第2話 どうなっちゃうの△

 家に帰って飯食って風呂入って寝て、心身共に回復した火曜日の放課後に部室のドアに貼り出された紙を前に立ち往生することになった。


 男子禁制!

 ↑特に佐竹和馬!


 ということらしい。


 部長ぞ俺。A4コピー用紙にドデカく書かれた文字の方は清水さんのもので横にちっさく矢印で補足されているのは相沢さんの字だ。平部員如きが部長を締め出すとはいい度胸だ。


「えぇ……めっちゃ気になるんですけど……」


 授業中も委員会活動の間も内心気が気じゃなかった答え合わせに覚悟を決めて足を運んだというのにまさかこんなことになるとは。はっきり言ってしまって防音が脆弱な部室だから聞き耳立てるのは簡単だ。小さなすりガラスから電灯の光が漏れているように話す声もまたドア越しに廊下まで届いている。大声出してるわけでもないらしいから会話というほどはっきりしたものではないけれど。


 悩むまでもない。盗み聞きで得るものなんて大抵は碌なものではないのだから早々に退散するに限る。


 しかし気になる、と後ろ髪引かれる気持ちはあるにはあるが、踵を返して来た道を戻る。部活動が出来ないなら放課後の校舎に残る理由がなかった。途中、相沢さんから今日は部室来ちゃ駄目といささか遅い連絡があった。


「「あ」」


 急に暇になってしまってぼんやりしていたせいで下駄箱の陰にいた人物に気付けなかった。不意の遭遇と言うよりほかない。ブレザーのスカートから伸びる脚をくの字に折り、靴の踵に指を掛けて今まさに外履きに履き替えようとする茜と目と目が合った。


「古渡さんはいま帰るところ?」


「うん。佐竹も?」


 一つ言っておかなければいけないと思うけど、呼び方はこれ一昨日からってわけではない。中学時代にあれこれあった結果、俺は古渡さん、勇多と呼び茜は仁宮、佐竹と呼ぶ。ここにはいない勇多にしろ古渡さん、和馬であって、幼馴染同士といえどその在り方に他者からの影響がないわけではないということだ。それがどういったものにせよ。


 もう一つ言っておくと、俺が肯定してからの妙な緊張感を孕むぎこちない空気は一昨日のせいで間違いない。どうしようこれまでならば一緒に帰るのが息をするくらい自然だったけど今は遅延行為じみた緩慢さでゆっくりゆっくりと上履きを仕舞っている。茜も落ち着かない様子で外やら内やら視線が忙しない。


「今日、いい天気だよね。その、雲一つない青空」


「そうだね、すごい晴れだね」


 沈黙、そして同じタイミングで堪え切れなくなった。


「ふ、ふふ、なにそれすごい晴れって。小学生みたいな語彙力。あーおかし」


「そっちこそ天気デッキとかなんだよ、初対面で話すことがなくて困った時の話題じゃないか」


「はじめまして。一緒に帰る?」


 茜は鞄の持ち手を両手で握ってほほ笑んだ。青い空も木々も差し込む明かりもぜんぶただの背景。たった一日ぶりの笑顔を見続けていられないから俺は顔を逸らした。


「佐竹?」


「青空ってたまに眩しいじゃん? 綺麗すぎて目が痛かった」


「太陽は肉眼で見たら駄目らしいよ」


「らしいね。じゃあ帰るか。ところで勇多は?」


「部活行ったよ。私は今日は休み」


「ミーティング?」


「そ。委員会あったでしょ? それで」


 なるほど。サッカー部のミーティングにはマネージャーは一部を除いて参加しない。やることがないし休ませてあげようという顧問の計らいらしい。そしていつもより早く終わる上に体力の消費のないミーティング日には、部員たちはそのまま遊びに出掛けることも多いと聞く。勇多は今日はそちらに参加するのだろう。なんか若干モヤモヤするのは誤魔化せないな。


「今日は前からボウリングって決まってたの。私がそっち行きなよって言っただけ、だから……だから、そう、風もなくて過ごしやすいよね」


「そうですねー。相変わらず話を逸らすのが下手くそっすねー」


「佐竹こそなんでも顔に出るんだから」


 茜はおもむろにスマホを取り出した。校門まではまだ距離がある。


「ごめん。呼び出し」


「お熱いことで」


「……違いますぅ。それに言っとくけど佐竹の方こそアツアツに燃えても知らないからね。じゃあまた明日」


 勇多からの呼び出しを否定した茜はたっぷりのジト目をくれてから校舎に戻っていった。サッカー部でなにかあったのか他の用事か。あと俺が燃えるとか怖いこと言わないで欲しい、炎上は嫌だ。


「まさか告白とか……」


 可能性としてはなくもない。茜と勇多は付き合いだしたことを今はまだ公然と周囲に伝えることはしていないから、茜に好意を寄せる誰かが折悪しく勇気を出してしまった可能性は十二分にある。俺が清水さんと相沢さんに教えたのは事前に許可を貰った上での特例だ。それにしても万が一、本当に告白だとしたら不憫なことだと他人事のように思うっていうか他人事ではあるんだけど。


「いやさすがにこんな急にってことはないか」


 放課後になっていきなり今日これからとか性急すぎてそれだけで成功率下がるだろきっと。


 茜の長い黒髪が昇降口に翻って消えるのを見届けてから家路を再開する。帰宅したらバイトに行く前に宿題を片付けるのもいいかもしれない。途中で漫画研究会の部室を確認してみたがカーテンが引かれていて中は見えなかった。


 かつては漫画研究部として確たる実績を挙げていた集まりはいまは見る影もなく衰退してしまった。人数は伝え聞く全盛期の五分の一、同好会に格下げされてからというもの予算も部室もない。二学年上の先輩たちがこの春に卒業したと同時にいよいよ同好会の要件さえ満たせなくなってしまった。


 せめて廃部は避けたい。駅に向かうバスに乗り込み願望を心に唱えてみても、現実は現実として横たわり望むばかりで具体的な対処をしなければ本当に俺の代で漫画研究会は消滅する。それどころか明日明後日に暫定的な廃部処置というのも充分ありえる話だろう。


 恋と部活なんて青春の代名詞だろうに俺という人間は両方で敗北ルートまっしぐら。灰色がかってまいりました。なんもかんも俄かに雨雲が顔を出してきた空模様のせいだ。


 鞄には常日頃から折り畳み傘を忍ばせているからその点は大丈夫。問題はそれが一本しかないこと。バスを途中下車する同じ高校の生徒を見て見ぬふりは誰だって気分が良くないと思う。


「あの、すみません……もし傘持ってないならこれ使ってください」


 パラパラと降り出した雨を窓越しに見遣る様子が憂鬱そうだったし、鞄を開いて覗いて溜息ついていたからきっとおそらくそういうことだと判断した。一つ前の座席に座る同校生徒に声を掛けるのはどうしても少し驚かせてしまったけれど、俺の善行ポイントの足しになってもらおうじゃないか。


「え!? え、な、な、なんですか……え、傘、え?」


「もしかしたら傘持ってないのかなと思って。違いました? 違ったのならすみません」


「ぃえ! も、持ってない、ですけど……」


「じゃあこれどうぞ、使ってください。俺は二本持ってるんで。こんなこともあろうかと二本、持ってるので」


「は……はぁ」


 車内アナウンスに次の停留所が読み上げられる。


「あ! 降りなきゃ。え、どうしよ……でもあの……い、いいんですか?」


 駅近郊の住宅街で降りることは知っていた。二か月間もたびたび同じバスを利用してたら嫌でも覚えるってだけで決して怪しい魂胆でもいかがわしい目的でもないことだけは声を大にして言っておきたい。


「もちろんもちろん。買い換えようと思ってたやつだし返さなくてもいいですから」


「そ……それじゃあ……あ、ありがとうございます! ありがとうございます。あの、必ず、必ず返すので! 絶対!」


「そう? じゃあ好きにして。気を付けて」


「はい。ほんとに、ありがとうございます」


 何度も頭を下げながらバスを降りていくその肩には鞄をかけている。左手にはいま渡した黒い折り畳み傘を持ち、そして右手にはそこそこ大きめの紙袋を提げている。中身は知らないけど、どう考えたって余計な荷物のない俺より断然、濡れない方がいいに決まっていた。


 それはそれとして乗り合わせたサラリーマンっぽい中年男性にサムズアップを貰うのは恥ずかしいな。


 駅のロータリーでバスを降りた後には小走りで屋根まで急いだ。構内のコンビニで傘だけ買ってもよかったが、教科書を開く気分ではなくなっていたから足の向き先に迷う。駅に併設の商業施設は同じ制服たちが帰りがけにちょっと寄り道する定番スポットだ。


 若干スピードを落として歩く間に考えた結果、やっぱり真っ直ぐ帰ることにした。買いたいものの見たいものも特にないし、家で寛いでた方が有意義ではなかろうか。


「いや待て今日はねえちゃんリモートワークつってたな」


 前言撤回、バイト先には直行しようそうしよう。いま家に帰っても寛げる確率3%。最高レアを単発ガチャで引こうなどとは無謀が過ぎる。


 それにどうせなら部の存続のためのヒントを探すのも悪くない。部費はないけどバイト代ならある。そうして俺は駅横の建物へと急ぎ向かった。

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