ぶつかりおじさんはシンデレラになれない
翠雪
ぶつかりおじさんはシンデレラになれない
「ぶつかりおじさん」には、アタッカー型とトラップ型の二種類が存在する。
まず、アタッカー型は、一般に「ぶつかりおじさん」と耳にして真っ先に想像されるタイプのおじさんを指す。薄化粧であったり、小柄であったりする女性をメインターゲットとし、時に豊満な――生活習慣病予備軍の――身体でもって、早歩きによる助走付きの体当たりを決行する。その一撃にかける情熱には、某有名RPGで最初に選べる、三匹のモンスターたちもびっくりである。確実なダメージを与えることに特化した、先制攻撃を得意とするこの種族は、主に人混みを生息地としている。
そして、地味に厄介なのが、トラップ型のぶつかりおじさんである。標的はアタッカー型と同じだが、彼らは自分から誰かへぶつかりはせず、体型や服装のバリエーションを豊かにして擬態している。
では、トラップ型のぶつかりおじさんが本性を現すのは、一体いつか?
誰かに身体を押された、その瞬間である。
電車のドア一枚分の幅を使って悠々と仁王立ちをするおじさんと肩が擦れ合おうものなら、彼らの脚がうなりを上げる。先攻を相手に譲り、ラップよりも薄っぺらい大義名分を振りかざして、力強いキックを繰り出す。暴力だけで不満をアピールする彼らは、文明の象徴たる言語を忘れてしまったのだろうか。赤子ですら、不満があれば泣き声で示すというのに。見ず知らずの成人男性に泣かれても、こちらにできるのは通報だけなのだが。
以上、ぶつかりおじさんの生態に関する発表、終わり。質疑応答はスキップで。
イグノーベル賞の足元を這いずる論を脳内で並べ立てていたのは、社会人二年目に突入した私である。朝の通勤ラッシュにふさわしく、長く伸びたプラットホームの待機列の一部となった私の眼前には、見慣れてしまったトラップ型のぶつかりおじさんが陣取っている。彼一人がいるだけで、通勤快速に乗りこむハードルはぐんと上がる。リュックサックを背中にかけたまま、むっつりと唇を突き出して不機嫌を丸出しにする痩せぎすの障害物は、ドアのすぐ近くで足を止めるのが常だ。後ろの人々に押し出された私が彼と接触し、後ろ足で蹴りつけられたのは一度や二度ではない。全く、迂闊だった。連日の残業さえなければ、並ぶ前に気が付けたというのに。
『ドアとホームの隙間が大きく開いている場所がございます、ご注意ください――』
そして、定刻通りに滑りこんできた車両は、更なる絶望を運んできた。窓越しに見えるあの横顔は、アタッカー型のぶつかりおじさんではないか。先週、彼が私を車内で突き飛ばしたせいで、クリーニングに出したばかりのスーツに土埃がついたものである。一部始終を目撃していた乗客たちも目を逸らすばかりで、結局、私は一人で立ち上がり、加害者から黙って離れている他なかった。一度会った人の顔をすぐに覚えられるのは面接でもアピールした特技だが、ぶつかりおじさんに対しても発揮されてしまうなんて。急募、シンデレラ。ガラスの靴なしに見つけ出してみせるから、公害ではなくロマンチックをください。
そうこう考えているうちにも、人波は荒れる。予想通りドア一枚分を陣取ったトラップ型にどうにか触らず乗りこむと、息つく間もなくアタッカー型が攻めてくる。大人しくワガママボディを詰めていればいいものを、乗客が降りてできた隙間を有効活用して、いざ加害せんと足を踏み出してくるのが奴だ。前門のアタッカー型、後門のトラップ型。両者の攻撃を同時に受けたら、寝不足の社畜などひとたまりもない。万が一病院行きになって、今日を休んでしまったら、月末の締め日に間に合わない!
私は、とっさに横へ飛び退いた。ちょうど降りた人がいたらしい壁際は、一人分の避難にうってつけだった。
ドン!
サンドバッグを思いきり叩いたような音がして、振り返る。すると、アタッカー型のぶつかりおじさんは、トラップ型のぶつかりおじさんを車外へ押し出し、ホームとの隙間に墜落させたらしい。反撃するためにか、中途半端に折り曲げられた脚だけが、車両の縁に引っかかっている。ずるり、と、スニーカーを車内に残して、トラップ型が線路に落ちる。どちらのぶつかりおじさんも、一瞬の成り行きに理解が追い付いていないのか、非難も弁明も口にしない。扉が閉まる。電車は動き出す。
絶叫が轟き、停止するまでの数十秒間の間に引かれた真っ赤な線には、トラップ型が千々にトッピングされていた。呆然と布の靴を見下ろすアタッカー型は、間もなく白馬の王子様、もとい、パトカーに乗った警察官がお迎えにあがる近未来を悟ってか、顔を真っ青にしている。
そして私は、人身事故による電車遅延を伝えるべく、苦手な上司の電話番号をのろのろ押した。
ぶつかりおじさんはシンデレラになれない 翠雪 @suisetu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます