はじめの一歩

「見て分からねえか? 止めてンだよ。お前も大人なら、弱い者いじめで悦に浸るのはやめな」

 自分のこの目で見ているものが信じられない。今の今までボクを威圧していたあのおじさんが、店長の胸ぐらを掴んで『やめろ』と言う。ナンデ? 出逢って五分も経ってないのに!


「オウオウオウ、弱い者いじめだってェ、お客様ァよう」

 店長の注意がおじさんの方に向いた。ボクは即座に側転を打ち、ふたりから距離を取る。何をするにせよ巻き込まれてはたまらない。

「奴はここの従業員。そいつの母親が宿代がわりに置いてったんだ。つまりは奴隷! 俺の意のままにしていい下僕! わかるか? 解ってくれるよな? お客様よォ」

「悪いが、その理屈にゃあ同意しかねる」

 掴んでいた手を離し、一歩二歩と後ずさる。逃げの一手? いや違う。今更逃げ出すような腰抜けは、両の瞳をあんな風にギラつかせたりはしない。

「ストレスのはけ口が欲しいってンなら来いよ、相手になるぜ」

「ほォ〜……」店長は品定めするようにおじさんを見て、鼻で笑う。「よう兄ちゃん。見たところ杖も簡易魔法陣も持たないようだが、そんなナリで何しようってんだ?」

 魔法を行使するには、イメージして『飛ばす』ための杖か、手に陣の紋様を描かなくてはならない。前者は杖がなければ何も出来ず、後者はわかる人が見れば次に何をしてくるか解ってしまう。

 店長が嘲り笑うのも無理はない。ポンチョで上半身を覆ってはいるけれど、紋様どころか杖もない。全くの丸腰だ。それで以て止めろと言って、一体誰が聞くというのか。

「あんたが土下座して謝るってならよォ、聞かなかったってことで手打ちにしてやるぜぇ、お客様ァ?」

「くどい」おじさんは店長の言葉を切って捨て。「その言葉、そっくりそのまま返してやる。この子に誠心誠意謝るなら、命までは取らないでおいてやる」

 本当マジにやる気か? 無茶だよ、やめた方がいいって。目でそれとなく訴えるけれど、あのおじさんはそもそもボクを見てさえいない。

「OK、タマの取り合いがしたいんだな。受けてやるよ」おじさんはポンチョの中に右手を埋め、何かを探る。衣擦れ……じゃない。この硬さは、金属音?

「来いよ。ドタマぶち割ってやる」

「ハッハア。こりゃあ儲けたぜ。ソーセージ用のクズ肉が、そっちからやってきたんだからなア!」

 店長の右腕で紅蓮の炎がとぐろを巻いた。元『ピースメーカー』護衛騎士団崩れの炎使い。一線を退いてなおその魔法力に陰りはない。ボクが見ただけでも、十五の無銭飲食・無賃宿泊者があれに焼かれ、その日の夕食にされたんだ。

「燃えよ炎、集え我が腕に! 我が敵を灼き尽くせ! エビル・フレイム・バースト!」

 勢いを増す炎を伴って振り被り、呪文を詠唱。ああ、もうダメだ。あのおじさんも黒焦げのウェルダン肉にされてしまう! 逃げろよ、逃げ……!!


 ――BANG!


 燃え盛る炎を放たんとしたその瞬間。店長の脳天に穴が開き、鼻から上が潰れたリンゴみたいに弾け飛んだ。腕に控える炎は行き場を失い霧散する。

「なんだ……? ナニ、しやがった……?」

 店長は両手をまじまじと見つめ、おじさんの方を向く。その時ようやく、自分の顔に目玉が乗っかって無いと気付いたらしい。そしてそのまま糸の切れた人形めいて崩れ落ちた。

「だから言ったろ。謝っとけって」

 おじさんの声に引っ張られ、そちらに目を向けた。上半身を包んだポンチョの隙間に何かが見える。薄く灰色の煙を昇らせて、黒く、硬く、細く尖ったあの形状――、まさか……まさか!

「あ、あああ、あんた! それってまさか、拳銃か!?」

「ああ、そうだが……それがなにか?」

 なにか?

 なにか、だって?

 問題だよ。大! 問題だから騒いでんだよ!

「パンゲアでの大原則を知らないのか!? ここじゃ銃は野蛮、不粋、禁忌! 所持してるだけで問答無用で『ピースメーカー』に狙われるんだぞ!?」

 身分や人種を持ち込まず、殆どのことがプレイヤーの自由意志に委ねられるこのパンゲアにとって、数少ないタブーが『銃の所持』だ。

 ボクらが産まれるよりずうっと前。現実リアルでは銃の発明と大量生産により戦争は複雑化し、やがて文明を傾けるほどの被害の発端となった。銃によって不幸になった人たちは星の数ほどいる。

 ここパンゲアは人々の理想をカタチとしたものだ。銃のような人類悪の象徴はいらない。故に持つ者は徹底的に排除する。パンゲア内で秩序を護る一大教団『ピースメーカー』から徹底された教えのひとつだ。


「知るか。ンなこと初めて聞いたぜ」

 懇切丁寧に説明してやったというのに! 向こうは知らぬ存ぜぬ澄まし顔。記憶がないと言っていたけど、こいつは死ぬのが怖くないのか!?

「店長を殺ったくらいで得意気か? このパンゲアにはもっとずっと強力な使い手がごじゃまんといるんだぞ! 教団守護の六騎士、犯罪ギルドのシニスター・ウィンドウズ、モンスター使いが集うネビュラホール」

「だから、そんなもん知らねぇつってんだろ」なんなのだ。この自信はなんなんだ。他のユーザーが耳にすれば震え上がって土下座するほどの強豪たちだぞ?! それを"そんなもん"呼ばわり??

「知らねえもんは知らん。だから、会いに行く」

「はあ?」

「お前が言ったんだろうがボウズ。答えを知りたきゃ探しに行けって」


 確かにそう言った。言質は取られてる。だけどまじで? このどこまで続いているのかわからないパンゲアの中を果ての果てまですみずみと?

「俺には過去の記憶がない。答えを見付けなきゃ、こちとら死んでも死にきれんのだ」

 うっとおしいなと思い放った一言が、期せずしてヒトの心に火をつけてしまったらしい。彼は一旦部屋に戻り、つばの広いぼろぼろの帽子を掴み取って、頭に乗せて目深に被る。

「はは、あはは。それはよかったですね。じゃあボクは」

「待てよ。旅は道連れ世は情け、だ」

「はい?」

 いや、ボク関係ないでしょ?! アンタの記憶探しの旅なんか微塵も興味ないのですが!?

「嫌だ、って顔してんな」当たり前だ。「けどお前に拒否権はねぇぜ。雇い主が死んで、孤児のお前はこの先どうする?」

「どう、って……」

 深呼吸で気持ちを整え、改めてこの場を見やる。そうだ、ボクは店長に一方的に虐待されていたんだった。その店長は下顎から上を撃ち抜かれ、宿の物騒なオブジェと成り果てている。

「俺がいなくなりゃアそのピースメーカーだかが調べに来るんだろ。その矛先は誰に行く? 接客してたお前に向くよなあ?」

「ぐ……くく、ぐ……」あれは善意から来るものだと思っていたのに、その罪を全部おっ被せる気かよ! 畜生なんて奴だ!

「それに」歯ぎしりするボクをおじさんは、真っ直ぐな瞳で見定めて。「お前だってさ、こんなとこでくたばりたくはねェだろ。出て行きたいと思ってたんだろ?」

「そりゃあ……」間違ってない。いないけど。「なんで、あんたにそれが解るのさ」

「そのツラ見てりゃあ一発よ。お行儀の良いガキだ。そうして黙ってとまってりゃ、何でも上手くゆくと思ってんだろ」

 そんなに幼稚じゃないと反論したかったのに。あまりにもその通りで返す言葉を飲みこんでしまった。ボクにとって母様は絶対で、置いてゆかれたのなら粛々と従うしかないと。

「言えよ。お前の望みは何だ。ここを出て、何をしたい」

 ずっと甘えていたんだ。ボクじゃない誰かが、母様が奇跡的に戻ってきてくれるとか、会ったこともない父様が迎えに来てくれるんじゃないかって。そんなこと、奇跡でも起こらなきゃ無いだろうに。

「俺には過去の記憶はない。だが、気の利いた言葉ならそれなりに知ってるぜ」おじさんはうつむくボクに向かい、「"まずは出来るっていう。話は全部それから"。うだうだ言う前に動けよ。若者が青春を腐らせるんじゃねえ」

 誰の言葉なのか、憶えてないんだけどよ。汚らしい歯を見せてにぃっと笑って見せる。不潔で不審でヒトゴロシなのだけど、晴れやかなその顔を見ていると、なんだか無性に『なんとかなるかも』って思えてしまって。

「言ってること、めちゃくちゃだよ」行くべき道は決まった。尤も、他の道はこのおじさんがぶち壊したんだけれども。「母様に会いたい。探し出して話を聞いて、その後一発ぶん殴る。あんたがぶち壊したんだ、責任持ってしっかり連れてってくれ」

「言うねェクソガキ。気に入った」

 けどなと話を切ったおじさんは、ポンチョを探り、手を出せとボクに言って。

「ちょっと待てよ、なにこれ?!」

「俺は子守をやるつもりはない。自分の身は自分で守れ」

 呆けたボクに持たされたのは、ずしりと重たい鉄の塊。待て待て待て、もしやこれって、さっきの銃!?

「ややや、冗談やめてよ。ボクに撃てる訳ないだろ」

「二度も言わすな。子守をする気はない」おじさんはそう言ってボクの前に立ち。「まず背の撃鉄を起こせ。そうだ、その出っ張り。次は狙いだ。片眼瞑って銃口の突起に目を合わせろ」

 いやいや、ボクぁド素人だよ? 握って突いて刺してが出来る刃物じゃないんだ。

「う厶。だいたい良し。それじゃあ的は」

「聞けよ! 人の話!!」

 生まれてこの方触ったことの無いモン握らせて、はいじゃあ撃てって出来るわきゃないでしょお?!

 そうだとも。ボクは完全に門外漢で、おじさんは無茶苦茶を押し付けるクソ野郎。ただそれだけ。それだけだと思っていたのに。

「よぐも、よぐも、ごのおれをおおお」

 背中に刺さる邪悪な圧に振り向けば、顎から上を無くした肉塊が、両腕を突っ張らせ、ゾンビめいて迫ってきている。

「うお、ぅあああああああっ?!」

 撃鉄はもう起きていた。恐怖に駆られたボクの右手は、自然と『それ』へと向いていて。こき使われていた恨みから? それもある。けれど、この瞬間はほぼほぼ無意識だった。

 人差し指が引き金に伸び、力一杯それを引く。胸を狙って放ったそれは下に逸れ、どてっぱらへと突き刺さる。

(なんだ、刃物より簡単じゃないか)

 店長『だったもの』が腹を境に上下に離れて飛んでゆく様を、口を開いて呆然と見つめていた。恨みも怒りも既に無い。ただただ爽快だった。曇り空に一筋の日光が差すように、とても晴れやかな気分になれた。

「言ったろ。やりゃア出来んじゃねえか」

 おじさんはボクの頭をぽんぽんと叩き、『でもな』と付け加え。「着替えがあるならさっさとしてこい。その格好で旅がしたいか?」

「格好……あ」言われて目線を下に向ける。フリフリのロングスカートにヘッドドレス。そうだ、ボクは女装させられてたんじゃないか。冗談じゃないぞ、このまま外を出歩けるもんか!

「ま、ままま、待ってろよ! ボクがちゃんと男だって証明してやるからなあ!」

「そう焦るな。ゆっくり選べ。どうせもう店長は使わねえんだ。好きなもん持ってけ」

 まさか、こんな形でこの窮屈暮らしから抜け出せるだなんて思わなかった。この先どうなるか、何一つわからないけれど。今はただ、この衝動に身を委ねてみたい。そう思った。


「あのさ」その前に。「そういやアンタ、名前は」

「ナマエだぁ?」おじさんは面倒くさそうに頭を掻いて、「全部忘れてるって言っただろ。覚えてりゃいの一で話してら」

「まあ、そりゃあそうなるか」自分の名も知らずになんて、おかしな話じゃあるけれど。「じゃあもう、ここで決めちゃおうよ。何かない?」

「要らねえよ。あっても邪魔になるだけだ」

「いつまでもおじさん・おじさんじゃそれこそカッコつかないっしょ。きょうが新たな門出ってんなら、景気づけに一発さ」

「なる程。一理ある」彼はそうだな、と少し唸り。「キャラハン。付けていいと言うならそれで行く」

「キャラハン?」

「俺の記憶にある中で、一番イカした男の名前さ」

 最初は好かんと首を振っていたけど、名付けたその時、少しだけ表情が和らいだ。素直じゃない人だ。きっかけを待っていたのはボクだけじゃないってワケだ。


「おい」

「何?」

「ナニ、じゃねえよ。なんだこれは」

 なんて言われたもんだから、言われた通りに彼を見れば。頭上に轟く『キャラハン(44)』の文字。

「俺はキャラハン、と名乗っただけだ。だとすりゃその隣のカッコは何だ。44ってのは何の数字だ」

「ああ……」

 ここはパンゲア。ネット上に張り巡らされた大容量クラウド・スペースだ。現実じゃ同じ名前は同じ名前だが、コンピュータの中じゃ区別の為の番号がいる。

「同じ名前の重複だよ。おじさん、この世界で44人目のキャラハンってこと」

「馬鹿野郎何言ってやがる。俺様は俺様、他に誰がいるってんだ」

「あんたも分からないヤツだな。だから、ここはそういうシステムなんだって」

「システムもクソもあるか。解るように説明しやがれ」

 うぅん。面倒くさい。この人に命を預けると決めたけど、本当にこれで良かったのかなあ……。

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2025年1月8日 00:00

ロード・オブ・パンゲア イマジンカイザー @imazin26

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