おじさん2人が雪を見に行く話

のっとん

1

「見に行くか!」


 どんな話の流れだったか。

 生まれてこの方、雪を見た事がないという六助に豆腐屋の九次が放った言葉だ。


「見に行くったって。雪だぞ? 雪。そんな簡単に見えたら苦労しねぇよ」


「六ちゃんは学がねぇなぁ。雪ってのは寒いところにあんだ。山に行くんだよ。やーま」


「学がねぇのはてめぇだ馬鹿」


 六助はムッとして言い返した。


「その雪があるくらい寒い山が近くにねぇって話をしてんだろうが」


 2人が住む場所は、どの方向を向いても建物しか見えない開けた土地だった。

 寺のある丘が付近では1番高く、それでも階段は30段にも満たない。


「おぼろけ山だよ」


 得意げな九次に、六助は思わず呆れた表情を向ける。


「おぼろけ山ってお前。行くだけで3日はかかるじゃねぇか」


「そりゃあな」


「馬鹿言うな。そんなに店を空けたらかあちゃんに怒られちまうよ」


 止めだ、止めだ、と六助は手を振る。


 六助は妻と2人で小料理屋を営んでいる。有難いことに客入りもよく、毎日開けずとも食うには困らない。

 それでも、片道3日。合計で1週間ほども店を閉めるとなると流石に嫌な顔をされるだろう。


「というか、九ちゃんだって豆腐屋があるだろう?」


 普段は棒手振りのフリをして、こうして店先でよくさぼっている九次だが、これでも豆腐屋の店主だ。長期で留守にするのは都合が悪いだろう。


「なに、そこは考えているさ」


 九次は己の頭をトントンと指で叩いた。


「初日の出よ」


 九次の話はこうだった。

 年末に出発し、三が日の間に帰ってくる。

 初日の出は目出度いものだから、商売繁盛祈願だと言えば、止める者は居ないはずだ。


「初日の出か……。考えたなぁ」


「学があるからな」


 九次は得意げに口の端を上げた。


 話が纏まれば、後は早かった。

 1週間分の荷物を詰め込み、少し早いが店仕舞いと大掃除も終わらせた。


 まだ暗いうちから店を出た。

 普段よりも少し速足になってしまうのは、休暇が短いからか。それとも、人生で初めて見る雪を待ちきれないからか。




 山に近づくにつれ、自ずと話題は雪のことへと変わっていった。


「雪ってのはどんな形をしてるんだろうな」


とは六助だ。


「おれの予想だが、岩みたいにでけぇはずだ」


 九次が両の手を目いっぱいに広げてみせる。


「なんせ、潰されて人が死ぬってんだからな」


「潰される!? そりゃ恐ろしいな。てっきり冷たいだけかと」


「六ちゃんは、雪についてどれくらい知ってるのさ」


「えぇと」


 六助は少し首を傾けると言葉を紡いだ。


「とにかく冷たいってことと、白いってことくらいだな」


「なんだ。全然知らねぇな」


「うるせぇ。そう言うおめぇは、なにか知ってんのか?」


「おれも詳しくは知らん」


 なんだそりゃ、と六助は顔をしかめた。


「六ちゃんと一緒よ。冷たいってことと、白いってこと。後は毎年、雪で死人が出てるっことくらいだな」


「最後のは正月早々、縁起でもねぇなぁ」


 そうボヤくうち、おぼろけ山の麓へとたどり着いた。

 明日は、早朝から山登りだ。旅の疲れもあり、2人は宿に着いて早々に眠りについた。




 翌日、まだ星の残る時刻から宿を出た2人は、おぼろけ山へ足を踏み入れた。

 心もとない提灯の灯りを頼りに、ほとんど手探りで山を登っていく。


 慣れない坂道というのは、存外足にくるもので、半分ほど登ったところで、空の星が減ってきていることに六助は気づいた。


「こりゃ日の出までにたどり着けんのじゃないか?」


「まあ、山頂じゃなくてもいつもよりは高いさ」


 六助の心配を九次はへらりと笑って受け流す。


「それに今回の目的は雪だ。たしかに初日の出は縁起がいいが、人生の初物ならもっと縁起がいいんじゃねぇか?」


 雪を、それも人生の初物として見ろと九次は言っているのだ。

 その屁理屈に六助はやれやれと首を振る。しかし、自分の頬が緩んでいることには気づかなかった。


 さらに四半刻ほど登った時だった。

 六助の目の前を、白いものが上から下へと通り過ぎた。

 見上げれば、天上から花びらのような白いものが、ひらりきらりと落ちてきている。


「な、なんだこれは!?」

「雪か!?」


 六助と九次の声が重なる。


「これが、雪?」


「聞いたことがある。雪ってぇのは雨みたいに天上から降ってくるらしい。それが地上に溜まって人を襲うんだ」


「じゃあ、これが」


 六助は掌を上にして雪を受け止めようとした。

 白いそれは、六助の掌に触れた途端、ふっと消えてしまう。


「消えた……」


「六ちゃんの手があったかいんじゃねぇか?」


 顔を見合わせ、2人はさらに上を目指した。


 山頂に近づくにつれ、雪はさらに多くなってきた。不思議と寒さは無い。

 白いそれは肩や顔に触れると、冷たさを残してふっと消えてしまう。これが本当に人を襲うのかと、六助は不思議に思った。


「あと、少し……」


 山頂を見上げた六助はその光景に言葉を失ってしまった。


「六ちゃん! ほら! 日の出だ!」


 子どもの様に六助の袖を引いた九次だったが、動こうとしない六助を訝しげに覗き込む。


「六ちゃん? 初日の出……」


「あ、あれ」


 九次の言葉を遮り、六助が前方を指し示す。

 六助の指先に釣られるようにして顔を上げた九次は、あっ、と声を上げた。


 六助の指の先。山の頂上には白い塊があった。

 山頂いっぱいを覆うその塊は、周囲の木々に負けず劣らずの高さを持ち、ゆっくりと動いていた。


「な、なんだありゃ」


 九次の声に、六助ははっと我に返った。

 震える足に喝を入れ、山頂へと進む。


「お、おい!」


「これが、雪かもしれねぇ。雪ってのは、白くて、降ってきて、塊で、冷たいんだよな!」


 六助は振り返らず叫ぶ。


「なら触ってみりゃ分かる! 冷たけりゃ雪だ!」


 六助が近づく間も、白い塊はゆっくりと動き続けていた。

 膨らんで、縮んで。まるで生物の呼吸のようだった。


 あと1歩というところで、六助は立ち止まった。手を伸ばせば、触れる距離だ。

 近くで見るそれは、巨大な鱗の連なりのように少しぼこぼこしている。

 凹凸の1つ1つが日の光を反射してキラキラと銀に青に色を変えていた。


「触るぞ」


 誰に言うでもなく、六助は呟いた。

 あるいは、自分への決意表明だったのかもしれない。


 六助の掌が、触れた。


 瞬間、それは空に霧散し、木々に囲まれた平地と手を伸ばした六助だけが山頂に残された。


「六ちゃん!」


 己の掌を見つめ続ける六助に、九次は駆け寄った。


「六ちゃん?」


「冷たかった」


「え?」


 六助はゆっくりと九次の方を向く。

 朝日に照らされたその顔に笑みが広がっていく。


「おれは雪を見たんだ!」

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おじさん2人が雪を見に行く話 のっとん @genkooyooshi

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