学院用の靴
金谷さとる
革靴
靴下を履き、黒革の靴につま先をさし込むことがそんなにイヤなのかお嬢さまは覚悟を決めたように息を殺す。
学院の制服に身を包んだお嬢さまは控えめなお嬢さまらしく学院の指定通りに清楚で楚々としていると言えると思う。
わたしは大奥様に上のお嬢さまの学院生活を助けるように命じられ上のお嬢さま付きの侍女として学院の使用人学部に通わせて頂くことになりました。
下のお嬢さまが「私の侍女としてきて欲しかったのに」とぼやかれたことがわたしの自尊心をくすぐりました。
「当主から遠いおまえには必要ないでしょう」
大奥様が辛辣に告げ下のお嬢さまを怯えさせる。
「お姉様、おばあさまがひどいの。私だって心細いのに……」
辛そうな下のお嬢さまにそっと安心させようと微笑んだ上のお嬢さまが「セツに貴女を気遣うように言っておくわ。私の言いつけだと言えば貴女もセツも叱られることはないでしょう?」と流れるように応える。
ありがたい事なのでわたしからはなにも言い出さないけれど、手助けが必要なのは本来上のお嬢さまだ。
「ありがとう。お姉様! 大好きよ」
下のお嬢さまが上のお嬢さまの手を握って見上げるように朗らかな笑みを浮かべる。
下のお嬢さまの眩さにいまだ惹かれたままではあるけれど、与えられた学びが『ひとの道として間違っている』下のお嬢さまだと教えてくる。
大奥様の言葉を拾うと『家』の当主として継がれるのはあくまで上のお嬢さま。
つまり上のお嬢さまには家を継ぐために必要ななにかが有り、下のお嬢さまにはないと大奥様はみなしてらっしゃるようです。
残念ながらわたしには上のお嬢さまにはない教育の成果と下のお嬢さまには有る教育の成果しかわからないのですが。
大奥様が上のお嬢さまを優遇しようとなさるたびに下のお嬢さまを慈しんできた使用人一同の反感がひっそりと上のお嬢さまにむかいます。
大奥様がおつとめに呼ばれ留守の時などに上のお嬢さまが旦那様に食事が届かなかったと告げても、もともと旦那様はお気になさらないし、下のお嬢さまが上のお嬢さまが嘘つきであるかのように使用人を庇うので。
上のお嬢さまの許嫁と定められた若君が時折り屋敷を訪れるようになり、華やかな笑い声が庭に響く日が増えた。
先に学院に通われている若君は和やかに下のお嬢さまと会話を楽しまれる。
「貴女が学院に通われるその日が楽しみですよ」
そう下のお嬢さまに若君は囁かれる。
「私もです。学院では、先輩とお呼びすればよいのですよね。なんだか特別な呼びかけのようで胸が高鳴ります」
こんなにお似合いだというのに若君は上のお嬢さまの許嫁なのです。
上のお嬢さまと下のお嬢さまはひとつ年は違いますが同じ年に学院に入学されます。
上のお嬢さまの学力や作法が行き届いていないため、修練時間を費やしたと他家の使用人すら知らない方はおりません。
下のお嬢さまは交友あるお嬢さま友達と仲も良く問題がないのです。
一度たりとも子供の社交界に出ていない上のお嬢さまには誰も声をかけません。
許嫁の若君も。
許嫁の若君に贈られた革靴につま先をさし込む。
学院が嫌なのか上のお嬢さまはゆっくりと送迎車にむかう。
ふとお嬢さまがわたしを見た。
わたしはいつものように頭を下げる。
「セツ。今日もあの子を気遣ってあげてね」
「はい」
わたしの応えに上のお嬢さまがふわりと笑う。うれしそうに。
おそらく、靴が合っていないのだ。
それでも違う靴を履いたなら許嫁を蔑ろにしたと囃し立てられるのだろう。それ以前に替えの学院規定にそった靴をお持ちではないのだから。
つま先をさし込むまでの少しの躊躇。
束の間だけわきあがるわたしの罪悪感。
「お姉様、遅いですわ。遅刻してしまいます」
下のお嬢さまがあげる拗ねた甘い訴えに踏み躙られる小さな罪悪感。
「ごめんなさい」と下のお嬢さまに謝る上のお嬢さまの足もとを下のお嬢さまはそっと見ていた。
学院用の靴 金谷さとる @Tomcat
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