義父母同時介護生活備忘録

kayako

介護備忘録 前編


 2024年、私と旦那は義父&義母の介護というとてつもない現実に直面した。

 その前年から色々あったが、2024年半ばになって義父は要介護4・義母は要介護5というとんでもない状況に。

 ありえなさすぎて、小説でこんなん書いたら「リアリティなさすぎワロタ」などと笑われそうな事件が相次いで起こった苦闘の2024年。

 この記録は、何かが起こるたびに私が綴っていた拙いメモを、ある程度エッセイ用にまとめたものです。

 読みにくい部分も多々あるかと思いますが、少しでも参考になれば幸いです。




 前提条件として、私と旦那は某A市在住の子無し夫婦。

 義父母(双方とも80代)は都内在住。

 両者の距離は車でだいたい2時間。

 義弟夫婦は息子二人(高校生と小学生)、都内在住で夫婦共々フルタイムで働く。距離的には義弟夫婦の方が義父母家に近い。



 2022年末 義母が腰を痛め、趣味の園芸が出来なくなる。

 さらに義母の姉が逝去。当初は義母本人もあっけらかんとしていたように見えたが、かなり心理的ダメージは大きかったらしく、年末になって義母は「死にたい」と言いだす。

 身体もあまり動かなくなり家事も思うように出来なくなった上、不眠状態に……



 2023年元旦 元旦から義母の様子がおかしく、前年までは実家で盛大に正月のパーティをやっていたのがこの年は殆ど準備が出来ず、近くの料理屋で義弟家族と集まることに。

 この時義父からは事前に私たちに、義母がおかしいとの話があった。ここで私たち長男夫婦との同居の話も出てくるが、さすがに保留。

(現在私たちが住む場所は駅近くで、旦那は自宅からの通勤がそこそこ快適。そして私自身も近所にパートで勤めているため、そう簡単に義父母との同居は決断できない)



 しかし数日後……


 2023年1月、正月明けのタイミングで義父から緊急の電話。

 義母の様子がもう手に負えないとのSOS。車で駆けつけたところ、家事どころかろくに食事も出来ず会話すら成立せず、「死にたい」と呟き続ける義母の姿が!

 とりあえず救急車を呼んだものの、本人が搬送を拒否した為搬送出来ず。一晩待って翌朝医者を呼ぶことに。

 私たち夫婦は近くのホテルに泊まり色々と情報を調べる(義父母の家はかなり酷いことになっていた為とても泊まれず)

 そこで地域包括支援センターや、「老年性うつ」などの情報を入手。


 翌日に地域包括支援センターへ連絡、かかりつけの医者とも連携し義母を診察してもらったところ、やはり「老年性うつ」の可能性が高いとの判断。

 近所で心療内科をメインとするT病院への入院を勧められ、即時入院。

 その際に義母の環境に変化があったかと医師に聞かれ、腰痛や姉の死亡などについて触れた。

 が、義父は義母や医師らの目の前で「兄弟が死んだくらいでこんな……」と発言。

 その後も「兄弟が死んだくらいで」なる義父の発言は頻繁に繰り返される



 2023年2月 治療により義母はやや回復、一時的に退院。

 しかし、義母は以前と同じように動けるはずもないのは明らかなのに、義父は以前と同じような家事を義母に期待していたらしい……

(退院時に車に義母を乗せた時、義父は乱暴に家の鍵を義母に放り投げたりしていた。恐らく日常的にそういう行動はやっていたものと思われる)


 その後たびたび義父母と一緒に買い物などをするも、歩みがどうしても遅くなる義母に付き添わず、義父がさっさと自分一人で歩いていくという行動が繰り返される。義母を支えるのは私たち夫婦のみで義父は知らんぷりという状況が頻発……



 2023年3月 しばらく連絡はなかったものの、再び義母のうつは悪化し再入院(私たち夫婦は生憎駆けつけられず、義父が(旦那の指示で)支援センターの人たちに助けを呼んで再びT病院へ入院)

 義母は異常に将来やお金のことを心配し、「破産しちゃう」とまで口走るように(実際は全くそこまで至っていないと義父が通帳などを見せたにも関わらず)


 その後治療を続けるものの回復せず、電気治療を受けるためさらなる大病院(K病院)に転院。

 義父から私たち夫婦へ同居の話がまた出てくる。義父曰く「長男夫婦なんだから同居は当然、長男の嫁(=私)はウチの墓に入るんだから自分たちの世話をするのは当然」という……

 しかし支援センターの人の話だと「家族との同居は逆に、介護のプロから支援を受けられなくなる可能性があって危ない」とのこと。


 旦那は私たち夫婦のQOLを最優先し、同居の話を再度保留。というか事実上同居はしない&将来的にも義実家には住まないと決断。

 義実家は山の中で、どこへ行くにも坂があり非常に段差が多く、慣れている義父母はともかく自分たちが老人になってから住めると思えないというのが理由だった。



 2023年4~7月ごろ 


 K病院にて義母の電気治療が行われる。

 彼女の入院の間、たびたび義父の様子を義弟夫婦らと交替で見に行くものの(この頃はまだ1か月に1度ぐらいの頻度)、次第に生活は荒れてきて義父の身だしなみなどが若干いい加減になり始める。

 それでも義父はまだ自分で生活出来ているからと言っていたので、そこそこ安心はしていた(そもそも何か作ろうとして材料を準備しても台所さえろくに使わせてもらえず、すぐにうなぎ屋など高価なお店に行こうとする)



 2023年秋ごろ


 どうにか義母の電気治療が終わり、うつ発症前よりメンタル的にはかなり回復して退院してくる。しかし当然体力的には以前より大幅に落ちていた上、電気治療の影響で手足に若干のマヒが残った。

 私の父母と義父母で久しぶりの会食をしたものの、ソーセージなどの食事も細かく切り分けないと食べられず。私の母がそれに気づいて切り分けてくれたものの、義父は全く気付かず切り分けもせず……

 また、帰りは私たち夫婦とは別に義父母と私の両親が一緒に帰ったらしいが、義父は(義母の乗りやすい)タクシーではなく当然の如くバスを使用。バスに乗る際にも義父は義母の手助けをせず、よたよたする彼女を私の両親が慌てて支えたらしい……



 2024年正月


 元旦に義弟家族含め義実家近くの料理屋で会食。

 義弟家族や私たち全員で家の掃除やら何やらやり、会食は無事終了したものの、義弟からいよいよ義父に老人ホームの話が出る(義弟家から近い場所で、夫婦一緒に入れるところを色々探し回ってくれたらしい)

 義弟家族も子供たちが進学の時期を迎え、義弟嫁も異動により勤め先が変わり、今までのようにたびたびは来られなくなるというのが理由。

 この時義弟もかなり厳しい口調で、義父の身だしなみが荒れていると指摘。

 ちなみに自宅を売ったりする必要はなく、好きな時に戻ってきてもいいという方向で義弟は話をしていた。


 しかし義父はのらくらと逃げるばかりで、1月の時点では結局話はまとまらず。

 義母に意見を聞いたところ、「候補として選んでくれたホームは環境が合わない、段差がきつそう」などの理由で拒否。そこで一旦老人ホームの話は立ち消えに。

「転倒だけはしないで過ごして」と、旦那も私も口酸っぱく言いまくったものの……




 2024年4月中旬


 義母が家の中で転倒、大腿骨を骨折。T病院へ救急車で運ばれ即時入院。

 入院直後は義母の意識自体はしっかりしており、会話は十分可能だったのでその点は安心していた。

 リハビリの為に靴下が必要と聞いて面会もそこそこに、義父と一緒に売店に購入に向かう……

 が、売店の位置が2階なのに義父は強引に1階だと言い張り、何故か救急搬送の入り口まで迷い込む。たまたま通りがかった人に案内されて事なきを得て、何とか売店で靴下を購入。

 義父の痴呆を本気で疑い始める。




 2024年5月頃


 病院側から義母をリハビリ施設(義実家近くのA病院)へ転院させる方針が決まり、A病院への訪問やらそれに伴う事前準備(バッグやリハビリ用の衣類などの購入)、T病院での経過報告の面談、さらに介護保険の申請などなど私たち夫婦がほぼ全部やることに。


 この頃から、義実家を訪問する頻度が1~2週間に1回になり始める(それ以前はほぼ1か月に1回だった。義母のうつ発症前はさらに少なく、ほぼ3~4か月に1回)

 トイレや台所、洗面所の汚れが以前より一層酷くなり、行くたびに掃除するハメに。

 義父は全く動かなくなったばかりか、次の日に仕事があるから早く帰りたい私たちを当然の如く引き留め、うなぎ屋に誘ったり強引に寿司取ったり……

 旦那が「明日二人とも仕事あるから夕飯食べずに帰るね」とはっきり言っても、義父は「うん、じゃあ寿司取るから食べてってね」と、話が通じてない。

 その日私、滅茶苦茶汚れてたトイレ掃除したばかりだったんですけど? 生ものあまり食べたくなかったんですけど?


 義父はこの頃からテレビもほぼ見なくなり、好きだった野球観戦もPCでの麻雀もしなくなる。




 2024年6月中旬


 義父から「もう駄目だ」と旦那にSOSがあり、旦那は救急車を呼ぶよう指示。その通りにした義父はB病院に運ばれ、栄養失調と診断される。

 私たち夫婦が慌ててB病院に駆け付けた時には、義父も点滴で何とか回復していた。しかし新しくもらったばかりの診察券をなくしたとかで、支払いの手続きさえろくに出来ない状態に……

 聞くところによると、毎日あんぱんとバナナで過ごしていたらしい。お弁当を買ったり出前とったりで何とかしているのかと思いきや、そんなことはなかった!

 半ば強引に旦那が毎日の配食サービスを頼み、当面はそれで食事は何とかしてもらうことに。


 一方義母も骨折自体は回復してきたものの、腎機能が低下し食事を満足に取れない状態に。

 入院前よりかなりやせ細り、ベッドから離れられず会話さえおぼつかない状態となる。

 結果、義母はパーキンソン症候群と診断された(※実際にはそれと似た症状の、かなり珍しい指定難病であった可能性が高い)


 ここに至り、義母が今の義実家に帰り日常生活を送るのは(段差が非常に多い義実家の構造から)ほぼ不可能に近いとの見方が強くなる。

 さらに義父も殆ど義母の見舞いに行かなくなり(行っても殆ど会話をせずに終わる)、家に送られてくる書類さえもろくに確認しなくなる。

 義母に関する手続きやら何やらはほぼ全て、私たち夫婦がやることに……




 2024年6月下旬


 介護保険申請の結果、義母は要介護5と判断された。

 リハビリ施設には実質2か月しかいられず、その後の行先を決める必要があるとの話をされる。

 ちなみに、この結果の書類すら義父はちゃんと受け取っていなかった。「郵便ポストは見てるけど来てない」とのことだったので一応郵便ポストをチェックした……

 が、その時山のような書類(銀行や病院からの通知や重要書類含む)がポストの中から!

 そこに市役所から介護保険の結果の書類も混じっていた(この時不用意にポストに腕突っ込んだせいで書類で手首切った。妙な勘違いをされかねない傷がしばらく残る)


 義父は配食サービスの食事はちゃんとしているものの……


 ・使ったコップや箸を洗わずそのまま使い続ける

 ・食べかけのあんぱんを放置して大量の虫がたかる

 ・冷蔵庫で牛乳がヨーグルト化している

 ・何か月前のか分からないドロドロの野菜が冷蔵庫で放置

 ・私が買ってきたサラダもろくに食べずに放置

 ・勿論トイレも汚れ続ける

 ・洗面台まで何故か謎のゴミで汚れていた(様子を見に来た義弟の息子(=義父にとっては初孫)によれば、吐いた跡ではないかとのこと)

 ・洗濯は勿論、入浴すらせず髭も剃らず、ほぼ素っ裸で家の中を歩き回る

 ・唯一身に着けている下着も汚れっぱなし

 ・常用していた高血圧の薬さえ取りにいかない

 ・それでいて施設への入居も介護サービスも拒否


 というわけで私の中の義父への好感度、地の底まで落ちる。




 2024年7月上旬


 義母がリハビリ施設A病院に転院(転院時は私が介護タクシーに同乗した。介護タクシーは当然初めてだったので内部構造が興味深かった。救急車と似たような構造)

 リハビリの説明など、病院側からほぼ全ての話を私たち夫婦が聞くことに。当然義父は同席さえせず。

 本来夫である義父が責任もって聞くべき話なんじゃないですかね(怒)


 一方、義父の生活状況の悪化から再び支援センターの人を呼んで様子を見てもらったが、「配食サービスを取った為に逆に外出の機会がなくなり、引きこもりに近い状況になったのでは」とのこと。取らなかったら救急車だしどうしろと( ノД`)

 さらに、センターの担当者によれば「お義父さまの今の状態だと、仮に介護保険を申請しても要支援認定にもならないと思われる」とのこと。

 要するに体力も認知もまだしっかりしているということで、公的には「まだ頑張れるから頑張れ」ということらしい。


 しかしこの頃から

「通帳がなくなった」「エアコンがつかなくなった」などの連絡が頻繁に義父から来るように。

 そのたびに旦那が電話口で懸命に対応したものの、結局(土日あるいは有給まで使って)直接義実家へ行かないと解決せず。ただでさえ義母の状況説明で有給消化しないといけないのに……

 しかも散々事前に色々こまごまと予定たてて1日で全部解決できるように計算して行ったら、エアコンは何故か普通に動いたし通帳はすんなり出てきた。

 そのかわりトイレが本当に酷いことになってて、便器のフタの内側にべったりと(以下略)

 しかも長時間放置していたせいか、ク◎ックルじゃうまく取りきれず。

 Gの死骸が廊下に転がってたり、台所はまた虫わいてたし、リビングは整理されてない書類でいっぱい……


 色々な支払いの為に現金が必要だからと、旦那が必死で義父を説得して銀行に連れ出そうにもそれすらなかなか応じず、ほぼ強引に着替えをさせて連れ出す(しかもカード忘れて2往復)


 もう痺れを切らして、私は義父に思い切って言ってみた。


「お義母さんはリハビリで滅茶苦茶頑張ってます。

 義弟一家も孫たちも受験や進学で大変です。

 ウチの実家の両親も滅茶苦茶に心配してます。

 夫もお義父さんお義母さんの為に、土日も有給も全部使って動いてます。

 コップを洗うとか、トイレをきれいにするとか、毎日着替えるとか、小さなことでも少しずつ身の回りのことを出来るようにしませんか。

 そうすれば、お義母さんも少し安心できると思います」みたいなことを。


 そしたら返ってきた答えは


「しゃべらんといて」


 の一言。




 私はあと何回、このクソ親父に脳内で延髄切りを食らわせればいいんだ?

 などとこの時は思ったが、何回どころじゃない回数の脳内延髄切りをその後食らわすことになるとは……


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