後編

 ──雪女は、愛した男を氷漬けにして魂を奪う。


 過去、雪女と恋に落ちた末、一緒に暮らした男たちの記録は何件もある。子供が生まれた例も少なくない。

 けれど、そのすべての結末は悲劇だ。

 彼女たちの愛情は一途で、北国の雪のように重くて深い。歳月を重ねるほどに降り積もるそれは、年老いて寿命の近付く相手と永遠に添い遂げたい──たとえ氷漬けにしてでも。そんな抗いがたい欲求となって、やがて愛する男の命を、愛ゆえに奪う。


 母さんを抱きしめながら、朦朧とする意識のなか思い浮かぶのは、凍った父の死に顔。

 それはあの夜、雪女の肩越しに見た、抱きしめられる父の表情のそのままだった。


 前日まで苦悶に歪んでいたそこに、浮かんでいたのは優しい微笑みだった。


 つまりそういうこと・・・・・・だった。


 父が任務で深手を負った相手は、まさにこの崩神なのだ。

 そしてあの夜、母は父がもう助からないと悟り、雪女としての最後の望みを果たして、氷漬けになった愛する男の魂と永遠にひとつになった。


「こ……のバカ……ねえ起きてよおにぃちゃん!」


 雪乃の声が聞こえる。なつかしいな。彼女は朝が弱い僕を、いつもこんな風に叩き起こしてくれた。そして休みの日の朝は、並んでいっしょにアニメを見たものだ。


「起きろバカおにぃ! 勝手に死んだら、ぶんなぐるぞっ!」


 ……あのころよりちょっと言葉遣いが乱暴になってる気がする。それから、声がでかい。というよりも、まるで頭の中から響いているようだ。


「──?!」


 目を開いて上半身を起こす。周囲には凄まじい猛吹雪が、渦をなして荒れ狂っていた。しかし僕の周囲は無風で、寒さも感じない。いや、むしろ暑すぎるくらいで、立ち上がりながらほとんど無意識に、上着を脱ぎ捨てる。

 見れば脱いだコートの背中はざっくりと切り裂かれ、大量の赤い血が付着していた。明らかに致命傷の出血量だ。


「あのひとと同じね。冷静なくせ、先のことは何も考えてない。わたしを山から連れ出した時も、そうだった」


 母さんの声がして振り向く。無事で、僕のすぐ傍らに立っていた。


「ほんとうなら、あのひとと私の間には、私と同じ雪女がひとり生まれるはずだったの」


 遠くから、怒り狂った崩神クズレの咆哮が聞こえる気がする。吹雪の壁の向こう側で、やつもまた健在なのだろう。


「でもあなたたちは双子で、人間と雪女とにきっちり分かれて生まれてきたの。きっと、あのひとの強い法力の影響だと思う」


 そう言えば、雪乃はどこだろう。周囲を見回すが、渦の内側にその姿はない。

 ただ、カギ爪が掠ったのだろうか、後ろでまとめていた髪がほどけて前髪が目の前で揺れる。

 それはメッシュではなく全て真っ白だった。そう、母さんや雪乃とおなじように。


「あなたたちは、もとはひとつ。だからあなたが命を失いかけたとき、それを補うように、またひとつに戻ったのね」


 ひとつに、もどった? どういうことだろう。意味を考えようとした、その瞬間。


 ──わかるでしょ。わたしも、ここにいるの。おにぃちゃんの中に。


 頭の中に雪乃の声が響いて、そしてなだれ込む彼女の思考によって、すべてを理解していた。


 背中に致命傷を受けて倒れた僕に、駆け寄る雪乃。その手が傷口に触れた瞬間、巻き起こった凄まじい吹雪の渦の中で、母さんの言葉どおり、僕と妹はひとつになった。

 おそらく正確には、雪乃の肉体が妖力化して僕の法力と同化した──というところだろうか。


 聞いたことのない話だが、実際そうなっているのだから受け入れるしかない。

 僕は離れた場所に突き刺さっている木刀へと、手のひらを向けた。それは瞬時に氷漬けになって空中に浮かび上がり、僕の手元に飛来する。


「すごいな」


 ──すごいでしょ。もっと褒めていいよ。


 木刀を振って氷を散らしつつ、脳内の雪乃こえに思わず苦笑する。

 しかし実際のところ、この力が「凄い」ことは自覚できていた。妖力と法力、本来は相反する力が融合したことによって、凄まじい力を得てしまった気がする。

 恐怖さえおぼえてしまうほどに。


 ──だいじょうぶ、おにぃちゃんが力に溺れて悪の道に走りそうになったら、わたしが止めてあげるから。


 いやいや悪の道ってなんだよ。けれど、それはとても心強い言葉だった。


「行こうか」


 ──うん。


「気を付けてね、ふたりとも」


 母さんの声に、黙ってうなずく。そして吹雪の渦が晴れてゆく。

 その向こう側、仁王立ちで待ち受けていた崩神クズレは、くんくんと鼻を鳴らす。

 

『なんだおまえ、あの娘を──おれの女を喰ったのか?』


 濁った瞳を嫉妬と憎悪でさらに汚濁させながら、崩神クズレは嵐のように咆哮する。吹き付ける妖気と瘴気に、しかしさきほどのような圧は感じられない。


 ──わかる。いまのの方が、強い。


 ふと左手が勝手に動き、体の表面をなぞる。追うように細雪がまとわりつき、母さんや雪乃のとよく似た白い着物が実体化した。コートのように羽織ったその裾を翻して僕は、剣の切っ先を崩神クズレに突きつける。


「父さんの仇、討たせてもらう」


 言い放つ。同時に崩神クズレは咆哮し飛び掛かってきた。

 再び左手が勝手に動き、空中の巨体に手のひらを向ける。そこに出現した白く巨大な氷壁は、一瞬で崩神クズレの巨体を遥かに越えそびえ立つ。


『ごあッ……きサまぁぁぁッ!』


 壁に顔面から激突して、さらに怒り狂う崩神クズレ。反対側で僕は、全高10メートルを越えそうなその壁を垂直に駆け上がっていた。

 靴底を凍結させ壁に吸い付けているようだけど、細かいことは雪乃まかせだ。


「ノウマクサンマンダッ」


 壁の頂点に立って、荒れ狂う崩神クズレを見下ろしながら、木刀を天に向けて構えつつ真言を詠唱する。あらゆる魔を払う最強の守護者──


「バザラダン、カン!」


 ──不動明王フドウミョウオウの法力が、本来の紅い炎ではなく、青白い冷気となって剣の周囲を包み込む。

 そして僕は、眼下の崩神クズレに向かって飛び降りていた。


『バカめがっ!』


 こちらを見上げる獣は嘲笑いながら後方に跳躍する。それだけで木刀の間合いからは余裕で逃れることができるだろう。


 ──バカそれは否定できない。おにぃちゃんだけなら、ね。


 落下しながら刃の描いた青白い冷気の軌跡。

 僕が雪煙を巻き上げながら着地するのと同時に、そのすべてが長大な氷の刃と化し、呆然と見上げた崩神クズレに振り下ろされる。


『あえ?』


 驚愕に見開かれた両目の中央をまっすぐ通り、刃渡り10メートルの大氷剣は巨体をまっぷたつに両断していた。


 ──名付けて、降魔ゴウマ氷瀑斬ヒョウバクザン


 ……だそうだ。そういえば二人でアニメを見ていた頃から、雪乃は男の子向けのバトルものが大好きだったな……。


 赤黒いどろどろの液体になって雪原に沁み込んでいく崩神クズレの屍を、後方から母さんも見つめていた。その白い頬に流れた涙のすじは、すぐに凍り付いてきらきらと輝く。


 ──あーあ、見惚れちゃって。昔から思ってたけど、おにぃちゃんってマザコンだよね。


「なっ、ちがっ!?」


 脳内に響く雪乃の冷めた声が、余韻を消しとばすのだった。



 ◇ ◇ ◇



「彼女が、今日からクラスみんなの仲間になる卯佐美ウサミ 雪乃さん。ご家族の都合で長く海外で生活していたけど、このたび十年ぶりに日本に戻って、当校うちに編入することになった」


 教師の紹介を受けて、セーラー服姿の雪乃が深々と腰を折って頭を下げ、そのまま顔だけ上げてにっこり微笑んで見せた。ポニーテールの髪がぴょこんと跳ねる。


「みなさん、よろしくお願いします!」


 教室のそこかしこから、男女問わず「かわいい」の小声が漏れ聞こえる。


「心細いこと、わからないこともあると思います。みんな、親切にしてあげてね」


『はーい!』


 雪山の一件の後しばらくして、僕の「人間として受けた傷」が回復したからなのか、雪乃との合体は自然と解けた。

 あのまま脳内が筒抜けではと困ったので、それはいいのだけれど。


 狩村一族の長老達も対策課トクジューも、僕ら兄妹の合体状態──『羅雪ラセツ』と呼称されることになったあの力を活用したい意向は明らかだった。

 昨今の社会不安に伴い妖力と凶暴性を増す怪異たちへの抑止力として、是非にと。


 しかし前例のない、かつ強力すぎる力の扱いには慎重論も多く。

 そんなこんな上層部うえのほうの思惑が絡み合った末、「監視」として僕が張り付くことを条件に、雪乃を「特別協力者」として迎え入れることとなったのである。


 僕の隣の空席に腰掛けると、雪乃はさっそく小声で囁いてきた。


「よろしくね、おにぃちゃんユキトくん

「……よろしく……」


 僕は苦虫を頬張りながら渋々と応える。


「で、あの子が委員長の雨宮さんね」


 続けて、斜め前方に座ったショートカットにメガネの似合う少女に視線を向け、雪乃はと笑った。──えっ。いや、まさかそんな。


「協力してあげるね!」


 ああ、最悪だ。合体した時、僕が雨宮さんかのじょに寄せる密かな想いまで、筒抜けになってしまったらしい。


「大丈夫、マザコンのことは黙っておいてあげるから……」

「なっ、ちがっ!?」


 がたん、と思わず立ち上がってしまう僕に、振りむいた雨宮さんの涼しげな瞳が一瞬だけ微笑んで、すぐ前を向く。


 ──この日より、僕の新たな激闘の日々が幕を開けたのだった。

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羅雪幻冬譚 ~白き少女と征魔の剣~ クサバノカゲ @kusaba

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