第9話 クライアント

「それが里桜さんと最後に会った日だった……」

 話し終えた伊織は、一息つくようにカレーパンをかじる。

 うん、今日のカレーパンも至極の出来映え、カレーの濃厚さとパンの甘みがベストマッチする。

「あの時は、確か、警察の捜査も入ったし、近隣住人の聞き込みだって行われたらしいけど、結局、叔母の行方は分からないまま」

 サークルメンバーたちの目は、犯人は誰かと目で語りかけてくる。

「確かにさ、よそ者には厳しい村だし、村が怪しいといえば怪しいけど、仮に誘拐だとしても村に叔母を誘拐する動機が見えないんだ」

 困った顔で伊織は思い返す。

 防犯カメラで人の出入りを確かめようと、田舎の田舎、ドがつくほど閑散した土地、設置の必要性はない。仮に余所者が来たならば、5Gを超える通信速度を持つ田舎特有のネットワークですぐ把握される。

「なら、その叔母さん、村人との仲は良かったのか?」

 真衣に頷いては伊織は続ける。

「良かったみたいだよ。一応、アトリエ兼避暑地として買った家で、使うのは夏期限定だったけど、静かな土地だから個人的には気に入ってたぽい。けど、その後が揉めに揉めたんだよ」

 行方不明も時間の経過で死亡扱い。

 心苦しくとも、遺品整理を行おうとすれば、村人総出で反対を受ける。

「犯人でもかばっていたのか?」

「いや、里桜さんの作品は村の所有物とか言い出したんだ」

 聞いた学兎を筆頭に、誰もが呆れかえるしかない。

 仮に芸術家が亡くなった場合、作品の所有権は、今の買い手、遺言で指定された人物、あるいはその遺族のものとなる。

 ただの近隣住人が、総出で所有権を訴えるのは、異常としか見えなかった。

「住んでいた家も土地込みで里桜さんが一括で買ったものだし、家の中にあった未売却の作品共々、所有権は藤木にあるのに、昔からの決まりで村にあるものは村のものとか言い出して、爺さん、ブチ切れてんだ」

 当然のこと、冒涜だとして裁判となるのは当然の流れであった。

「結果として、作品をはじめとして館や土地は、藤木家のものと認められた」

 ならばと村が出した次の手は、館を筆頭にすべての買いとりであった。

 結果として掲示された額に至れぬ為、ご破談となる。

「そいつら、いったいなにがしたかったんだ?」

「あ~聞いた話だけど、家をそのまま美術館にして、村おこしに使おうと計画していたみたい」

 再度、誰もが呆れの吐息を零す。

 都会の感覚が異常なのか、村だから平常なのか、都会と田舎では計れない何かがあった。

「自分たちでなすならともかく、人様のものを勝手に使って村おこしとか、頭おかしくないですか?」

 声を膨らませる佳澄に、伊織はただ首肯する。

「それは爺さんも言ってたよ。あの村はおかしいと、ボケてんのかと」

「お前な、そのおかしな村に行くなんて、今更おかしくないか?」

 当然の学兎の疑問。真衣に続く形で誰もが頷いた。

「俺だってそうだよ。けど今回は依頼主クライアント依頼主クライアントだけに、断るに断れないんだ」

 困惑した顔のまま、伊織は前髪を手であげる。

「またお爺さんに弱みで揺さぶれたの?」

 半分正解。

「どうせ、株売り払ってカレーに変えたことで、しこたま怒られたんじゃね?」

 ごめん、そこは大笑いされた。

「いえいえ、牛の次は、ワニ飼うとかで、怒られたオチとみました」

 悪いがワニじゃねえ、ダチョウだ。

 三者三様、非道い言いようである。

 誰もが頼りになる頼もしい学友なのに、カレーに絡みになると辛辣である。

 誰もが美味しく残さず食べてくれるのに、カレーに辛みはつきものだが、人の絡みはどこか虚しい。

「ひでえな、言っておくけど、今回の依頼主クライアントは爺さんじゃない」

 伊織は、鞄からタブレットを取り出した。

 サークルの活動予定やカレーレシピが、保存されたサークル用タブレット。

 掲示されるのは、大学窓口から正式な依頼として送信された電子書類であった。

「今回の依頼主は、この大学の卒業生で、輸入家具販売企業の社長、そして……里桜さんの元婚約者なんだ」

 依頼主の名に誰もが顔を見合わせ困惑する。

「おい待て、伊織! 白川俊司しらかわしゅんじさんって、いつも俺たちに仕事を紹介してくれる人じゃないか!」

「そうよ、地元自治体の渡りとかよくつけてくれて、トラブルになったら間に入ってくれた人のはずよ」

「ってことは先輩の叔父になる人だったってことですか?」

 本来なら結婚して子供がいてもおかしくなかった。

 両家とも結婚を認めていたし、祖父もまた娘婿となる白川を気に入っていた。

 溌剌はつらつさは息子たちに負けるが、裏表のない誠実さが気に入ったと、語っていたのを伊織は覚えている。

 嫁入りか、婿入りかは、後々としていたが、一〇年前のあの日がすべてを変えた。

 婚約はご破談となり、世間では婚約者に逃げられた男とレッテルと張られた。

 至らぬところがあった。放置していた男が悪いと、誹謗中傷が絶えなかった。

 突然、最愛の人が消えたのならば、どんな痛みか。

 身内だからこそ伊織は、痛いほどわかっていた。

「仕事内容は、遺品整理及び絵画の回収」

 伊織は仕事内容を読み上げる。

 建造物の老朽化につき、近々取り壊す予定であること。

 当時、回収できなかった藤木里桜の遺作を回収すること。

「「「「「絵?」」」」」

「ひとつだけ騒動のごたごたで回収しそねた絵があるんだ。金庫の奥底にしまってあるらしい、けど……」

 伊織の語尾がすぼまった。

 今更だと疑問が顔を苦くさせる走る。

 裁判のごたつきがあったとはいえ、判決が出たのは記憶だと八年前の話だ。

 老朽化による取り壊しが行われるからこそ、遺品回収は理解できる。

 できるが、遺作となる絵を、今になって回収する目的が読めない。

「まあ、行けば分かるだろう」

「悪いんだけど、伊織くん。村の方は無理よ、断って」

 ここで真衣が、鋭い口調で挟んできた。

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バイバイ こうけん @koken

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