一番有効的なタイミングで

秋月カナリア

一番有効的なタイミングで

 真夜中のことだ。

 バーのカウンターで飲んでいた客たちの間で会話が盛り上がり、気がつくと、一人が秘密の告白をするという、罰ゲームじみた展開になっていた。

 カウンターには七名の客がおり、私は一番端で、隣の客と話していたので、どういった経緯でそんなことになったのか分からなかった。

 話の中心にいたのは、四十歳前後の少しくたびれたスーツを着た男性で、みんなからワラビさんと呼ばれていた。積極的に話に加わるというよりは、静かに頷いているような人だった。彼が秘密を告白する羽目になったのだろう。困った顔をしている。

 こういった状況は、傍から見ていて気持ちの良いものではない。

 彼が嫌がるようなら、代わりに私が秘密を話そうと、あれこれ、みんなが喜びそうなネタを思い返した。こういう時のために、笑えるような話をストックしているのだ。

 あとはどうやって自然に、罰ゲームを肩代わりするか、そのタイミングをはかる。

 けれど彼は困り顔から一転、不敵に微笑むと、実は自分は超能力者なのだと切り出した。

 酔っ払いの集まりなので、その一言でしばらく騒がしくなった。そして昔よくテレビに出ていた超能力者の話から、スプーン曲げ、行方不明者の捜索、と話は流れていった。

 客の一人が手元にあったスプーンを、超能力で曲げようとして、最終的に力技になり、店のスタッフから慌てて止められたりもした。

 そのままこの話は終わるかと思ったのだが、そのあと、奇跡的に元の話題に戻ってきて、酔っ払い達は彼に超能力を見せよと要求しだした。

 私はそれをハラハラとしながら見ていた。

 普通に考えれば、超能力者であるというのは冗談だと思ったからだ。けれど彼は快く承諾し、それぞれの元恋人の名前を当てる、と宣言した。

 どうしてなのか、今の配偶者や恋人よりも、元のほうが盛り上がる。

 そのあたりで、私は彼がこういったことをするパフォーマーなのではないかと思い始めた。

 平日の夜のことだったので、残っている客は皆、ライターだったり、デザイナーだったり、ミュージシャンだったり、九時五時で働くような職種ではなかった。

 そんな面子の中にいたので、いかにもサラリーマンといった風体の彼も、一般的な会社員ではないのだろう、だとすればいったい何の職業なのだろうか、と密かに考えていたのだ。

「さて、まずは元恋人を一人選んでください。思い出深い人もいれば、名前以外、何も覚えていない人もいるでしょう。誰でも大丈夫ですよ。さあ、照れてないで」

 彼はスツールから立ち上がり、一同が見渡せる位置にいくと、そう言った。そして少し躊躇いがちに、もし該当す人物がいない場合は、空想の人物でも良いと付け加えた。

 その姿はさっきまでの印象とは、がらりと変わっていた。背筋はすっと伸びて、声もよく通る心地よいものになっていた。表情すらも凛々しく見える。彼のステージが始まった、という感じだった。

 客たちは誰の名前にするかを、素直に選んでいるようだった。

 私も一人の女性の名前が浮かんだ。選ぼうとするより先に。私の人生を変えた、まさに運命の女というべき人だった。

 けれど、普段は思い出さないようにしていた。お互いにとって、悲劇的な別れだったのだ。あんなことがなければ、まだ今も一緒にいたかもしれないと、ついつい考えて、しんみりしてしまう。きっと彼女が知れば怒るだろう。

 客が七人。カウンターに立っていた店のフタッフが一人。騒ぎにつられてキッチンから店長も出てきたので、観客は合わせて九人。

「決めましたか?では、その恋人の名前を、はっきりと思い浮かべてください」とまずはそう言って、彼は客をの一人一人と顔を合わせる。それから「その名前を、心の中で、何度も繰り返し呼んでみてください」と続けた。

 その言葉で店内は静かになった。何人かが笑いを堪えきれずに、何度も吹き出しては嗜められているけれど。

 彼はそんな客たちを見て、満足そうに頷く。そして、客の側にいくと、目を合わせ、ほんの十秒ほどで名前を口にした。

 最初の二人が立て続けに当たり、それぞれが歓声を上げる。

 でもこれでは本人にしか正誤がわからないことに気づき、残りの面子は、あらかじめペーパーナプキンに名前を書いておくことにした。

 名前を告げられた客は、厳かにペーパーナプキンを広げ、まるで裁判の後、無罪と書かれた紙を掲げるようにして、他の客に見せた。そして何人かが、請われてもないのに、その元恋人とのエピソードを照れながら話した。

 一度に五人の名前を思い浮かべた客もいて、それを綺麗に言い当てたときが、盛り上がりのピークだっただろう。

 結果、最後に順番が回ってきた私以外、彼は全て正解した。

 私は残念な気持ちとホッとした心持ちが、同時に沸き起こった。彼女のことは、秘密にしたかったからだ。場を白けさせないために、それは今狙っている女性なのだと言った。

 彼は外したことを残念がるふうを装い、周囲はそれでも、彼の能力を称えた。

 スタッフの一人が、恐る恐る「本当に他人の心がよめるのですか?」と尋ねた。アルバイトの大学生で、深夜のバーで働くには、少し純朴すぎるような気がしていた。

 超能力者は少し考えてから「はい」と面白そうに答えた。その答えに、大学生は絶望とも感動ともつかない声を漏らしたので、慌てた客たちが、そういった技術があるのだと説明した。

 メンタルマジック。

 私もテレビで見たことがある。

 他人が選択するものだとか、思い浮かべる数字だとか、それこそ名前だとかを当てるのだ。

 彼の身振り手振りや、話術は堂に入ったもので、客たちはみな、彼をエンターテイナーだと思ったようだった。

 大学生は、その説明を聞いて安心したのか、ほっとした顔で「なんだ。よかった」と呟いた。

 それがあまりにも真に迫っていたため、そこまで秘密にしたい事柄とはいったい何か、という話題で、それからしばらく大学生は揶揄われた。

 宴は放っておけば朝まで続くような雰囲気であったが、店長からの一声でお開きとなった。

 その店の閉店は一時。私たちが店を出たのは二時前だった。始発までは、まだ時間がある。

 外に放流された酔っ払いたちは、まだ飲み足りないと、次の店へと流れ込む相談を始めた。

 私はもう十分に飲んだし、すぐにでも帰りたいくらい疲れてもいたが、皆ついていくことにした。

 超能力者に興味があったのだ。いろいろと聞いてみたいことがあった。私には彼が、本物のように思えたからだ。

 メンタルマジックは、人と言葉でやり取りをしながら、頭の中にある答えを探るものだと私は認識していたのだが、彼はそういったことはせずに言い当ていた。私だけ外したことも気になった。

 けれど私が次の店の候補を挙げている間に、彼はいなくなってしまった。「私はこれで」と言って、さっと帰ってしまったようなのだった。

 私も慌てて皆に挨拶をし、軽いブーイングに見送られながら、あとを追う。

 随分と遠くにいるのが見えた。

 その風体に反して彼はきびきびと歩き、追いつくために私は小走りになった。

「すみません……一緒に帰りませんか」

 背後からそう声をかけると彼は立ち止まって、私を振り返った。

 一瞬、幽霊でも見た顔をしたが、すぐに笑顔になる。今の彼は、元の目立たない雰囲気に戻っていた。

「構いませんよ」

 その返事を聞いてから横に並ぶ。私に気を遣ってか、彼は歩く速度を緩めてくれた。

「家は近くなのですか?」

「いいえ、酔いを覚ますために少しだけ歩こうかと」

「そうですか。僕、最近になってあの店に行くようになったんです。よく行かれるんですか?」

「私は初めてです。良い店ですね」

 そんな当たり障りのない会話をしばらくしたあと、私は思い切って「超能力のことなんですが」と切り出した。

 彼は、私がその話をするために来たのだと、わかっていたようだった。

「本当に他人の考えていることがわかるのですか?」と、私が改めて問う。

「店ではマジックだ、という結論になっていましたが?」

 彼は飄々とそう言った。

「ええ、でもあの店員があまりにも焦っていたので、可哀想になってしまって。あなたは本物だ、なんて言ったら、卒倒していたかもしれない」

「確かに」

「実は悪いことでもしていたんでしょうか」

「そういった感じでもありませんでしたよ」

「それなら良いんですが……私はあなたが本当の超能力者なんだと思いました。だから、いろいろお話を聞きたくて。もちろんお時間は取らせません」

 近々、SF小説を書かなければならなかった。けれど私はあまりSFに詳しくない。彼の話を聞けば、何かアイデアを得られるのではないか、と期待していることを説明する。

「小説家でらっしゃるんですね」

「しがない三文小説家ですよ。親の遺産がなければ続けられない」

「しかし、超能力はSFですか?」

「違いますかね?」

「サイエンスではないでしょう?」

「少し不思議な話、と言う意味だと思ってました」

「藤子不二雄ですか」

「おお!知ってらっしゃるんですね!」

 彼は私の顔を見て、唸るように息を漏らした。

 それから、自分の能力について肯定も否定もせずに、「わかりました。あなたの創作に役立つようなら」と言った。

 そんな話をしながら、駅へ続く道から外れ、街灯の乏しい小道へと彼は歩を進める。

 実は駅周辺よりも、この道の先の方がタクシーを捕まえやすい。この辺りのことを、良く知っているのだ。

 このままタクシーに乗るつもりなら、時間はそうない。

「それは常時わかるのですか? それともスイッチのようなものがある?」

 質問を吟味する余裕はないので、とりあえず思いついた事柄から聞いていく。

「スイッチはありません。ただ、私にとっては常に換気扇の音がしている、くらいの感覚です。普段はまったく気にならないけれど、意識するとはっきりと聞こえるようになる」

「でも、たくさんの換気扇が一度に回っていたら、流石に煩わしいのでは?」

 渋谷のスクランブル交差点は、一度の青信号で一千人以上が通るらしい。一千個の換気扇が音を立てる様を想像する。

「聞こえる範囲はそこまで広くありませんよ。そうですね……半径五メートルくらいでしょうか? 十メートルも離れれば、はっきりとは聞こえません」

「なるほど。だとすると学校の教室なら、中心にいれば全員の考えがわかりますね?」

「そういうことになります。けれど、そもそも言語で思考している人が、そこまで多くないのです」

「というと?」

 彼はそこで言葉を切ると、「立ち話もなんですから」と言った。

 道の脇に小さな立看板が出ていた。朝まで営業している喫茶店のようだった。

 タクシーではなく、この店を目指していたのだ。

 私が頷くと、彼が先導して穴倉のような狭い階段を登る。

 そこは、様々な物がごちゃごちゃと置かれた店だった。

 観葉植物に本棚、ギターとアンプ、ジュークボックス、一メートルほどの大きさのロボット、恐竜、壁からは鹿の頭が飛び出ているし、人体模型、骨格標本もあった。

 カラフルでおもちゃ箱ようだった。昼間なら、きっと若者が映えを意識した写真を撮ったりするのだろう。

 けれど深夜の今は、客の大半が身体を丸めるようにして座席に収まっている。

 照明が控えめなためか、店内にある雑多な物も客も、朝までの時間を、身を潜めて、じっと待っているように見えた。

 入り口で立っていると、奥から青年が出てきて、席まで案内された。

 私はコーヒーを、彼は眠れなくなるといけないと言って、ルイボスティーを頼んだ。

 店内は非常に静かで、時折、囁くような声が微かに聞こえるだけだった。そのせいで、飲み物が運ばれてきてからも、私たちは無言でそれをちびちびと飲んだ。

「言語で思考している人が少ない、でしたっけ?」

 客の一人が席を立ち、お会計をし、店を出る。その一連の物音で、私はやっと彼に声をかけることができた。

 彼はルイボスティーに口をつけながら私を見て、それから頷きながらカップをソーサに戻す。

「そんな話でしたね……調べたわけではありませんが、おそらく曖昧なイメージの中に、ポツポツと言葉が浮かんでくる、そんな思考のかたが多いように思います。そんな場合、何を考えているのか、すべてはわかりません。私が聞こえているのは心の声なので」

「それは比喩ではなく、本当に声なんですね」

 そういえば彼はずっと、“わかる”ではなく“聞こえる”と言っていた。

「そうです。だからイメージや数式での思考は聞こえない」

「数式で考えている人もいるんですか?」

「ええ。不思議な雰囲気を持った方でした。尋ねてみると、その方の職場では、みんな数式で語り合うのだと教えてくれました。スクリーンやホワイトボードの前でね。数学は言語の一つらしいのです」

 さぞやアカデミックな職場なのだろう。

「ああ、だから頭の中で名前を繰り返し呼ぶように言ったんですね。名前の文字をイメージするだけでは聞こえないから」

「そういうことになります」

 それから彼は、空のカップを覗きながら、少し笑う。

「たまに、心の声が小説を朗読しているみたいに聞こえる方に、出会ったりしますよ」

「それはずっと心の中で喋っている状態なんでしょうか?」

「おそらく。小説をよく読む方に多い気がします」

 私は二杯目のコーヒーを注文することにした。彼は頼まないとのことだったので、席を立ち、店のキッチンがあるほうへと進んでみる。

 若い店員はカウンターの内側で、小さな明かりの下、本を読んでいた。声をかけてコーヒーを頼む。この店員も、ずっと心の中で喋っているのだろうか。

 席に戻り、コーヒーを受け取る。

 その間、超能力者は磨りガラスの向こう側を見ていた。もしかしたら、帰りたいのかもしれない。けれど、立ち話もなんだから、といって喫茶店に誘ったのは彼のほうなのだから、気にしないことにした。

「フィクションで、心の声が聞こえる能力を持っている人は、たいてい、周囲から疎まれていたり、逆に、人間に不信感を抱いたりしていますよね」

 私がそう言うと、彼は少し考えてから「そうかもしれません」と言った。

「確かに幸せそうには描かれていないことが、多いように思います」

「ご自身ではどうですか? 失礼な質問になってしまうのですが……やはり他人は、良い顔をしていても、心のうちではまったく逆のことを考えていて、嫌になったりは?」

「昔から聞こえていた私にしてれば、人間とはそんなもの、としか思えないですけれどね。確かに、とんでもないことを考えている人もいますが……まあ、自分だって聖人君子であるわけではないですし」

 ここで過去を振り返るように、視線を空中に彷徨わせた。

「いじめられた経験も特にありませんね。いたって普通の生活をしてきたんですよ。あの、これは母のことなんですが」

 彼はそう前置きした。私は、続けてくれて構わない、と頷く。

「母は、どちらかというとせっかちな質で、様々なことを先回りして行うような人でした。例えば、私が玄関先で忘れ物に気付いたとすると、それを言う前に、母は持ってきてくれたんです。誰かが立ち止まれば、どうして動きを止めたのか、何かを探していれば、それが何であるのか。他人が欲しているものがわかる」

「ほう、あなたのご母堂も超能力者だった?」

「私もそう思っていました。母がそんな感じだったものですから、人間とはみんな心の声が聞こえるんだって、最初は思っていたんです。それが、成長するにつれ、そうではないことに気づいて、母にそのことを尋ねたんです」

 彼は懐かしそうに目を細める。

「母が言うには、人の心がよめなくても、その人が何を考えているのか、これから何をするのか、わかるんだそうです。その人の普段の言動や、性格、その瞬間の目の動き、身体の動き、それらを見れば」

「なるほど、すごい」

「でも、これは特殊な能力では全然ない。例えば子供に対してなら、皆、超能力者になるでしょう? そんなやり方では失敗するとか、怪我するとか、あらかじめわかるじゃないですか」

「ああ、そうですね」

「その延長線上らしいのです」

 それから彼は咳き込むように笑った。

「子育てにおいて、そうやって何かと世話を焼いた結果、子供は何もせずに、ただ母を待つようになってしまった。だから家族に対してそうするのはやめたそうです」

 他人事のようにそう言った。自分でなく兄弟の話なのかもしれない。

「子供にずっとついて回ることはできませんからね」

「ええ。母は出会う人のことを大抵、好意的に見ていましたし、周囲から好かれていた……いや、重宝がられていましたよ。他人の心が分かるのかどうかは、あまり関係ないということなのでしょう。だから不遇の主人公は、能力とは違う理由で不遇に陥っているのです」

 彼はちらりと腕時計を見た。私もスマホの表示を確認する。そろそろ潮時だろう。

 私は残ったコーヒーを一気に飲み干すと、「そろそろ」と言って立ち上がった。

 彼も「そうですね」と言って、伝票を持ち立ち上がる。

 私が支払うつもりでいたけれど、彼が伝票を持ったまま速やかにお会計してしまった。抗議の声を上げようとしたが、彼は静かに、とでもいうように人差し指を唇の前で伸ばす。

 再び狭い階段を通り、外へ出た。

「家はどちらなんですか?」

 私がそう尋ねる。彼は私の家と、そう遠くはない駅の名前を口にした。それならば一緒にタクシーに乗ろうと、通りへ移動する。幸い、空車のタクシーはすぐに捕まった。

 乗車し、行き先を告げる。運転手とそのまま二、三、話をしているうちに、彼は眠ってしまった。

 彼は本当に超能力者なのだろうか。

 自分が超能力者である前提で話をしていたし、その話は興味深かったけれど、正直、想像で語れるような内容でもあった。確認するために、もう一度、心を読んでもらいたかったのだが。

 駅が近づくと、彼は自然と目を覚ました。もしかしたら、ずっと起きていたのかもしれない。

「不遇の理由とはなんでしょう?」

 私がそう問う。

 彼は私を見たようだったが、私が見返したときには前方に視線を戻していた。

「秘密の開示です」

「ああ」

「フィクションでの彼らは、読み取ったものを、ついポロリと漏らしてしまう。でも、知った方法はどうであれ、心の内をバラされたら周囲は怒るでしょう」

「つまり彼らの性格に問題があると?」

「有体に言えば」

「手厳しい」

「もし秘密を開示するとしたら、一番有効的なタイミングでしなければなりません」

 駅のロータリーでタクシーを降りる。終電を過ぎた時間だというのに、思いの外、人が多かった。客待ちのタクシーも並んでいる。

 私は迷っていた。

 このまま彼を帰らせても良いものか、と。自宅くらい確認したほうが良いのかもしれない。けれど深追いするのは藪蛇のような気もする。

 料金の支払いを済ませ、私が先にタクシーから降りる。彼は降りなかった。

「私はこのままこのタクシーで帰りますね」

「こんな遅くまで外にいたのは久しぶりです」

「では、さようなら」

 彼は一方的にそう言った。扉が閉まる。

 タクシーは駅前のロータリーをゆっくる進むと、そのままどこかへ走り去っていった。

 逃げた、ということは、彼の能力は、やっぱり本物なのだろう。

 私の元恋人の名前を読み取るときに、彼は一瞬だけ目を見開き、そして答えを間違えた。

 名前とは他に、何かがわかったのだ。

 私はただ、目を閉じている彼女の真っ白な顔と、もう誰も住んでいない実家の裏庭で、汗だくになりながら深い穴を掘ったことを、一瞬思い出しただけだったけれど。もしかしたら無意識に、言葉にしていたのかもしれない。

 もしくは、心の声が聞こえる、というのは嘘で、本当は頭に浮かんだイメージも読み取ることができるのか。

 彼は間違えることで、実は超能力なんてありませんよ、と私に思わせたかった。でもその失敗で、私は逆に彼の能力が本物かもしれないと疑った。

 なんせ私以外の答えは合っていたのだ。不自然だった。私の順番が最後でなければ、他にも間違えて誤魔化せたのだろうが。

 私は彼が本当に心を読んだのか、そして読んだとして、どこまでわかったのか、それを確認するために、彼についていったのだ。

 タクシーの領収書は手元にある。ここから彼を追うことも、ある程度は可能かもしれない。偽名かもしれないが、ワラビと名乗っているのもわかっている。

 けれど、秘密の開示は、一番有効的なタイミングでされてしまうのだ。

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