第2話 粉塵爆発

荒波を乗り越え、ようやく辿り着いた孤島。夕陽が沈む海は、まるで血の色のように赤く染まり、荒波が砕ける轟音が、まるで心臓の鼓動のように響いていた。その岸壁に停泊した船から、縄で縛られた兵士たちがぞろぞろと降り立っていく。この島は、天籟が島主として治める華島だった。そして高官の船の乗組員たちはこき使われる運命にあった。


「蒼星、あのむす……、小僧はどうした」


天籟が親しい手下の蒼星に尋ねる。しかし、言葉に詰まる。女であることを自分しか知らないことに気づき、慌てて言い直す。


「はい、言われた通り一人部屋に閉じ込めてありますよ!」


「そうか。あれは……どこで働かせるのが良いと思う」


天籟は考え込む。どこで最も効果的にあの娘を屈服させられるか。あの娘に脅しは効かないことが、船上で起こした火事でわかっていた。


「そうですね。ああそうだ!いびりがひどいところといえば厨房ですよ。そこに送り込みましょう」


蒼星は、悪戯っぽく笑みを浮かべる。


「じゃあそこだな。小僧を向かわせろ」


天籟は満足そうに頷き、笑みを浮かべて部屋を出て行った。その笑みは、まるで悪魔のささやきのように、若者の運命を決定づけた。


「と、島主が笑った……」


蒼星の相棒、風星は信じられないというように口を開けたまま、蒼星を見つめる。


「どうしよう何か起こるぞ。天から槍でも降るんじゃないか?」


風星は、この出来事が不吉な予感で胸がいっぱいだった。


「風星落ち着けよ。親分が笑っただけいいじゃないか。何か起こるなんてそんなこと不吉だぞ」


蒼星は、風星をなだめるように言葉をかけた。しかし、彼の心にも一抹の不安がよぎっていた。


部屋へ戻った天籟は一人、海図の整理を始めた。この海図を無くせば唯一海図を覚えている自分が死んだ時、他の者が島から出ることができなくなる。

綺麗に折りたたむと誰もいないのを確認して、寝床の布団を持ち上げ、四角く彫られた隙間に差し込みその上から蓋をしてもう一度布団を乗せた。椅子に座ると杯に酒をつぎぐっと飲み込んだ。強い酒が舌を刺す。航海で疲れた身体をほぐしてくれるような酒だった。

その時だった。蒼星の声が戸の外から響いた。

「失礼します。厨房で爆発が起きたようです」

さっそくかというように疲れた体をぐっと起こすと、外に出た。

「今から向かう。様子は?」

「火は収まりましたが、爆発の原因は分かっていません」

早足で厨房へ向かいながら二人は言葉を交わした。

「お前は混乱を鎮めろ。その間に原因を探す」

「分かりました」

厨房に着くと数人が火消し棒を持って休んでいた。

天籟は、厨房の暖簾を掻き分け爆発の起きた近くに寄ると、辺りを見渡した。日の周りには小麦粉と皿のかけらがばら撒かれていた。

「粉塵爆発か……」

しばらくして天籟は厨房を出ると蒼星に伝えた。

「厨房で働くもの全員をここに集めろ。問いただす」

「はい」

階段に座り込んだ天籟は、集まった厨房の者たちを見回して言った。

「今回の爆発は自然に起きたものではない。粉塵爆発だった。爆発を起こした者は、名乗り出よ。島の掟として罰は受けてもらう。名乗りがなければ、監督責任として厨房頭を棒叩き十回とする」

この天籟の発言は筋道が通ったものでその中にいた可馨は連れて行かれる厨房頭を見てニヤリと笑った。

「これで仕返ししてやれるわ。あの厨房頭かしら、老人でも女でも何かと言いがかりをつけて蹴ったり踏んだりするんだもの」

この爆発は可馨が起こしたもので、その後の流れは可馨の予想通りだった。が、その後を天籟が紡いだ言葉は予想外のものだった。

「しかし、爆発が起きた者が罰を受けないというのもよくない。今から10数えるうちに名乗りがなければ、連帯責任として全員棒叩き十回とする」

その言葉に老人や女たちは怯え出した。泣き出すものや、許しを乞うものが沢山いた。

「10、9、8、7、6、5、4、3」

天籟は名乗り出ぬことに苛ついていた。

「2!」

その時だった。あと1秒というところで怯える老人や女たちに罪悪感を感じた可馨は、手を上げて名乗った。まだ男装したままだった可馨は男の言葉遣いで名乗りをあげた。

「俺だ!俺がやった。だから罰を受けるのは俺だけにしろ!」

天籟は面白そうに眉を上げると立ちあがり、可馨のところまで歩いていった。

「どうした?なぜさっき手を上げなかった。かしらが打たれるのはいいのか?」

可馨の顔を覗き込んで皮肉そうに笑った。

「それは……」

仕返しのためとも言えず、言葉に詰まった可馨は目を泳がせた。しかし言わずとも天籟は可馨の考えを見抜いていた。

「良かったなあ。いびりのひどい厨房頭が罰されて嬉しいか?」

可馨は気づかれていたことに顔を真っ赤にして叫んだ。

「この大悪党!厨房で被害がたくさん出てるのに厨房の頭一人も管理できないなんて、天下の大悪党でもない!下の下だ!」

可馨の言葉に天籟はわずかに動揺したようだった。罵倒され、名に傷をつけられた怒りで、こめかみに青筋を浮かびあがらせ、低く冷たい声で言い放った。

「ははっ。じゃあ、下の下の大悪党に罰せられるお前はなんだろうな。三日間棒に吊り下げてやる。皆これを使うと1日で音を上げて、許しを乞う。もし耐えられたら、好きなようにしろ」

可馨にこけにされた天籟は、珍しく感情的になり島の掟の死刑の次に重い罰を下した。

「蒼星!こいつを連れていけ!」

呼ばれた蒼星は、可馨の腕を掴み引っ張った。

「小僧!行くぞ」

「この人でなし海賊!」

立ち去り際可馨はそう天籟に唾を吐いた。

「おい!早く進め!」

可馨は連れられて行く途中少し気にかかることがあった。近くの川で怒鳴り声と泣き声が聞こえた気がしたのだ。

「ちょっとえっと名前は?」

「蒼星だけど?何?」

「蒼星、聞こえない?泣き声と怒鳴り声」

耳に手を当てて、ほらというように目をやった可馨は、駆け出して行った。

「ああっ!もう!島主に怒られる!逃げるなよ!」

足の速い可馨は、川まであっという間についてしまった。

そこには二人の男が、細い体をした男の子をいじめている光景があった。

「おい!これはお前が洗えよ!ほら、この水草は入れちゃダメだぜ。島主が発疹を出して怒るからな。早く洗濯しちまいな!」

「ここでもなのね」

はあとため息をついた可馨は男の子を殴ろうとした男の手を止めた。

「何やってるんだ!お前は洗濯もできないのか?!自分の分は自分で洗えよ!」

「ああ?なんだお前。新入りだろ!口を出すんじゃねえ」

そう言ってまた殴り始めた男に体当たりをして男の子の上からかぶさった。

(この子を見捨てたんじゃ、未来の大侠客李可馨の名が廃るわ)

二人の男に、一人で向かっていっても勝ち目がないと分かった可馨は身を呈して男の子を守るつもりだった。上から拳が降ってくる、そう感じた瞬間ぎゅっと目をつぶった可馨は、じっと殴られるのを待った。しかし一向に拳は振ってこない。その時震える男の声が聞こえた。

「島主……!申し訳ありません!どうか見逃してください。お願いします。お願いします」

そっと目を開けると、男の拳を掴みカッと睨みつけている天籟の姿があった。天籟は静かに蒼星に言った。

「この二人を牢に連れていけ。処分は後で決める。小僧は俺が連れていく」

「はいっ!」

「おい小僧行くぞ」

天籟に可馨は呼ばれると可馨は叫んだ。

「私は小僧なんて名前じゃないわ!未来の大侠客、李可馨よ」

「可馨というのか。お前はそこまで俺に歯向かいたいか」

「そりゃあそうよ!あんたなんてろくな海賊じゃないわ」

「海賊にいい奴がいるとでも?」

「知らないわ。でもあんたはやっぱり人手なしよ。人を踏み台にするし、厨房の管理もできない海賊じゃない!」

「まあせいぜい三日間、耐えてみることだな」

天籟は、可馨を挑発するように告げた。可馨は、ぐっと唇を噛みしめ、天に向かって視線を向けた。刑場までの道のりは長く感じた。古ぼけた木造の建物は、薄暗い影を落としながら、どこか死んだように静まり返っている。

刑場につくと、可馨は両手を縛られ、天井から吊り下げられた。冷たい金属が肌に触れ、体が震えた。刑場は、湿気と埃の匂いが充満し、薄暗い照明が微かに点けられている。それが逆に不気味さを引き立たせていた。

遠くからその様子を見ていた天籟は、蒼星に声をかけられた。

「きっと今日の夜には許しを乞いだしますよ」

蒼星は、どこか楽しそうにそう言った。天籟は、何も言わずに刑場の向かい側にある自分の部屋に戻ると、扉の影に隠れ可馨の様子を窺った。


刑場に吊るされた可馨は、最初は激しい痛みと恐怖に打ちのめされた。しかし、時間が経つにつれて、痛みは鈍くなり、代わりに怒りが募っていった。恨みも恩も受けたら返すと決めている可馨は天籟へやり返す術を考えだしていた。

天籟は、酒を飲みながら可馨の様子を眺めていた。可馨のまっすぐな瞳、そして可馨の強さに、彼はかすかな動揺を覚えていた。

「酒が不味いな」

天籟は、窓の外に広がる満月を見つめながら、複雑な心境だった。今まで海賊として生きてきたが、ここまで自分に屈しなかった者は初めてだった。その夜、ずっと起きていた天籟も、うつらうつらとし始めた頃、刑場に吊り下げられている可馨の近くに一つの小さい人影が何かを抱えてやってきた。それは、昼間に可馨が助けた少年だった。人の気配に目を覚ました天籟はじっとその人影が何をするのか見ていた。彼は、こっそりと持ち出した月餅を可馨に差し出した。

「可馨さん、さっきは助けてくれてありがとう。夕飯をくすねてきたんだ。食べてよ」

と、彼は照れながら言った。

「今両手が使えないから千切って口に入れてくれる?」

甘くて温かい月餅は、彼女の冷え切った心をほんの少しだけ温めてくれた。

「そういえば名前は何?」

「涼だよ。僕は苗字はあるけど名前はないんだ。母さんも父さんも僕が生まれてすぐ死んじゃって」

涼の言葉に可馨はハッとした。

「ごめんね。聞かない方がよかったかしら」

涼はそんな可馨を見て笑った。

「そんなことないよ。可馨さんは優しい。僕、いつも一人ぼっちだったし、いじめられててもみんな見て見ぬふりだから可馨さんに助けてもらって嬉しかったんだ」

涼の言葉に可馨はにっこりと笑った。

「ありがとう涼。私実は一人っ子なの。だから姉弟の契りを結ばない?」

「本当に?!僕、友達もいないからこんな強い姉さんができて嬉しいよ」

夜空には満月が輝き、刑場には二人の小さな影が寄り添っていた。

「あいつ、夕飯をくれる奴がいたのか。しかし何をしたらあそこまで頑固になれるんだ。早くやめたいと言えば、直ぐにでも下ろしてやるのに」

一方、その様子を遠くから見ていた天籟は天籟は独りごち、まずい酒を呷った。刑場を見、自分の影を眺めた。その影は、まるで自分自身を嘲笑っているようだった。自分がこんなに重い刑を与えてしまったことに少しばかり後悔の念を覚えていた。そう思った天籟は、珍しく心を乱した。

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