第2話 太陽に触れる雪


 エイリスは目の前にいる太陽の女王を、未だに信じられない気持ちで盗み見た。

 彼女の顔は穏やかで、どちらかというと悪戯っ子のような視線をエイリスに向けてくる。

 なんとなく直視できない。エイリスは車窓に顔をそむけた。


「良かったのですか? 私はいるだけで、雪を降らせる女ですよ」


 父親が言ったことは何も間違いではない。

 いるだけで雪が降る。雪は重い。雪は冷たい。雪は人々を凍らせるものだ。

 いつか、自分以外が動かなくなるのではないか。小さい頃はそんな夢を見て飛び起きた。


「うちも同じ」

「え?」

「うちはいるだけで、太陽が頑張っちゃうから」


 同じと言いながら、プラウの表情には明るさが溢れている。ほんの少しの皮肉が、唇の端に見え隠れした。

 同じ? そんなことは有り得ない。だって、こんなにも明るく呪いについて口にすることなんてできないから。

 エイリスの戸惑いを理解しているように、プラウは大きく馬車の中で背伸びをした。


「普通だと、まともに話もできないし、こうやって同じ馬車に乗れるのも、君が初めて。だから嬉しい」

「プラウ様」

「プラウで良いって年下なんだし……で、エイリスはどう? うちと一緒にいて暑くない?」


 今更、彼女が年下だと知る。

 体も大きいし、態度も立派で落ち着いているから、気づかなかった。

 だけど、部屋に突撃し二人だけで話した時の彼女は、確かに、年相応の女の子に見えた。


「暑くはない、かな。プラウは、寒くない?」


 たどたどしい言葉。敬語以外で話すことがなさ過ぎて、言葉が出なかった。


「うち、寒いって思ったことないんだよね。暑いもないけど」

「私も」

「お揃いだぁ」


 雪の世界に、太陽が差し込む。

 嬉しそうに笑う女王様に、嫌な感情なんて抱きようがなかった。

 たとえ彼女の太陽王という名前に、多くの皮肉を込められていたとしても。

 エイリスは本当の意味で、太陽のような子だなとプラウを見て思った。


「うち自身は大して困ってないんだけど、一か所にとどまってると旱魃になっちゃうからさ。移動するのがそろそろ面倒でね」


 プラウの言葉に頷いた。

 エイリスにも覚えがある。エイリス本人は雪で困ったことはないのだ。

 ただ、人の邪魔になってしまうだけで。エイリスの場合は、別の場所に行くと雪も移動するから、影響のない場所に閉じ込められていた。

 プラウの場合は逆の様だ。


「プラウが自分で移動しているの?」

「だって、その方が早いから」


 きょとんと首を傾げるプラウ。

 その方が早い。確かに、とエイリスは頷く。

 彼女はとても合理的だ。民のことを一番に考えている。きっとプラウに治められたスーリヤは良い国だろう。

 思考を巡らせていたエイリスに、プラウは静かに人差し指をピンと伸ばした。


「で、そんな時、エイリスの話を聞いたの」

「私の話」

「北の国ヨルニアヘイムには、いつでも雪を降らせる王女様がいるって」

「……呪われてるわよね」

「え、なんで? 雪、素敵じゃん」


 金の瞳が零れ落ちそうに見えた。その姿は、本気で雪が素敵なものと考えているようで。エイリスも目を瞬かせた。

 雪が素敵。そんなこと考えたこともなかった。

 太陽なら、わかる。熱や光を与え、植物を育てるのは太陽の力だ。

 雪が素敵なら太陽に祝福された彼女は、どれだけ素敵なのかわからない。


「雪は太陽と違って、何も齎さないわ」

「なんで? うちは綺麗だと思った。生まれて初めて、雪を見たけどね」

「……綺麗だけじゃないわよ。冷たいし、重い、邪魔になる」


 真剣な顔で、綺麗なんて言わないで欲しい。

 雪のことを言っていたとしても、今、プラウの目の前にいるのはエイリスなのだから。


「君、自分のこと嫌いでしょ?」


 顎の下に手を置いて一言。ほんと、絵になりすぎる女王様だ。

 言葉に詰まる。年下から、まるで子供を見るような瞳で見られた。

 エイリスを見て、プラウは少しだけ寂し気に瞳を細める。


「太陽だって、照らし続けたら、何もかも殺す……そういう存在だよ」


 太陽にも影は存在する。強い光で打ち消されてしまうのだけれど。

 その影がいきなり目の前に現れた気がして、エイリスは唇を小さく噛む。


「だから、うちら二人が協力すれば、きっとこの力を失くせると思う」

「この力を失くす?」

「そう、君はうちのパートナーとして、協力して欲しいんだ!」


 エイリスが夢にも思わなかったことを、プラウは考えていた。

 ぎゅっと手を握られた。想像もつかない未来を提示してくる。

 無謀、無理、無鉄砲。それなのに、不思議とエイリスの心は踊っていた。


 *


「で、あのプラウ様と、あんなに親しげなのね」


 エイリスは怖がりもせず自分の前に座る女性に目を配った。


「スージーは違うの?」

「私は、ただの研究者だし……プラウ様は眩しすぎて、見ることさえできないよ」

「へぇ、勿体ない」


 プラウに連れてこられたスーリヤは、彼女のような国だった。

 どこもかしも日の光に溢れている。

 プラウの考えていた通り、彼女と一緒にいるとエイリスの力は弱まった。プラウの力も同じようで、彼女にしては珍しく、ずっと王宮に留まることができているらしい。

 エイリスの言葉にスージーの瞳が光る。


「勿体ないってことは、プラウ様は整った容姿をしてるんだ?」

「ええ、そうよ。燃えるような髪の毛は緩やかにウェーブしていて、褐色の肌によく映える金の瞳はまるで太陽そのものみたい」

「はぁ~……そりゃ、モテそうだ」


 スージーは、エイリスが今まで見たことがないタイプの女性だった。

 まず顔には大きな眼鏡、着ているものも長いガウンで、飾り気はない。聞けば、プラウにエイリスのことを話したのも彼女だという。

 そんな彼女が口にした「モテそう」の言葉に、エイリスは首を傾げた。


「今までは、どうだったの?」

「? 言ったじゃない。見れないって」

「見ようと思えば、見れるわよね?」


 どういうことだろう。

 プラウの容姿が整っているのは見ればわかる。

 いくら王様とはいえ、見てはいけないなんて決まりは彼女に限ってありえないだろう。

 どこか根本がすれ違っている。二人そろって首を傾げていたら、スージーが何度か小さく頷いた。


「あー、そういうことか……私たちは、実際プラウ様の姿は後光がさしてよく見えないの」

「え?」

「本当に、太陽みたいな人なの。存在は光ってるからわかるんだけど、見えない」

「ほん、とに?」


 エイリスには、最初から見えていた。

 燃える髪も、金の瞳も。その瞳がどれだけキラキラと光るかも。

 全部、見えていた。なのに、この国の人たちは自分の国の女王様の綺麗さを知らないらしい。

 なんて、勿体ない。エイリスは初めて他人に同情した。


「だから、力を失くすか弱める方法を探していたのよ。いい加減、結婚相手も探しているでしょうし」


 だから、至極当然のように続いた言葉を理解できなかった。


「結婚……?」


 呟いた言葉に、冷たい空気が纏わりついていた。

 だが、スージーは気づいていない。


「プラウ様だって、女の子だもの。恋の一つや二つしてみたいでしょ」

「そうね。そうよね」

「エイリスも雪の力がなくなるか、弱まれば、引く手あまたでしょ?」


 ヨルニアヘイムで塔に閉じ込められるまでは、縁談もあった。あったが、エイリスに会う前にすべてが破談になった。

 恋に憧れる前に、人とまともに触れ合うことさえできなかったのだから。

 その上。


「どうかしら……私は一人がお似合いな気がするわ」


 エイリスは席を立った。

 手を付いた場所に氷の結晶ができあがる。

 プラウは誰かの隣が似合うだろう。太陽は誰かを温められるから。

 だけれど、エイリスには、何もかも雪に閉じ込めてしまうエイリスに誰かは似合わない。

 そう思った。


 エイリスが戻った部屋が雪に包まれたとプラウの耳に入るのは、この日の夜のことだった。

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