第15話 小学生の頃って

 鷲津家の朝は早い。

 親父は勤めている会社が都心にあるせいか、毎朝始発に乗るために日も上がり切っていない時間に出て行く。

 お袋は市内の会社に勤めているものの、そこそこ仕事が忙しいらしく親父が出かけてからすぐに。

 理穂はそんな二人を見送ってからすぐに家を出る。

 何でも、なるべく通学路で同級生に会いたくないらしい。


 ちなみに理穂が家を出る時刻が六時半くらい。

 で、俺が起きる時間が七時で、家を出るのが七時半頃。

 

 一人残された俺は優雅なものだった。

 例えばそう。アラームをセットしたはずなのに、起きたら九時くらいだったなんてことはしょっちゅうある。

 それでも俺は慌てることはない。なぜなら焦ったところでしょうがないからだ。

 既に遅刻だし。


 ただ、今日はさすがに少しだけ焦った。

 スマホを二度見してしまったくらいだ。

 時刻は十一時。学校では四限目の授業が行われていることだろう。


「だりぃ」


 ベッドに寝転んだまま、休むことを真剣に検討する。

 最近、わりと真面目に授業に出席しているし、たまにはいいだろう。


 そんな風に自分に言い聞かせていたところで、ふと春川の顔が思い浮かぶ。

 決して春川に会いたいとか、そういう類のことを考えたわけじゃない。


 ただ、春川に掛けられた言葉が引っ掛かる。

 春川は、また明日と言っていた。

 俺が当たり前のように学校へ来ると思っているのだろう。


 ふと、想像してしまう。

 肩身が狭い教室で、休み時間や昼休みに春川は何をして過ごすのか。


 真っ先に思い浮かんだのは、食堂の隅っこで一人俯いてうどんをすする春川の姿だった。


「……行くか」


 呟いてから立ち上がる。

 春川に友情を抱いたわけではなく、心の底から同情したからである。




 ちょうど昼休みが始まったくらいの時刻に教室へと到着する。

 教室内は和やかな雰囲気だった。


 春川はすぐに見つかる。

 不審者のように、辺りをキョロキョロと見回していた。

 大人しそうな女子グループに視線が定まる。

 覚悟を決めたように頷いてから立ち上がる――と、思いきやすぐに座り直していた。


 その女子グループが談笑をしながら教室を出て行ったからである。


「うう……」


 諦めたらしい。

 バッグの中から財布を出して、ゆっくりとした動きで立ち上がる。


 そこで教室に入ってきたばかりの俺と視線が合う。


「あ」


 ツカツカと足音を鳴らしてこちらに向かってくる。

 春川は腰に手を当てて言った。


「鷲津くん。今何時だと思ってるわけ?」

「十二時ちょうど」

「バカなのかな? 時間を聞きたいわけじゃなくて、こんな時間まで何してたのってことを訊いてるの」

「おい待て。俺が体調を崩したとか、そういう可能性は考えないのか?」


 そこで春川はジト目になる。


「どこからどう見ても健康そうじゃん」

「まあそうなんだけどな」


 俺が自分の席に向かうと春川もついてくる。

 鞄を机の上に置いてから向き合った。


「今日も食堂か?」

「え? あ、うん。そうだけど」

「ならとりあえず行くぞ。遅刻の文句なら飯を食いながら聞いてやる」

「あれ鷲津くんって購買のパン派じゃないの?」

「今日はラーメンの気分なんだ」

「ふうん。まあ……そういうことならいいけど」


 どういう感情か、春川は財布を両手でぎゅっと握っていた。

 まあ悪いようには思っていないのだろう。

 少なからず嬉しそうに見える。


 俺が歩き出すと、春川が隣に並ぶ。

 そのまま二人揃って教室を出た。


「新しい作戦とやらは思いついたのか?」


 俺が尋ねてみると、春川は溜息交じりに首を横に振ってみせる。


「いや、全然ダメかな。何も思い浮かばない」


 俺にとっては吉報だった。

 満足そうに頷いている俺が気に入らなかったのか、横目で睨んでくる。


「言っておくけどさ。諦めたわけじゃないから」

「へぇ。まあせいぜい頑張れ」

「意地悪だよね。何でそうやって他人事みたいに言うかな」


 そんなやり取りをしていたところで、廊下の先で知っている教師を見つける。

 知っている教師、というか俺や春川が所属している二年一組の担任だった。

 

 柔和な笑みを浮かべて、すれ違う生徒達に挨拶をしている。


 名前は……そうだ思い出した。

 海老原えびはらという名前だった。


 二十代半ばくらいの若い女性教師で、おっとした性格だったと記憶している。

 生徒に対しても穏やかに対応をするため、生徒ウケも良かったような。


 ただ、中身がどうであれ、担任教師は担任教師である。

 遅刻の小言を言われるのも面倒だったので、回れ右をして退散しようとする。


 だが、


「何で逃げようとするの?」


 春川に腕を掴まれる。

 やけに力が強く、簡単に振りほどけそうにない。


 逃走を諦めたところで、海老原先生が近くまでやってきた。


「あ、鷲津くんに春川さん。これから二人でご飯?」


 そこで春川の背筋がピンと伸びる。


「はい。これから食堂に行くんです。鷲津くんとは最近仲良くなったので」


 明らかな営業スマイル。

 海老原先生はのほほんとした口調で答える。


「青春だね~」


 コメントが適当過ぎる。


 ふと、海老原先生が首を傾げてみせた。


「あれ? 鷲津くん、今日遅刻してなかった?」


 最初にそれを言うべきだろう、と思ったものの、突っ込むことなどしない。

 相手は一応教師である。


「さっき来ました」

「うんうん。それはよろしい」


 何がよろしいのかさっぱりわからない。

 海老原先生は春川の方を向く。


「今日は遅刻しちゃったけどね。最近、鷲津くんがちゃんと授業に出てくれることが多くなったの。春川さんの影響かな?」


 春川は目を輝かせていた。

 更に胸まで張ってみせる。


「はい。それはもう、私のおかげと言っても過言ではないと思います。ね? 鷲津くん」


 立派に過言である。

 だが、俺としては早くこの場を終わらせることが最優先だった。

 適当に頷いておく。


 そこで海老原先生は腕を組んで何かを考え込む。


「うーーーん。そっかぁ……………」


 やたらと間延びした返事をしてから、


「そういうことなら春川さんにも来てもらおうかな」


 なんて、よくわからないことを言った。

 更に続ける。


「あのね。二人共、今日の放課後時間あるかな?」


 春川は真っ先に頷き、


「はい。大丈夫ですけど」


 じっとこちらを睨んでくる。

 言い訳を考えるのも逃げるのも面倒だったので頷いておいた。


「俺も大丈夫です」


 俺達の返事に海老原先生は満足そうに頷く。


「うん。じゃあ、二人共放課後ね」


 そう言い残して、海老原先生は立ち去る。

 俺達はその背中を見送っていた。


 こういう時、普通は用件の触りくらいは事前に伝えるべきではないだろうか。

 そんなことを思ったものの、やはり口に出そうとは思わない。


 相変わらず、どこか掴みどころのない先生だった。


「鷲津くん。逃げたら許さないから」


 海老原先生が廊下の先を曲がっていった辺で春川が口を開く。


「別に逃げるつもりはない」

「どうかなぁ? まあ、でも首根っこ掴んでも連れていくけどさ」


 さらりと物騒なことを言っている春川。

 何となく、優位に立たれているような気がして癇に障る。


「授業の態度といい、春川って教師の前だとキャラ変わるよな」


 嫌味のつもりで言ったものの、全く効いていないようだった。


「え? 当たり前じゃん。だって教師だよ? 愛想良くするのは当然でしょ」

「俺にはよくわからん。疲れないのか?」

「全然。だって小学生の頃からこんなだし。キャラ作りも年季が入ってるから」

「立派だな」


 今度は嫌味でも何でもなく、素直な賞賛だった。


 ふと、尋ねてみる。

 小学生というワードを聞いて、思いついたことがあった。


「なあ、春川。春川の小学生の頃のあだ名って、チクり――」

「それ以上言わないで」


 やたらと怖い笑顔を向けてくる。

 やはり俺の想像通り、春川はそういうポジションだったらしい。

 面白くなってきたので、更に続ける。


「掃除の時にさ。もー男子! みたいな――」

「それ以上言わないで」

「合唱コンクールの時とか、ちょっと男子! みたいな――」

「それ以上言わないで」


 全部心当たりがあるらしい。

 春川の小学生時代が容易に想像できた。


 やがて数秒の間を置いてから、春川は笑顔のまま言う。


「二度と小学生の頃の話を振ってこないで」


 その不穏な迫力に、俺はただ頷くことしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人間関係でやらかしてもヒロインになれますか? 朝霧なぎさ @shika3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画