第4話


「お疲れですか?」

 ラファエルは、令嬢をエスコートして戻って来た王太子ジィナイースに、優しく声を掛けた。彼は笑顔で、疲れたような素振りを見せているわけではなかったが、ラファエルには分かった。まだ、ヴェネトの王太子とお近づきになりたいという令嬢達が輝く目をこちらに向けてきている。

「別に……疲れてはない」

「少し外の空気を。ご令嬢達のお相手は私が引き受けましょう」

「大丈夫だ」

「殿下。王太子でも疲れる時は疲れるものです。人なのですから、当たり前です。妃殿下はお怒りになりませんよ」

 ラファエルは穏やかに声を掛けると、壁の花になっていたそこから動き、待ちわびていた令嬢の手を優雅に取ると、ダンスの輪の中へと入って行く。彼の一挙一動は常に注目の的だったが、ラファエルが踊る意志を見せると、わっ、と人々が湧いて喜んだ。

 取り巻きの女性たちと話していた王妃も踊り始めたラファエルに気付き、全ての人間の視線を釘づけにして目を輝かせて踊っているフランスの貴公子に、楽し気な笑みを向けていた。

 その母親の様子に少し安心し、夜会の人々の意識がはっきりと自分から逸れたのが分かり、ジィナイース・テラ――ルシュアン・プルートは、そっと大広間から外に出た。


◇   ◇   ◇


 ようやく息をつけた感じだ。

 ただ廊下にいると、また護衛やらに見つかってお具合でも悪いのですかやらなんやらと声を掛けられるのが分かっていたから、敢えて招待客には立ち入れない、奥の廊下へと入って行った。警備の兵士が立っていたが「少し夜風に当たりたいだけだ」と言うと敬礼をして、通してくれた。庭に出ようと思って、歩いて行く。

 ラファエル・イーシャを思い出した。

(あいつは本当に、楽しそうな顔で踊るよな。……ああいう奴が、本当の貴族らしい貴族なんだ)

 ルシュアンは夜会も茶会も嫌いだ。いつも見知った顔、もしくは全く知らない顔のやつが話しかけて来る。それに、どんな時もニコニコした顔で応えなきゃいけない。

 ここの庭には、夜会が一番盛り上がっている時に誰もいまい、と思って出て行き、すぐ人影を見つけてルシュアンは立ち止まった。噴水の音がする、静かな庭の奥に、見慣れない真紅の軍服姿があった。

 ここは王宮の奥だが、水路が通っていて、王宮の各方面に移動が出来る。

 美しい王宮のゴンドラの側に、立って、煙草を吸っているのだ。

 確か、あれは、自分の近衛に最近着任したスペイン海軍の将軍だったはず。

 何かあればルシュアンが呼ぶことになっているが、別に日常全く必要としていないので、ほとんど姿を見ていなかった。ラファエル・イーシャは王妃に気に入られ、王家の家族のように食事も共にしたりしているのだが、彼は警備が仕事なのでそういった場所はいつも遠慮している。時間を持て余したように、石の塀に身体を凭れかけさせ、じっと水路の向こうを見つめる姿。

 自分も一人を望んでそこに来たからか、ルシュアンは城の者にあまり自分から声を掛けることがないのだが、珍しく、彼は自分から近づいて行った。足音に気付いて、スペイン海軍の若き海将は振り返った。前触れもなく現れた王太子の姿に、さすがに少し驚いた顔をして、思わず、煙草を手から落とす。

「悪い。驚かすつもりはなかったんだ」

 ルシュアンはそう言ったが、イアンは目を瞬かせた後、草の上に落ちた煙草を拾い、水路に投げた。それから改めて、仕える王太子にきちんと敬礼を行う。

「失礼いたしました」

「いいんだ。俺が勝手に来たんだから。お前の方が先にいたんだし……」

 イアンは数秒押し黙ったが、すぐに穏やかな声を響かせる。

「どうなさいましたか、殿下。人に酔われましたか? ……誰かお呼びしましょうか?」

「いや……少し風に当たりに来ただけだからいい。……お前こそこんなところで何してるんだ?」

 何と言えばいいのか、という表情をイアンが見せた。その顔を見てルシュアンは気づく。

「……もしかして、お前って夜会の時いつもこうやって外で終わるの待ってるのか?」

 知らなかった。ホールの中にも護衛は入って来てるし、てっきり近衛隊長は警備の任から外れてるのかと思っていた。

「別に、いいんだぞ……そんな長時間俺らに付き合って、外で待ってなんてなくても……」

「殿下。お気遣いは無用です。それに私は夜会が終わるのを待っているのではありません。

警備をしているのですから」

「なら、お前も大広間の中に入って踊ればいい。母上がお前を城に呼んだんだから、そうしたって許される。ラファエル・イーシャだってそうしてるだろ。あんたもどうせなら夜会を楽しみながら、いれば……」

「ありがとうございます。ですが、私は軍人めいた性格をしているのでああいった場はかえって苦手で……こうして離れた場所から警備に集中している方が好きなのです」

 ルシュアンは目を瞬かせた。

 ヴェネトの王太子は今や、各国、自国の貴族たちがこぞって面会を望み、言葉を交わして親しくなることを望む人物だ。その人間を前に、このスペイン将校は「夜会など苦手」と言った。普通の人間なら絶対に言わない言葉だった。

(夜会が苦手なのか。……俺と一緒だな)

 確か、イアン・エルスバトと名乗ったはずだ。挨拶した時以外呼んでいないので記憶が怪しかったが、母親である王妃が何度か食事の時にその名を出していたから耳に残っている。確かに、そうだったはずだ。

 王妃は若いが戦功は立てているから、と王宮に招いたようだが、ラファエルほど配置に積極的ではないのは見た感じで分かる。自分が望まない人間を息子の側に置くなど、母親らしくなかった。

(あの人は、自分の好きじゃない人間なんか、自分の側にも俺の側にも置かない人だ)

 だから何かは気に入ったんだろうけど。

 近衛隊長なら、名目上は自分の護衛の中の最高位になるはずだ。それでも、名前以外全くこのスペイン将校のことを知らなかったから、いい機会だから少し話をしてみようと、珍しく自分から話題を振ろうとした時、イアンが突然、ルシュアンから視線を外した。

 誰かに呼ばれたみたいな、仕草に見えた。


 ザザ……、


 風が吹く。

「どうし……」

 何かを言おうとしたルシュアンの前に数歩踏み出し、声を制した。

 風に煽られた、木々が大きく揺れる。

 ――その時だった。

 まるで巨大な鷹が木から飛び立つかのように、影が上空を飛んだ。

 普通、そんな場所に降り立てない。

 二階のテラスの手すりの上に、本当に鳥のように飛び移った。

 何者かなどという詮索よりも早く、武人としての本能が警戒させる。

 イアンは上着の内側に仕込んであった短剣を引き抜き咄嗟に上空に向かって投げつけていた。狙いは的確で、威力もあった。地上からは遠いが、イアンは船上の戦いにも慣れている。つまり、高低差のある戦場においての武器の扱いも手慣れていた。実際、普通ならば投げつけた短剣は影の身体に突き立っていたはずだ。

 しかし高い音を立てて短剣が一瞬のタイミングを見計らって弾かれた。

 敵の武器は見えなかったが、金属的な音がした。小手かもしれない。しかし腕を振るう仕草一つで、短剣の強襲を防いだ。

 振り返ったその顔を月の明かりが照らし、白い、不思議な笑みを浮かべる仮面の顔が浮かび上がる。


「あいつは……!」


 反射的に自分の背に王太子を庇い、イアンは身構えた。

 向こうは上階にいたから、こちらを狙うのは容易かっただろうが、仮面の男はすぐに動物のようにテラスを手すり伝いに向こうへと駆けて行った。壁を蹴り上げて、三角跳びをし、更に上階のテラスへと鮮やかに飛び上がる。すぐに追おうとして、王太子が側にいることを思い出す。

 

「こちらへ!」


 イアンはルシュアンの腕を掴むと、建物の中に入った。

「あいつは……なんだ⁉」

「殿下、今は奴を捕らえるのが先です。味方ではない!」

 ルシュアンは息を飲む。

「衛兵!」

 イアンのよく通る声が通路に響いた。

「侵入者だ。殿下を王妃のもとにお連れして、大広間の扉を固めろ。俺は奴を追う!」

 そこにいた衛兵はスペイン海軍の者だったため、イアンの命令にすぐ敬礼で応えた。

「何者ですか?」

「例の、城下に出た仮面の男や!」

 今度こそ腰に下げた剣を抜き放つと、イアンは駆け出す。それだけで部下には伝わったらしい。彼はスペイン駐屯地で三人殺された事件を知っていた。特殊な武器から、例の仮面の連続殺人犯であろう、ということも彼は知っていたのだ。あの惨殺現場も彼は見ていた。敵は只者ではないのだ。

「殿下、こちらへ!」

 ルシュアンは駆けていくイアンを呆然と見送ったのだった。










【終】

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