第4話


「が……はっ……」


 口内に鉄錆の味が広がり、真っ白な雪に落ちた椿のように鮮血が散った。


 脚から力が抜け、がくりと頽れる。

 胸に手をやると、突き刺さった刃の柄が生き物のように赤を纏って生えていた。


 トウヤは震える手でそれを握り、力任せに引き抜く。

 空いた隙間から一瞬遅れて、ごぽりと赤が流れ出した。


 ごろりと仰向けになり空を見上げると、蒼穹が悲しげに見下ろしていた。


「か……さ、ま」


 雪に触れているせいなのか、それとも一気に血を失っている為なのか、酷く寒い。

 次第に視界が狭まり、意識が薄れ始めた。


「トウヤ!」


 駆け寄る母の声が聞こえる。


 そんな薄着で出ては、風邪をひいてしまうのに。

 母の声は、今まで聞いたこともないほどに狼狽していた。


 抱えられ、ユミルの手が胸に空いた穴にあてられる。

 ユミルの傷一つない美しい手が、瞬く間に真っ赤に染まった。


「トウヤ、トウヤ! 意識をしっかり持って!」

「か、さま……よご、れ……しま、」

「何言ってるの! そんなの気にしてる場合じゃないでしょう!?」

「やく、そ……く……。に、じの……」


 上手く笑えているだろうか。

 初めて見た涙に濡れる母の姿に、心が痛む。

 終わろうとする自分のために、泣く必要なんてないのに。


「覚えているわ。虹の向こうへ連れて行くって。だからまだダメよ、トウヤ。私に約束を守らせてちょうだい」


 血に塗れることを厭わずに、ユミルがトウヤを抱きしめると、虹色の光が二人を包み込んだ。

 ユミルとトウヤの体がふわりと浮かび上がる。


 薄れゆく意識の隅でユミルの温もりと暖かな光をかんじ、トウヤはゆっくりと目を閉じた。

 


 雪が舞う蒼穹に、一柱の虹色に輝く龍が昇る。



 ほんの数分の出来事を、目撃した者は少なかった。

 森の奥深くにひっそりと暮らしていた母子が姿を消したことも、誰にも知られることなく雪の日常に消えていった――。




 * *


「母様、人参を残さないでくださいと、あれほど……!」

「だって、美味しくないんですもの。甘いのに青臭くて、何度試しても無理なものは無理よ」

「こんなに味の濃いものの中にあってもダメですか……」

「このカレーというものは美味しいと思うわ」

「…………今度はすりおろすことにします」

「食べなくたって死にはしないわよ」

「それはそうなんですが、もうオレの意地というか」

「ふふ、頑張ってね」

「…………」


 虹の向こう、空の彼方は、龍の住まう国だった。


 次期女王たるユミルの帰還は、死にかけの人間の子供を眷属にするという騒動を伴った。


 それをよく思わなかった周囲の者達からの、トウヤへの風当たりは弱くない。

 トウヤ自身は、まったく気にもしていないけれど。


「母様が、虹の龍だったなんて」

「私がお散歩していた時に、あなたが呼びかけてくれたのが始まりなのよ?」

「そんなことありましたか?」

「ええ、可愛く笑ってくれたの」


 幼いトウヤが雪空に虹を見た時のことだろう。

 あの時のことは絶対に忘れない自信があるけれど、笑っていたか、と言われるとよくわからなかった。


「リハクにはさっさと帰れと言われていたけど、まさかあの出来事もリハクの差し金かしらねー」

「リハクさま……」


 龍の国でユミルの眷属になり、話を聞いた時は驚いた。

 リハクこそが雪龍であり、森の魔物でもあったのだと。


「もしそうならお仕置しなきゃよね」

「はぁ……」


 結果的に、ユミルと離れることなくいられたトウヤは、内心感謝してもいるのだが。

 それは口に出さない方がよさそうである。


 気がかりといえばセツナのことであるが、今のところ知る由はない。


 窓の外に広がる世界は、白一色だった雪深い森とはまったく変わってしまったけれど。

 あの雪舞う空に掛かった虹は、確かに幸せをトウヤにもたらしてくれたのだった。

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雪の生贄、約束の虹 萌伏喜スイ @mofusuki_sui

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