彼と一緒に過ごした幸せな時間と別れ、1ヶ月後に覚えてないなんて…!!

桃鬼之人

【ご報告】彼と一緒に住むことになりました!

「うふふ♡

そらくん、一緒にご飯食べようか」


「え? あぁ、しょうがないな、一緒に食べてやってもいいぞ」


「えー、なにその態度〜、なんか、お高くとまってない(笑)」


大高麻里おおたかまりは、胸いっぱいに幸せを感じていた。

彼がこの家に住み始めてからまだ数日しか経っていないというのに、これほどの幸福感を味わうのは人生で初めてかもしれない。

自分がこんなにも満たされた気持ちになるなんて、麻里自身が一番驚いていた。


「ふふ、でも、空くん、本当に美味しそうに食べるよね」


「なんだ、これ! めちゃ美味いな! 香りもいいし、食感も好みの味だ!」


「ホントはね、手作り料理を作ってあげたいんだけど…

好みとか栄養バランスとかあるからさ、これからいろいろ覚えてみようと思っているんだ」


「いやいや、こんな美味いの初めてだぜ!」


「あれ? もう食べちゃった?」


「うーん、なんか、まだ物足りない感じだな…

それ、ちょっとだけくれよ!」


「えっ、ちょっと、ダメよ、わたしの分を取ったら…」


「なんだよー! ケチ!」


空は少し自分勝手でわがままなところもあるけれど、そんな彼との些細なやり取りが、麻里にとってかけがえのない時間になっていた。

以前の麻里は、どちらかといえば内向的で引っ込み思案な性格だったが、最近は勤め先の会社でも明るく前向きに振る舞えるようになっている。空との出会いが、自分にこんなにも大きな変化をもたらすなんて…、それが何よりも麻里自身を驚かせていた。




*****




週末の朝。

あいにくの雨が、空から大粒の雫を絶え間なく落としていた。昨夜から降り続く雨は、地面にしみ込みながら、大きな水たまりをいくつも作り出している。

その水たまりには、雨粒が落ちるたびに丸い波紋が忙しなく広がり、現れては消えるのを繰り返していた。


「なんか1日中ずっと雨ね…」


麻里は雨が好きではない。

空を覆う厚い雲が自分の周りを薄暗く染め、その重たい雰囲気が心まで沈ませるからだ。


「ねぇ、空くん、ずっと寝転んでいるけど大丈夫?」


「なんかずっと眠いんだよな〜、雨は好きじゃないし…」


「なんか、つまんないなぁ…」


麻里はほんの少し寂しさを覚えていた。

嫌いな雨の日でも、部屋の中で空と楽しく過ごせるのではと期待していたのに、肝心の空はと言えば、だらりと横になったまま動こうとしないのだ。


「一人で出かけてこようかな…」


「え! 外出するの、いいなぁ!

うーん、でもなぁ、だるいなぁ… やっぱ寝てようっと」


空は一瞬だけ麻里の方に視線を向けたものの、再びだらりと横たわり続けていた。

麻里は頬を膨らませ、「もう、いいよ、一人で出かけてくるから」とそっけなく言い放つと、雨の中へと足を踏み出した。

憂鬱な雨の日の外出だったが、何か美味しいものを買って帰ろうと思いついた途端、少しだけ気分が軽くなった。空の喜ぶ顔を思い浮かべると、不思議と心が温かくなっていくのを感じた。




*****




「ちょっとぉ!

空くん、この服を見て! この服、お気に入りだったのよ!」


「す、すまん…

ちょっと引っ掛けちゃってさ…」


「もう、全然反省していない顔に見えるよ!」


「ご、ごめんよ…」


「甘えてきたってダメよ、しっかり反省しなさい!」


麻里の大切なお気に入りの服に、目立つ大きなほつれができてしまっていた。

胸元の布が裂け、その傷は隠しようもなく目に付く。高かったし、ずっと大事にしていた服だったが、こればかりは諦めるしかなさそうだ。

「もう、本当に最低!」と口では怒りをぶつけつつも、心のどこかで空を本気で憎みきれない自分がいることに、麻里は少しだけ苦笑していた。




*****




「うわ、熱が出ちゃったみたい…」


その日の朝、麻里はぼんやりとした頭で目を覚ました。

全身が異様にだるく、力がまったく入らない。もしやと思い体温計を手に取ると、案の定、38度を超える高熱が出ていた。

悪寒に震えながら、部屋の中でも身を縮めてしまうほど寒い。

今日は料理に挑戦しようと楽しみにしていたのに、それどころではないと諦め、麻里の胸にはじわりと悲しみが広がった。


「おい、大丈夫か?」


「うん? なぁに?

心配してくれているの?」


「なんか、辛そうだぞ…」


「うー、結構フラフラするなぁ…」


「おい、こんな時はどうすれば良いんだ…」


麻里の目の前に、空の顔が突然、ぐっと近づいて覗き込んできた。


「ふふふ、どうしたの、顔を覗き込んできたりして

大丈夫よ、薬を飲んで寝ていれば良くなると思うわ」


麻里は空が心配そうにしてくれることに嬉しさを感じ、その温かな安心感に包まれながら、再び深い眠りへと落ちていった。




*****




「空くん、ごめんね、」


麻里はひどく悲しそうな表情で空に語りかけている。大粒の涙が頬を伝い、目は涙で赤く腫れ上がっていた。


「とうとう、お別れの時がきてしまったの…」


「え? あ、いや、お、おい…、どうしてだ…?」


「もしかして…、空くんも…、悲しいの?」


「だって…、まだまだずっと一緒にいれると思ったぞ!

お前と一緒にいるのはすごく心地良かったんだ!」


「でも、ダメよ…

もう一緒にはいれないの…」


「なんでだよ! なんでそうなるんだよ!」


「空くんと一緒に過ごせてとても楽しかった」


麻里はこれまでの空との日々を胸に思い描き、その中で感じた幸せをもう一度かみしめるようにして、静かに言葉を紡いだ。


「とても幸せだったよ

空くんの温もり、とても好きだったよ

ずっと忘れないから」


「まじかよ! おい!」


「でもね、空くんは覚えていなくても良いんだよ

ちゃんと元気にして過ごしてね」


「そんなこと言うなよ! 俺は嫌だからな!」


「ほら、逃げないで…

ちゃんと、最後にさよならをさせて…

じゃあ、元気でね…

さようなら…」


「お、おい! おいってば…!」







*****







空と別れてからしばらく経ち、ようやく麻里の心も落ち着き始めた。

3ヶ月ほど前だっただろうか、親戚のおばさんから突然電話がかかり、を預かってほしいというお願いをされた。

おじさんが急遽短期の海外赴任をすることになり、猫の世話ができなくなるため、麻里に頼んだのだ。


麻里は犬よりも猫が好きだ。

猫を飼いたいと思うことがしばしばあったが、ただ、猫を飼うとなると手間がかかり、何より自分の生活もままならない中でしっかり世話をできる自信がなかった。

そもそも、この部屋ではペットを飼うことが禁じられている。

しかし、今回に限っては大家さんに事情を説明したところ、短期間であればと特別に許可をもらい、猫を預かることができた。


猫を迎えるとき、麻里は楽しみすぎて心が弾んだ。

別れが訪れることは分かっていたけれど、想像以上に情が移ってしまい、あんなにも泣きじゃくってしまった自分に驚いている。


これからは再び一人暮らしとなる。

ふと、寂しさが胸に広がり、少ししんみりとしてしまう。


猫の喜ぶ顔が見たくて、ついペット用品を無駄に買い揃えてしまった麻里は、結局それらを親戚に譲ることになった。

猫がそのままそれを使い続けてくれることを、心の中でそっと願った。


ふと、麻里は思いついた。

そうだ、今度親戚の家に行って、黒猫の空くんに会いに行こう。

ちょっと遠いけど、また、空くんに会いたい。

空くんが大好きな“ちゅ~る”をたくさん買って、お土産に持っていこうっと。




*****




猫と別れてから一ヶ月が過ぎ、麻里は親戚の家を訪れることにした。


「空くん、遊びに来たよっ!」


麻里は久しぶりに会う黒猫の空との再会に胸をときめかせながら部屋に入り、すぐに猫がどこにいるのかと、部屋中を見渡した。


「あ?  誰だ、お前!」


黒猫の空は、まるでそんなセリフを口にしているかのように、麻里に懐こうとする気配をまったく見せなかった。それどころか、警戒心をあらわにし、睨んでいるような雰囲気さえ漂わせている。

麻里は思わず「がーん!」と声を上げ、ショックに目を見張った。


「えー! なんか、そっけない…! もう忘れちゃったの…! 悲しすぎる…!!」

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彼と一緒に過ごした幸せな時間と別れ、1ヶ月後に覚えてないなんて…!! 桃鬼之人 @toukikonohito

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