第2話 メリークリスマス
どんよりと灰色に曇った冬の空の下、目が詰まっているせいか少し固めの毛糸のマフラーに口元をうずめて、にぎやかな商店街の中を歩いてゆく。街のあちこちに電球やLEDライトが飾られていて、夜になったらとてもきれいだろう。サンタクロースのコスプレでチラシを配っているカラオケの店員。コーヒーショップの店先では赤と緑のリボンが巻かれた試供品の小袋が配られており、僕は一つ受け取って大切にショルダーバッグにしまった。イノリさんと一緒に飲もう。きっと喜んでくれる。
十二月の二十四日。イノリさんへのクリスマスプレゼントを買うために、街で一番大きい雑貨屋さんを目指していた。あの子は手先が器用で手芸が大好きなので、それに関する用品をわたすつもりだった。今僕が付けているマフラーは、彼女が去年贈ってくれたものだ。僕の好きな水色の毛糸を入れて編んでくれた。とても、温かい。
ふと、なんとなく横を向いた。そこにはブティックのショーウインドウがあって、マネキンの後ろ側は鏡になっていた。道行く人たちの姿が通り過ぎてゆく。楽しそうに笑い合う制服姿の少女たち。泣いている子どもをあやしている若い夫婦。自転車をつく、ひげもじゃの老人。当たり前の、午後の風景。けれど、その中央には異様な【モノ】がある。宙に浮く真っ黒な球体。その中央からあふれ出す液体とも気体ともつかないどろどろとした黒いもやが、人間のような形を成している。首に巻かれたマフラーだけが、この世界に正しく存在しているようだった。
勝手に、声が喉から漏れる。止められない。膝が崩れ落ちる。
「うわぁぁぁぁぁ!」
僕が住んでいた街は、猛毒におかされて壊滅した。生き残った人間は、僕と、イノリさんだけだった。
中学校の教室で腐った子どもたちのご遺体に囲まれて、膝を抱えて泣いていた僕は、全身を防護服で包んだ【耐毒隊】のおじさんたちに保護された。肩を抱かれて校舎の外に出ると、街のあちこちから紫色の煙の柱が立ち上がっているのが見えた。地獄のような景色だった。耐毒隊が乗って来た特製トラックの荷台に乗せられる。固そうなソファに、幼稚園の制服を着た小さな女の子がぽつんと一人で座っていた。思わず、はっと息を呑む。紫色の毒に満たされた世界の中で、彼女の周りだけが白く清潔な光に包まれていた。
不安そうに、けれどきちんと背筋を伸ばした彼女は、まるで小さな女神だった。
一目で分かった。彼女があらゆる毒を浄化できる特異体質を持った【清らかなる者】であることは。清らかなる者は自分の周囲にある世界を解毒するため、自らも毒におかされることがない。そのため、生き残れたのだ。しかし、これからの彼女の人生は暗いものとなるだろう。人間というものはそもそも薄い毒が生き物の形を成したものであり、清らかなる者と長時間触れていると浄化されて消滅してしまう。だから、彼女たちは体質が判明したそのときから隔離され、【清潔室】と呼ばれる小さな部屋で誰とも触れ合わずに一生を過ごすことを強制される。
その頃の僕はまだ知らなかったが、僕もある種の特異体質であり、他人よりも体を構成する毒が濃密であるため外からの毒におかされにくい。そして、清らかなる者と長時間一緒にいても消滅せずにある程度耐えられる。清らかなる者の世話係である【巫女】としてふさわしい、とされる。
僕もまた、運命を定められた人間だった。
「ねえ、お姉ちゃん。ぎゅっとしても良い? 寒いの、すごく」
少女が体を震わせながら、僕に近づいて来る。僕が思わず後ずさりすると、少女はハッとしたように目を見開いて体を強張らせた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
ぽろぽろ涙をこぼして、小さな泣き声を上げる。彼女の姿を見ていると、胸が潰れそうになった。この子はこれから一生、誰にも抱きしめられずに生きてゆくのだ。そして、家族も友達も失った僕も、きっと――それなら、今ここで自分の命を失っても惜しくない。
抱きしめた。小さな震える体を、しっかりと胸に抱いた。湿って温かい、命の感触がした。
「冬木、顔色が悪いぞ。感染症なら清潔室に入るな。清らかなる者にうつしたら困る」
片桐先生の冷たい声に、
「インフルエンザじゃありませんよ。ただ、僕の毒が全て浄化されかけているんです」
と、冷たい口調で答えた。
「冬木、お前、絶対に彼女の体に直接触れるんじゃないぞ」
片桐先生を無視して、僕は扉の重い扉を押し開けた。
「冬木さん! メリークリスマス!」
イノリさんが嬉しそうににこにこしながら迎えてくれた。強張っていた僕の頬が、ふっと解けた。
高級スーパーで買って来たチキンやローストビーフなどの入ったオードブルセットと、二人では明らかに食べきれないホールケーキと、「ちいかわ」のパッケージのシャンメリー。二人で身を寄せ合って、しょうもない話をしながら料理を食べ散らかしてお腹いっぱいになって、背もたれを倒したベッドソファーに倒れ込む。
目をつむる。胸がぎゅっと痛くなって嗚咽が漏れそうになったとき、ふっと頬を温かい風が撫でた。目を開けると、すぐそこにイノリさんの顔があった。柔らかそうな唇から漏れる吐息が、僕を優しくなでる。馬乗りでこちらを見下ろしている彼女は、真剣な顔で
「キスしても良い?」
とささやいた。
ああ、ここで僕は、彼女の一生消えない傷となるのだ。この体が消え去っても、きっと彼女は僕を忘れられない。
でも、
「ダメです」
ぽろり、と一筋の涙がこぼれ落ちた。
清らかなるお嬢様と世話係の話 紫陽花 雨希 @6pp1e
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