浮気するのは結構ですが、契約は守って頂きます

ひよこ1号

浮気するのは結構ですが、契約は守って頂きます

浮気するのは結構ですが、契約は守って頂きます



リミトス王国では、愛の女神リミトアを奉っている。

ゆえに、一時期「真実の愛」とやらでの婚約破棄が流行ってしまった事があった。

事態を重く見た国王と教会の決めた法律で、たとえ「真実の愛」を見つけたにしても、人前で婚約破棄を申し出る事は禁止される事となり、廃嫡や貴族籍の剥奪などの厳罰に高額の慰謝料が科される。

逆に婚姻後、は愛人を作る事だけでは離縁の際に有責とはならない。

貴族法で、法律上の夫婦の子供しか相続権は発生しないので、庶子が冷遇される事に代わりはないし、愛人やその間に出来た子供の養育に関しては個人資産からしか資金は出せない。

法律上の妻に渡る予算や、家の資産を横領した時点で離婚の有責理由となり、慰謝料も発生する。

王族でもそれは同じく、王妃の子供だけが王位継承権を得るのだ。

側妃の子供は、王族ではあるものの、成人すれば爵位を受け継ぐか婿入り、嫁入りをする形となる。


当然ながら学園でも、あちらこちらで恋愛が繰り広げられる事になった。

とはいえ、婚前交渉はご法度である。

もし、婚約者以外との間に子供を作ってしまった場合は、流石に婚約破棄の有責理由となってしまう。

年頃の乙女達の多くは、婚約者と二人きりの恋愛を望んでいたが、金と権力のある貴族子弟は自由に恋愛する事を望む傾向が強かった。


レアンナの婚約者のダヴィドリもその一人。

学生の間だけは遊びたい、と言いつつ気になる女生徒達を片っ端から口説いていた。

だから、レアンナもダヴィドリと話し合いをしたのである。

話合いの末にお互いの合意書と関連書類に署名サインをした。


「君が、面倒な女でなくて良かったよ」


朗らかに笑うダヴィドリは、黄金の髪に緑柱石の様に美しい緑の瞳をしている。

白皙の頬は滑らかで、やや中性的な美貌を誇っていた。


「あら、でも約束事はきちんと守ってくださいませね?」

「ああ、勿論だ」


言質はとれたし、署名サインもあれば、レアンナもそれ以上言う事も無い。

元々貴族の婚姻なんて政略が殆どだ。


「お気に召さないのでしたら仕方ありませんし、一人じゃ満足できないというのも仕方のない事ですもの」


両親や後に義両親となる家族にも、レアンナはそう言ってダヴィドリの放埓を庇ったのである。

法的に二人は確実な婚姻の約束が結ばれた。

浮気は離婚の理由から除外され、例え子供が出来たとしても、相手方の家が育てる分には構わないし、堕胎する事も問題ない。

その際の慰謝料や治療費は自分の資産から行うのならば問題としない、としたのである。


「ダヴィ様ったら、婚約者のレアンナ様を放っておいて良いのですかぁ?」

「ああ、あれは聞き分けの良い女だからな。問題ないよ」


右手で肩を抱かれたハルカという黒髪黒瞳の男爵令嬢は、高位令息にばかりすりよると有名な女生徒で。

その見た目の可愛らしさや小動物の様な庇護をそそる雰囲気で、男子生徒からも人気は高い。


「でもぉ、ちゃんと優しくしてあげないとぉ、嫌われちゃいますよ?」

「そんな心配はしなくていいんだよ。私の浮気は公認なんだ」


一瞬、ハルカの表情が固まったのを、左側にいたファーラは見逃さなかった。


「あら、有名なお話ですわよ?ハルカ嬢は知らなかったのねぇ。本来なら婚約者のいる殿方に近づいてはいけないのが決まりですものね?でもダヴィ様は大丈夫ですのよ、お相手のレアンナ様もお楽しみですもの」


今度はそのファーラの言葉に、ダヴィドリがは?と目を丸くした。


「レアンナがお楽しみ、とはどういう?」

「え?そのままの意味ですわ。レアンナ様はお美しいでしょう?色んな殿方が侍っておりましてよ?」


そのファーラの言葉に、ハルカも大きく頷いた。


「王太子殿下や公爵令息、騎士団長の御子息だとか、高位令息達がこぞって夜会に同行エスコートなさってますよ!婚約者が居るのに、何で邪魔するのか意味分かんなかったんですけど?」


本音はそっちね、とファーラはハルカを見て微笑んだ。


「夜会……?夜会の話など聞いた事はなかったぞ……」


「それはダヴィ様も別のお相手と別の夜会に出席されているからではないかしら?」


あくまでおっとりと、ファーラが微笑みながら言う。


「そ、そうか。うむ、それなら仕方のない事だな」


明らかに苛立った顔をしながら、無理に納得するダヴィドリを見て、高位令息を軒並み奪われて、婚約者を焚きつけに来たのに不発に終わってむくれているハルカを見て、ファーラは愉しげに微笑みを深めた。



「レアンナ……!話がある!」


突然、廊下で怒涛の勢いで迫ってきたダヴィドリを見上げて、レアンナはきょとんと眼をしばたたいた。

言われるままに手を引かれて、近くの露台テラスでダヴィドリの話が始まる。


「君は、他の男に同行エスコートされて、夜会に出ているのは本当か?」

「ええ、本当ですけれど?何か問題が?」


問題が?と不思議そうに聞き返されて、ダヴィドリはカッと顔を赤くした。


「婚約者だろう?婚約者がいるのにそんな…!」

「あら?婚約者と申しましても、ダヴィ様は別の方を同行エスコートなさるでしょう?まさか、他の方と一緒に同行エスコートなさりたいとか申しませんわよね?」


困ったように言われれば、両手に花とばかりに二人の女性を同行エスコートする自分の姿を思い描き、ぶんぶんとダヴィドリが首を振る。


「そう言う事ではなく…!」

「はぁ……面倒な事を仰られても困りますわ。お互いの異性関係に口出しは無用と、文言を入れましたでしょう?わたくしもダヴィドリ様の女性関係には口出し致しませんのに、何故貴方はわたくしの交友関係に口を出すのです」


確かに、婚約の際も婚前契約の内容にも、そう文言を入れた。

だが、ダヴィドリは自分だけが言われないで済むと、都合よく考えていたのだ。


「でも、だからといって当てつけの様に他の男と出かけるなど、淑女として恥ずかしいとは思わないのか?!」


「あら……では何ですか?殿方の遊びには目を瞑り、女は家で大人しく泣いていろとでも仰いますの?ふふ…随分酷い言い様ですこと。もしお嫌なのでしたら、そちらから婚約解消なさいませ。遊び人とはいえ、公爵ですもの。涙を呑んで我慢をして下さるご令嬢ならまだ残っておいでですわよ?」


「………っ!解消は、しない……」


「あら残念。わたくしも面倒な事を仰るお相手は好きではありませんの。今後はこの様な些事で一々お怒りにならないでくださいませね」


公爵令息と侯爵令嬢の婚姻は、国の中でも大事の部類である。

貴族家の力の均衡を鑑みて国王も許可を出しているので、簡単には解消できない。

するとしたら相応の理由でしか認められないのだが、その理由の一つをこの婚約では禁じているのだ。

それに、ダヴィドリから見てもレアンナは酷く美しい令嬢で、自分の物であるから、何れ全てが自分の物になるからという優越と怠惰さで放置していたのである。


「待て、レアンナ、……その、次の夜会は一緒に行かないか?」


「申し訳ございませんが、どの夜会かは存じませんけれど、半年先まで予定は埋まっておりますの」


「……は、半年……?!」


「では、ごめんあそばせ」


レアンナはダヴィドリが呆けている間に、さっさとその場を後にしたのである。

幼い頃から高圧的なダヴィドリは好きではなかったから、レアンナはダヴィドリの為に時間を使う事はしなかった。

勉学に芸術に舞踊にと己を研ぎ澄まし、王太子だけでなく他の王子や高位貴族の子女達とも交友を深めていたのである。

彼らの悩みを聞いたり、婚約者との間での出来事を聞いたり、婚約者でなくとも女性関係の悩みの相談も受けていた。

友達以上恋人未満、でもあり疑似恋人でもあるだろうか。


心を消費することも、すり減らされる事も無い関係は実に気楽で。

かといって、相手の婚約者の事も蔑ろにする事のないよう気配りはしていた。

ある令嬢は婚約者よりも好きな相手がいるから、お互いに気持ちが他を向いていても良いという。

ある令嬢は、何故だか婚約者とレアンナの恋愛を非常に応援してきたりもした。

また、令嬢が人見知りの為に、レアンナと三人でしか会えないというものまで含め、色々な関係が出来上がっている。


それでもレアンナはダヴィドリの成長次第では、扱いを考えようと思っていたのだ。

だが、良くない方向へと彼は進化してしまった。

本当に愛して愛されたいのなら、選べない男である。


あら…そういえば、誰がダヴィドリ様に暴露なさったのかしら?


ふと足を止めて考えて、再びレアンナは歩き出す。

夜会は毎日どこかで開催はされているが、全てに参加出来る訳ではない。

爵位や派閥によって参加出来る夜会は限られているし、相手からの招待状がなければ参加出来ないのである。

主催に予め、同席したくない相手がいる場合伝えておけば、主催はどちらかを優先して招待するのだ。

今まではそれで、ダヴィドリと夜会で顔を合わせる回数は少なかった。

王家が主催する大きな夜会くらいで、お互いに別の相手を同行エスコートに誘っていたし、踊る事もなかったから気にも留めていなかったのだろう。


夜会は大抵20時から23時の間に行われるので、王都の学園に通う生徒達は大抵次の日が休みだったり、午後の授業のみの時にしか出られない。

自然と参加できる夜会は限られてくるのである。


ダヴィドリのお相手は数人いるが、厄介なのは二人だけだ。

最近レアンナを目の敵にしてくるハルカと、揉め事を起こさせるのが趣味のファーラ。

前者は男爵令嬢で、元々接点が少ないのだが、高確率で男の友人といると出くわすのである。

一度は「何であんたがデヴィドリ以外のルートで出てくんのよ!」などと言われたのだが、意味不明だったので放置した。

後者は伯爵令嬢で、実家は商家も営んでいるので中々に顔が広い。

穏やかな微笑みに、雰囲気に騙されがちだが、争いの種を蒔くのが好きな人間なので厄介ではある。

嫉妬や憎悪などではなく、ただただ興味本位なので実害がないといえばない。

レアンナはまあいいか、とため息を吐いた。


その後もダヴィドリは、ちょろちょろと視界の端に現れたが、レアンナは華麗に無視スルーをきめこんだ。

婚約者として茶会をと言われれば断り、夜会の誘いも当然お断りする。

瑕疵とならないように祝い事や、年間行事の贈り物だけは欠かさず、二人は卒業まで平行線で同じ生活を営んだ。

とはいえ、ハルカはしつこくダヴィドリに迫る様になったため、ダヴィドリから距離を置くに至ったらしい。

男爵家の令嬢という身分を考えれば、愛人にする予定なのかと思っていたのだが。


予定通り、卒業と共に二人は結婚した。

王都の大聖堂で華やかな結婚式が執り行われ、王侯貴族が列席する中で愛を誓う。

ダヴィドリの自慢げな顔を見る度に辟易する気持ちが湧いてきたが、レアンナは艶やかな笑みで押し隠す。

自分の将来を丸ごと託す気は無いが、両家の意思を尊重するのが子供の役目である。


結婚式の翌日、初夜を終えたダヴィドリは、朝食の席で妻のレアンナを罵った。


「君が不貞を冒していたとは知らなかった」

「あら。昨晩は楽しまれたでしょう?何処でその術を磨いたとお思いになって?」


言われれば、顔を真っ赤にしたダヴィドリがぐっと言葉に詰まる。

優雅に食事を摂りながら、艶美に微笑むレアンナが続けて言った。


「貴方も不貞はしてらしたでしょう?だから義理立てをする必要も感じなかったので、初恋の方に捧げましたのよ」

「……なっ!……私が不貞を働かなければ君も、その、しなかったと言うのか?」

「ええ、勿論。これは契約で政略ですもの。条件は同じにしないと不公平でしょう?」


ダヴィドリはテーブルを拳で叩いた。


「男と女は違うっ!」

「ええ、そうですわね。ですから貴方が幾人かに堕胎させておりましたけれど、わたくしは妊娠しておりませんわ」


さらり、と返されればダヴィドリも言葉を失う。

個人的に慰謝料と治療費も包んだが、噂にはなっていないはずだった。

それに、正式な妻となったレアンナに触れられるのは自分だけという事実に、優越感を感じたのだろう。

ダヴィドリは落ち着いて、笑顔まで浮かべた。


「まあいい。今夜からは尽くす様に」

「それは神殿にお参りした結果に因りますでしょうね」


美しく他の男達が羨むレアンナを自由にするつもりだったダヴィドリが、は?と言って固まる。

優美な所作で果実水を口にしながら、レアンナは首をかしげた。


「何のために愛の女神の信仰と神殿があると思っているのです?子が宿れば神殿が判じてくれましてよ。その瞬間からわたくしは、子供のものですわ」

「……な?……いや、夫婦なのだから夫婦の営みとして…」


ごにょごにょとダヴィドリは言うが、レアンナは冷笑を返した。


「ええ、ですから、夫婦として営みました結果、子供が宿っていれば問題ありませんわ。今まで通り好きに遊んで結構でしてよ」


遊んで良いと言われてこれほど愕然とする事はないのでは、と言いたくなるくらいダヴィドリは驚いていた。

対してレアンナは何の感慨も無い様子で穏やかな笑みのまま食事を終える。


「結果は証明書として頂いて参りますので、すぐにお知らせいたしますわ」

「……あ、ああ……」


たらればの話には意味が無い。

もし、こうしていたら。

もし、ああしていれば。

誠実だったならば誠実を返したし、そうじゃなければそれ相応。


レアンナは躾の行き届いた使用人達に命じて支度をすると、神殿へと出かけて行った。

三歳児の様にくだらない質問をしてくる男の相手などする価値は無い。

子供なら未来があって可愛らしいが、そうでないならただの無能で可愛げのない人間なのだから。


レアンナはその日の内に、神殿で証明を受けると、荷造りをして公爵家を出たのである。

それを夕方帰ってきたダヴィドリは知らされて、激高した。


「何故だ!何処へ行ったんだ!男の所か!」

「いいえ、『乙女の園』でございます」

「……は?何故、そんなところに……」


この国では愛の女神を信仰している。

それと共に愛の結晶である子供もまた、その庇護対象である。

乙女の園とは、神殿で子供が宿ったと証明を受ければ誰でも入れ、保護を受ける事が出来る施設なのだ。

職員も含めて全員が女性で、不貞を疑われたくない者、安全を考慮したい者、身寄りがなく暮らしにも困る者が身を寄せる場所で、貴族の多くはそこへは行かない。


「失礼ながら旦那様が夜の奉仕を求められるからではないかと」

「……あ、そ、それは普通の事だろう?」


長年仕えている家令に困ったように指摘され、ダヴィドリも気まずく返答を返した。

家令は首を横に振る。


「奥様は婚前契約に従っておいでです。身籠られたのならば、それを第一に考えるのが自然な事かと。それに、先程若様が申されました通り、男性関係を疑われないように自衛する為でもございましょう」


確かに、ダヴィドリは怒りにまかせて怒鳴っていた。

他の男の所に行ったのかと。


自分の子であるという事実が守れるのであれば、仕方がない、とダヴィドリは心を落ち着けた。

たった数か月、しかも妻が遊んでいいというのだから悪くはない。

帰ってきたらあの美しいレアンナとまた閨を共に出来るのだから、とダヴィドリは満足げに頷いた。



身が二つに分かれたレアンナは可愛らしい男の子が生まれた事を両家に伝達していた。

一口に乙女の園と言っても、扱いは身分によって差が生じる。

だが、レアンナは恵まれない女性達とも交流を図り、刺繍や編み物などの手慰みを教えて穏やかに過ごしていたのである。

レアンナの寄付金で食事も今までよりも美味しく改善されたと、職員も喜んでいた。

先に、乙女の園で出会った恵まれない女性を数人、乳母として雇い入れて離れに住まわせている。

子供を迎え入れる準備は万端だ。


レアンナが子供を伴って公爵家に帰った日、両家の人間が集まって盛大な祝いの席が設けられた。

子供を産んだレアンナは光り輝くばかりに美しさが増し、ダヴィドリはうっとりとそんな妻を見つめる。

だが、祝い事が終わり両家の親族が帰った途端、レアンナは子供と共に離れに行ってしまった。


「こういう事は言いたくないのだが、二人目を作らないとならないのに義務を放棄するな」


いきなり訪ねて来たダヴィドリを見て、レアンナは目を見開いた。


「契約にはございませんから」

「は?だが、普通は作るものだろう!?」

「……子供には手がかかるものなのです。数時間おきに乳をやるのは乳母の仕事にしても、わたくしも母として子の成長を見守らねばなりませんし、床上げが済めば社交にも出なければなりません。第二子を作る予定はございませんよ」


正論で叩き伏せられて、ダヴィドリはあの夢の様な一夜が、本当に初夜が最初で最後になったのだと知って愕然と口を開いた。


「ですから、女遊びはお外でご自由になされませ」

「だが、子供には兄弟がいた方が…!」

「その点はご心配なく。同世代の友人は沢山出来る筈ですから」


にっこりと微笑んだレアンナの意を汲んで、護衛騎士が視界を塞ぐように立ち塞がり、諦めてダヴィドリは離れを出て行った。


レアンナの言う通り、日々レアンナの居る離れには高位貴族の夫婦が子供を連れて訪れるようになった。

社交をしつつ、子供達を共に遊ばせて。

何とかレアンナの気を引こうとしても、全て不発に終わり、ダヴィドリの評判は芳しくない。

妻子を放置して、女遊びをする最低な屑男、と揶揄されている。

数か月経ってからではあるが、家令の助言に従って子供の世話に参加しようと離れに行って追い返された経緯がある。

面会は、レアンナが居る時のみと言われて。

出鼻を挫かれたダヴィドリは、レアンナから求められないのを良い事に、また城での楽な仕事と女遊びに耽った。

大きな夜会では行動を共にするが、それ以外は別行動なのも変わらず。

数年が経つと、子供も立派に育ってきた。

領地と王都を行き来して、息子は順調に領主の息子として育っている。


「そろそろ、二人目を作っても良いんじゃないか?」


「いいえ。わたくしあなたの子供はあの子だけで充分ですわ」


すげなく断られ憤慨するが、無理にでも襲おうとすれば護衛騎士が黙っていないだろう。

ダヴィドリは何一つ思いのままにならないレアンナに怒りをぶつけたいが、暴力行為は離縁の理由になってしまうのだ。




苛々と落ち着かない様子のダヴィドリに、夜会で話しかけたのはファーラだった。

今では侯爵夫人となったファーラは、相変わらずの情報通で穏やかな笑みと毒を潜ませた言葉で、数々の夫婦を壊している。

誠に愛の女神を信奉する人々から悪女と罵られる手合いであった。


「ダヴィ様、お久しぶりですこと。少し御痩せになられまして?」

「ああ、どうかな?最近寝つきが悪いものでね」

「あら、もしかしてお子様の事で?」


痛い所を突かれて、ダヴィドリはギクリと胸に手を当てた。

子作りを拒否されたという恥ずかしい話が出回っているのかと思ったが、ファーラの言葉はそれ以上の衝撃だったのである。


「まさか、レアンナ様が他の殿方のお子を出産されるなんて、思ってもみませんでしたわ。ダヴィ様はお心が広いのね」


ねっとりと絡みつくような笑みと言葉に、ダヴィドリは信じられないという顔でファーラを見つめた。


「は……?いや、そんな筈は……」


しかし、領地に行っている期間に生んでいたのだとしたら、一緒に行かないダヴィドリには分からない。

王都に居ても本邸と離れで暮らしているので、見かけるにしても遠目が多いのだ。

王家主催の夜会には二人で参加するが、それだけである。


「相手は、誰だ……」

「あら……聞いておりませんの?……痛、ダヴィ様、手をお放しくださいませ」


細い肩を思い切り掴まれたファーラが顔を苦痛に歪ませて、ダヴィドリの手の甲を扇で叩いた。


「お相手は、分かりませんけれど。親しくお付き合いなさっている方はご存知でしょう?」


それは、知っている。

学生時代から、ずっと。

何人もの貴族子弟が、レアンナの周りにはいたのだ。


だが、これで、レアンナの有責で離縁できる。

公爵家夫人の肩書や息子を取り上げられたくなければ、ダヴィドリの言う事を聞くしかなくなるのだ。

急いで夜会を後にすると、ダヴィドリは公爵邸に帰り、離れへと駆け抜けた。


「レアンナ!君とは離縁する!今すぐ此処から立ち去るがいい!」


私室の扉を開けるなり怒鳴り込んだダヴィドリを、レアンナは大きな目で見つめた。

息子のレフォルが守る様にレアンナの前に立つ。


「母上が離縁されて此処を離れるのでしたら、私も共に参ります」


久しぶりに交わす言葉が別離の言葉で、ダヴィドリは驚いたように息子を見つめた。


「いいや、お前は公爵家の子供だ!レアンナは放り出すがな!もし嫌なら、今後はわたしの言う事に逆らわぬ事だ!」


ふんぞり返るダヴィドリに、呆れた目を向けて、レフォルが母を振り返る。


「本当に、これが私の父ですか」

「ええ、そうよ。残念ながらね。でも貴方にはお祖父様を始めとした素晴らしいご先祖の血も流れていてよ。それにわたくしの血を分けた愛しい子」


無視をされ、勝手に話をされている現状に我慢ならず、ダヴィドリは足を踏み鳴らして怒鳴った。


「離縁して出て行くのか、今後は心を入れ替えるのか!選べ!」


「離縁いたします」


「……は?」


まさかの言葉を告げられて、ダヴィドリはぽかんと大きく口を開けた。

ふう、と大きくため息を吐いたのは息子のレフォルである。


「父上と母上が離婚した場合でも、私の養育権も監護権も母上にあると契約にも明記されています。また、私が母上について行った場合、養育費は全て公爵家から払われますし、母上にも別途養育の費用が与えられるのです。例え母上が再婚したとしても、その権利は失いません。私は母上に養育されていても公爵家から籍は抜かれませんし、次期公爵は私のままです」


「……え?……は?」


滔々と息子に説明をされて、父親が情けない声を出す。

だが、とダヴィドリは踏みとどまった。


「だが、レアンナが有責なら話は別だろう!他の男の子供を生んだのだからな!」


「ふふ、またファーラさんね。あの人ったら本当に」


レアンナが苦笑したのを見て、ダヴィドリは勝利を確信した。

が、その言葉の意味する所は別にあると気づかなかったのである。

レフォルが再び口を開いた。


「有責ではありません、父上。子供を作った場合、養育に関する事や堕胎に関する事は自費か、実家で賄えば不問とするという契約です。母上はご自分が立ち上げた事業で個人資産に余裕がありますので。異父妹も異父弟もお相手がご自分の子であると認めておられますし、今後再婚されるのであれば庶子でもなくなりますね」


「……何を言っている、何故、そんな事を知っているのだ」


それは一昔前に交わした結婚に関する契約で。

レフォルの生まれる前の出来事だ。


「わたくしが教えておりましたもの。離縁状は用意してございますので、明日提出致しますわ」

「な!離縁など私は認めないぞ!」

「先ほど大声で仰っていたじゃございませんか。困った方ね」

「次期公爵である私が証人となりますし、家令や侍女や護衛騎士も拝聴しておりましたから問題ありません」


撤回しようとするも遅かった。

だが、署名サインしなければいいのだ、とダヴィドリはその場を逃げ出したのである。


「明日の内に出て行きます」


背に放たれた声を聴きはしたが、答えはしなかった。

数日の後、離縁を認めるという承認書が公爵邸に届けられ、再びダヴィドリは荒れ狂ったのである。


「離縁状に署名サインをしていないのに!これは詐欺だ!」

「いいえ、署名サインはされておいでですよ。学生時代に」


家令に言われて、ダヴィドリは漸く思い出した。


「君が面倒な女でなくて良かったよ」


そう言って署名サインした日の事を。


離婚の後レアンナは初恋の男と再婚して、子供達と共に末永く幸せに暮らしたのである。

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