第四部 構造
----渇いた夜に
手を伸ばすけれど
別に確信があるわけではない
どちらかと言えば
願望
そこに、触れる何かがあるのなら
今日に名前をつけてやることも
出来るのに
夜はひどく渇いていて
あらゆる色を飲みこんでいく
出来ることならば、僕もろとも
そう願いたくなるような
名もなき日も少なくないけれど
甘えは許されないらしい
いつまでも
僕は此処に取り残されたままだ
----Into the world
やけに雄弁な匿名希望と
量産型の皮肉屋たちが
闊歩しているこの街の夜は
言うほどには悪くない
疲れ果てた終わりの入り口に
何も持たず軽装のままで
僕が、僕である理由を
捨てることが出来る場所だ
外径5mmのライン
その向こう側の二進数
僕は僕である必要を捨て
また、新しい人格を手に入れる
明日、また、僕であるために。
----Ride the sky
要求したものは
それほど大それたものではないし
希少性の高いものでもない
僕が僕である必要もないから
それすらも前提にはせず
ただ、求めたいもの
空へと昇る力を有する翼を
ただ、ただひたすらに要求する
今である必要はない
此処である必要もない
何処かにある
誰かの空を目がけて
力ずくで駆け上がる
そんな、翼を
ただ、ただひたすらに要求する
そのためには
全ての前提を捨てても構わないのだ
分断
クリップで止めた苛立ちと
虫ピンで刺した憂鬱
にごった空
数える気も起きない
投げ捨ててきたモノと
一目で見渡して
ため息だけで吹き飛んでいく
掌の上
あらゆるもの全てから分断された今日、この瞬間に
僕はまたしてもこうして
投げ捨てる予定の言葉を探す
今日、この瞬間
意味なんかない
意味なんか
持たせる必要もない
もし、その必要があるのなら
好きに、自由に決めてくれ
僕はまた、別の言葉を探すから
街
三十年をこの街で生きながら
それでも僕は
この街の事を殆ど知らずに
こうして居る
大きすぎるし
めくらましが多すぎる
油断していれば全てが
通り過ぎて行く
そんな言い訳
誰が聞いてくれるでもないが
黙って通り過ぎていくような
愚者でいるのは
性に合わぬ
つまり
故郷が好きなのだ
沢山の人々がそうであるのと
同じように
最近だ
意図して、都心の地図を読む
地名、町名に触れる時
この巨大な街の全てに触れてみたくなる
新宿区大京町
千代田区神田須田町
中央区日本橋兜町
他、たくさん
貧弱な経験と貧弱な知識しか持たない僕は
ひとつずつの由来を調べる
車に乗って、その土地を見に行く
足で歩き、写真を撮り
その時、少しだけこの街の真髄の
外郭をなぞれたような、そんな気がする
大きすぎるし
めくらましが多すぎる
油断していれば全てが
通り過ぎて行く
だからこそ
目を開き
足跡を残し
何かを知るべく
手を伸ばす
街の真髄に至れた時
生きている、と
感じることが出来るような
そんな気がするのだ
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巻末あとがき
あらかじめ覚悟をしていたつもりでも、そんなに簡単に事は運ばないらしい。ほんのひと月の間に三人の家族がいなくなった。言葉にするとすごく簡単なことかもしれないけれど、多くの物事がそうであるように、少なくとも僕にとって、この事柄には言葉に出来ない次元の何かが存在していて、今、どうすることも出来ず、何処かに逃れることも出来ずに、雨音を聞きながらキィを叩いている。
嵐のようなひと月だった。
通り過ぎていくものが、次々に掌からこぼれ落ちて行った。もうすぐこぼれそうだと分かっていても、分かっていただけだ。こぼれて、こぼれて、ふと気が付いたら、大切なものの八割方が消えてなくなっていた。こういう時に祈る神を持たないのは不便なことなのかもしれない。
十九年をともに過ごした犬が亡くなった。ルールのよく分からなかった僕はとにかく香炉と線香を用意し、缶詰のドッグフードを供えた。
その二週間後に祖母が亡くなり、浄土真宗のしきたりで葬儀。菩提寺の住職は繰り返し、世の無常を説いておられた。これもまた、本来ことばにすべきではない次元に属する話であるような気がする。無常。書けば書くほど安上がりだ。実際のそれが持つ重みの十にひとつも、伝わるまい。
そして今朝母が亡くなり、曹洞宗のしきたりで、次の週末に葬儀だそうだ。安上がりでも出来合いでも既製品でも量産型でも、何だってかまわない。何か、今、この瞬間をことばにしておきたい。だから本稿を書いている。
このデモ書籍の巻末にこれを載せた理由は、僕の創作者としての蛇足的サービス精神だと思っていただきたい。収載されている詩の背景としてお読みいただければ幸いである。本来詩集というものに著者自らがこの詩はこれこれで……などと解説を差し込むことはないと思うが、どうかその点ご容赦を。今は、少しでも多くのことばを、この時に残したい。結局のところ、〝サービス精神〟などと自分で書いておきながら、実際はただの自慰行為に過ぎないのだろう。
朝からの雨があがり、今、空は薄暗い曇り色だ。テレビでは人工衛星型ミサイルの話でもちきりである。僕は世の中の流れの全てから切り離された場所で、今日は気が済むまでキィを叩き、ことばを探すつもりだ。祈る神を持たない僕が出来るのは、線香、合掌、ことばさがし。我ながら、何と無力なことか。本当に、もし僕が頼るべき神なり仏なりが何処かにいるのだとしたら、いったいどんなツラをしていやがるのか一目見てみたいものだ……などと、誰彼かまわずに悪態をついてしまいそうな、嵐のあとである。
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12年目のあとがき
この稿を書いているのは2024年12月31日である。デモ書籍としてレゴリスの見る夢を刊行した時から12年が経過、今、僕はこうしてここにいる。
創作は自らの傷より生まれるものなのだとかつてどこかの作家が言っていた。上にある当時のあとがきをお読みいただければお分かりの通り、当時の僕は傷だらけだった。大切な人を亡くしたし、自分自身の生活も大きな変化を余儀なくされていた。体調もあまり良くなかった。だから書いて、書いて、書きまくっていた。今から思えば稚拙な小品ばかりだし当時の僕ですらそれを分かっていた気がする。それでも書き続けるしかなかった。他に、前に進む方法を僕は持っていなかったのだ。
今はどうだろう。当時からすればずいぶんと恵まれているような気がするが結局また何かを描き始めようとしている。
当時の傷跡は乾いただろうか。もう、出血は止まっただろうか。これはただ、帰ることのできない場所への望郷なのだろうか。ここはどこだろう。振り返りながら、確認しながら、少しだけ足を前へ。そんな年の瀬である。
レゴリスの見る夢 北原 亜稀人 @kitaharakito_neyers
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