【短編】ケプラー442bの金色の雪

山本倫木

ケプラー442bの金色の雪

 K型主系列星ケプラー442のやや赤みを帯びた黄色い光が、肉眼ではっきりと捉えられた。目指す惑星『ケプラー442b』はもう目と鼻の先と言って良い距離だった。


「もう来ていたのか」


 地球への定期報告のためにオートモが宇宙船『恒星の探索者ステラ―・パスファインダー号』のコックピットに入ったとき、相棒のチェンはすでに着座していた。


「俺も今、来たところだ」


 チェンは面白くもなさそうな顔で言った。


 西暦2009年に打ち上げられたケプラー宇宙望遠鏡は、その9年半の運用の中で多数の発見を成し遂げた。中でも、生物が生存できる可能性のある地球以外の複数の惑星の発見は、人類を沸き立たせた。表面に水を留めておくだけの重力がある、岩石を主成分とした惑星で、かつ、中心の恒星から程よい距離にあって水が蒸発しきることも凍りつくこともない星。


 液体の水が存在しうる領域ハビタブルゾーンにある惑星は、生命の存在可能性と密接に結びついていた。とはいえ、当時の人類がそこに降り立つには、光年という距離はあまりにも遠かった。従って、この発見が天文関係者以外からはすぐに興味を持たれなくなってしまったのは、無理もなかった。

 しかし、数世紀の時を経て、この発見は実際上の意味を持つようになった。宇宙船のワープ航法技術が確立されたとき、人類は何百年も昔のこの発見を思い出したのだった。


指令室HQ、聞こえるか。定期報告だ。こっちは『恒星の探索者』だ」

「こちらHQ。『恒星の探索者』、聞こえているぞ。感度良好」


 チェンはFTLC超光速通信通じて、ぞんざいな口調で地球のISO国際宇宙機構 のHQに呼び掛けた。量子工学の結晶たる通信技術も、それを通じて伝えられる言葉の品性を高めることはなかった。


「オーケー。本日も異常なし。24時間後にケプラー442bへの最終着陸シーケンスに入る。トラブルはなし。全て順調だ」

「了解した、『恒星の探索者』。引き続き、よろしく頼む」

「はいよ」


 あまりにも軽いチェンの口調に、通信の向こう側で沈黙が流れた。ややあって、HQの声がした。


「…『恒星の探索者』。分かっていると思うが、本ミッションは人類の存続に関わる可能性もある重要なプロジェクトの一環だ。頼んだぞ」

「分かってるよ。またな。2924年12月29日定期報告、以上オーバー


 言って、チェンは通信を切った。


「今日は荒れてるな、チェン」

「そりゃ、そうだろ」


 オートモの言葉に、チェンは応えた。


「HQの連中、クリスマスは休暇だったんだろ。『人類の存続』なんて大げさなこと言っている割に呑気すぎる。こちとら船の中で休暇なんぞないってのに」

「まあ、その気持ちは分からんでもないがな。とはいえ、日常のイベントをこなすのも、人間にはけっこう大事だぜ」


 愚痴るのもほどほどにな、とオートモはチェンをなだめた。


「はいはい。救世主サマの仰ることはごもっともですとも」


 チェンはそれ以上逆らわず、オートモは苦笑して、互いに言葉をおさめた。


 ここ数世紀、人類が宇宙に進出するのと反比例するように、地球の環境は悪化の一途を辿っていた。様々な方法で環境の悪化を食い止めようとする努力もなされたが、改善にまでは向かわないのが現実だった。地球外惑星に到達できることが分かった今、そちらに人類繁栄の可能性を見出そうとする意見が出るのは、ごく自然な流れだった。

 しかし、これまでに人類が到達できた居住可能惑星はわずかに2つ。そのうちの1つ、ケプラー186fに初めて降り立ったのがオートモだった。数々の困難を克服し惑星開拓の筋道を立てた功績から、彼は一部のメディアから人類の救世主と呼ばれていた。もっとも、彼をそう表現するのは、主として低俗な大衆雑誌ゴシップマガジンであったが。


「さて」


 オートモは、場を仕切り直すように言った。


「ミッションを再確認しよう。我々が目指しているケプラー442bは、恒星ケプラー442の第2惑星だ。地球からの距離1100光年。惑星開発テラフォーミングによって生命が存在できる環境に変えられると見込まれていて、我々はその先遣隊だ。最終着陸シーケンス開始は今から24時間後。着陸予定ポイントは静寂の山脈サイレンス・マウンテンズより南へ20kmの地点、ポイントFだ」

「ああ、分かっている。半年前、資材運搬船が建築機械と一緒にビーコンを搬入済みだ。信号もちゃんと掴んでいる」


 チェンは先ほどとはうって変わってまじめな口調で答え、制御台コンソールに地図を表示させた。地図にはこれまでの調査で判明したケプラー442bの地形が詳細に描かれており、そこには1つの点が輝いていた。


「そうだ。そこには広大な平原が広がっている。着陸も容易だし、拠点を作るにはもってこいの場所だ。場所も赤道付近でちょうど良い」

「地球だったら暑い地形だな。横倒しの星ってのは妙なもんだぜ」


 ケプラー442bの赤道傾斜角はほぼ90度で、つまりは、公転面に対して直角に自転している。北極側を常に恒星に向けているため、北半球は常に照らされる灼熱地獄、南半球は常に影になっている氷結地獄とでもいうべき環境になっていた。一応の昼夜の別があるのは赤道付近のごく限られた領域だけで、比較的にしろ温和な気候となっているその部分に惑星開発の拠点を設けるのは当然の選択だった。


「現地は雲が出ていて、風速は秒速3-5m。本来、あの星は常に強風だが、着陸予定ポイント周辺は山脈に遮られて風がやや穏やかになっている。着陸予定時刻は12月31日の22時ごろ。予定通り行けばな」

「情報が確かなら、難しいことはないな」


 チェンはそう言って、一つ伸びをした。


「まぁ、こんなところか」

「だな。お互い、明日は上手く行くよう祈っておこうぜ」


 一通り打ち合わせると、2人はこぶしを軽く突き合せた。着陸の操作自体は、システムが自動的に遂行してくれる。必要な情報は事前の調査とビーコンとで十分収集済であった。それでも、不測の事態イレギュラーが発生する可能性を0にすることは出来ないし、万が一の時には助けが来ることは望めない仕事だった。できうる限りの限りの準備はするが、最後には祈ることしか出来ない。2人とも、互いに口には出さないが、相手が軽く緊張していることを知っていた。





HQ指令室、聞こえますか。こちらは『恒星の探索者ステラ―・パスファインダー号』です。聞こえたら応答を願います」


 最終着陸シーケンスは数学的な正しさをもって遂行された。『恒星の探索者』は、規定通りに減速し、予定通りの航路を通って着陸を遂げた。オートモは内心の冷や汗をため息で押し流すと、FTLC超光速通信で地球に向かって穏やかに語り掛けた。


「こちらHQ。『恒星の探索者』、聞こえるぞ。オートモだな。感度良好」


 通信の相手の声も、どこか安心の響きを含んでいた。宇宙船の事故の9割以上は離着陸時に発生している。無事に着陸したという通信は関係者の間に安堵の空気をもたらした。


「応答ありがとう、HQ。無事にケプラー442b、ポイントFに着陸しました。計器類は全て問題なしオールグリーン惑星開発士テラフォーマー2人も健在です」

「こちらでもモニターしていた。素晴らしい着陸だったな、2人とも」

「まあ、オートパイロットが頑張ってくれたよ。俺たちは寝ていただけだ」


 緊張から解き放たれたチェンが軽口をたたく。


「予定通りの着陸でした。所定の確認を実施した後、48時間後より引き続きミッションに入ります」

「よくやってくれた。よく休んで、また頑張ってくれ」

「ありがとう、HQ」


 通信を切ろうとしたとき、オートモの目にコックピットの窓の景色が映った。これは伝えてもよいな、と彼は思った。


「あー、あと1つ報告が」

「…なんだ」


 オートモの一言に、通信の向こうでHQに緊張が走るのが分かった。


「こちらは雪が降っています。地上からは見渡す限り、一面の雪景色です」


 通信相手はオートモの報告の意図を一瞬考え、そしてすぐに把握した。


「…それは吉報だ。素晴らしい」


 雪が降るということは、その星に水があるということだ。しかし、分かるのはそれだけではない。星に大量の水分があり、そしてそれが蒸発するだけのエネルギーが恒星から降り注いでいるということでもあった。蒸発した水分は雲となって運ばれ、そして雪となってオートモたちが今いる平原に降り注いでいる。

 雪が降っているのは、ケプラー442bに大気のエネルギー循環があることの証明だった。それは、気候の急激な変動が抑えられることを意味していて、これは生命の居住性にプラスに働くことは間違いなかった。


「報告は以上です。2924年12月31日着陸成功報告、以上オーバー

「報告ご苦労。よく休んでくれ。以上オーバー


 今度こそ本当に通信を切り、オートモとチェンはシートから上体を起こした。そして、ゆっくりとした動作で立ち上がると、互いに顔を見合わせた。


「この感覚、1年ぶりだな」

「体が、重いな」


 ケプラー442bの直径は地球の1.1倍で、岩石の組成は大同小異であった。すなわち質量は地球の約1.3倍であり、つまりは重力も1.3倍の強さであった。久しぶり感じる重力が、無重力に慣れた2人の体に容赦ない重さを与える。動かしにくくなった体は、しかし、惑星開発士達に目的地に着いたことを実感させた。安堵の気持ちを抱えつつ、2人は重たい体をよたよたとした足取りで居住区に移した。


「見ろよ。黄金の雪景色だ」

「空が少し黄色いが、なかなか見事なものだな」


 2人は居住区で食事をとりながら、窓の外の景色について口々に言いあった。見渡す限りの雪は、その下に灰色の砂を覆い隠している。静寂の山脈サイレンス・マウンテンズの山稜近くに見える恒星ケプラー442に照らされ、積もった雪はオレンジに近い黄色に輝いていた。


「…そろそろ、日付も変わるな」

「そうだな」


 食後の紅茶をすするころになると、着陸の興奮も収まって、2人は口数も減ってきた。チェンはカップに目を落とした。口の大きいカップも、湯気の上がる液体も重力下ならではの光景だ。



「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪や いやしけ吉事よごと


 ふと、雪を見ていたオートモが、つぶやくように言った。


「なんだ、それは?」


 謎の呪文に、チェンが不思議そうな顔をした。


「HAIKUというヤツか?」

「いや、似ているがTANKAという。古代ニッポンのポエムだ」


 オートモは、窓の外を眺めたまま応えた。


「どういう意味なんだ」

新年ニューイヤーの日に降る雪のように、良いことが沢山重なりますようにという意味の祈りの歌だよ」

「オートモは博識だな」


 と言ってチェンも窓の外を眺めた。静かな、一面の雪景色だった。これだけ良いことが積み重なったら、確かにきっと素晴らしいだろう。


「いい歌だ。験がいい」

「そうだな。今回のミッションも上手く行くことを祈ろう」


 そして2人はどちらからともなく、カップを掲げた。

「ハッピーニューイヤー、チェン」

「ハッピーニューイヤー、オートモ」


 その日、ケプラー442bに降る黄金の雪の中、初めて人類の乾杯が交わされた。


【了】

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