第3話
くあ……、と欠伸をかみ殺す。
優雅な音楽が流れている。何度も聞いて、さすがにもう覚えたわ。
イアンは小さく息をついて、人目の無い廊下の奥へと歩いて行った。
彼は世継ぎであるジィナイース・テラの近衛隊長としてヴェネト王宮に滞在することになったが、今のところ、王宮の騎士館で新しく作られた近衛隊の調練を見るのが目下の仕事になっている。当の王太子とは、着任の挨拶をした時に会っただけで、以後ほぼ会ってなかった。
見かけることはあるのだが、いつも母親である王妃に連れ回されているか、取り巻き達がいるか、王妃から助言役を申しつけられているラファエル・イーシャと一緒にいるかなので、何かあったら剣を抜いて彼を守るのが使命のイアンは何も出番がないのである。
別に出番がないのは全然構わないのだが、さすがに大勢の人が集まる夜会において、近衛隊長が部屋でお昼寝してるわけには行かないので、夜会の時は警護として、こうして彼はダンスホールの外の通路で待機していた。
中にいてもいいのだが、近衛隊長でなくても王妃が配置している護衛がジィナイースにはついているし、きっと自分などが目立つ真紅の軍服で突っ立っていても、あの王妃の目障りになると思ったのだ。
王太子は、ほとんど一日中、王宮にいる。
無事に十六歳におなりになったらしく、それは盛大な夜会が開かれたとラファエルから聞いたが、イアンからすると「いつもと一緒やん」でしかなかったので、あまりどんな舞踏会だったかは聞いていない。
国柄や、兄弟が多いという背景も違うと思うけれど。
イアンは国では、自分の所領も持ち、尚且つ、日々視察や治安維持の為に国中を行ったり来たりしていた。他の兄弟も、スペインではそれぞれの仕事を持ち、各地に派遣されて、市民たちとも関わっていた。
しかしこのヴェネトの王太子は、少なくともイアンが着任してからは一度も城下町にさえ出ていなかった。他の周辺諸島から、彼を訪ねて人は日々やって来るのだが、客人の相手をしているだけで、街には出ていない。
(俺からすると、信じられへん生活やんな)
どう考えても母親似の社交性を持ってない感じの王太子が来る日も来る日も貴族たちと茶会、夜会三昧で、最初はあんなんでほんとまともな王になれるんかなあいつ……と呆れかえっていたイアンも、最近は少し同情すら感じるようになって来た。
(あいつは本当に王になっても、あの我の強い母親の支配下に置かれ続けるんやろうな。
自分の国の民たちが何を嫌がって、何を楽しんどるのかも知らん、自分をどう思ってるかも、何も耳に入れられんで、保身だけが命の貴族連中だけの媚び諂いだけ聞かされて、ただ周りがそういうんやから自分はすごい偉いんやろうなって、そんなことしか思えへん)
可哀想な奴や。
王になったら公務などで外出も多分増えるのだろうが、それまでは余程のことがない限り自分の出番はないだろう。
(それにしても、こんな夜会『外交』って言わへんで……。ここに来て分かったわ。やっぱり【シビュラの塔】の発動で、ヴェネトは周辺各国との貿易は完全に断裂してるんや。
一方的に俺らみたいな奴が港には入って来よるけど、ヴェネトから他国へは国の者が派遣されることも一切ない。孤立してるんや)
今や世界の中心となったヴェネトに見えるが、それは虚構である。
イアンは庭先に出た。
(こいつら、今は自分たちが撃たれたらマズいからヴェネトに擦り寄ってるけど、もし【シビュラの塔】が好きに発動出来んなんてことが分かったら途端に引きよるはず。だとしたら何としても、【シビュラの塔】の秘密は王妃は隠したいはずや)
彼は王宮の西側に今日もそびえ立つ、霧の中の天魔の塔を見遣った。
(やっぱり全てのカギはあいつが握ってるんや。潰せへんでも、正確な情報を持っとるだけでも武器になる)
王家の森と、王家の狩場である湿地帯に囲まれて、近づくことは出来ない。あくまでも悟られないようだが、それとなく聞いた所によると、森の方は当然ながら厳重な警備態勢で、猫一匹通れないほどになっているらしい。
(王家の狩場か……。王家の狩場、いうくらいなんやから、王太子も使ったりするんやろか? もしあそこが使えれば、それとなく塔の方に近づくことも出来るかもしれん……)
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