光、自販機と闘う。
一
「…―――自販機かっ、…!くそっ!」
「…自販機が、どうかしたんですか?」
良く晴れた青空も美しい気持ち良い朝。もう少しで、病院へと着くときに。出勤の為に歩いていた神代が目敏くそれを見つけて睨みつける。
滝岡総合病院第一部門へのアプローチになる、半屋根のついた歩道の端に。ベンチの傍に先日は無かった自販機が置かれていたことに気付いて、まるで対峙するように睨みつけて怒っている神代に気付いた神原が隣でのんびりと声を掛けるが。
「くそっ、…!何だって、此処に自販機があるんだよ?負けないからなっ、…!」
はっし、と自販機を睨みつけていうと、くるり、と踵を返して、病院の裏口――つまり、従業員等関係者専用の入口へと突進していく滝岡総合第一の外科医神代の背をつい眺めて。
「おや、どーしたんだっ、…て、誰だよ、病院の近くに自販機なんか置かせたの。…事務長にいってはやいとこどかさないと」
「辰野さん、…。自販機が何かまずいんですか?…負けないぞ、とか、――――いっていた気がするんですが」
神原の疑問に、神代が怒りながら早足で歩いていく背を辰野も半分あきれた視線で見送って。
それから、溜息をつきながら神原に云う。同じく出勤する為に、第一の裏口へと歩いていきながら。
「…神原ちゃん、―――あれ、自販機ね、…。神代ちゃんのウィークポイントでね。ていうか、知ってたら、ボタン押しちゃうのがわかってるんだから、置かないのにねえ、…。誰が業者にそそのかされておいたんだろ。困ったもんだよ」
「神代先生の弱点、ですか?自販機が」
「…神原ちゃんも、一緒に出勤してて、気がついたことなかった?これまで、歩いてるときに自販機に行き合わせたら、まるで親の敵みたいにして神代ちゃんが自販機睨んだりするの」
辰野の質問に思い返してみて。
「…――――どうでしょう。…そういえば、ここへ来るまでの道に、自販機がありませんね。病院の中や周辺にも。考えてみれば、珍しいのかな?あまり注意してませんでしたけど」
「道はともかく、うちはねえ、…神代ちゃん刺激するから、自販機はNGなんだって、…―――。病院とかさ、幾つかあってもおかしくないんだけど、絶対ダメだから。…弱点っていうより、そう、刺激しちゃうんだな」
「…刺激、ですか?」
不思議そうに訊く長身の神原を隣に、辰野が歩きながら、うんうん、と頷く。
「そ、刺激しちゃうの。だから、置かないように、―――本当に、すぐ撤去してもらうようにいっとかないと」
「撤去するんですか?」
「そう、昔ね、―――」
辰野が、裏口に入って警備員に挨拶しながら、しみじみと視線を遠くに置いて頷く。
驚きながらも、興味深げにみている神原を隣に廊下を歩きながら。
「昔っていうか、おれが神代ちゃんとアメリカ留学してたときにね、…闘う神代ちゃんを、何度止めなくちゃならなかったことか」
しみじみ遠くをみる辰野に。
「大学構内でね、…突然、自販機を睨みつけてる神代ちゃんに出会ってね、…―――」
額に手を置いて、溜息を吐く辰野を神原が見つめる。
二
留学時代。
緑の芝生が眩しい対比となる煉瓦造りの古い大学構内。
そこをのんびり歩いていた辰野は、ぎょっとしてそこに駆け寄っていた。
自販機と向き合って、睨みつけて対峙して。
次に、思い切り殴りつけようとしている神代をみつけて、慌てて辰野が止めに入る。
「おい、…――やめろって、手を怪我したらどーするんだ!外科医だろーが、おまえ!何してるんだよ…!神代ちゃん」
「くそっ、…――――!離せっ!辰野っ!」
「自販機相手に暴れてどーするんだよ、…!何してんだよ?大体!」
後ろから羽交い絞めにして止める辰野に構わず、憎々しげに神代が自販機を睨みつける。
「あのな?だから、…――自販機に当たってもどうにもならないだろ?何してるんだって」
「…―――こいつはっ!」
神代が自販機をはっしと睨んで指さして云う。
「金を入れて、ボタンを押せば、確実に品物が出てくるんだぞっ、…!」
「…――ああ、ああ、そりゃーそうだろ、それが自販機ってもんだ。何が問題なんだよ?金入れたけど、出てこなかったとかか?なら、大学の売店管理してるとこかどっかにいえばいいだろ?どれだよ?何買うつもりだったんだ?メロンジュースか?」
「…ちがうっ!」
くちを噤んで横を向く神代に、あきれて自販機と神代を見比べる。
「何が違うんだよ?自販機の何が気に食わないんだ?」
「気に食わないっていうか、こいつは敵だっ。――――くそっ、…絶対、勝ってやるっ、…―――!」
「おい、神代ちゃん、自販機と競ってどーする。そもそも、何を競うんだよ?自販機と?」
眉を大きく寄せてみる辰野に、神代が俯いたまま、ぽつりという。
「…自販機は、機械は、簡単にボタンを押せば、望んでる品物が出てくるんだぞ?…――なのに、―――医療は負けてんだよ!…遅れすぎてるっ!」
「…―――おい?」
茫然と聞き直す辰野にか、それとも。
悔しげに、くるしげに、―――拳を握って。
「…発見が遅れて、診断が遅れて治せないなんて、…――――有り得ないだろうっ、…――――!遅れなかったら、…――――って、くそっ、…―――!診断が遅れた?難しかった?そんなの、…――この自販機にも負けてるだろっ、…!」
「おい、病理ばかにしてるのか?…自販機と比べるなよ、…って、あの患者さんか?」
その言葉に、簡単に診断のつかなかった患者を思い出して辰野が云う。その問いに。
「――――遅れたから、はやくわからなかったから、手遅れ!冗談じゃないんだよ、…!」
振り向いて黒瞳が激しい怒りと泣きそうになって、涙を堪えて睨みつけてくるのに。
「…あのな、神代ちゃん、…―――。俺達だって、此処へ来てくれて、やっと診断できたんだぞ?」
「だからだよっ、…!もっとはやく、受診できてたら、…――――もっとはやく、くそっ、…―――冗談じゃないんだよ!この自販機!」
神代が、泣きそうになりながら、自販機を振り向いて睨みつけて。
「こいつは!医療はこいつに負けてんだよ!自販機にっ、…!」
「…―――神代ちゃん、あのな?」
「違うかっ?ボタンを押せば、必ず選んだ品物が出るよな?それだけの確実さも、いまの医療には無いんだよっ、…!治したいって、それで病院へ来て、いつも確実に治るか?負けてんだよ!自販機にっ、…!くそっ、…!」
悔しくて涙を流しそうになっている、くちびるを噛む神代を後ろから押さえて。
―――あの患者は、…――――。
留学先の大学に関係した病院で、初めて診断がついて、―――同時に、手遅れだとわかった患者を思い返して。
幾つかのそれに先立っての受診では、まったく診断ができなかった。確かに、もっとはやく此処へきていれば、だが。
神代と辰野も、その診断をつけることができはしたが、…。
辰野が、しずかに云う。
「落ち着け、神代ちゃん」
「…落ち着けるかっ!必ず、おれはこいつに、自販機に勝つ!絶対に、自販機に勝ってみせる!治しにきて、治りたいってボタンを押したら、治せるように医療をしてみせる!」
決意して言い切る神代に、思わずあきれながらも声を失くして。
怒りと、哀しみと、…だから。
「患者に、何も出来ずに失くすなんて、――――――」
怒りと、悔しさと、無念さと。
激しい感情を隠さずに、肩で息をする神代を押さえて。
「…神代ちゃん、――」
「いや、それだけじゃない!」
神代が、顔を上げて自販機を睨んで。
「おれは!いつか、医者がいらない世界にしてみせる!病気にならずに済むように、―――未然に防ぐことができるようになっ!あの患者さんだって、…―――発病しなかったら!無事で済んでたんだよ!」
「…おい、神代ちゃん」
無茶苦茶で感情的な、それでいて、くやしさと呑むものが。
「そりゃ、治せないってことも、…病気にならなきゃないだろうけどな?」
何いってんだよ、まったく、――――と、あきれながらも。その真剣さに言葉が継げないでいると。
それに、と神代が真剣に自販機と対峙していうのに。
「…くそっ、何にしてもっ、…!おれは、必ずこの自販機に勝つ!医療が、希望のボタンを押したら、ちゃんとその結果が出るようなものにしてみせるっ!」
くそっ!と、憎々しげに自販機を睨みつけていう神代に。
だから。
三
神原に過去の経緯を語って。がっくり、と肩を落としてロッカールームで着替えながらいう辰野に。
「あのとき、本当にどーしようかと思ったけどな、…」
「そんなことが、…――らしい、ですね」
微苦笑を零して、神原が視線を僅かに落としていうのに。
「まあなー、というわけで、いまも、神代ちゃんはあの自動販売機をみると自動的に闘いを挑んじゃうわけよ、…―。院内でいちいち闘われてたら、埒があかないだろ?だから、うちは自販機禁止」
「…―――それは、…」
ええと、と思っている神原に視線を向けずに。
「でも、驚かないね?神原ちゃんも。もしかして、神代ちゃんの医者をいらなくする計画、もう聞いてた?」
「…――はい、それに関しては」
頷く神原がしずかに微笑むのに、辰野が視線を天井に向けていう。
「あきれるよなー。あれ、しかも本気なんだ。自販機に張り合って闘うのも、診断が遅れて、…――救えない患者がいるから、それを無くす為に、確実に治せる―――てのを追い越して、発病させない為のシステムを作ろうとしてるのもなあ、…」
あきれながら、一緒にロッカールームに来て、着替えている辰野をそういえば、とあらためて神原が見る。
「そういえば、今日は午後まで別の病院に行かれてるんじゃなかったですか?病理診断で。なのに、白衣に着替えられて、どうしたんです?」
不思議そうにみる神原に、にっ、と辰野が笑む。
「あ、そりゃ勿論。白衣に着替える必要は無いといえばないけど、こーした方が、白衣に紛れるだろー?」
視線を向けて、にっこりという辰野に意味がとれなくて首を傾げる。
「…はい?確かに、その方が周囲に紛れるとは思いますが、…―?」
「だからさー、紛れた方が、神代ちゃんに近付いて遊べるだろー?衣服が違って、近付いて遊ぶ前に気付かれて逃げられたらまずいじゃないか?一種のトラップだな、これは。迷彩とかって奴?」
「…――――迷彩、ですか」
と、いうか。
そこまでして神代先生で遊ぶんですか?――と。おそらく、あまり時間もないのに、と神原がいおうとする前に。
「だってな、留学先であれだけじゃなく、どれだけ迷惑掛けられたと思ってるんだ?一生遊び返さないとな、元がとれない。うん!よし、もうあんまり時間ないな!じゃ、午後にな!」
「…ちょっと、――辰野さん?」
午後に予定しているカンファレンスで会おうと手を振って、跳び出していく辰野を見送って。
―――普段から、神代先生で遊ぶ為に、かなり命を賭けているとは思っていましたが、―――。
神原が、この病院に勤めるようになって知った先輩医師の一面をしみじみ思い返しながら、ゆっくりと白衣に着替えて廊下へ出て。
当然ながら、既に辰野の背が廊下の何処にもみえないのを確かめて。
「…気合い、入ってますね、…」
流石、辰野さん、と思いながらつい感心して。
それから、首を振って、しみじみ考える。
――それにしても、神代先生、…。
五十七億も借金をしていて。院内でも道に迷うくらい方向音痴で――手術室とICUと患者さんがいる部屋にはいけますが、――。
電子レンジを爆発させて―――一応、飲物一杯分だけは温めが出来るように周囲が教え込んだらしい、―――その上、―――。
「自販機に闘いを挑む男ですか?」
何て云うか、似合いすぎるんですが、と。
一応、神代と同じくこの滝岡総合第一に勤める心臓血管外科医神原良人が少し遠くを眺めてみながら考える。
さて、オフィスにいっても、もう辰野先輩はいないだろうな、…。
それにしても、と。
五十七億の借金があり。
建物内でも道に迷う極度の方向音痴で。
電子レンジを爆発させる特技の持ち主で。
自販機に闘いを挑む男、ですか、…――――。
これから先、何が追加されても驚けませんね、と。
ゆっくりマイペースで、神原が滝岡第一の外科オフィスへと向かう廊下を歩いていって。
そして、そうのんびりと思いながら滝岡第一を神原が歩いている頃。
同じ敷地内にある滝岡総合病院外科オフィスでは。
「一緒に内視鏡と腹腔鏡でハイブリッド手術しよう」
神尾に滝岡がにこやかな笑顔で。
以前、三週間とはいえドクター・カミシロに内視鏡手術の手技をある事情から習ったことを知った滝岡に、神尾が迫られていたりとするのだが。
「…いいですか、僕は感染症専門医で、内科医なんです!それに天才と呼ばれる方に習ったとはいえ、僕はその人本人じゃないんですよ?」
「勿論だ。だが、あの天才に習った腕があるというのに、活用しないのは勿体ないだろう?確かにいきなりでは怖いだろうから、まずシュミレータで技術評価をしないか?訓練してから、まずいきなり手術では怖いだろうから検査をしてみるというのは?胃のピロリ菌感染状態とか、みてみたくないか?」
「…―――っ、」
にこやかにソファの背に手を置いて神尾が逃げられないようにしていう滝岡に。思わずつまって見返す神尾。
Dr.カミシロが、実は神代光で、滝岡の従兄弟に当たる上に、同じ敷地内にある第一に勤務しているということを神尾が知るのは、これよりしばらく後になるのだが。
そして。
「それで、訓練してから、一緒に内視鏡と腹腔鏡で、ハイブリッド手術しよう、な?いまより頻度が高くハイブリッドが出来るようになれば、患者さんも助かるだろう?」
「…――――無理ですよ、僕は感染症専門医何ですよ?内科医なんです!そんな高度なことはできません!」
「そうか?だが、ドクター・カミシロが見込みのない奴に時間を割くとは思えないからな。患者さんを救えるなら、内科医や外科医に拘る必要はないだろう?おまえも、海外では外科的処置もしなくてはいけないことがあるといってたじゃないか」
「…違います!そういう緊急避難的なこととはレベルが違いすぎます、…滝岡さんっ?」
珍しくパニックになっている神尾に、楽しげに滝岡が遊んでいるのが、全部冗談だと知るのもまた少し先。
尤も、訓練した腕をそのままにするのは勿体ないから、後でシュミレータを使わせてみよう、と。
割と本気で神尾活用術を滝岡は考えていたりとするのだが。
同じ敷地には、より専門的な医療を行う為にある施設、滝岡第一。一般的な総合病院として機能している滝岡総合病院。さらに、小児と産婦人科専門施設があるのだが。その全貌を神尾が知るのは、まだまだ先になるようである。
いまは、ともかく。
「一緒に内視鏡と腹腔鏡でハイブリッド手術しよう」
にこやかにソファの背に手を置いて神尾が逃げられないようにしていう滝岡に。
「ダメです!そんな腕は僕にはありません!」
きっぱり断りながら、追い詰められている神尾。
対して、楽しげに。
「神尾、とりあえず内視鏡検査から初めてみないか?内視鏡検診から。最近は練習用の道具もあるぞ?人体を模した感触ある奴が。その練習をして、勘を取り戻してからならどうだ?EMRにESDも習ったんだろう?」
「そ、それは確かに習いましたが、…――僕は内科医で、感染症専門医なんです!」
滝岡に遊ばれていることに神尾が気付くのは、やはりもう少し先のようである。
光、自販機と闘う。
了
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