とらちゃんの年越しそば
増田朋美
とらちゃんの年越しそば
その日はもう12月の31日。その年最後の日であった。もう、そうなると、日本では大晦日ということになるのだろうが、それが通用するのは日本だけである。諸外国だと、クリスマスがその年の最終日になるらしいので。まあ、そこら辺の違いは、国によって異なるので、一年というものの認識もまた変わってくるのだと思われる。
「今日はもう、12月31日か。」
トラーは、壁にかかってあったカレンダーを見て、そういった。
「いわゆる大晦日か。」
ご飯を食べていた杉ちゃんがそう言うと、
「大晦日って何?」
トラーは、興味深そうに聞いた。
「えーとねえ、一年で最後の締めくくりとでも言うのかな。日本では一年って、12月の31日までが定刻になってるからさ。その翌日の1月の1日から、また新しい日が始まるのさ。」
杉ちゃんがそう説明すると、
「そうなのね。そういう一年のカウントの仕方もあるのねえ。」
トラーは、すっかり感心してしまったようである。
「大晦日なんて、ただ面倒くさいだけじゃないか。余計なお金を変な料理や、やたらやってくるお客さんに気を使って、ただ疲れるだけでなんにも楽しくないって、他の人が言ってた。」
チボーくんが思わずそう言ってしまうのであるが、
「そうかも知れないねえ。でも、そうでなければ、日本では、やっていけないから、そうやって周りの人に気を使うのかもしれないぜ。何よりも、災害の多いところやからなあ。そこで助けてもらうためには、やはり日頃から、周りの人との関係は持っていたほうがいいだろう。そのために、変な料理を食べたりするんじゃないのかな?」
杉ちゃんがでかい声で言った。
「変な料理ってなんだろう?あたし食べてみたいな。ここにある材料で作れそうなものは無いかしら。」
「そうだねえ。」
トラーにそう言われて、杉ちゃんは言った。
「じゃあ、とりあえず、栗とさつまいもを用意してくれ。ここの材料で、作れるかどうかわからないけどやってみる。」
「わかったわ。ありがとう。」
トラーはメモ帳にアルファベットで、栗、さつまいもと書いた。それと同時に、奥の客室から、水穂さんが咳き込んでいる声がする。あら、まただわと言って、トラーは急いで客用寝室に行った。チボーくんの方は複雑な顔である。
「せんぽくん、気にしすぎなくていい。お前さんの気もちはよく分かる。」
杉ちゃんは、そう彼に言った。
「大丈夫だよ。水穂さんが、彼女をお前さんから持っていくことは絶対ないから!」
「杉ちゃん、そうやって笑わないでくださいよ。そうかも知れないけど、やっぱり不安になるもんなんですよ。」
チボーくんはそういうのであるが、その会話は、トラーが誰かタオルかなんか持ってきて!といったことで終わってしまった。そうなってしまったら、歩けない杉ちゃんよりも、歩けるチボーくんが、色々しなければならないことが、明確だったから。
杉ちゃんとチボーくんは、急いでタオルを持って客用寝室へ行った。部屋のドアを開けると、水穂さんがやっぱり咳き込んでいて、口元には朱肉のような色の液体で汚れていた。トラーは、タオルを受け取って、彼の口元を、一生懸命拭いて、枕元の吸い飲みで薬を飲ませた。これによって、水穂さんはやっと発作から解放されてくれるのであった。そのぐいっと水のみの中身を飲んだ音が、すごく重い音に感じると、チボーくんもトラーも思った。
「ねえ水穂。」
トラーは、水穂さんに言った。
「今日、今年最後の日なんですってね。あたし、杉ちゃんから聞かされて初めて聞いた。そんな風習があるなんて知らなかったから。いつも、今年最後の日は、何をするのかな?」
「何もしませんよ。」
水穂さんは、そう答えるのであった。
「何で?杉ちゃん言ってたわよ。お料理作って、みんなでごちそう食べるんだって。それは、楽しいことではなかったの?」
「ええ。むしろ悲しいだけです。そういうことは、許される身分の人だけがすることだから、僕みたいな新平民には到底できることじゃないんですよ。」
水穂さんは、トラーの問いかけにしっかり答えた。
「でも、寂しくない?周りの人が、みんなできることを、自分はできないんだってわかったとき。」
「寂しいも何もありません。僕が子供の頃は、正月なんて、地獄でした。お料理も買えないし、お飾りも建てられない。年越しそばとか、そういうものも、食べられないんです。だから、そんなもの無い方がいいって、子供心に思ってました。そんなこと、身分の高い人が勝手にやればいいんだって、みんな言ってました。」
水穂さんは、正直に言った。
「そうなんですか。同じ大和民族のはずなのに、なんだか悲しいですね。白人黒人でそういうことがあるっていうのはよく言われるんですが、同じ人種どうしでそうなると、なんだか悲しくなってしまう。」
と、チボーくんは言った。
「そう見えますか?」
水穂さんは、聞いた。
「ええ、少なくともあたしたちは、そう思っちゃうな。」
トラーは、そう水穂さんに言った。
「例えば、民族が違うんだったら、まあ宗教やそういうものも違うから仕方ないってわかるけど、同じ人同士でそう言い合うって言うのは、ちょっとつらいものがあるわねえ。ねえ、みんなでさ、ここで大晦日しようよ。あたしたちでできるものでいいからなにか作ろうよ。もちろん、日本でしかできないこともあるでしょうよ。だけど、それじゃあ水穂がつらすぎるわよ。できることだけでいいからなにかしよ。」
これを聞いてチボーくんは、はあと思わず言ってしまいそうになったが、
「でも、用意するものがなさすぎるよ。」
と、杉ちゃんが言った。
「だけど、一体何を用意すればいいんだよ。」
チボーくんもそういうのであるが、
「なんだっていいじゃないの。なんでもいいから、ここでできることを一つしよ。あたし、見てられないのよ。だって、水穂が可愛そうなんだんもん。」
とトラーは言うのだった。
「例えば具体的に何をするんだ?」
杉ちゃんがそうきくと、
「そうね。例えば、その大晦日というものに、必要ななにかを買ってきてさ。それをみんなで食べるとかしない?」
そうトラーはいう。
「そうだなあ。日本の正月を象徴するものは餅だけど?笠地蔵のお話にもあるし。」
杉ちゃんがそう言うと、
「餅なんてねえ、ただ、お米を塊にしただけじゃないかよ。それに、詰まったら大変なことにもなるんでしょ。だったらやめたほうが。」
チボーくんはそう反対した。
「それでも良いわ!水穂が喜んでくれるんだったら私、それ買ってくる。今、こっちでも日本の食べ物はかなり流行ってるから、どこかで売ってるかもしれない。あたしすぐ買ってくるわ。」
トラーは、チボーくんが止めるまもなく、荷物をまとめて出ていってしまった。トラーは一度思いつくと、そうやって、過激な行動に出てしまうことがあった。それは幼馴染のチボーくんも知っている。要はきっと、彼女はいろんなことを感じすぎて、それで本人がつらすぎてしまうだと思う。それではいけないから、彼女は薬も服用しているが、それが飲めなくなるほど落ち込むこともあるし、それが必要だと感じられないほど喜びを感じすぎてしまうこともある。トラーとそっくりな顔をした、ヴィヴィアン・リーが、精神疾患にかかって配偶者である著名な俳優と離婚しなければならなかったのは有名な話であるが、トラーもそれとそっくりだなという気がした。
「全く、とらこちゃんは相変わらずだな。」
杉ちゃんが、チボーくんに言った。
「人間って不思議ですね。」
チボーくんは思わずそう言ってしまう。
「何で、みんなおんなじように感じるように、神様はしてくれなかったんでしょうね。どうして、感じすぎるような人もいれば、僕みたいな何も感じない人もいるんだろう。みんな同じにしてしまったほうが、ずっと世の中楽になるのではないかと思うことはいくらでもあります。そういうふうに平等ではいけないのかな?」
「うーんそうだねえ。まあ、こういうことじゃないのかな。人間誰でも思いというものがあって、それに従って、答えを出している。答えを見つけることができてもできなくても、考えるということは誰でもできる。そういう意味では平等だよ。」
杉ちゃんは腕組みをしていった。
「杉ちゃんよくそういうことが言えますね。日本人はあまり自己主張が上手ではない人が多いと聞きましたが、意外にそうでも無いのかな。」
チボーくんがそう言うと、
「一応、こんな馬鹿だけど、仏教学んだことと、あと、製鉄所を利用している女性たちを通して学んだことだ。製鉄所って、鉄を作るところではなく、訳アリの女性が、勉強や仕事する部屋を貸している施設だけど。」
と、杉ちゃんは答えた。
「へえ、そんな教育施設が日本でもあるんですか。そういうところは、フランスではよくあるんですけど、日本ではまだまだ少ないでしょう。」
チボーくんが続けると、
「まあねえ、日本はそっちの真似することで繁栄している国家だからな。それに教育施設ではないって、みんな言ってた。あくまでも、部屋を貸し出すところだよ。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「それより、こんな雑談しているよりも、とらこちゃんが戻ってきたことを考えよう。彼女が泣いて帰ってきたら、どうやってそれを和らげてやるか、だろ?」
「そうですね、ですが、薬飲ますこと以外、何も思いつきませんよ。水穂さんが、咳をしたら薬を飲ませるのとおんなじことですよ。それが彼女は心の方であるだけで、水穂さんと本質的には何も変わらないと思います。」
チボーくんは、そう現実を述べた。
「そうだね。だけど、それだけじゃ、どうにもならないってのもまた問題なんだよな。薬を与えるだけでは、心の病気は解決しないよ。悪性腫瘍とか、そういうものを取ればハイそれでおしまいですって言うもんじゃないもの。」
杉ちゃんもそう現実を述べた。
「それでは、僕らができることは何も無いんですかねえ。」
「まあそういうことだなあ。まだ、心の病気には適宜な抗がん剤も無いな。」
チボーくんと杉ちゃんは、互いの顔を見合わせてうなづきあった。水穂さんは、薬が効いてしまったのか、静かに眠っていた。
しばらくして、玄関のドアががちゃんとあいた。やはりトラーが帰ってきたのである。杉ちゃんやチボーくんが予想した通り、がっかりと落ち込んでいる顔だ。また、机をひっくり返したり、体を傷つけたりするのかなと、チボーくんは心配になった。
「おかえり。餅はあったかい?」
杉ちゃんができるだけいつもどおりにいうと、
「それが、どこにもなかったわ。百貨店まで行ったけど、そんなものは無いって、断られちゃった。」
トラーは、落ち込んだ顔で言った。
「そうか。それはしょうがなかったな。まあ、お正月は何もしなくていいから、ゆっくり過ごそな。」
杉ちゃんがそう言うと、
「どうしたら、そう思えるの?」
トラーは杉ちゃんに食って掛かった。
「あたしどうしても、そこから先へいけないのよ!それではいけないってわかってる。できなくちゃいけないってこともわかってるわ。だけど、どうしても切り替えるとか、気持ちを立ち直らせるとか、そういえば良いのかしら、そういうことができないのよ!そんなんだもの、あたしなんか、生きてる資格も無いわよね!」
「落ち着いて!そんな生きてる資格無いなんて、今言うときじゃないでしょう!」
そういうトラーに、チボーくんはそう言うが、
「あたしはただ、水穂に、餅を食べてもらいたいからと思って、いろんなお店を探して回ったのよ!それなのに、みんな無いからしょうがないというわけ?そんなこと絶対できないわ!」
と、トラーは言うのであった。
「諦めるしか無いじゃないか。だって店にはなかったんでしょう?」
チボーくんはそういうのであるが、
「諦めることだってわかってる。だけど、あたしはどうしてもできないのよ。どうしたら、別の気持ちになれる?どうしたら、気持ちを楽にできる?そんなこと、誰も教えてくれない。みんな自分でやれやれって、無責任よね!それで、本当に教育って言えるかしら。あたしは、そうは思えないわ!」
とトラーは激昂して言った。確かに彼女のいう言葉に嘘はないだろう。だけど、歩けない人にあるけるように仕向けるのが本当に難しいのと同じことで、そういうことを教えるのは、本当に難しいのである。
「深呼吸とか、考えるとか、そういうことだってやったわ。だけど、何もできないで、かえって余計に辛くなるだけよ。それなのにそういうものにしか頼れないわけ?」
「ちょっと待て待て。」
そういうトラーに杉ちゃんが言った。
「まあ落ちつけよ。多分頭ではわかってるんだと思うんだよ。だけど、それがどうしてもできないこともあるよ。ただ、僕が思うのは、気持ちを切り替えるとか、そういうことと、とらこちゃんが求めていることとは、また違うことだと思うんだ。気持ちの切り替えというより、とらこちゃんは、そのつらい気持ちを和らげてほしいと思ってる。違うかい?」
「日本語って、本当に表現が多彩なんですねえ。」
チボーくんは思わず言った。
「だからその違いをな、本人が自覚することだ。変なことを求めていたらそれこそ解決はできないさ。それよりも、とらこちゃんが本当に求めていることを考えよう。まあ、最上のことは薬を飲むことだろうが、それが難しいようだったらね。これをちょっと聞いてみな。竹村さんという日本人の奏者がやっている癒やしのツールだが、宣伝用に竹村さんがくれた動画があるんだ。それを見てしばらくぼんやりしててご覧。」
杉ちゃんはそう言って、車椅子のポケットからタブレットを取り出し、一つの動画をトラーに見せた。それは竹村さんが、クリスタルボウルを叩いている様子を録画したもので、竹村さんはマレットを持って、風呂桶のような形をした白い楽器の縁を叩いたり擦ったりしているのであった。底から出る音は、日本語で言ったらお寺の鐘のような音色で、どこか落ち着く要素があった。チボーくんにしてみたら、変な音のように感じるけど、トラーは、なにか別のものを感じてくれたようだ。
「わあ、きれい。」
トラーは、ずっとその動画を眺めていた。それと同時にトラーのつり上がった目は、だんだん優しくなっていった。クリスタルボウルの演奏動画は、30分ほどで終了したが、それを聞き終わるとトラーは、はあと大きなため息を付いた。
「なんか辛かった気持ちが和らいだわ。よし、これからどうするか、考えなくちゃ。杉ちゃん、餅以外に、お正月に食べるものはないの?それに、この地域でも使えるもので。」
トラーがそんなセリフを言うなんてチボーくんはびっくり仰天する。
「そうだねえ。こっちでは蕎麦粥をよく食べるから、それを麺にして年越しそば作るか。それを食べれば、そばのように長生きするって言うんで、みんなそれ食べるんだ。」
杉ちゃんが答えると、
「わかった。じゃあ、そばがあるかどうか私調べてみる。もしなかったときはまた考える。そうすればいいでしょう?」
トラーはそう言って自分のスマートフォンを開いて、そばの販売店を調べ始めた。今度は、日本の代表的な麺として、かなりこちらでも普及していたようで、やすやすとてに入れそうだった。そして彼女は今度は自分でちゃんと買ってくると言ってまた出ていってしまった。もう先程のような病的なイメージはなく、女の子が良くするような態度だった。
「せんぽくん。」
と、驚きで固まってしまっているチボーくんに、杉ちゃんが言った。
「何度もいうが、男らしく告白しろ。」
「そ、そうですね。杉ちゃん。でもさっきの洗面器みたいなものは何だったんですか。それをサランラップの芯みたいなもので叩いてましたが。」
チボーくんはそう言ってしまう。
「だからあれは、クリスタルボウルというものでね。よく使われているヒーリングのツールだよ。医学的にどうのよりもああいう音を聞かせることで、ちょっととらこちゃんの感情が和らいだんじゃないの?それにさ、そこさえ和らげばとらこちゃんも、普通に動けるってこともわかったじゃないか。それなら、またそこで、変わってくるんじゃないか?」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「そうですか、、、。確かにそれは事実ですが、きっと杉ちゃんなら、なにができるか考えようと言うのだと思いますが、僕は、どうしても、トラーが、僕から離れてしまうのではないかって気がして不安なのですよ。」
チボーくんはそう正直に自分の気持ちを話してみた。それを言うのだって本当に勇気がいる。
「まあ、そうかも知れないけど、今日は、大晦日だ。これから新しい年に向かって決断してもいいじゃない?そのためにはとらこちゃんにちゃんと、俺について来い的なことをしっかり伝えることだね!」
杉ちゃんに背中を叩かれたチボーくんは、そうだなあと思いながら、でもやっぱり、難しいなとも思ってしまうのだった。また新たに課題が降りかぶさってきてしまったようなもの。なんだか、怖いなというか、そんな気持ちがしてしまうのだった。
「ただいまあ。」
にこやかに笑ってトラーが戻ってきた。紙袋にたくさんのそばを入れて。
「お帰りい。ちょうど夕食の時刻になったし、そばをみんなで食べようぜ!まず茹で方を教えてやる。鍋に水を入れて。」
杉ちゃんの指示で、トラーはその通りにし始めた。そばを茹でるということは、トラーには大変そうだけど、彼女はそれを諦めないで一生懸命やるのだった。それを見たチボーくんは、彼女も少しはたくましくなって来たのかなということを感じ取った。そう考えると、水穂さんたちがパリ市内にやってきたのも悪いことではないのかもしれないと思った。
「それから、そばを茹でた茹で汁は、そば湯と言ってね。とても栄養のあるものだから、むやみに捨ててはいかん。計量カップにでも移しておけや。」
「はい、わかったわ。ありがとう。」
トラーがそば湯を、お玉でとって、計量カップに恐る恐る入れているのを、チボーくんは、今までとは違う目つきてみていた。
とらちゃんの年越しそば 増田朋美 @masubuchi4996
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