酒浸りのクソ野郎
「え、映画……。映画、って?」
聞いたことはある。カメラで撮った映像をフィルムに焼き付けて、映写機にかけて暗所で投影したものだろう。尤もボクが産まれてこの方そんな方式で新作を観たことなどなく、サブスクで過去の再放送を目にしたくらいのものだけど。
「オイオイオイオイ、映画だぞ? ダーティーハリー。全人類が観るべき傑作だろうが」
観たことないので賛同のしようがない。そしてきっと、ヒトにモノを尋ねられたときの問い返しとして適切なものではないのだろう。それだけは解る。
「し、知りませんよぉそんなのぉ。それ、それよりも」
覚悟決めてきたのに台無しだ。自分自身に毒づきながら、なんとかして教えられた台詞を吐き出した。
「お前さ、なんだよその格好」
人生の曲がり角で、生きるのに疲れ果てたような声。いまのはボクに向かって言ったのか? というか酒浸りのくせにちゃんと見ててくれたのか?
「あ、あのう。格好とはどのような」
「どのもあのも無いだろ
「え……」
はじめて、初見で男だと言ってもらえた。ちょっと嬉しいなと思ってすぐ、いやいやそれはと心中突っ込む。
「あ、お……お客様には関係のない話ですよぉ。ええとですね、宿賃を滞納してらっしゃいますので、お支払いの方を……」
「そうか」深く切り込むかと思ったらあっさり引いて。「悪いが、先立つものは全部
「で、デスヨネ」
ここまですっきり言われてしまうとむしろ安心してしまう。いや、それじゃ良くないだろ。徴収して戻らなきゃ、コカトリスの代わりにボクが火炙りにされてしまう。
「そ、そこを……なんとか」
「ならん」
「そんなこと言って、少しくらいはあるでしょ?」
「しつこいな。無いものは無ェ」
完全に話は平行線。これ以上食い下がっても何の収穫も無いだろう。会話を途切れさせちゃ駄目だ。言葉の糸口を探すうち、そもそもの疑問に辿り着く。
「あの。お客様は……どうして、そんなにお酒を?」
パンゲアで飲むアルコールは、接続した脳に特殊な
並の大人は一瓶開けただけでグロッキーなのに、このおじさんはもう二桁目。しかも周囲を細かく気にする余裕さえある。人並み外れて酔いに耐性があるのか、それともただの自殺志願者か。
「簡単なこった」おじさんは間を置かず、空になった酒瓶を放って言った。「何もかも忘れちまいたいのさ。酔えば余計なことを考えずに済むからな」
「憂さ晴らし……?」妙な話だ。そもそも、パンゲアのユーザーの殆どはそうするためここに来ているはずなのだけど。
「少し、違うんだなァ」おじさんはアルコールを求めて床を探り、無いと分かって手を引っ込める。「俺には何もないんだよ。想い出も、屈辱も、どこでどうして生きて来たのか全部。丸っきり。これっぽっちも」
「はあ」おいおい、酔っ払って脳みそに穴でも開いたのか? 「いやでも、あり得ないでしょ。元にお客様はこうして此処に存在しているじゃないですか」
「
あれだけ映画とやらの話をしておいて、出てきた言葉がこれだって?
話を少し整理しよう。このおじさんはパンゲアにいながらにして自分の記憶がない。自分が何者かわからないから、やけ酒をして一切合切忘れてしまおうと。
「あ、あのう。それって、意味なくないですか」
百歩譲ってそれが本当だとしよう。だけどそれが何になる? うじうじ呑んでカネを払わず不法占拠。誰のためにもならないじゃないか。
「ンだと……ぉ?」おじさんは空になった壜の口を掴み、威圧的に睨みつけてくる。「だったら何だ。俺に何が出来る」
「そんなの。自分で考えてくださいよ」ああ、ダメだ。駄目だ。立場が悪くなると解っていても、出かかった言葉は止められない。「あなたは今、こうしてここに生きてるんでしょ。ならまず動きなよ。答えを探しに出てゆきなさいよ」
吐いた唾はもう飲み込めない。枯れ木色だったおじさんの顔が熱を帯び、瓶を放って立ち上がる。
「黙って聞いてりゃいけしゃあしゃあと」
ボクよりも頭三つ分デカい。飲んだくれのダメおやじだと思っていたけど、こうなると威圧感が半端じゃない。まずい、あぁクソ、マズいぞ。こんなところで死ぬのか? 母様に捨てられ、男としての尊厳を奪われた上で!
「おい! いつまでかかってやがるんだ新入りぃ!」
おじさんの手がボクの頭に伸びんとしたその刹那、この首根を引っ張られ、扉の外へと放られた。一体ナンデ? 後頭部を打ち、痛みに顔をしかめている最中、店長の容赦ない罵声が飛んだ。
「俺ァ言ったよな。きちんと仕事できねぇんならぶっ殺してやると」
お情けで助けてくれたんじゃないのはすぐに分かった。小間使いが集金をサボっているのが我慢できず、詰めかけてきたに違いない。
「ち、ちがいます店長、ボクは」
「タイム・イズ・マネー。手前ェは俺の奴隷だぞ。口答えは絶対に許さねえと言った筈だが」
起き上がらんとするボクの胸に足を圧しつけ、その足先が紅蓮と燃える。冗談だろ? ここまでやる?! このクソ店長、報復に魔法を使って来やがった!
「うあ……熱い! 熱い熱い熱い熱い熱ぅあ」
「そぉら燃えろ、どんどん燃えろォ。役立たずは燃料にして飯炊きの足しにしてやるぜェ」
燃料に使うだって? 炉の無い廊下じゃ何の意味も無いだろう。これはただの見せしめだ。言うことを聞かないならこうすると、他の従業員たちに見せつけているに違いない。
(あづ! 熱熱熱熱塾熱熱熱!)
胸骨からみしみしという音が聞こえてきた。服が燃えて、肌にまで熱さが移って来ている。この衝撃がアタマに達し、
「おーゥ。派手にやってんじゃあねぇか」
あぁ、最悪だ。ここにあの飲んだくれおじさんが加わって来やがった。あれだけ小言を放ってキレさせたんだ。争いに加わらない理由がない。厄日かよこの人生……。
「何だ手前ェ? 何なんだこの手は」
待てよ。何だか変だ。胸に感じる炎が消えた。殺す気マンマンだったのに何故?
「見て分からねえか? 止めてンだよ。お前も大人なら、弱い者いじめで悦に浸るのはやめな」
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