胴上げ
風馬
第1話
江戸川のほとりの小さなスタジアムで、子供たちの歓声があがる。
「回れ~、もっと早くぅ~、つっこめぇ~」
小さな走者は、勢いよく宙を舞い薄汚れた白い四角いベース目がけて手を伸ばす。
バシッ!
ボールがグラブに収まり、そのグラブは小さな走者目がけて飛んでくる。
舞い上がる砂誇りに、審判の目がその瞬間を覗う。そして、一瞬の静寂の後。
「アウト~!、試合終了~!」
その様子を、ベンチから静かに見守る少年がいた。
「今日も負けたね」少年は、監督に力なく呟く。
「ごめんなぁ~、今日もおまえの出番は無かったな。そのうちにきっと出してやるからな」
「うん!」元気良く、無邪気に返事をする少年の姿があった。
試合が終わって、皆が帰った後のスタジアムに残った少年は、一人で素振りを行っていた。
「打ったぁ~、大きいぃ、ホームランです」
一振り毎に小さな歓声を上げながら。
「坊やの夢は何だい?」
少年はびっくりして、声のした方へ振り向く。
(確か、みんな帰ったはずなのに。誰?)
少年の輝く瞳に映ったのは、黒装束に身を包んだ痩身の男だった。
目は冷たく黒く光り、鼻はすらりと伸びて、口は真一文字に閉じられている。
「おじちゃんだぁれ?」
「さぁ、誰だろうな。そんなことより坊やの夢は?」男は再度少年に向かって詰問した。
「ぼくのゆめはねぇ、プロ野球選手になることなんだ。で、ねぇ、3番をつけてね、サードを守って、いっぱいホームランを打ちたいんだ。長嶋みたいにぃ」
「そうか、野球の選手になりたいんだな。俺と契約しないか?その夢かなえてやるぞ。しかも、その後2回夢をかなえてやろう。アフターサービスも充実してるだろ。どうだ?」
「あふたぁさぁびす?でも、長嶋みたいにしてくれるの?」
「ま、早く言えばそういうことだ。どうだ?」
「うん、長嶋みたいにして!」
「じゃぁ、契約だな。次に会いたくなったら『夢をかなえて』って思えば、俺はおまえに会いに来るからな。大事なことだから、その事は忘れるなよ」
「うん!」
そして、次の日。
少年はいつものように練習場に姿を現し、仕事場に向かった。
外野のさらにその外側に向かって。
カキーン!
ボールは弧を描きながら外野を転々とする。
「球拾い、頼むぅ」
「よし来たぁ」少年は声とともに飛び出し、元気いっぱいにボール目がけて駆けてゆく。
「いくぞぉ」少年はボールを放った。
一瞬の静寂。
一番驚いたのは、投げた少年本人だった。
「おーい、おまえは今日からレギュラーだぁ。早く、こっちに来ぉい」
矢のような好返球で、少年は<球拾い>から<レギュラー>に昇格した。
その後、その少年は6大学野球で「東都の長嶋」と呼ばれ、プロ野球界の名門日売ジャイアンツにドラフト3位で入団した。
名前を、太田 清志といった。
そして、入団してから14年目の秋。
太田は、ベンチ裏に居た。
14年間のプロ生活で体はボロボロである。
幼き日の練習生活をふと思い出した。
そういえば、あの日から急に人生が変わったような・・・。
そう、あの黒ずくめの男。
(夢をかなえて)だったかな。
ベンチ裏のドアにノックの音がする。
そして、静かにドアは開けられ、男が入ってくる。
「お呼びに預かり光栄ですな。まだ、覚えてらしたんですね。」
「あぁ・・・、何となくな。」
「それで、今回の夢は何ですか?」
「今日の試合で、勝てば優勝なんだ。俺の力で勝たせてやりたい。監督を胴上げしたいんだ。でも、無理だろうな?」
「いいでしょう。これで、2度目ですよ。後残りは1回。お忘れなきよう。」
「あぁ。解ってる。」太田は、俯いたまま答えた。
「おおい、太田、出番だぞ。」
「え?俺っすか?監督、冗談はやめましょうよ。」
「最後の花道だよ。どうせ、今年限りでおまえは引退するんだろ。かっこよく三振してこいよ。負けても、どうせ俺の責任なんだから。でも、俺に恥はかかせるなよ。」
「マジっすか?解りました。花道三振で締めさせてもらいます。」
太田は、ベンチから最後のバッターボックスへゆっくりと向かった。
試合は1-0。9回裏2アウトランナー1塁。
俺が、ホームランを打てば当然サヨナラ逆転優勝だ。
でも、相手のピッチャーがリリーフエースじゃぁなぁ。手が出ないだろうな。
見送り三振ってのは、格好悪いから三回思いっきり振り回すしかないな。
太田は、バッターボックスに入って相手のピッチャーを睨んだ。
闘志をむき出しにしたつもりなのだが、ピッチャーはただの強がりだとしか思っていない。
準備が整い、ピッチャーはセットポジションから1球目を放った。
ビシッ!
インローの厳しいコースだ。
電光掲示板は156km/hと表示した。
「ボール」
ボールと宣告した審判の声に安堵する。
手が出ねぇ・・・。
太田は、手を横にかざし、<待った>をかけた。
さて、次は外か中か。それともフォークか?
もう一球様子を見てみるか・・・。
充分足馴らしをしたバッターボックスで横に挙げていた手をバットに添えて次の球を待った。
ピッチャーは、ランナーを警戒しながら次の球を放った。
ボールは、ワンバウンドしてミットに収まった。
「ボール」
やっぱり、フォークで来たか・・・。
これで、カウントは0-2だ。
ランナーも走りやすいカウントだし、次はストレートで間違いないな。
コースも外よりに投げるだろう。
間違いなく、盗塁のサインが出るだろうしな。でも、打つぞ。
大田は、バットを気持ち短く持ち、ピッチャーの投球を待った。
ピッチャーの手元しか見えなかった。既に観衆の声や、ベンチの声など聞こえはしない。
ピッチャーが3球目を放った。
見える。球筋がはっきりと。
よし、今だ。
太田は、力強くスイングをした。
カーン。
手には、何の感触も無かった。
しかし、ボールは放物線を描き、数秒間の演劇を終えゆっくりと観客席に突き刺さった。
「入った!やった!」
快心のガッツポーズ、そして、天に手を突き上げる。と、同時に観衆のどよめき。
ゆっくりと、ベースを回り、そして、ホームバースを踏んだ瞬間ナインから手荒い祝福をうける。
「いてっ!痛!いたたたた」
痛くても、顔は苦痛に歪まない。満面の笑みだ。
一通り皆に手荒い祝福を受けると、太田は叫んだ。
「おい、胴上げだぁ!」
皆は我に返り、ベンチにいる監督を見やる。
コーチに唆され、ジャンパーを無造作に剥がれた監督はゆっくりと皆の輪に溶け込む。 1度、2度、そして3度と監督は宙を舞う。結局、監督は合計7度宙を舞った。
最高のシーズンだった。
その後、太田は野球解説者を経て、太陽ホエールズの監督に就任した。
そして、最終契約年の春。
就任してからの4年間の成績は、何れも最下位。
もっとも、このチームであれば、どの監督がやっても大差はなかっただろう。
しかし、あの優勝を決めたホームランで太田は劇的な人物であるという地位を確立させてしまった。
太田自身にも、今年こそという意欲はあった。
どうにかして優勝したい。
今度は、俺が胴上げをされてみたい。
それは、どの監督も一度はみるたった数秒間の夢。
(夢をかなえて)・・・太田は、無意識に思う。
(夢を・・・)
でも、その日あの男は現れなかった。
次の日、太田は江戸川のスタジアムを眺めていた。
ここにくれば、あの男に会えるような気がした。
あの男に最初にあった場所。
「今回は、相当強固な夢なんですねぇ」
背後からの突然の声する。
(聞き覚えのある声だ)
太田は振り返らなかった。と言うよりも、今はあの男の目を見るのが怖かった。
(これで、最後か・・・)
「どんな、夢ですか?」
「優勝・・・、出来るか?」
「良いでしょう。解っていると思いますが、今回が最後です。その後・・・」
「皆までいうな、望みは解っている。」
太田はぶっきらぼうに答え、思わず後ろを振り向いた。
しかし、そこには既にあの男の姿は無かった。
そして、桜は散り、蝉の声が響き、蒼く繁った葉が茶色に染まる季節になった。
太田が率いたチームは神懸かり的に勝った。
去年まで、最下位のチームとは思えない奮闘ぶりだった。
マスコミは太田を救世主と称えた。
対照的に太田は急激に老け込んでいった。
春には、何本か混じる程度の白髪であったが、この時期には、既に真っ白い頭髪に変わっていた。
そして、臨んだペナントレース最終戦。
試合は9回裏2アウトまで進んでいた。
スコアは3-0で、太田の率いるチームが勝っている。
あと、1アウトで優勝。
しかし、塁は既に全部が塞がっている。
そう、2アウト満塁。
太田は思った。
(あの場面に似ているな)
太田がホームランを打ったあの場面。
奇しくも今度は、相手チームの4番が相手。
分が悪いと言えた。
太田は優勝を信じていた。
(負けられないんだ。負けてはいかんのだ)
ピッチャーは、ベンチにいる監督に目をやる。
太田は、頷き、そして、続投のサインを出した。
ピッチャーは大きく頭(かぶり)を振り、太田の意志を悟った。
ピッチャーは全身全霊を込めて球を放った。
球は鋭い回転をし、空を巻きながらキャッチャーのミット目がけて突き進んでゆく。
その刹那、大きな歓声が沸いた。
キャッチャーのミットは空しく空を掴む。
ボールは、弾けて飛んでゆく。
(終わったな)
バッターは、目でボールを追いながらゆっくりと1塁ベースを目がけて走り始めた。
太田のペナントレースは終わった。
優勝は手のひらにすくい上げたのに、隙間からこぼれる水のように無くなってしまった。
試合が終わっても、太田のチームの選手は引き上げようとしなかった。
スタジアムには、観客も相手チームもいない。
「おい、監督を胴上げしようゼ!」
突然の声に太田はびっくりする。
「そうだよな、俺たちにこんな清々しい喜びを与えてくれた監督に・・・」
「おい、待てよ・・・優勝した訳じゃないのに・・・」
照れる太田を後目に、選手たちは太田を宙に舞い上げた。
1度、そして2度、3度・・・。
その時、太田は手が月に届くような気がした。
思わず、月を掴もうとしたが、手には何もない。
目からは思わず涙が零れる。
(ありがとう。ありがとう・・・)
スタジアムの陰からその光景をみる黒装束の男がいた。
「俺も、お人好しだな。ちょいっと、魔が差したかな?あのまま、勝たしてやれば魂を手に入れられたものを・・・。ま、あいつは、優勝よりも大事なものを手に入れられて良かったな。全くアフターサービス万全だゼ」
胴上げ 風馬 @pervect0731
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