第3話

 魔法が発動し、ネイトの身体が跳び上がる。

 確実に捉えたはずだ、つま先が地面を離れる瞬間を。


 ネイトの身体は、ほぼ垂直に跳び上がった。

 真っ直ぐ、校舎の屋根の上空。


 さっき跳び降りたから、高さは経験済みだ。

 だから恐怖心はあまり無い。


 近視のネイトでも、しっかりと屋根を見ることができる。

 と、いうことは、ものすごい高さ、という訳では無いらしい。


 よし! 行ける!


 ネイトがそう思った時、地上からアシュリーの声が上がった。


「いいぞ、ネイト! 着地は無理をするな! 浮遊魔法ふゆうまほうに切り替えろ!」


 はあ?

 ここまで来てそれは無いよ。

 慎重ににやれば大丈夫だ。

 

 ネイトは魔法を切り替えること無く、そのまま屋根への着地を目指す。


 アシュリーが屋根から降りた時、つま先を着地地点に向けていた。

 そう、つま先からそっと、ストンって。

 つま先が屋根に付いたら、力を抜いて降りる。

 よし、分かった!


 着地地点を見定めて、ネイトはつま先を伸ばす。

 身体の力を抜いて、足から落ちるに任せた。


 その時、下から舞い上がった風に、ネイトの身体があおられた。

 手にしていた杖が風を受けてしまい、バランスが崩れる。


 ネイトの目に見えたのは、校舎のそばに立つ、樹木の先端。

 そこへ向かって、ネイトの身体が急降下する。


「うわあっ! 浮遊魔アットエ……」


 呪文がる前に、ネイトは樹木へと落下した。


 バキバキと枝が折れる音と衝撃と痛みとが、いっぺんに襲いかかる。

 すべも無く落ちて行って、気付くと、枝に宙ぶらりん状態になっていた。


 どういう偶然か。

 上を向いた木の枝が、ネイトの制服の上着の内側に入って、襟首から抜けていた。

 眼鏡が壊れずに、ちゃんと鼻に乗っているのは、奇跡だろう。


 身体を貫かなかったのは幸いだったが、串刺しには変わりない。

 まるで百舌モズ速贄はやにえのような格好だ。


 杖を手放さなかった自分を誉めたいけど、今、杖があったところで、どんな魔法を使うのが最適か、ネイトは思いつかない。

 服を脱げば良いのだろうが、腕も上手く動いてくれない。


「ネイト! 少しの間、動くな!」


 その声に下を向く。

 アシュリーが剣を抜き放つのが見えた。


 え、まさか……


 フッとアシュリーの姿が消えたかと思うと、跳び上がった彼女の剣が、ひらめくのが見えた。


「浮遊魔法をっ!」

 アシュリーの声が耳に届く。


浮遊魔法アットエマッ!」

 反射的に、ネイトは呪文を発した。


 次の瞬間、ザザッ! と葉擦はずれの音がして、ガクッ! とネイトの身体が落ちる。

 アシュリーの剣が、ネイトを串刺しにしている枝を、切り落としたのだ。


 だがすでに浮遊魔法が発動していたため、急な落下にはならず、スーッとゆるやかに落ちて行く。


 枝を背負っているまま、ゆっくりと落下するネイトの目に写ったのは、長い髪を風にたなびかせて、つま先から華麗に着地する、アシュリーの姿。


「カッコいい……」


 ネイトが思わずつぶやいた。



 そして……


 

 地上に軟着陸できたネイトは、背負っていた枝を下ろして、ところどころに付いた擦り傷切り傷を、回復魔法かいふくまほうで手当てして……アシュリーにお説教された。


 これは仕方無い。

 アシュリーの忠告を無視した、自分が悪い。

 ネイトは大人しく、アシュリーのお叱りを受ける。


「面目次第もございません」


 神妙さが功を奏したか、早々にお説教は幕を下ろした。


「それでもコツはつかめたようだな。ネイトは決して鈍い訳では無いのだから、身体の使い方を覚えて、練習すればできるようになる」

 

 あれ、それは誉められているのかな?

 とりあえず、励まされているのは間違い無い。


 ネイトは立ち上がって、杖を持ち直した。


 今の失敗で、補助魔法がどういう性質のものか、見えてきた気がする。

 杖の持ち方と、跳び上がる高さに注意すれば、できそうだ。


 それと、つま先の使い方。

 跳ぶ時もそうだけど、アシュリーは、降りる時もつま先から降りていた。


「ありがとう、アシュリー。つま先の正しい使い方が分かったよ」


 ネイトはアシュリーに向けて笑いかけると、アシュリーも笑顔を返してくる。


 そして、トトトッとやって来て、ネイトの前に立つと、ツイッとつま先立ちになった。


 え……っ?


 アシュリーの顔が、ちょっとだけ突き出される。

 鼻先が触れそうなほどに近くて、ネイトの心臓が大きく弾んだ。


「これも、つま先の正しい使い方だよ」


 そう言って、アシュリーはそっと両手を、ネイトの顔に近づけた。


 あの花の香りが、フワッと漂う。


 身体全部が心臓になってしまったようだ。

 頭がクラクラして…… 

 目も何だかぼやけてきて……

 言葉なんか……忘れてしまった……


 

 アシュリーの手がネイトの顔を包むようにして……


 クイッと眼鏡のツルを押し上げた。


「うん、これでよし」


 そう言って、極上の笑顔を見せる。


 うん……よく見える。

 笑顔、可愛い……。


 って、………ちがーうっ!!!


 心臓が破裂するほどの緊張感(期待感)から突き放されたネイトは、ヘナヘナと力が抜けて、しゃがみ込んでしまった。


 何これ?

 やっぱり、からかってるの?

 天使の笑顔で、実は小悪魔なの?

 僕の心臓がたないよ……


「ネイト、大丈夫か? 疲れたか?」


 疲れたよ。

 ドッと疲れ果てたよ。


「無理も無い。跳んだり、落下したり、大変だったものな……」


 ちがーう!

 君のせいだ!

 君のせいだ!


「今日はもう、練習は終わりにしよう。君はよく努力した。ねぎらいにお茶を入れて進ぜよう」


 ネイトが顔を上げる。

 アシュリーが、手を差し出していた。


「立てるか? ゆっくりでいい」


 その優しい声に導かれるように、ネイトは差しだされた手を握って、ゆっくりと立ち上がった。


 小悪魔でも天使でも……

 僕はやっぱり……

 君が好きだ。


 そのままアシュリーは、ネイトの手を引いて、ゆっくりと校舎へ歩いて行く。


 彼女の、少し冷たい手のひらを、心地良く感じながら、ネイトもゆっくり歩いて行った。



終わり


 




 


 


 



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つま先の正しい使い方 矢芝フルカ @furuka

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