メタボ大学生、異世界転移する

なたこ

第1話 メタボは豚箱に

 引きこもりスレと呼ばれるネット掲示板のサイト、そこが僕の居場所だ。固定のハンドルネームを使用している訳じゃないので、毎回、新鮮な気持ちで書き込める。女性に成りすましたり、老人と騙ったり、退屈しない日常だ。


 基本スペック。書き込んだ者がどのような存在なのかを初めに知らせることがこのスレッドでのルールだ。今日は珍しく等身大の自己紹介を書き込む。地方のFラン大学(2回留年)で23歳。身長170㎝、体重98㎏、顔はブサ面。物心ついた時からこんな感じのなりだったので、あだ名は力士とか、竿役とかまぁ酷い言われようだ。

 ちなみに身長と体重に関しては、実に2年前の学校の健康診断の数値なのでもしかしたら誤差はあるかもしれない。留年と書いてはいるが、休学扱いにしてもらっているので、学校には行ってない。もちろんバイトもしていない。正真正銘の引きこもりだ。


 スレッドの流れは、悩み相談という体裁で始まる。だが、実際には悩み相談という名目であるにもかかわらず、自慢をしたり、関係のない話を書き込んだりと、まさにカオスな状態である。そういう雑多な感じがむしろ心地よいとすら思うのだから、2年くらいで染まってしまったと言えよう。


「こいつ荒らしかよ、めんどくせえな。いちいち連投するなよ」


 意味不明な文字列を書き込み、終いには怪しげなリンク先を貼っている。酔っ払いの仕業なのか、ただの愉快犯なのかは判断が付かなかったが、こういう手合いとは関わらないのが一番だ。


 ……そう思いつつも、同時に好奇心もある。今の自分には何ら失うものは無い。パソコンが仮にウイルスに侵され、データが破壊されたり、情報が流出したりしたとして受けるダメージはほとんどない。この型落ちクソスペックのゴミPCはこのネット掲示板を利用するためだけに使用している。中学生の頃にブラウザクラッシャーに引っかかった経験がここに生かされている。


 カーソルを合わせ、小気味よくマウスの左クリックを2回押す。



 その瞬間、シャットダウンした。目の前のPCではなく、自分の意識が。混迷の中で、もしかして疲れていたのか、はたまたインスタント麺ばかり食べていた代償か思考を巡らせていたけれど、生暖かい泥の中に埋もれていくようなこの感覚は、全てをどうでもよくさせるような快楽であった。



 次に僕が目覚めたのは自室の床でも病院のベッドでもない。土の上だった。視界に広がる光景は異様で、人間2人がようやく寝られるような小さなスペースに、格子が付いている。窓は無く、光源はゆらゆらと燃える松明のような明かりだけ。


 現状を端的に表すなら、地下牢という表現が適している。まさか、精神科にでも入院させられたのか。なんて思ってもみたが、今日日こんな人権を無視した方法で患者を収容する訳が無い。第一、精神科に世話になるようなことしてないしな。


 色々と考えていたらお腹がすいた。こんな状況でも相変わらずなのは褒めるべきか、反省すべきか。


 ずっずっ、と引きずるような足音が聞こえた。誰か助けに来たのだろうか。そう考えるのは些か早計か。身を隠せるようなスペースは無い。せめて死んだふりでもするかと地面に伏す。


 足音はピタリと止んだ。薄目で格子の奥の覗く、全身砂埃に覆われ、ボロボロになった衣服を纏い、棍棒を持った瘦せこけた人がそこに居た。いや、人という表現はこの場合正確さに欠ける。頭頂部から2本の耳が生え、衣服の隙間から獣のような体毛が見え隠れしている。ファンタジー小説における獣人と呼称した方が、良いのかもしれない。


 ここは現実なのか、全てはあのリンクを踏んだせいなのか、不安だけが頭をもたげる。


「ここから出してはもらえないか」

「アッシャー、ナー。ナー!」


 よく聞き取れはしなかったが、自分と共通した言語ではないことは確からしい。要求もむなしく、彼の言葉でかき消される。ただ、口調からして高圧的で威圧的で、歓迎されている訳では無いのは分かる。異国の人と話すときはオウム返しにすると良いらしい。ホントか嘘か分からないが、今にも殴りかかられそうな見幕なので、一端、不安を置いておいてネット知識を生かして話してみる。


「アッシャ、ナー」

「イッシャー、ナー、ワ」


 相手から少し柔和な表情が伺えた。少なくとも僕が言葉を介せない化け物という線は否定されたからなのだろう。互いにとって異物同士であるようだ。


 新たな単語が出てきた。語学的な体系が僕の知っているそれだとするなら、一番最初に来ているのは、主語、つまり私かあなた。命令されている口調から察するに、次に来るのは動詞だ。この場合に当てはまりそうな動詞は分からないけど、意訳するなら、俺の命令に従えということだ。


 訳も分からず殺されるのだけは勘弁だ。軍隊のように姿勢正しく直立し、相手の目を見る。


「ワ」


 そう一言だけ発して、満足そうに頷いた。とりあえず立って俺の話を聴け。そう言いたかったのだろう。ワとはおそらく肯定的な意味合いが持たれていることが分かる。獣人は続けた。


「アッシャー、オー、デュエッテトルテ、ワ? イル、ト、ナル」


 言葉が通じない僕に対し、一応は配慮したつもりでゆっくりと話している彼だが、長文になると途端に皆目見当も付かなくなる。ただ、なんとなく、デュエッテトルテという言葉の響きが何らかの名詞を指しているような気がした。本当に何となくだが。文型という観点からも今までと矛盾が少ない。同意する意味を込めて、繰り返す。


「デュエッテ、トルテ」

「ワ。アッシャー、ナル」


 彼はまるで決意を固めたような表情を浮かべた。まるで情け容赦なく、豚や牛を屠殺場に連れていくような哀れみを一切なくしたような、そんな表情。選択をしくじった。その時、直観で理解した。


 格子の隙間から、木でできた皿を近くにあった棒状のもので挿し込まれた。まるで汚水のような臭いのする何かだった。顎を突き出し、それを口に入れるのだとジェスチャーされる。


 まったく食欲のそそられるそれではなかったが、仮に毒入りで死ねるのなら、殴殺よりかはマシかもしれない。そう思い仕方なく手で口に運ぶ。……意外なことに味は悪くなかった。美味とまではいかないが、何かの蛋白質を発酵させたものの類らしく、チーズやくさやに似たものであるらしい。久しぶりのまともな食事であったので、勢いよくかき込む。


「ワ。アッシャ―、デー」


 僕の食いっぷりに快くしたのか、2つ目の皿が差し入れられる。同じ物だ。慣れてくると独特の臭いが癖になり、旨いとすら感じる。アミノ酸が直接脳に届けられるような、そんな気分だ。


 2つ目の皿を平らげようというところで、何か声が聞こえた。


「最後の晩餐はどうだった? 酷い味だろう。まるでポリディアンスープにクソを混ぜ込んだようなそれは」


 声の主は例に漏れず、獣人だった。犬か狐のような顔立ちをしていて、黒いローブのような何かを纏っているようだった。声のトーンは高く、女性的な印象を受ける。口調は荒いが。


「スー! アッシャ―、デー!」

「嘘だろ。こんなゴミみたいなものを喜んで食ってるだって、正気かよ」


 彼は興奮して現れた獣人に対して答える。そいつは汚物に向けるような視線でこっちを睨む。てか、おい待てよ。こいつ同じ言葉を使っているじゃないか。


「おい、そこのお前! 僕の言葉が分かるか!」

「こいつは驚いた。まさか、ポリディ小屋にぶち込まれた犯罪者が、古代エスティビカ語を話せるだなんて」


 言葉が通じている。だが、最初から居た獣人にはちんぷんかんぷんというような有様だ。同じ言葉を話しているはずなのに、なぜか僕のは伝わらない。


「というか、最後の晩餐ってなんだよ」

「デュエッテトルテの腐れポブディッシュ豆には分からないかもしれないが、ここはエストラン領。つまり領土侵犯。立ち入った時点で死は免れないんだよ、普通はな」


 この獣人が言いたいことはつまり不法侵入。その罪で僕はこんな地下牢に閉じ込められている、そういうことだ。


「まったく身に覚えがないんだ。間違えて君たちの領域に入ってしまったことは謝罪する。だから、出してくれ!」

「スー! アッシャ―、ナル!」


「……お前は死ぬべきだとさ。この国には法はあるが、秩序はない。全ては権力のある者がその場で書き換える。この場において力があるのは彼」


 死ぬしかない、そう彼女は告げたように思えた。絶望していると、彼女は続けた。


「……取引だ。彼のやつれた体、ボロボロの衣服。それは何も彼に限ったことではない。このエストラン、いやここ一帯はとある化け物の脅威に曝され、生活の保障もない。秩序が失われているのも、そいつのせいだ。ここまで言えば分かるな」


「その化け物を倒せと……」

「ご明察」


 彼女はニタリと笑った。僕は縦に首を振るしかなかった。もし仮に倒せなかったとしても、この場から脱出さえできればなんとかなるだろう。そんな淡い気持ちもあった。


「交渉成立。……ったく、こんな非常時に職務を全うする変態さんのおかげで、少しは希望の光が射したか」


 獣人の彼は、まんざらでもない表情で笑っていた。

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