つま先に宿る未来
ソコニ
第1話 踊りし者の記憶
「エラー:生体認証に失敗しました」
美咲は不思議そうに自分のつま先を見つめた。新しく購入したスマートバレエシューズが、なぜか認証エラーを繰り返す。つま先に埋め込まれたセンサーが、彼女の動きを正確に捉えられないという。
「おかしいな…」
祖母の真紀子の部屋で、レッスン用の動画を撮ろうとしていた矢先のことだ。いつもの懐かしい石鹸の香りに混ざって、何か古く深いものの気配が漂う。カーテンの隙間から差し込む夕陽が、埃の舞う空気をオレンジ色に染めていた。
八十三歳になった今でも、祖母は毎朝バレエの基本練習を欠かさない。特にアン・ドゥオール――つま先立ちの練習は日課だ。その姿を動画に収めて、バレエコミュニティのSNSで共有しようと思ったのに。
「なんでバレエって、テクノロジーと相性が悪いのかしら」
そう呟きながら部屋を見回すと、古い箪笥の引き出しが一つだけ、わずかに開いていることに気付いた。
「少しだけなら…」
引き出しを開けると、古いトウシューズが一足、大切そうに包まれていた。バレエダンサーの魂とも呼ばれる特別な靴。サテンの生地は色褪せているのに、つま先だけが不思議な輝きを放っている。
その瞬間、スマートバレエシューズが突然、青い光を放ち始めた。画面には「量子もつれ現象を検知」という謎の文字。世界が歪み、溶け出し――。
*
「真紀子さん、32回のピルエットが必要なの。回転の軸となるつま先が、魂を込めて踊れていないわ!」
1960年の練習場。若き日の真紀子が、フェッテと呼ばれる連続回転に挑んでいた。つま先を軸に、完璧な回転を描く難度の高いテクニック。汗が滴り、足先は血を滲ませている。
「私にはできる…必ずできる」
その時、練習場の隅に、見知らぬ少女が立っていることに気付いた。まるで半透明のような存在。手に持っているのは、青く光るトウシューズ。
「あなたは…?」
「初めまして、おばあちゃん。私、美咲」
驚く真紀子に、少女は不思議な話を始めた。AIを搭載したバレエシューズの存在、動画共有という文化、そして何より、六十年後の世界のこと。
「信じられないわ…」と真紀子が呟いた時、再び世界が揺れ動いた。
*
次に目覚めた時、美咲は見知らぬ場所にいた。2084年のバレエ専門学校。そこでは、ホログラムの指導者たちが優雅に舞い、生徒たちが最新技術を駆使して練習していた。
「ここが…未来?」
「その通り」
振り返ると、老境の自分自身が立っていた。その手には、祖母の古いトウシューズが。
「私たちの家系には、不思議な力が宿っているの。つま先に刻まれた記憶は、時空を超えて受け継がれていく」
そう語る未来の自分は、世界的に有名なバレエ指導者になっていた。そして、驚くべきことに、量子もつれ現象を利用した「記憶の継承システム」の開発者でもあった。
「このシステムのヒントを得たのは、まさに今のあなた。おばあちゃんのトウシューズとの出会いがきっかけだったわ」
*
「美咲…?」
気が付くと、現在の祖母の部屋に戻っていた。手には古いトウシューズと、青い光を放つスマートシューズ。画面には「システム更新完了」の文字。
「おばあちゃん、信じられないことが…」
真紀子は静かに微笑んだ。
「私も見たのよ。過去と未来を繋ぐ、つま先の記憶を」
翌朝、二人でバーレッスンを始めた時、美咲のスマートシューズが再び青く光った。画面には「量子記憶の継承を開始」という表示。そして、祖母の古いトウシューズもまた、かすかな光を放ち始めた。
「新しい時代のバレエが、ここから始まるのね」
美咲はつま先立ちを始めながら、未来への第一歩を踏み出していた。スマートフォンのカメラは、その歴史的瞬間を静かに記録していた。後にこの映像は、「記憶の継承システム」開発の起点として、バレエの歴史に刻まれることになる。
(了)
つま先に宿る未来 ソコニ @mi33x
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