【LGBTQ百合恋愛短編小説】La Rose de l'amour ―愛の薔薇―(約8,300字)

藍埜佑(あいのたすく)

【LGBTQ百合恋愛短編小説】La Rose de l'amour ―愛の薔薇―(約8,300字)

●第1章:運命の化粧台


 四月の柔らかな陽射しが、銀座の街路樹の若葉を淡い緑色に染めていた。高層ビルの谷間を吹き抜ける風は、まだ少し冷たい。


 一条小百合は、背筋を伸ばして歩道を歩いていた。二十五歳。大手化粧品会社「フルール・コスメティック」の営業部に勤務して三年目。すらりとした長身から醸し出される凛とした佇まいは、道行く人々の視線を自然と集めていた。しかし、小百合自身はそんな視線に気付いていない。特に、男性からの視線には極力触れないようにしていた。


 今日も新商品のメイクアップラインの案内で、銀座エリアの化粧品専門店を回っている。スーツのポケットに入った営業カードの束が、歩くたびにかすかな存在感を主張していた。


「あと一件……」


 小百合は手帳を確認する。最後の訪問先は、銀座五丁目にある「ラ・ローズ」という小規模だが高級感のある化粧品専門店だった。


 店の前に立つと、ショーウィンドウに飾られたディスプレイの美しさに目を奪われた。春の花々をあしらった中央に、ヴィンテージの化粧道具が優美に配置されている。その構図の妙と色彩の調和に、小百合は思わず見入ってしまった。


 チリンと控えめな音を立てて、ドアが開く。


「いらっしゃいませ」


 その声に、小百合は息を呑んだ。


 目の前に立っていたのは、この世のものとは思えないほど美しい女性だった。すらりとした長身から漂う気品、透き通るような白磁の肌、しなやかな黒髪が優美な曲線を描いて肩に落ちている。だが何より印象的だったのは、その瞳だった。深い琥珀色の瞳は、見る者の心を吸い込んでしまいそうな魅力を持っている。


「あ、あの……フルール・コスメティックの一条と申します」


 小百合は慌てて名刺を差し出した。相手は優雅な仕草でそれを受け取ると、にっこりと微笑んだ。


「栗原環と申します。オーナーをしております」


 中性的で少しハスキーな声が、小百合の耳に心地よく響いた。思わずドキリとする。


「新作のメイクアップラインのご案内に伺いました」


「ああ、ご連絡いただいていた件ですね。ゆっくりご説明いただけますか?」


 環の笑顔に導かれるように、小百合は店内へと足を踏み入れた。


 店内は、ショーウィンドウの印象通り、優美で落ち着いた雰囲気に包まれていた。白を基調とした内装に、アンティーク調の什器が映える。環は小百合を奥のカウンセリングスペースへと案内した。


「では、新商品のご説明をさせていただきます」


 小百合はカタログを広げ、説明を始める。だが、環の存在が気になって、いつもの流暢な説明が途切れ途切れになってしまう。特に環が真剣な眼差しでカタログを覗き込む時、その横顔の美しさに見とれて言葉を詰まらせてしまった。


「よろしければ、実際に商品をお試しいただけますか?」


 小百合は、持参したテスターを取り出した。環は静かに頷き、メイクカウンターに腰掛けた。


 小百合は環の肌に触れる。指先から伝わる感触に、小百合の心臓が高鳴る。クリームファンデーションを肌に馴染ませていく過程で、環の素肌の美しさに改めて息を呑んだ。まるで上質な絹のような質感。そこに新作ファンデーションを重ねていくと、さらに透明感が増していく。


「すごく……お似合いです」


 思わず漏れた言葉に、環は少し照れたように微笑んだ。その表情が愛らしくて、小百合は慌てて視線を逸らした。


 メイクが進むにつれ、環の美しさはますます際立っていく。それは小百合の腕の確かさを証明するものでもあったが、同時に環が本来持っている美しさがベースにあってこそだった。小百合は無意識のうちに、環の表情の一つ一つを心に刻み付けていた。


 最後にリップを塗り終えると、環は手鏡を覗き込んだ。


「素敵……。一条さんの技術が素晴らしいですね」


 環の言葉に、小百合は頬が熱くなるのを感じた。それは純粋な褒め言葉への照れだけではない。環への意識が、確実に特別なものに変わりつつあることを、小百合は薄々感じ始めていた。


「あの、これからもときどき、新商品のご案内に伺ってもよろしいでしょうか?」


 思い切って尋ねると、環は嬉しそうに頷いた。


「ぜひお願いします。一条さんのメイクで、もっと素敵になれる気がします」


 その言葉に、小百合の心は大きく跳ねた。


 外に出ると、夕暮れが街を優しく染めていた。靴音を響かせながら、小百合は環との出会いを反芻する。胸の中で、何かが確実に芽生え始めていた。それが何なのか、小百合にはまだ分からない。ただ、次に環に会えることを、今からすでに待ち遠しく感じていた。

●第2章:心と心の距離


 五月の陽気が、街を明るく照らしていた。小百合は一週間ぶりに「ラ・ローズ」を訪れていた。今日は新商品の案内という名目だが、本当のところは環に会いたくて仕方がなかった。


 店に入ると、環は優しい笑顔で小百合を迎えた。


「一条さん、お待ちしていました」


 その言葉に、小百合の心臓が跳ねる。


「今日は夏向けの新作をご案内させていただきます」


 説明をする間も、小百合は環の仕草の一つ一つが気になって仕方がない。商品を手に取る指先の綺麗さ、真剣に話を聞く横顔の凛とした佇まい。それらすべてが、小百合の心を揺さぶっていく。


 説明が終わり、いつものようにメイクのデモンストレーションへと移る。環の肌に触れる度に、小百合の指先がわずかに震える。


「一条さん、今日はどうかされましたか? 手が震えているように見えますが」


 環の声に、小百合は慌てて取り繕う。


「い、いえ! 大丈夫です!」


 必死に平静を装うものの、環との距離が近すぎて、小百合の心は激しく鼓動を打っていた。


 メイクを終えると、環が思いがけない提案をした。


「もうお昼時ですね。よろしければ、一緒にお茶でもいかがですか?」


 小百合は思わず声を上ずらせながら答えた。


「え! は、はい! ぜひ!」


 環は微笑んで立ち上がると、店の奥から上着を持ってきた。


「では、私の好きなカフェにご案内しますね」


 環に導かれるまま、小百合は店を出た。五月の柔らかな日差しが二人を包み込む。環は小百合を、裏通りに佇む小さなカフェへと案内した。


 アンティーク調の家具が並ぶ店内は、まるで「ラ・ローズ」の雰囲気そのもののように、落ち着いた空気が漂っていた。二人は窓際の席に腰掛けた。


「このお店、落ち着きますよね。私の密かな隠れ家なんです」


 環は、少し照れくさそうに言った。その表情が愛らしくて、小百合は思わずじっと見つめてしまう。慌てて視線を逸らすと、さりげなくメニューに目を落とした。


 二人でアールグレイとスコーンを注文する。待っている間、環は小百合に様々な質問を投げかけてきた。仕事のこと、趣味のこと、好きな映画のこと。会話が進むにつれて、小百合の緊張も少しずつほぐれていった。


「一条さんは、お化粧品の営業のお仕事、好きなんですか?」


「はい。お客様の『キレイになれた』という笑顔を見るのが、とても嬉しいんです」


 小百合は心からそう思っていた。特に環の笑顔は、見ているだけで心が温かくなる。そんなことを考えていると、また頬が熱くなってきた。


 紅茶が運ばれてきて、二人で優雅なティータイムを過ごす。環との会話は自然と弾んでいった。話題は仕事の話から、それぞれの趣味の話へと移っていく。


「私、実は絵を描くのが好きなんです」


 環がそう言うと、スマートフォンを取り出して、自分の描いた作品を見せてくれた。繊細なタッチで描かれた風景画や人物画。その一枚一枚に、環らしい優美さが漂っていた。


「素敵ですね……」


 小百合は感嘆の声を漏らした。環の新しい一面を知ることができて、嬉しい気持ちで胸が一杯になる。


 気がつけば、外は夕暮れ時。二人で過ごした午後のひとときは、まるで夢のように過ぎ去っていた。


「今日は楽しかったです」


 別れ際、環がそう言って微笑んだ。


「私も、とても」


 小百合は心からそう答えた。


 その日から、小百合と環は徐々に親密になっていった。仕事以外でも会うようになり、休日には一緒に美術館に行ったり、ショッピングを楽しんだり。二人の関係は、ゆっくりと、しかし着実に深まっていった。


 六月のある休日、二人で銀座の画材店に立ち寄った後、いつものカフェでお茶を飲んでいた時のことだ。何気ない会話の中で、小百合は思いがけず、自分の心の内を語り始めていた。


「実は私……男性が怖いんです」


 言葉が、重たく空気に沈んでいく。環は黙って小百合の言葉に耳を傾けていた。


「父が……暴力をふるう人で。小さい頃から、毎日が怖かった」


 記憶の底に沈めていた言葉が、少しずつ、少しずつ紡ぎ出されていく。


「今でも、男性と近くにいるだけで、体が硬直してしまって……」


 話している途中で、小百合は自分が何を話しているのかに気が付いた。慌てて口をふさごうとする。こんな暗い話を、環さんにしてしまうなんて……。


 だが、環は静かに小百合の手を取った。その手のぬくもりが、不思議なほど心を落ち着かせてくれる。


「小百合さん、よく話してくれましたね」


 環の声は、いつもより少し低く、温かい。


「ずっと、一人で抱えてきたんですね。でも、今は一人じゃない。私がいます」


 その言葉に、小百合の目から涙があふれ出た。環は黙って、小百合の手をぎゅっと握り締めている。その温もりが、小百合の心に染み渡っていった。


 その日以来、二人の関係はさらに深まっていった。休日にはよく二人で出かけるようになり、まるで恋人同士のような時間を過ごすようになっていた。


 七月に入り、蒸し暑い日が続くようになった。ある土曜日、二人で美術館に行った帰り道。夕暮れの街を歩きながら、環が不意にポツリと呟いた。


「私、小百合さんのことを……」


 言葉の続きを待つ小百合の胸は高鳴っていた。しかし環は、


「ごめんなさい、なんでもないです」


 と言って、それ以上は何も話さなかった。その夜、小百合は眠れなかった。環の言葉の続きが気になって仕方がない。そして、自分の環への想いについても、深く考えざるを得なかった。


●第3章:揺れる想いの色


 真夏の日差しが照りつける八月のある日。小百合は自分の部屋で、環のことを考えていた。環と出会ってから、四ヶ月が経っていた。


 この感情は、一体何なのだろう? 


 友情? いや、それ以上の何か。環のことを考えるだけで胸が締め付けられるような、でも温かい感情。環の笑顔を見ているだけで幸せな気持ちになれる。環と一緒にいるときは、まるで世界が違う色で輝いているかのよう。


「ああ、これは……」


 小百合は、ようやく自分の感情に気がついた。これは恋。紛れもない恋心だった。


 しかし、その気づきは同時に不安も呼び起こした。女性同士の恋。それは世間的にどう見られるのか。そして何より、環はどう思うのか。あの時の言葉の続きは、いったい何だったのか。


 小百合は悩み続けた。しかし、一つだけ確かなことがあった。環への想いを、もう隠し続けることはできない。伝えなければ。たとえ拒絶されたとしても、この想いは伝えなければ。


 次の週末、いつものカフェで待ち合わせた二人。環はいつもと変わらない優しい笑顔で現れた。


「お待たせしました、小百合さん」


 その声を聞いただけで、小百合の心臓は激しく鼓動を打つ。今日こそ、想いを伝えよう。そう決意を固めていた。


 いつものように他愛もない会話を楽しみ、街を散策する。夕暮れ時、二人はいつの間にか、初めて出会った「ラ・ローズ」の前に立っていた。


 小百合は深く息を吸い込んだ。


「環さん、お話があります」


 環は静かに小百合を見つめた。


「私……環さんのことが、好きです。友達としてではなく、恋人として、好きになってしまいました」


 言葉を紡ぎ出す間も、小百合の心臓は激しく脈打っていた。環の表情が、一瞬凍りついたように見えた。


「小百合さん……」


 環の声が震えている。


「ごめんなさい……」


 たった一言。その言葉で、小百合の世界は音を立てて崩れ落ちた。


「私には、お付き合いする資格がないんです」


 環はそれだけを言うと、小百合に背を向けて立ち去ってしまった。


 その日から、環からの連絡は途絶えた。「ラ・ローズ」に行っても、環は不在がちで。たまに会えても、ぎこちない会話を交わすだけ。少しずつ、二人の距離は開いていった。


 小百合は自分を責め続けた。あんな告白さえしなければ。今までの関係を壊してしまった。でも、あの時の環の言葉が気になって仕方がない。「お付き合いする資格がない」――それは、いったいどういう意味なのだろう?


 八月も終わりに近づいたある日の夜。小百合のスマートフォンが震えた。環からのメールだった。


 小百合は震える指で、メールを開いた。


『突然連絡を絶ってしまって、本当にごめんなさい。

このメールを出すかどうか、何度も迷いました。でも、小百合さんには真実を知る権利があります。


私には、ずっと隠していたことがあります。

私の身体は、生まれた時は男性でした。でも、心は女性なのです。性同一性障害と診断されています。


小百合さんのDV被害の話を聞いた時、私の心は張り裂けそうでした。男性への恐怖を抱えているあなたに、このことを隠したまま接していた自分が、どれだけ卑怯で醜いことをしているのか。でも、あなたと過ごす時間は本当に幸せで……。


だから、あなたの告白を受け入れることはできませんでした。小百合さんを傷つけてしまって、本当にごめんなさい。


でも、あなたと過ごした日々は、私の人生で最も輝いていた時間でした。それだけは、伝えたくて。


ありがとう。そして、ごめんなさい。


環』


 メールを読み終えた小百合は、しばらく動けなかった。環さんの秘密。そして、環さんがそれを打ち明けられなかった苦しみ。すべてが、今になって分かった。


 小百合は、これまでの二人の時間を振り返る。環の仕草の一つ一つ、言葉の端々に見え隠れしていた何か。今なら、それが何だったのか分かる気がした。


 環は、小百合を傷つけまいとして、自分を押し殺していたのだ。


 その夜、小百合は眠れなかった。環のことを考え続けた。環が男性として生まれたこと。それは、小百合にとって大きな衝撃だった。しかし、不思議なことに、環への気持ちは少しも変わらない。


 むしろ、環の苦しみを知って、より一層強くなった。


 小百合は、自分の中の「男性恐怖症」についても、深く考えた。父からの暴力で心に深い傷を負い、すべての男性を恐れるようになった。でも、環は違う。環は、小百合の心を癒してくれる存在だった。


 そうか。大切なのは、その人が誰で、どんな存在なのかということ。性別ではない。環は環であって、小百合にとってかけがえのない人なのだ。


 夜が明けるころ、小百合は決意を固めていた。もう一度、環さんに会いに行こう。


●第4章:真実という名の素顔


 九月初めの朝。小百合は環にメールを送った。


『環さん、お話があります。今日、いつものカフェで会っていただけませんか?』


 返信を待つ間、小百合の心臓は高鳴り続けていた。しばらくして、環からの返信が届く。


『分かりました。夕方六時でよろしいでしょうか』


 そっけない返事。でも、会ってくれるだけでいい。小百合はそう思った。


 約束の時間になっても、環は姿を見せなかった。小百合は不安になりながらも待ち続けた。三十分が経過したころ、やっと環が駆け込むように店に入ってきた。


「すみません! 電車が人身事故で……」


 息を切らして謝る環。その姿を見ただけで、小百合の目に涙が溢れそうになった。


 しばらくの間、二人は沈黙を共有していた。先に口を開いたのは小百合だった。


「環さんのメール、読ませていただきました」


 環は俯いたまま、小さく頷く。


「環さんの秘密を知って、私の気持ちは少しも変わりませんでした」


 その言葉に、環は驚いたように顔を上げた。


「環さんは環さんです。それだけで、私は環さんが好きなんです。男性として生まれたことも、性同一性障害であることも、それは環さんの一部でしかありません。環さんの優しさ、繊細さ、強さ。そういうすべてを含めて、私は環さんという人が好きなんです」


 小百合の言葉に、環の目から涙が零れ落ちた。


「でも、私は……小百合さんを騙していたようなものです」


「違います。環さんは私を守ろうとしてくれていたんです。私の心の傷を知って、環さんは自分の気持ちも、自分の苦しみも押し殺して……」


 小百合は環の手を取った。


「私、考えました。父のことで、私は全ての男性を恐れるようになってしまいました。でも、それは間違っていたんです。大切なのは、その人がどんな人なのか。性別じゃない」


 環は黙って小百合の言葉を聞いていた。その瞳には、まだ迷いの色が残っている。


「環さん。もう一度聞かせてください。私、環さんのことが好きです。お付き合いしてください」


 環の瞳から、大粒の涙が落ちた。


●第5章:永遠に咲く愛の薔薇


「私も……私も小百合さんのことが好きです」


 環の声は震えていたが、その言葉は確かに小百合の心に届いた。


 カフェの窓から差し込む夕陽が、二人を優しく包み込んでいた。環は泣きじゃくりながら、これまで言えなかった想いを打ち明けた。


「小百合さんと出会った時から、好きでした。でも、自分の体のことで、ずっと苦しくて。小百合さんを傷つけたくなくて」


「もう大丈夫です。これからは二人で歩いていきましょう」


 小百合は環の手をしっかりと握った。その手の中で、環の震えが少しずつ収まっていく。


 その日から、二人の新しい生活が始まった。お互いの気持ちを確かめ合い、理解を深めていく。環は自分の性同一性障害について、小百合に少しずつ話すようになった。小さい頃からの違和感、周囲の無理解との戦い、そして自分を受け入れるまでの道のり。


 一方で小百合も、自分のトラウマと向き合う決意をした。環と出会い、愛することで、少しずつ心の傷が癒されていくのを感じていた。


 秋が深まり、木々が色づき始めた頃。二人は将来について話し合うようになっていた。


「私たち、いつか一緒に暮らせたらいいですね」


 休日に公園のベンチで寄り添いながら、環がそう言った。


「ええ。そして……」


 小百合は、ずっと心に温めていた想いを口にした。


「子供を育てることも、できたらいいな」


 環は驚いたように小百合を見つめた。


「私、子供が大好きなんです。でも、自分には無理だと思っていた。けれど環さんと出会って、夢を持っていいんだって、思えるようになりました」


 環は優しく微笑んだ。


「養子縁組という方法もありますよ」


「そうですね。私たちなりの家族を、作っていけたら」


 二人は寄り添ったまま、夕暮れの空を見上げた。これから歩む道は、決して平坦ではないだろう。世間の偏見や様々な困難が、二人を待ち受けているかもしれない。


 でも、大丈夫。二人で一緒なら、どんな困難も乗り越えていける。


 環は小百合の手を握り、小百合も環の手を握り返した。


 秋の夕暮れ、二人の影が一つに重なって、長く伸びていた。


 その瞬間、小百合は確信した。これが自分の進むべき道なのだと。環と共に歩む未来が、きっと輝かしいものになることを。


* * *


 それから一年後の秋。


 小百合と環は、新しいマンションで一緒に暮らし始めていた。休日には二人で近所の公園を散歩したり、環の絵のモデルになったり。平日は朝、小百合が環の頬にキスをして「行ってきます」と言い、夕方には環が「お帰りなさい」と出迎える。そんな、普通の、でも二人にとってはかけがえのない日々が続いていた。


「ラ・ローズ」は、環が経営を続けながら、少しずつ規模を拡大していた。小百合も、フルール・コスメティックでキャリアを積み、主任に昇進していた。


 ある日の夕方、小百合が帰宅すると、リビングのテーブルの上に一通の封筒が置かれていた。


「環さん、これは?」


 キッチンで夕食の支度をしていた環が振り返る。


「ああ、今日届いたの。二人宛ての手紙よ」


 封筒を開けると、一枚の案内状が入っていた。養子縁組に関する説明会の案内だった。


「環さん……」


「やっぱり、私たちの家族を作りたいの。小百合さんと一緒に」


 環の真摯な瞳に、小百合は思わず涙ぐんでしまう。


「ありがとう。本当に、ありがとう」


 小百合は環に抱きついた。環も小百合を優しく抱きしめ返す。


 窓の外では、夕陽が街を優しく染めていた。その光は、まるで二人の未来を照らすかのように、温かく、眩しかった。


 これは、小百合と環の物語。性別や世間の常識に縛られることなく、純粋に相手を愛することができた、二人の奇跡の物語。そして、これは始まりに過ぎない。二人の前には、まだまだ長い道のりが続いているのだから。


(終わり)


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