でざいん

香久山 ゆみ

でざいん

 俺は今、試されている。

 真冬にも関わらず、嫌な汗が背中を伝う。絶体絶命。間違いは許されない。目の前の二つの入口、どちらかが正解で、どちらかは地獄行き。

 入口の前に立つ人物がこちらを見ている。

 彼に聞けば、正解を教えてくれるかもしれない。しかし、そういうわけにもいかない。俺は視えるだけで、その声を聞くことはできないから。だから必死に観察する。彼はにやにや笑いながら、右を指したかと思えば左を指してきょとんと首を傾げている。駄目だ。

 入口にはそれぞれ謎の線描画が描かれている。一見何を表現しているのかさえ分からない。が、落ち着いて解読しさえしれば、自ずと答えに辿り着くはずだ。どちらかが「男性トイレ」、どちらかが「女性トイレ」を表すはずなのだ。

 線描画はいずれも紫色の線で描かれている。じっと見ていると、人物のように見えてきた。そうか、ピエロだ! 頭身のバランスがすごく悪いが、丸い鼻と三角の帽子に気付けばもうそれとしか見えない。どちらの入口にも紫色のピエロが描かれ、片や花束のようなものを持ち、片や玉乗りしている。――で、どっちが男性トイレだ?

 くそっ。地団太踏む。寒い、どんどん冷えてきて尿意も限界だ。

 このトイレを設計したデザイナーを恨む。青で男の子、赤で女の子のイラストでも描いておけばいいものを。なぜピエロなんだ、なぜ同じ色なんだ。

 そもそもピエロはオスではないのか。先程から入口の前で右を指したり左を指したりにやにやしている人物――ピエロに視線を遣る。顔は真っ白なピエロメイクをしているものの、一八〇センチ程の身長とがっしりした肩幅はオスと思われる。

 聞いていたよりもでかいな。

 ――遊園地の一隅にあるトイレにお化けが出るという噂がある。そのトイレに行くと、子どもは必ず泣き出して、おしっこをもらしてしまう。理由を聞くとみな口を揃えて「ピエロがいる」という。SNSで噂も広がりかけているから何とかして欲しい。

 という、遊園地のオーナーからの依頼だ。

 確かにトイレに向かってこの不気味なピエロが立ちはだかっていれば、子どもは泣いて失禁もしてしまうだろう。

 しかし、大人の俺はそうは行かない。

 どっちだ。

 ふつうに考えて、花を持つのが女子で、玉乗りするのが男子か。いや、花束を女性にプレゼントしようとしているように見えるから、こっちが男か? 玉乗りの方は、玉に乗っている分小柄に描かれているから、こっちが女か? 分からん。

 ずっとトイレの前に立つこのピエロなら知っているのだろうが――。

 てか、ピエロの幽霊って何だ。この遊園地でピエロが死んだなどという話は聞かない。何者だ。

 右に左にそわそわ動くピエロを観察する。

 あ!

 ピエロ衣装の股の部分が黄色く濡れている。なんだよ、くそ。こいつも知らないんじゃないか。

 よく見れば、人間としての姿も怪しい。耳が尖っていたり、白目がなかったり、指が六本ある。恐らくは、人々の思念がこいつを作り出したのだろう。子ども達のピエロへの恐怖心、さらには俺と同じくトイレの入口を見つけられず失敗した大人の無念も含まれるかもしれない。そういうものを養分としてこいつはここに存在しているのだろう。

 それはいい。

 分かった。

 だがとりあえず、俺はトイレに行きたい。山の上の遊園地は底冷えする。もう限界、ちびりそうだ。

 イラストからは男女を判別できない。ピエロのお化けも何も知らない。

 はあ。一つでかい溜め息を吐いて、腹を括る。

 確率は二分の一だ。

 えー間違えて女子トイレに入ってもいいのかなあ。俺の気持ちを読み取ったのか、ピエロが大袈裟に目を見開く。確かに、試験の時えいやっと選んだ選択肢は大抵間違えてきた。

 けれど、知ったことか。そもそも今は遊園地の営業時間外なのだ。

 俺は、玉乗りするピエロが描かれた入口を入っていった。

 ――くそっ。

 すぐに引き返して、早足でもう一方のトイレに入り直す。デザイナーに殺意さえ芽生えるが、無事に尿意が解消されるとともにそんな気持ちも霧消した。

 トイレを出て落ち着きを取り戻した俺は、紙に青と赤のサインペンででかでかと「男♂」「女♀」と下手くそなイラストも添えて、線描画の上からテープで貼り付けた。これでもう誰も悲しい思いをしませんように。

 貼り付けると同時に、トイレ前のピエロもすーっと姿を消した。菩薩のような顔をしていたから、もしかしたら最後にまた漏らしたのかもしれない。

 これで、任務完了だ。

 今夜は、「遊園地の七不思議」を解決しに来たのだ。先が思いやられる。溜め息を吐くと、真っ白な塊となって夜気に消えた。

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