第14話 ドーナツ

「――ということがあったんだ」


 自宅に帰ってから、俺は駅前で起きた出来事を理穂に話していた。


 しかし、まるで話を聞いているように見えない。

 どうやら俺が買ってきたドーナツにしか興味がないらしい。

 こうしてリビングのテーブルで向かい合って座っているというのに、その視線はドーナツにしか向けられていた。


 というか、すごい勢いで食べていた。


 相変わらずの食欲だ。

 理穂の場合、こんな調子でも晩飯はしっかり食べる。しかも大盛りのおかわりまですることだろう。


 ほとほと呆れていると、ドーナツを飲み込んでから理穂が言った。


「兄さん、それフラグだよ」

「フラグ?」

「うん。少女漫画みたい」


 言われて女の子の様子を思い返す。

 が、あまりピンと来ない。俺が少女漫画に縁がないせいだろうか。


「よくわからないな」

「まあ兄さんならそうかも」

「どういう意味だ?」

「鈍感だし」


 理穂はティッシュで自分の口を拭いていた。

 どうやら自分の分は食べ終えたらしい。

 両親の分を無表情でじっと見ている。


「いいんじゃないか? 少しくらい食べても。こうなるだろうと思って多めに買ってきたから」

「さす兄」

「略すな。色々危ないから」


 再びドーナツを貪る理穂。

 まるで手品のように一瞬で食べていた。


 やがていくつかのドーナツを残して名残惜しそうに紙袋を閉める。

 そこでようやく俺に視線を向けてきた。


「もしかしたら、兄さんにも春が来たのかも」


 どうやらさっきの話がまだ続いていたらしい。


「だから、別にそういうつもりで助けたわけじゃない」

「じゃ、何で助けたの?」

「放っておけないだろ。明らかに困ってたんだから」

「下心はないと?」

「ないね」


 そこで理穂は無表情のまま首を傾げた。


「兄さんって、女の子に興味あるの?」


 あるわ、と一蹴したい。

 ただ、妹からの質問というところがネックだった。

 変に強い口調で言うと、引かれてしまう可能性がある。


「なくはない」


 お茶を濁すことにした。

 理穂は納得がいかなかったのか、首を傾げたままぴくりとも動こうとしない。


 数秒の間があってから、理穂の首が元の位置に戻る。


「兄さんの好きな女の子のタイプは?」

「何で妹とそんな話しなきゃいけないんだ?」

「兄さんが心配だから」


 言葉足らずな妹だが、今回に至っては意味不明である。

 ただ、別に意地を張ってまで隠したいことじゃなかった。


「そうだな。一歩後ろを付いてきてくれるような、そういう奥ゆかしい子がタイプだな」


 俺が言うと、理穂の眉が少しだけ下がる。


「兄さんは女子に夢見すぎ」


 やけに辛辣な感想だった。

 更に続ける。


「そんな女の子はこの世に存在しない」

「おい。それは言い過ぎだろ」


 ふう、と。

 理穂はわざとらしく溜息をついてみせた。


「兄さん。清楚な女の子ってフィクションなんだよ。それっぽいのはいるけど」


 そういえば桐葉も同じようなことを言っていた。

 俺の周りの女性陣は清楚な女性に恨みでもあるんじゃないだろうか。

 そんなことを真剣に考えてしまう。


「とにかく。童貞拗らせてる暇があるならさ」

「おい言い方」

「適当に彼女作ってみればいいんじゃない?」


 考えてみる。

 だが、どうも納得できない。


 恋愛とはもっとこう真剣なもので――なんて言い出したらまた理穂にバカにされるに違いない。

 俺は反撃してみることにした。


「そういう理穂は彼氏いるのか?」

「いない」


 堂々としている。

 だから何ですかと言わんばかりに。


「それなら理穂のタイプは?」

「兄さんみたいな人」


 冗談なのか真面目に言っているのかよくわからなかった。

 まあ九割九分九厘、冗談だろう。

 どうやら真面目に答えてくれるつもりはなさそうだった。


 なんて思っていたところで、


「だって兄さん以上にカッコいい人いないし」


 なんて無表情で言ってくる。


 数秒くらい見つめあってから、意図を理解する。

 ドーナツを指差してみせた。


「俺の分も食えよ。そんな回りくどく持ち上げんな」

「ありがと。兄さんのそういうところ好き」

「はいはい」


 最初から俺は自分の分が残ると期待していなかった。

 まあ、たいして甘いものが好きなわけではないし、こうして理穂が幸せそうに食べている姿を見るだけで充分だったりするわけで。


「兄さん、一口食べる?」


 理穂がドーナツを差し出してくる。

 受け取ろうとしたら、そのまま口に運んできた。


「あーん」


 口をつけると、甘い味が広がっていく。

 悪くはなかったが、最初に思った感想はパサパサしているから飲み物が欲しいというネガティブなものだった。


「ふふ。兄さん、美味しいね」


 見ると、理穂は微かに微笑んでいた。

 一年に一回見られるかどうかの笑顔である。


 パシられようとも、馬鹿にされようとも、こういう表情が見られるだけで全てを許してしまいそうになる。

 兄というのは、難儀な生き物だった。

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