第3話

「島主!あの小僧が気を失ってますよ!どうします?」

蒼星の慌てた声が、静まり返った部屋に響いた。天籟は、机上に広げられた書類から顔を上げ、窓の外へと視線を向けた。まもなく昼食時という刻、差し込む陽光が部屋を照らし、埃一つない空間は、まるで時が止まっているかのようだった。

しかし、蒼星の言葉は、その静寂を打ち破る。天籟は、動揺を隠せないまま、机の上の書類をぐしゃりと握りつぶした。今すぐにでも駆けつけたいという衝動に駆られながらも、部下たちの視線を感じ、深呼吸をし、ゆっくりと腰を上げた。

「下ろして私の寝台に寝かせろ。風星は医者をよんでこい」

その言葉に、蒼星と風星は顔を見合わせた。刑執行中の者を、島主の寝台に? 医者を呼ぶ? 二人の表情は、理解に苦しんでいることを物語っていた。

「本当に医者を呼ぶんですか? あんな奴のために?」

蒼星が、戸惑いの混じった声で尋ねる。風星も、それに同調するように首を傾げた。

「本当に島主の寝台を使うんですか? あんな奴のために?」

二人の問いかけに、天籟は苛立ちを募らせ、机を拳で叩きつけた。

「早く!」

その怒声に、二人は言葉を失い、急いで部屋を出て行った。天籟は、自分でも何が起きているのかわからなくなっていた。なぜ、こんなにも感情的になっているのか。なぜ、刑執行中の者をここまで気にかけているのか。

「見立てはどうだ?」

医者が、可馨の容体を診終えると、天籟はせき立てたように尋ねた。

「疲れで気を失っただけで、特に心配はいりません。一晩寝れば、そのうち目を覚ますでしょう。ただ、この者は女子ですが」

医者の言葉に、蒼星と風星は、ようやく事態を理解したようだった。

「ああー!島主。女だってことを知ってたんですね?だからあんなに必死だったんだ」

蒼星の言葉に、決まり悪そうに天籟は顔を背けた。

「じゃ、俺たちは下がっておきますね。おい、先生ももういいぞ」

蒼星が医者に小声で告げ、三人は部屋を出て行った。静けさが戻った部屋で、天籟は安堵と同時に、複雑な感情を抱いた。

「余計なことを」

独りごちるように呟き、寝台の横の椅子に深く腰掛けた。可馨の寝顔を見つめながら、天籟は心の奥底から湧き上がる苛立ちを隠せなかった。

「どこまで歯向かえば気が済むんだ。大人しくしてれば、こんな目に合わせることも無かったのに。おい早く起きろよ、李可馨」

そう言いながら、寝台を蹴飛ばした。

天籟は、島という自分の領地を絶対的な力で統治する島主だ。彼の目は、まるで獲物を狙うように鋭く、誰をも自分の手のひらの上で転がすことに慣れていた。そんな彼が、唯一手に負えないと感じているのが、可馨だった。

可馨は、天籟の絶対的な力に対して、決してひるむことなく立ち向かう。彼女の強さは、天籟の支配欲に火を点け、同時に、彼の心に奇妙な感情を芽生えさせた。それは、支配者として出してはならない複雑で危険な感情だった。

夜が明け、柔らかな光が部屋に差し込む。天籟は、昨晩からずっと可馨の寝顔を見つめていた。ようやく、長い睫がわずかに震え、可馨の目がゆっくりと開いた。

「…どこ…?」

かすれた声で呟く可馨に、天籟は安堵のため息をついた。

「よかった、起きたか。次は助けない。ここら辺で歯向かうのはやめておくことだな」

天籟の声に、可馨はゆっくりと天籟を見上げる。

「あ、ありがと、う」

天籟の柔らかい声に戸惑った可馨だったが、昨日のことを思い出した途端昨日までの鋭い眼光が戻った。思いっきり天籟を殴りたくなった。

「助けてなんて言ってないわよ!今度恨みを返してやるわ」

天籟は、急な言葉に驚き、威勢のいい様子に思わず呆れたような笑みが溢れた。必死になって心配した自分が馬鹿のようだった。

「ははっ。そうか、まあ今日は大人しく寝てるんだな。それだけ怒鳴る元気があれば明日には厨房に戻れるだろ」

そう言って天籟は、隣の書斎へ向かい、ばたんと戸を閉めた。

「ええ、戻るわよ」

天籟が出ていった方にベーっと舌を出してもう一度布団に包まった。

じっと寝つけずにいると、かちゃりと扉が開く音がして獰猛そうな眼帯をした男が一人笑いながら入ってきた。

「ははっ。島主が助けた女とはこれほどの美女だったか。島主は女の扱いを知らないな。まだまだ青二歳だ」

そう言いながら寝台に寝転んでいた可馨に近寄って、押さえ込もうとした。

「この野郎!離しなさい!」

肩を掴まれた可馨はどかどかと暴れながら帯を解こうとする男の手を跳ね除けた。

「強い女は嫌いじゃないぜ。躾甲斐いがあって楽しいからな」

完全に押さえつけられてもうだめだと思って目をぎゅっと閉じたその時、男の手が止まった。どうしたのかと目をそっと開けると、冷たく光る刃が、男の首に後ろから当てられている。

「その手を離せ」

低く冷たい天籟の声が部屋に響いた。

「島主……」

刃を突きつけられたまま男はゆっくりと体を起こすと手を頭の上にあげた。

天籟は怯える可馨を庇うように、可馨の前に立つと、男を問い詰めた。

「おい、お前何をしたか分かっているのか?」

「いや、すまない。島主の女だとは思わなかった」

その言葉に、はあ?と二人は顔を見合わせると、天籟は余計なことを言ったなというように、可馨を睨みつけた。

「そんなこと言ってないわ!あいつの勘違いよ!」

「まあ、そうでなくても女を襲うのは島の掟で裁かれるしか無いだろうな。蒼星!こいつを連れていけ!」

男は首を振った。

「まさかほんとに罰したりしないだろうな。俺はお前の命の恩人じゃないのか?それに俺はこの島の副頭目なんだ。体面が丸潰れになるんだ。やめてくれよ。その女のために命を助けたやつを罰するのか?」

懇願するように必死に、訴えたが天籟の瞳は冷酷なままだった。

「……だからだ。今まで人を殺しても、何をしてもお前は命の恩人だから大目に見てきたんだ。このことはこいつのためじゃない。島の掟に従っただけだ」

天籟は、男の言葉を遮り、冷徹な声で告げた。その声には、一切の感情が感じられなかった。

男は蒼星に連れていかれ、張り詰めた空気の中、可馨と天籟だけが残された。天籟は剣を鞘に収め、冷たく可馨を見据えた。

「お前!何をしてるんだ!勝手に出ていけばいいものをこんなところにずっと居座っているからこんな目に会うんだろ!」

天籟は、まるで他人事のように告げた。その声には、心配というよりは、むしろ苛立ちが滲み出ていた。本当は、可馨を心配していた。だが、どうやって表せばいいのか慣れていない天籟は怒るしかなかったのだ。

可馨は、天籟の言葉に顔をゆがめた。助けられたと思ったら、こんなにも冷たく突き放されるのか。可馨の心には、怒りと失望が渦巻いた。

「何よ!貴方が寝てろって言ったんじゃない!なのにどうして貴方が怒るのよ!」

可馨は、寝台から飛び降り、早口で反論した。その声には、そこには天籟に対する怒りがはっきりと込められていた。天籟は、可馨の言葉に何も言えず、ただ彼女を見つめていた。可馨は、天籟に背を向け、部屋を飛び出した。冷たい風が、彼女の頬を叩く。深呼吸をして、気持ちを落ち着かせようとしたが、なかなかそうはいかない。

「こんなクソみたいな島主が治める島なんて出ていってやるわ……」

可馨は、心に誓った。この島から逃げるんだ。

「この島から抜け出すのは禁じられているから自分で船を作ってこっそり抜け出さなきゃ。ああそうだ。そのためには海図がないと……っていうことはあの大悪党と仲良くしていた方がいいのかも」

可馨は、厨房に向かう途中、一人ごちた。厨房に着くと、涼が心配そうに駆け寄ってきた。

「姉さん!もう歩いて大丈夫?倒れたって聞いたけど」

涼の温かい言葉に、可馨は少し心が安らぐ。

「ええ、もう大丈夫よ。また厨房の仕事に付くわ」

涼は、安堵の表情を浮かべた。

「よかった」

「そうそう。涼はこの島から抜け出したいと思わない?」

「抜け出せたらいいとは思ったことはいくらでもあるよ。姉さんは何か策があるの?僕ね、壊れかけの小舟を浜辺で見つけたんだ。だからいつか抜け出そうと思って隠してあるからよかったらそれを使わない?」

涼の言葉に、可馨は目を輝かせた。

「すごいわね!じゃあもう出れるじゃない。あとは私が海図を取ってくるわ。ここら辺の海は海図通りに進まないと危険だから」

涼と二人で、厨房の仕事をこっそりさぼって島から脱出する計画を立てていた。二人の顔には希望に満ち溢れていた。しかし、この計画はすでにこの時から失敗していた。

「わあ。また島主、怒るだろうなあ」

そう言いながら、脱出する計画を立てる二人を見ている可馨の監視を命じられていた蒼星の姿があった。

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泡沫の恋 @yamato1126

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