残雪の恋

内田ヨシキ

残雪の恋

「わたしのことは忘れて、もう二度とここへは来ないでください」


 冬の終わりに、彼女は悲しそうに言いました。


 その女性は、僕の一目惚れの相手です。


 大学2年目のこの冬、ひょんなことで親戚の家に滞在することになった僕が、ひどく寂れた神社で出会った人です。


 正月の朝、初詣に行こうとしたものの人の多さに嫌気が差し、人の少ないところはないかと散策して見つけた神社です。


 彼女は雪のように肌が白く、長い黒髪は艷やか。凛と引き締まるような立ち姿で、どこか冷たい目つきをしていました。その神社の関係者なのか、巫女服を着ていて、その白さも相まって雪景色に綺麗に溶け込んでいました。


 僕は生まれて初めて、初対面の女性に自分から声をかけることにしたのです。


「は、はじめまして。雪が、綺麗ですね」


「はい。綺麗に積もりました」


 彼女は寂れた神社に人が来たのが嬉しかったのか、冷たい目つきとは裏腹の明るい笑顔で対応してくれました。


 すっかり舞い上がった僕は世間話やら、親戚の家に滞在する事情やら、向こうでの一人暮らしの様子やら、彼女に話していました。


 思えば不器用すぎるアプローチです。普通なら煙たがられていたでしょう。でも彼女は、嫌な顔ひとつせず、話を聞いてくれていました。


 それどころか別れ際に、楽しかったと告げてくれて。


「わたしは、小雪と申します」


 名前まで教えてくれたのです。


 その日からは毎日、その神社に通い詰めました。


 そして会うたびに想いは積もっていったのです。


「明日には、もう帰らなくちゃいけません。でも僕は、小雪さんが好きです。必ずまた会いに来ます」


 小雪さんは僕の告白を聞いたとき、本当に悲しそうな目をしました。


「いいえ。わたしのことは忘れて、もう二度とここへは来ないでください」


「なぜですか」


「わたしは……雪の化身。雪解けの季節が来れば、今日まで積もった思い出はすべて解けて消えてしまうのです。そして次の冬には、新しいわたしに生まれ変わっているのです」


「……僕が嫌いで、会いたくなかったのなら、もっと早く言ってくれれば良かったのに」


「いいえ……いいえ! わたしも、あなたが好きです。好きなのです。だからこそ、あなたに悲しい思いをして欲しくないのです。すべてを忘れたわたしに会えば、あなたはきっと傷ついてしまいます」


「だったら、すぐです。またすぐに会いに来ます。忘れさせません」


 小雪さんは、首を横に振って背中を向けてしまいました。


 その冬はそれで終わったのです。


 それから僕は春にも、夏にも、秋にも、何度もあの神社へ訪れました。


 けれど一度も小雪さんには会えないまま。やがてまた冬になり、やっと再会することができました。


 いえ、それは再会と言えたのでしょうか?


「あなたは、どなたです? なぜわたしの名前を知っていらっしゃるのです?」


 初めは冗談かと思いました。けれど何度も話すうちに、本当に忘れてしまっているのだと思い知らされました。積み重ねた思い出がすべて、雪のように解けて流れてしまっていたのです。


 彼女は、本当に雪の化身だったのかもしれません。


 それでも、僕は神社に通い、小雪さんに会うのをやめませんでした。


 相手が忘れてしまっても、本当に雪の化身だったとしても、僕が彼女を好きな気持ちは消えたりしません。


 やがて小雪さんは、そんな僕に好意らしきものを見せてくれるようになりました。ふたりで手を繋いで、ただ雪が積もる様子を見ている日もありました。温かいお汁粉をお腹いっぱいに食べてしまって照れる姿は、本当に愛らしく思いました。


 そんな日々もついに最後の日が来ました。


 彼女は去年と同じことを言ったのです。


「わたしのことは忘れて、もう二度とここへは来ないでください」


「いいえ、必ず来ます。あなたが忘れても、僕は忘れません。何度でも思い出を語り、何度でも好きになって欲しい。僕には、あなた以外考えられない」


「あなたは……ばかです……。傷ついてしまうだけですのに……」


 二度目の冬も、最後に見たのは彼女の背中でした。


 それから毎年欠かさず、冬には小雪さんに会いに行きました。


 何度でも出会いをやり直し、出会った日からの思い出を語り積もらせ、新しい思い出も作っていったのです。


 親戚の家に招いてみたときは、嫁候補だと言われて真っ赤になった小雪さんが見られました。


 寒空の下、一緒に花火をしてはしゃぐ小雪さんは少し子供っぽくもありました。


 風邪をひいてしまったとき、看病してくれた彼女は頼りがいがありました。


 初めてキスを交わした日には、ふたりして涙がこぼれました。


 どれも別の年の出来事です。


 いつか解ける日が来るとしても、雪は降り積もり続けるのです。


 けれども、いつか解けてしまうのなら、雪を積もらせることは、虚しいことではないでしょうか?


 積もりすぎて重荷になることだってあります。


 いつしか僕は30歳手前になっていて、必ず忘れられる毎冬の恋に疑問を抱いてしまいました。


 会社の後輩から告白されたのと、無関係ではないでしょう。


 好きな人がいるから、と断ったのに、その後輩は食い下がってきました。


「だったら、なんでそんな顔をするんですか。報われない恋をしているんじゃないんですか。あたしなら忘れさせてあげられるのに」


 忘れる。


 本当はそうするべきだったのかもしれません。初めて小雪さんに言われたときに。


 毎冬、僕を忘れている小雪さんに会うたびに、少なからず心には傷がついていたのです。何重にも傷ついた恋心が、降り積もった思い出の重さに耐えられなくなっているのかもしれません。


 それでも僕は、この冬も小雪さんに会いに行くのです。


 ただ、これで最後かもしれません。心が潰れてしまえば、もう、会うことすら苦痛になってしまいますから。


 その冬も、小雪さんは寂れた神社にいました。初めて会ったときとまるで変わらない立ち姿で。


 僕は毎冬そうしていたように、声をかけます。


「……はじめまして。雪が綺麗ですね」


「はい。綺麗に積もりました」と返ってくるのが恒例でした。


 でも今年は、今年だけは違いました。


「……はい。今年も、綺麗に積もりました。積もり続けました……」


 彼女は目に涙を浮かべていました。


「はじめましてでは、ありません……」


「まさか……。僕を、覚えているのですか?」


「はい……はい! すべてではありません。けれど、わたしがあなたを愛していること……。あなたが、わたしを愛し続けてくれたことは覚えています……!」


「小雪さん……!」


 僕は思わず彼女を抱き寄せていました。嬉しすぎて、声が出せません。ただただ、唇が震え、涙がこぼれてきます。


 彼女も僕を強く抱き返してくれます。


「きっと……きっと、あなたがたくさん思い出をくれたからです。山に積もった雪が解けきらないように、あなたとの思い出もきっと……」


「好きだ、小雪さん。もう忘れないで。ずっと、覚えていてください……!」


「はい……。わたしも忘れたくありません。ずっと覚えていたいのです。これからも、思い出をください。どんな季節でも解けきれないくらいの思い出をください……!」


「もちろんです。これからは決して離れません。一緒に過ごす毎日を、特別な思い出にして積もらせていきましょう」


 こうして僕たちは、決して解けきれない愛を、ずっとずっとふたりで積もらせていくのでした。

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