第5話 Reverse side: 俺だけが知っている物語
――目を開くと、そこには見覚えのある女の顔があった。
「あ、目が覚めた?」
――俺は何を見ている。記憶か? 誰の? …………俺のか。いや違う。記憶じゃない。映像でもない。これは――現実だ。
「ぁ……」
「ごめんね。ちょっと待っててくれる?」
彼女はそう言うと、俺を下ろして背中を向けた。
「約束破っちゃうことになるけどごめんね。あれ、倒してくるから」
彼女が向かっていく先には大きなタコ。だが、俺にはそれよりも気になるものがそこにはあった。――校舎だ。
俺にとって懐かしい風景で、失ったものの象徴とも言える建物。その建物に巨大なタコは絡みついている。
「なん……で……」
俺は知っている。どうして俺がここにいるのか。俺は見てきて、聞いてきて、ここまで来たのだから。
俺は知っている。彼女が何者で、どんな人間か。
「『顕現』」
お守りを取り出し、魔力を練る。するとお守りは、キーホルダーは巨大化した。
その姿はかつての頃と寸分も変わらない。飾りのない無骨な剣。戦うしか無かった日々にぴったりの武器。
俺はそれを手にして地を蹴り、空を蹴る。詠唱を行う女を横切り、巨大なタコへと肉薄する。
タコもこちらに気づいているようで、刃物のように鋭くなった触手を伸ばしてくる。俺はそれを致命傷になるものだけを切り捨て、それ以外の触手が腕や顔を切り裂くのを無視した。
そして刃が届く距離まで近づいたところで一閃。詠唱もなければ、技名もない。ただ斬るという行為を極限まで高めた一振を放つ。
「『斬』」
一振で十分だった。剣は空間を切り裂き、巨大な化け物を一刀両断する。
次第にタコは絡みついていた力を失って、学校から引きずり出されるかのように落ちていく。
「――イノリ!」
完全に息絶えたのだと確認しようとしたところで、俺の名が呼ばれる。
「記憶が戻ったんだね!」
喜色の表情で駆け寄ってくる彼女に俺は切っ先を突き付ける。
「……どういうつもりだ」
「どういうつもりって?」
奥歯をギリっと噛み締める。
大丈夫だ。怖くない。ここには脅威となる権力も武力も人質もない。だから、彼女たちを恐れなくていい。
「なんで! あんたが! この世界にいるのかってことだよ!」
「イノリを追ってきたんだよ」
「……そうか。ここはあんたが居ていい世界じゃない。さっさと帰ってくれ」
女は言っている意味がわからないという顔をしているが、わかっていないはずがない。俺が今、彼女に剣を突き付けているこの状況に何の疑問も抱いていないのだから。
この通告を無視した場合、俺がどう動くのかも分かっているはずだ。はずなのだが、やつは分かってないフリを続けて言った。
「やだ!」
「は?」
「いやだよ。せっかく婚約者としてイノリと出会えたんだから。それに白部ちゃんと肉倉くんと仲良くなれたんだもの。……あ、それにカナエちゃんとももっと仲良くなりたいなぁ」
「――は?」
それを、あんたが――言うのか?
「ふざけるな!」
俺は気付いたら彼女の首筋のすぐ側に刃を突き立てていた。
「仲良く? 仲良くって言ったか? なあ、アンデューク・ルナ・メア第二王女。俺がなんで、今、あんたに剣を向けているのか。本当に分からないのか?」
「……わたしたちがイノリに痛くて、辛い思いをさせちゃったからじゃないの?」
「そうじゃねぇよ! …………そんなことじゃぁ、ねぇよ」
なんで、分からないんだよ。
声が震える。頭が真っ白になる。俺が今、何を言っているのか。何を言おうとしているのか。そんなこと、俺にも分からなかった。だが、何故言おうとしているのかは分かった。――憎悪だ。怒りだ。自らが犯した過ちを理解していない人間に、罪を突きつけたかった。
「白部は!」
『え? えーっとね、実験に耐えられなくて壊れたから捨てちゃったんだって。最期は全身から血が吹き出したらしいよー。凄いよね』
「剛志は!」
『ねぇねぇ、ニククラ? の頭、保存魔法を掛けて持って帰って貰ったんだけど、イノリは欲しい? もし欲しいならプレゼントするよ!』
「あんたらが殺したんだろうが!」
一気に叫んだせいか、酸素が足りなくなる。大きく息を吸って、呼吸を整える。
「……それなのに何であんたは、白部と剛志と仲良く出来るんだよ。何も、思わないのかよ」
俺の叫びを、彼女は心底理解出来ないと言うような目をする。
「なんで? だってこの世界の二人は人間だよね。元の、わたしたちの世界とは違うよ」
「…………」
「あ、もちろんイノリはわたしたちの世界でもヒトだよ! だって魔王を倒すって偉業を成し遂げたんだから! お父様も認めてたよ!」
「俺は、」
「うん? どうしたの」
「俺たちはっ、最初から人間だ!」
ようやく理解した。あの世界の人間は、この世界の人間の俺には理解出来ない化け物なのだと。
「…………もういい。さっさと帰れ。もう、あんたらに関わりたくない」
「やだ。わたし、一生ここにいるから。イノリと結婚するんだもん」
「ああそうか。それなら、こっちの言うことを聞かないのなら――あんたの首を刎ねる」
今にも殺してしまいそうな衝動が全身を巡っている。ほんの少しのきっかけで、俺は彼女を殺すだろう。
だが、彼女は真っ直ぐ俺を見て言った。
「――いいよ」
「……は?」
「いいよ。イノリになら、殺されても」
そう言うと、そっとキスをするかのように目を閉じた。
理解出来なかった。だが、こうなってしまった以上、俺のすることは決まっていた。
「…………そうか」
俺はこいつを殺さなければならない。そうしなければ、俺は一生後悔する。確信がある。
そしてもう決断する時間は少ない。世界に亀裂が入り、パラパラと世界が壊れていくことを感じる。もう少しで、二人だけの世界が終わる。理屈は分からないが、ここはあの大ダコが作り出した世界だ。主を失えば形を保てなくなり崩れ去る。
そして、俺は再び失うのだ。彼女たちへの憎悪と、罪を。その前に殺さなければならない。そうしなければならない。
殺せ。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ。
「…………やっぱり、イノリはわたしを殺せないよ。優しいから」
「……なんで」
違う。殺せるはずだ。憎いはずだ。同じ空間にいることさえもおぞましいはずだ。何度も、何度も殺したいと願ったはずだ。
「無理だよ。君はわたしたちを憎みきれない。だって、君は神様にあんなことを願うような人だから」
「違う。……違うっ!」
憎んでいる。殺す覚悟もある。実際、ここにいるのが王妃だったら、第一王子や王女だったら。メア以外の、誰かだったら。俺は、躊躇わなかった。
「何で、あんたなんだ」
「イノリのこと大好きだもん」
「あんたがいなければ、俺たちはあの世界に居ないはずだった」
「そうだね。あの日、わたしが召喚の儀を行わなかったら、会えなかった」
「あんたがいなかったら、俺は今、この世界で生きていなかった」
「わたしだけの力じゃないよ。イノリが、頑張ったからだよ」
俺たちをあの世界に召喚したのはメアだ。そして、あの世界で俺を助けてくれたのもメアだった。
メアが俺に惚れなければ、一目惚れをしなければ、俺も剛志や白部と同じように実験台か使い捨ての戦力として死んでいた。でも、メアが居なければ、俺たちはあの世界で苦しむことはなかった。
彼女は俺にとってあの世界に連れてきた元凶で、あの世界で生きていくための心の支えだった。
全身から力が抜ける。前のめりになって、地面に倒れ込む。時間切れだ。世界が崩れるのと同じように記憶が欠けていく。
「なあ……頼むよ、メア。お願いだから、俺の前にもう現れないで欲しい。俺の人生に関わらないで欲しい。俺の知らない場所で、知らない人と幸せになってくれないか。……もう解放してくれ、あの世界から」
俺は懇願する。殺せないから、自分では断ち切ることが出来ないから。もう関わらないでくれと、頼み込む。
「嫌だよ。絶対に」
彼女はそう言って見下ろしてくる。
……ああ、その目は知っている。何度も見た、苦手な目だ。俺があんたの好意を否定すると、拒絶するといつもそんな表情をする。
「ねぇ、イノリ。……わたしね、ずうっと前から貴方を愛してたの。これは本当のことだから」
知っている。知らないふりをして、受け取らないようにしていた。自分の心を守るために、憎み続けるために。
――出会い方が違えば、仲良くなれたかもしれないと。かつてはそんな幻想を抱いていた。けれど、それはやはり幻想だ。された側が、されてきたことを忘れて仲良くなる事が、地獄と言わずに何と呼ぶ。
「だから、わたしは君と一生一緒にいるからね」
――願わくば。記憶を失った後の俺が、彼女と仲良くなりたいと思わないで欲しい。俺は心の底からそう思った。
異世界から来た王女様が俺の婚約者を名乗っているのだが、俺には異世界での記憶が無くて怖い(助けて) 警備員さん @YoNekko0718
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