が持続している、今のうちに、出来る事は全部やっておく。合せてもらったら、今度は見放されないようにもう少し外を歩こう。歩きながら私は時計に謝るのだ。謝って、なんとかして許してもらって、また頑張ってもらえるかどうかを聞いてみる。すっかりふてくされている時計と私の間でそんな小さな約束が交わせれば、それはきっと幸せな事だと思う。
そういうわけでまた一つ、ジャムに話したい事が増えた。
珈琲文学館2025 北原 亜稀人 @kitaharakito_neyers
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