世、妖(あやかし)おらず ー登り雪ー

銀満ノ錦平

登り雪


 「昔、私がまだ20の頃に一度だけ見た光景が忘れられないの。」


 私の祖母が亡くなるまでにずっと呟いていた。


 「この一帯は師走の時期にしか雪が降らなくて、いつも雪が降った時はそれこそ犬じゃないけど庭を駆け回ったものだよ。」


 私が病院で面会に行った時は、いつもこの話を私にはしてくる。


 「あの日も同じ様に、雪が降ってね。私は、20なのにそれはもう嬉しくて庭に駆け寄ったのよ。」


 痴呆が悪化して、この話をまるで初めて語るかのように嬉しそうな顔で私に話す。


 「ただ、あの日は何か雪の様子が違ったのよ。」


 私も、いつも初めて聴くような姿勢でいる。


 「雪がね、上に登ったの。」


 「雪が?」


 「そう。雪がね、登っていくの。まるで吸われるように…可笑しいでしょ?」


 祖母はいつもこの話を楽しそうに話す。


 だから私も楽しそうに聴く。


 「雪って落ちてくるものじゃない?だけどその時は、まるで巣に帰るように登っていったのよ。」


 「雪は残らなかったの?」


 「いやぁ…残った雪もあったし慥か、その残り雪で雪だるまを作った記憶があるわ。」


 「なら見間違いとかじゃない?ほら、雪も降ってたなら視界も見辛いしそれこそ、昔の記憶なんだからちょっと記憶違いかもしれない。」


 「それはないわよ。だって今私は、色々なことを忘れていってる。それはある程度自覚してるわ…ただこの記憶だけは頭から離れないの。雪がね、上にね、揺ら揺らと登っていったのよ。」


 この話を私は、何度も何度も聴いていた。


 「誰にも信じてくれないけど、あの光景を見たら誰も忘れられないわよ。私は、多分何度もこの話を初めて話すように何処の誰かも分からない親切な貴方に話すんだと思う。その時は、今みたいな初めて聴く気持ちで聴いて欲しいの。ほんとありがとうね…。」


 祖母はいつも最後にこの一言を言って面会を終える。


 楽しく話してくれているのはとても嬉しい…けど私を孫娘だと忘れていることがいつも悲しい。


 悲しいけど祖母に残っている数少ない記憶が良い思い出話で良かったと思う。


 結構苦労したと聞く。


 50年前なんて戦争も終わり、生活周りの復興に時間も体力も費やしていたと。


 祖母はそこまで被害は無かったものの生活に苦を呈したのは事実で、本当に苦労していたとまだ痴呆が進む前に嘆いていた。


 いつも悲しそうな顔で話していたのを見続けていた私はその悲しそうな顔を見る度に、この祖母の家には来たくなかったと思ってしまっていた。


 だが痴呆が出始めてからは、苦労した記憶をほぼ忘れていってくれたらしく、その辺りからは苦労話を積極的にすることはなくなった。


 そして身体も衰え始めたからか、歩くことすら難しくなりより痴呆は進んでいった。


 しかしそれと引き換えに、祖母はいつも楽しそうにこの登る雪の話をするようになった。


 入院する様になったあとはもう人が来ればこの話しかしないようになった。


 過去を忘れ、家のことを忘れ、周りの人々や身内を忘れても…この異質であり得ない登る雪の話を嬉々として話していた。


 そして時が立ったある日、祖母は亡くなった。


 とても良い笑顔のまま亡くなっていた。


 昔はいつも、シワを寄せ悲しそうに話す祖母だったのでこの笑顔で亡くなってくれたのは正直、嬉しかった。


 葬儀は身内だけで済ませ、火葬した。


 たまたま雪が降っていたので失礼を承知で積もった雪に散骨させたいとお願いした。


 周りもいつも雪の話を聴いていたからか、その案に乗ってくれたので少し山の先辺りに積もっている雪に散骨させた。


 悲しかったけど粉骨が喜んでるように見え、泣きながら少し笑ったと思う。


 周りをみたら同じ様に。泣きながらも祖母が楽しそうにしてるねぇ…と少し笑顔で呟いていた。


 葬儀も終わり、私達は祖母の家に向かうことにした


 やはり集まって話すことはあの雪の話であった。


 多分、記憶が混濁してたんだろうという結論には至っていた。


 ただ、ちゃんと降る雪は認知していたのでほんとに見ていたのではないかと軽く駄弁っていた。


 私はこの家に泊まることにして、祖母の記憶を思いだしながらその日を過ごすことにした。


 それは、月がとても綺麗で外に出た時だった。


 雪も降り、まるで映画を見ているかのような光景に私は、これは祖母が私に残してくれたものだと感動していた。


 揺ら揺らと雪が降っている。


 揺ら揺らと 揺ら揺らと


 雪が…。


 ふと、手に冷たい物が触れた。


 手を見る。


 雪だ。


 雪が私の手に貼り付いていた。


 小さくも、肌に触れるだけでその冷たさに少し驚いた。


 そして掌にある雪のひと粒を眺めていた。


 するとその雪が…。


 何の拍子もなく…何のきっかけもなく…何の違和感もなく…。


 まるでそれが当たり前かのように。


 上に揺ら揺らと、登っていった。












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