第6話5月10日は異国船攻撃の期限日、そして翌日

トミと梅は盆に湯呑を載せて、侍たちのところに運んだ。


トミが一番最初にお公家様に湯呑を差し出した。

お公家様の忠光様が、トミから湯呑を受け取ると、先ほどの剣幕は嘘のようにすっかり大人しくなられた。

お供の方を通して、「名は何と申す」と尋ねられた。

恥ずかしがり屋の梅が進み出た

「トミ姉さまです。バカン小町と言われているんです」

すうっと息を吸って続けた。

「トミ姉さまは、バカンで一番美しくて、

ほんのりと伽羅≪きゃら≫のいい匂いがして、

優しくてまっすぐで、

最高の最高の最高の姉様です。

恩地おんち旅籠の看板娘なんです」


侍たちは梅の一生懸命な様子に頬を緩めた。

「それで、お主は何と申す」

「え?! うちですか?……それは」

梅の人見知りが始まった。

「この子は、茶店のお茶子、梅と申します。少しはにかみ屋ですが、情の厚い娘です。どうぞ、お見知りおきを」

梅と顔を見合わせてお辞儀をした。


侍たちは小雨、湯呑を受け取り冷え切った手を、湯呑を握って温めた。

茶を飲みながら、若い侍が言った。

「茶店が開いていると何かと助かる。水や湯があり屋根があると、万一怪我人が出たときも役に立つ。

お前たちの身は守るんで、戦があっても怖がらずに店を開けておけ」

梅の顔が軽く引きつった。


翌日、いつものようにお客を連れて亀山様に来ると、梅と一緒にハナの茶店を訪れた。

よく片付いている。

ハナはキレイ好きだったのね。

ハナの前掛けを畳み直して、花を供え、茶を供えて、梅と一緒に手を合わせた。

大丈夫。安心して成仏してね。

誰がどうしてハナを殺めたのか、必ず突き止めるから。


今のところ一番怪しいのは、あの侍たち。

砲台に集い、何やらはしゃいだ男たち。

人をあやめることを何とも思っていないみたい。


梅の茶店にご隠居さまがいらした。

いつものように文吉がお代を払う。


「トミも梅も聞いてくれ。

お前たちふたりは信頼できる。

今日からこのおいぼれの、目となり耳となってくれないか」

「もちろんです。ご隠居さま」

「ハナの無念をはらしましょう」


「ああ、そうだったな」

ご隠居さまは茶をすすった。

文吉が周囲に目を配っている。

文吉が刀を差している。

この数カ月で、この少年は、殺気を感じるほどの男になっていた。

梅と目を合わせ、ご隠居の顔に頬を寄せた。


ご隠居は声をひそめて話し始めた。

「昨日、5月10日が、攘夷の期限と言われていた。

毛利の殿様は、攻撃の決断をしなかった。

雨が降っていたし、異国船が現れなかったからな」

「異国船が来なければ、攻撃できないわね。

そんな都合よく砲台の近くを航行する異国船もいないでしょう」


「しかし、夕刻、沖に異国船が来たらしい。

そして、光明寺の連中が長州藩の軍艦に乗り込んで沖に出た。

その指示を出したのは、長州萩藩の久坂玄瑞≪くさかげんずい≫だ。

日付の変わった夜更けに、毛利の大将の指示を待たずに攻撃した」

「ええ?! それが昨夜の音ね。雷が落ちたのかと思ったわ」

「異国の船に命中し、異国の船は逃げて行った。それでやつらはあの喜びよう」

「異国船を打ち払ったと上機嫌だ。勝った勝ったと酒も飲んでいる。

萩の殿様にも報告し、京の朝廷、つまり天皇様にも報告したらしい」

「そうなんですね。勝ったと喜んでいいのかしら」

「喜べるか? 子供の喧嘩でも、親が乗り込んできて報復するではないか。異国の人々がこの不意打ちの攻撃を黙って許すと思うか?」

「それは……」

「それとな、毛利の大将は『意気地なし』と誹謗され首になった。

かろうじて嫡男が大将を名乗り出て、引き継いだ」

「はい」

「ということは、嫡男の大将は、これからはどんどん積極的に攻撃をするしかないということじゃ」

「まあ」

「戦が始まる。ばんばん大砲が火を吹く。そして、異国船からの報復もある」

「怖い」

「トミと梅が避難するのなら、それが一番良い。しかし、残るのなら、そしてこの茶店を続けるのなら、あの侍たちの話をそっと聞いてほしい。奴らの行動もそっと教えて欲しいのだ」

「甥の助太夫はバカンの大年寄りで、正規筋から状況を把握しようとしておる。このおいぼれにできることは、トミや梅の力を借りて、裏から事実を知る事じゃ」




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バカン殺人事件 角砂糖 @aikohohoho

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