第3話 雪と太陽の誓い
エイリスの部屋は王宮に与えられていた。
プラウの執務室の隣。
さすがに、寝室の近くではなかった。だが、他国から来た人間をすぐにこの近さにおけるスーリヤの寛容さを思い知った気がした。
「エ……リス、エイリス!」
その部屋で、エイリスは静かに目を開けた。
プラウの声だ。珍しい。今まで朝にエイリスに声をかけてくるのは侍女だった。
ぼんやりとした視界に、薄暗い部屋が見える。
青と白の見慣れた寒色たちを背景に、赤と金の色彩はとても映えた。
「プラウ? どうしたの、そんなに慌てて」
「どうしたの……じゃないよ! 君、ずっと雪の中で寝てたんだからね」
「ええ?」
「三日経っても出てこないから、来ちゃった」
三日。プラウに言われた言葉に周りを見回す。
部屋は凄惨なありさまだった。窓の外からは太陽が差し込んでいるというのに、すべてが凍り付き、雪の結晶に包まれている。
内部の窓枠に雪が積もっている。床にも雪があるが、プラウの周りと歩いてきた場所だけ、絨毯の赤が見えた。
そっとプラウがエイリスの頬に手を伸ばす。
暖かい。そう思った瞬間に、ベッド周りの雪が緩んだ。
「来ちゃったって、一人で?」
「うちが来たかったの」
無意識にプラウやスーリヤの人たちを危険にさらした。泥水を胸の中に差し込まれたように、重く暗い気分が広がる。
プラウはエイリスの曇りを晴らすように、朗らかに笑うだけだった。
「ごめんなさい。迷惑をかけたわね」
「ううん、いいよ。起きてくれたし」
プラウの手がエイリスの頬から下に落ちていく。
暖かい感覚にエイリスは少し目を細めた。
プラウの力は胸の中の雨雲にさえ効くようだ。
「どうして急に力が強くなったの?」
「強くなった?」
「だって、うちがこんなに近くにいるのに、これだよ?」
プラウが部屋を見回す。エイリスもベッド以外の場所へ目を向けた。
窓の外とは対照的な雪たちが、部屋の壁を彩っている。まるで風が吹いているように、雪の結晶たちが大きくなったり小さくなったりした。
プラウの周りだけ、部屋の通常の色が見え隠れしている。ベッドの上にも霜が降りていた。
先ほどより雪の力は収まっていたが、全体的に冷たい色は変わらない。
「あ、はははぁ……なん、でかしら」
「エイリス?」
「なあに?」
「なんか、聞いた?」
下手な誤魔化しだったのだろう。
エイリスの言葉に、プラウはすぐに距離を詰めてくる。真正面から、赤と金が迫ってくる。
そのまま受け止めたら、雪のように溶けてしまいそうで、エイリスは顔を背ける。
「プラウが、その、」
「その?」
「結婚相手を探してるって」
「はぁ? 誰がそんなこと」
「でも、この力がなくなったら、そうなるでしょ?」
プラウの高い鼻筋に皴が寄った。そんな顔をしても、整っている。
不機嫌そうに髪をかきあげたプラウに、エイリスは手のひらで小さな雪だるまを作って見せる。
プラウは作り上げられる雪の塊に目を輝かせた。が、すぐに、手首を取られる。
「エイリスは、そうしたいの?」
「え?」
「この力がなくなったら、普通に結婚して、誰かの所に行っちゃう?」
「ええと……私の話じゃなくて」
「いやだ」
プラウの熱が上がる。ただでさえ燃え上がるような髪が赤く輝いた。金の瞳は、まるで溶かされているように煌めく。
きれい。幼女のように、見惚れていた。
瞬間、部屋が一瞬で色を変える。赤の支配、まるで燃え上がったように見えた。
「え?」
「初雪の伝説、知ってる?」
「初雪の伝説?」
驚いて周りを見守すエイリスの顔にプラウの手が添えられる。
視線を固定されて、動けない。
初雪の伝説。エイリスは首を傾げる。
真正面にある金の瞳が、緩やかに弧を描いた。
「この国では、出会ったとき初雪を見た二人は、恋人になるって言われてるの」
「祝福って、言ってたものかしら?」
「そう、初雪の祝福。この国で雪は滅多に降らないし、雪が降る年は水不足にならなくて豊作になりやすいし……そんな奇跡的な時に出会えた二人は幸せになれるって」
「なるほど。色々な意味があるのね」
初雪に珍しさなど感じないヨルニアヘイムでは、ありえない伝説だ。
プラウが雪を祝福と言っていた意味が腑に落ちた。
と、説明は終わったのに、プラウの瞳が少しも自分から離れていない。
どくんと熱を差し込まれたように、胸のあたりが熱くなった。
「うちの初雪って、いつだと思う」
「え、子供のころとか?」
「ぶっぶー。違います。うちは小さい頃から太陽に愛されていたからね」
エイリスが、小さい頃から雪に囲まれていたのと同じ。
出会ったとき雪をぶつけたのに、プラウは喜んでいた。
思い出したプラウの理由を理解すると、胸の中で燻っていた熱が爆発したように広がった。顔が熱い。
「それじゃ」
「うちの初雪は君と会った時だよ」
左手を取られる。
プラウの褐色の手が、エイリスの指先を支え、薬指近くの甲に口づけられる。
現実のこととは思えなくて、エイリスはプラウの唇は瑞々しいんだなと、その姿を見つめているしかできなかった。
「人生で、初めて見たし、きっと君と以外、見ることもないだろうね」
「それって……」
「うちは、君と、結婚したい!」
そのままの姿勢で、プラウはこちらをのぞき込んでくる。
王族とは思えない直接的な言葉。だけど、今まで人と触れ合ったことさえないエイリスは、胸の奥に太陽を押し込まれた気分だった。
エイリスの混乱に合わせてか、雪の結晶が乱雑に大きくなったり消えたりしていた。
「初めて見た時から、なんて綺麗な人だって思ったから」
へへっ、と小さな笑顔をこぼす。
まるで王様らしくない、女王様。
だけど、その子供のような笑顔を見た瞬間、エイリスの口から言葉が滑り落ちていた。
「それはこっちの台詞なのだけれど」
「え、うちのこと綺麗だと思ったの?」
「だって、あんなに輝くような赤い髪と、金の瞳、見とれない方が無理じゃない?」
エイリスを見上げる太陽のような女の子に、そっと手を伸ばす。赤い髪の毛を一筋掬い上げた。
猫が甘えるように、手のひらに頭を擦り付けられる。
今、理解した。雪の力が強くなったのは、プラウを取られたくなかったからだ。
「めっちゃ、嬉しい!」
だけど、きっと、もう暴走することはない。
エイリスは笑顔を爆発させて、抱き着いてくる女王様に目を向けた。
太陽のような彼女が隣にいる限り、雪はすべてを凍らせない。
そして、エイリスがいる限り、太陽は何も殺しはしない。
二人は外から困ったように声をかけられるまで、ずっと顔を見合わせて笑っていた。
雪の初恋、陽だまりの契り 藤之恵 @teiritu
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