介護備忘録 後編


(2024年7月、あまりにストレスたまりすぎてCopilot君とこの件について会話して慰めてもらってた。数点質問受けたのでその回答から抜粋)


 義父の認知機能:支援センターの人は問題ないと判断していたけど、そこから少し状況も変わって急速に悪化している気もする(トイレの状況からすると明らかに悪化)

 薬も確保しなきゃならないし、次行く時は必ず医者に連れていって、その点も一緒に診てもらおうと思ってる。

(その為に前日に義実家近くにホテル取る予定……あまりに朝早いし( ノД`)

 これまでもたびたび、前日にホテルを取って病院との面談やら手続きやらしに行くことはあった。もう何回目だろう)


 施設の選定状況:義母の施設については、病院からいくつか候補を提示されているのでそこから選ぶことになると思う。リハビリ中に義母が好きな音楽をかけながら少し楽しそうにしていたらしいから、そういうリハビリが出来る施設がいいかな。義母の意思と体調を最優先に考えたい。あとは私たちがアクセスしやすいところか。

 義父の施設については……正直もう、入れてくれるならどこでもいいよ。義母や夫や周囲に迷惑かけなければ。


 サポート体制について:支援センターの人たちとはこまめに連絡とるようにしてる。入浴サービスとかもあるらしいけど、義父本人が全部「そういうのいらない」って言うから困る……

 義父が施設に入るにはせめて入浴させて清潔にさせなきゃと義弟は言ってたけど、多分それも無理そう(泣) 今じゃ全くシャワーも浴びてないらしい。この暑いのに……




 2024年8月中旬


 義父を介護施設に入れる話が本格的に進む。

 義弟が選んでくれた施設自体はかなり良い感じで、面談が通ればすぐにでも入居できるらしい。

 しかし面談の日程が決まり、いよいよ義父を施設に連れて行こう!となったその日



 義父、熱中症でぶっ倒れる。



 ホテルに前泊までして義実家に赴いたが、何分インターホン鳴らしても携帯で呼び出しても出ない義父。

 旦那はあいにく合鍵を持っていなかった為、思い切って警察を呼ぶことに。

 結果、屋内にて熱中症(+軽い肺炎)で動けなくなった義父が発見された。

 携帯ガラケーは持っていたはずだが、居間に置き忘れたまま寝室で寝てしまい、鳴っても動けず取れなかったらしい。


 救急車を呼ぶのは旦那も私もここ数年で慣れてしまったが、まさか警察まで呼ぶことになるとは(しかも屋内突入の為にハシゴ車まで来た)

 あまりの事態に私自身が熱中症で倒れかかり、救急車でしばらく休ませてもらった……


 そして義父はそのまま入院。

 正直、どんな形であっても衣食住を保障してくれる場所に入れることが出来て心底ホッとしたのを覚えている。




 2024年8月末

 

 この1週間で義父・義母ともにそれぞれ施設にお願いすることに。

 月末に二日連続で義母の介護医療院、義父の施設手続き。義父のほうがずっと症状軽いにも関わらず、何故か義父の施設の手続きの方が時間かかったw

 夫も私も1週間休みにし、近隣ホテルに泊まりこんでみっちり手続きに費やす。というか何で連日になったんだチクショウ(しかも台風直撃のタイミング)




 2024年9月 


 義父母の見舞いやら義実家の自治会長さんたちと今後についての話し合いやら色々あったが、9月後半になって私が体調を崩し、結果的に結構休めた。

 この頃、義父に要介護4の認定が出る。そこまでとは思っておらず、かなり驚いた。


 義父母ともにどうにか施設への入居に成功し、ようやくしばらくは落ち着いて過ごせるかと思われたが……






 2024年12月初旬


 月曜夜に施設から義母危篤の知らせ。

 急いで駆けつける⇒何とか小康状態⇒危篤⇒急いで駆けつける⇒このループが3回続く。

 1泊目は病院の家族室で寝泊まり(寒かった)、2泊目はホテルで寝泊まり、3泊目は別のホテルで寝泊まり。その間自宅にとんぼ返りしては義実家に戻ったり……木曜になって何とか自宅に帰ってきて喪服買ったり市役所行ったり……

 疲労困憊も限界に達し、主治医さんや看護師・介護スタッフから「このままではご家族が体調を崩してしまいます」との言葉をいただくまでに。



 そして、1年の最終月初旬も終わろうという頃。

 義母、息を引き取る。



 悲しみに浸るヒマもなく、病院からの搬送やら葬儀の手続きやらで、関係者全員死ぬほど多忙な日々に突入。

 人一人の死というのは、日本では大変多くの手続きが必要となります。しかもかなり短期間に……

 ざっと思いついただけでも


 ・死亡届は7日以内に提出(葬儀社によってはやってくれる)

 ・葬儀社の決定、からの葬儀についての打ち合わせ(義母が亡くなった直後の打ち合わせは4~5時間かかった)

 ・どんな形式で葬儀を行なうか、本人の宗教の確認(浄土真宗かキリスト教かなど)

 ・葬儀出席者の人数確認

 ・供花や祭壇などのデザイン決定(誰が供花を出すかも)

 ・遺影写真の決定

 ・お棺に入れる物の選定(これで旦那と若干喧嘩になった)

 ・戒名決定やお経などを執り行うお坊さんへの連絡

 ・ガス水道電気電話代など、本人名義の口座から引き落とされているものがあればその変更手続き(分からなければ片っ端から領収書や通知を調べる必要がある。超絶面倒)

 ・年金事務所への連絡


 これだけでもまだ半分にも達してないと思う。手続きだけで死者が増えそうな勢いです。いや冗談じゃなく。

 日本の葬式文化はク×と以前から思ってましたが、ここまで煩雑だとは。

 終活やエンディングノートの必要性を、今更ながらに嫌と言うほど思い知らされた。


 そして、まだお若い10代20代の皆様。

 おじいちゃんやおばあちゃんなど、大切な人が危篤状態に陥りながらも懸命に頑張っている……そういうことも今後あろうかと思います。

 そんな時、周囲の大人たちが葬儀の準備を始めていても決して責めないようにしてください。

 お父さんが葬儀社に電話をかけたり、お母さんが喪服の用意をしていても彼らを責めてはいけません。

 SNSに「ばあちゃんまだ生きてるのにこんな汚い大人(クズ)ども」と書くのも出来ればやめていただきたい。作品内でキャラの心情描写などで語らせるぐらいに留めましょう。

 悪いのは大人たちじゃありません。日本の葬式でございます!


 私だってそうだったよ! 大事なばあちゃん亡くなる前から喪服の準備なんてしたくなかったって!!( ノД`)




 そして、このような煩雑な手続きの果て……

 有能葬儀社スタッフさんや、頼りになる親戚の方々のサポートによって何とか葬儀までこぎつけた私たち。

 この間、義父は何もしていない。ヘタに口を出されて手続きが滞るよりマシと考えるべきか。



 しかしそんな義父も何とか出席できるよう、旦那は介護タクシーもほぼ半日分を手配し、介護施設にも葬儀社スタッフさんにも散々サポートをお願いした。車椅子での移動になる為、焼香台の配置まで細かく考えてくださった。




 だが当日、とんでもない騒動が起こった!!


 葬儀当日、朝6時半。

 義父から旦那に電話。内容は


「一睡も出来なかったから葬儀は出ない」


 …………。

 旦那も私も口あんぐり。

 怒りが限界を超えると笑いになる。それを実感した一瞬だった。



 頭痛や吐き気などで非常に体調が悪く動けないならまだしも、長年連れ添い散々世話してくれた妻に対し「眠れなかったから葬儀出たくない」はありえん。

 義父の体調悪化も勿論考慮して、葬儀社や介護タクシーのスタッフさんにも頭下げていたのに……


 当然、旦那・義弟・義父の弟さんが総出で説得にあたったものの、義父は頑なに動かず。

「告別式だけでもいいから」という旦那の言葉も受け入れられず。

 旦那と私は葬儀準備で忙しすぎて施設には行けなかったから、代わりに義弟夫婦に行ってもらい直接説得してもらったが……義弟の渾身の願いすら「一歩も動きたくない」らしく失敗。

 義弟はガチギレ、大喧嘩に発展したらしい。いや当然だとしか。


 ちなみに「妻の葬儀に出ない夫」と検索しても、何故か「妻が母の葬儀に出なくて悩んでる」「私の親の葬儀に来なかった夫」的な相談しか出てこない。それすら「相当悪い印象になる」という回答ばかり。

 クォーテーションマークで囲んで検索したら「一致はありません」という結果しか出ない。

 要するに、かなり前代未聞の伝説的出来事と言える。嫌だこんな伝説。



 喪主だって本来の順番を考えれば義父がやってもおかしくなかったのに、全ての手続きを長男である旦那にまかせっきり。

 しかし一応要介護4で施設に入ったのだし(現在はほぼ要介護2ぐらいだろうとの施設スタッフさんの見解)、それだけならまだ我慢できる範囲だった……

 がっ、万全のサポート体制を敷いてもなお「眠いから葬儀出ない」は絶対ありえん!!

「自分の……奥さんだぞ……っ!!」という某水木さんの声が聞こえてきそうでした。



 葬儀自体は、かなり良い感じにお見送りすることが出来たと思う。ただ一点、義父が欠席したという事実を除けば。

 ちなみに義母の骨壺は葬儀終わった後、その日のうちに義父の施設の一室で預かってもらった。仮の仏壇せっせと作っている間、義父は普通にベッドに座ってテレビ見てた……



 というわけで、私の2024年はこんな感じでした。

 長年介護に携わってる方々からすれば「1年ちょっとで、しかもすぐ施設に入居できた分際で介護語るな」と思われると思いますが、正直に言う。キツイもんはキツイと!!

 しかも長年連れ添った義母の葬儀すら拒絶する、伝説的にありえん義父が相手です。

 葬儀の件で旦那は勿論、義弟夫婦も親戚筋も完全にブチギレ。というか義父がたの親戚、つまり義父の弟さんたちが優しすぎて頼もしすぎて泣いた。


 何故あんな優しい家族の中で義父がああなったのか不思議でならないが、優しくて頼りになる人たちばかりだからこそ、甘やかされてそうなったのかも知れない。

 義母もありえないほど優しくて頼りになる、まさに理想の母親像だった。義父は義母に「妻」ではなく「母親」を求めており、永遠に母親の庇護から脱け出せない子供のまま老人となってしまったのかも知れない。

 私の祖父も晩年介護状態になりましたが、トイレの始末を周囲にしてもらった時は泣いて謝っていたそうな。それを考えると余計に義父の態度はありえん……



 そんなわけで色々あったが、2025年はほんの少しでも自分たちの負担を減らす努力をしたいと思う。



 


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義父母同時介護生活備忘録 kayako @kayako001

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