「機動戦士ガンダム 水星の魔女」を遅ればせながら完走した。
私は普段SNSの百合界隈にいるので、テレビ放送時は「少女革命ウテナだ!」「同性婚だ!」とTLがザワついていたし、トレンドに「ダブスタくそおやじ」などの関連ワードが載っているのをよく目にした。興味がわかないわけではなかったけが、元々そんなにアニメを観ているわけではない私が視聴に踏み切るキッカケは今までなかった。主題歌であるYOASOBIの「祝福」だけを聞きまくっていた。(メロディが好きだから。)
それが今回、暇潰しに配信サイトでアニメを見まくっているオカンが家のリビングで流しているのをなんとなく横目で見ているうちに、目が離せなくなってしまった。そして、「ネットの評判から想像してたのと全く違うじゃん!」と衝撃を受けた。細部がとかじゃなく、物語としての根幹が全く違った。本当に、百聞は一見にしかずである。
ここからはネタバレになる。
あくまで私個人の感想であるが、「水星の魔女」は「親の側から見た親子の愛」の物語だった。本当に、本当にめちゃくちゃびっくりした。YOASOBIの「祝福」の歌詞とネットの評判だけを見て私が勝手に抱いていたイメージは、理不尽な親に愛されず、利用され縛られて生きてきた子どもたちが互助しながら解放される物語なのだろうというものだった。それがまさか、「祝福」の歌詞にある「決して一人にはさせないから」「君の選ぶ未来が、望む道が何処へ続いていても共に生きるから」というフレーズが親から子へのものだったなんて……完全に逆である。なんてこった。……なんてこった。
大人たち、つまり上の世代が始めた戦争とか非人道的な研究とか、あるいは大きくなりすぎた権力とかしがらみとか差別とか貧困とか、そういう人間として生きてゆく上で避けられない「受け継いだもの」は呪いである。作中の子ども達はその呪いを真っ正面から受け止め、打ち破ったり、あるいはより良いモノへと昇華し、未来への希望へと変えてゆく。その過程で、呪いに縛られ逃れられないまま大人になってしまった者たちのことも救ってゆく。
スレッタちゃんは最初からお母さんのことが大好きだ。もしかしたら復讐のために洗脳されたり搾取されたりしていることに気付いていないのでは、という不穏さがずっとまとわりついていたが、終盤に真相が明らかになって、お母さんが本当に心の底からスレッタちゃんのことを愛しており、復讐ではなく娘の幸せのためだけに行動していたことが語られる。スレッタちゃんは最後までお母さんのことを嫌いにならない。グエル君にしてもミオリネさんにしても、諍いや誤解はあれど本当は親に愛されており、関係の歪みは親側も呪いにかかっていたせいだと語られる。子どもたちの幸せを心から祈り、しかし、彼らの生きる現実はままならないものだったのだ。
大人から子どもに受け継がれるものは呪いである。それと同時に、未来への祝福でもある。子どもたちがそれら理解し、受け止め、大人になったところで物語は幕を閉じる。
ある意味、親側にとって都合の良い話だろう。スレッタちゃんが母の介護をしながら生きてゆくという結末も賛否両論である。私自身も「それでええんか……」と思いもしたが、全ての愛が報われ、伏線がきれいに片付いた大団円ではあった。孤児というモチーフも物語の根幹に関わる要素として扱われていたと思うが、考えが深まらなかったので今回は触れないでおく。
少し話がずれるが、百合だと騒がれたわりには、百合を主軸に置いた話ではないなと思った。(私個人の感想であるが)あくまで物語のメインテーマは親子の愛であり、スレッタちゃんとミオリネさんの結婚は二人の関係性の帰結として自然とたどり着いた、物語の一要素である。作者が百合をテーマにしたかったけれど「ガンダム」シリーズとしてのレギュレーションから自由になれなかったとか、そういう事情があったのかどうかは、一視聴者には分からないが……。とは言え、百合をメインテーマとしない作品で同性婚が自然に描かれるのは喜ばしいことである。
この感想文はここで終わりとする。もし、読んでくださったあなたを傷付けてしまっていたら、ごめんなさい。