バフィルードートルート

水無

第1話

『地宙分離』

 かつて宇宙へ進出した人類は、地球・宇宙間で大規模な戦争が起こることを危惧し、相互不干渉の取り決めを交わした。

 これにより、あらゆる往来・通信を絶たれた地球と宇宙は一切交わることなく、それぞれ独自の発展を遂げることになっていた。

 これは、そんな宇宙の物語。



 水星軍、金星軍、火星軍、木星軍、土星軍、そして宇宙新星軍。空白はあれど、現在の宇宙の勢力図はおよそこんなところだろう。

 これら六つの軍が繰り広げる大戦争の渦中――なんてものは過去の話。今はもっと平和で、協力的な世の中になっていると、信じたい。

 そもそも『軍』とは、戦争をするだけの集団ではない。かつて「クニ」や「セイフ」などと呼ばれていたものを全てまとめて、この世界では『軍』と言う。

 私達の部隊も『軍』の組織の一つで、これに所属する私達は『軍人』である。

 宇宙新星軍将皇直属特殊部隊、なんて堅苦しい名義はさておき、私達の成すべきことはただ一つ。

「宇宙全体の秩序と平和を守るべく、あらゆる争いを〝治める〟」

 それが私達の部隊。

 通称『バフィルードー』



 私達の業務、平時には――

「レイル」

 名前を呼ばれて筆を止める。

 声のした方へ視線を向けると、そこに立っていたのは白い宇宙用服パイロットスーツ姿の女性。

「ユイちゃん」

 自分も彼女の名を呼ぶ。

 ユイ・サトミ。私と同じ十八歳で、部隊のセキュリティ管理から機体整備まで幅広くこなす隊員の一人。その天才的な技術力も、さらりと綺麗な短い黒髪も、私はつい憧れてしまう、強くてカッコいい女性だ。

 そんなユイちゃんと、ただいま、おかえり、と言葉を交わしながら、部屋へと入ってくる彼女の姿をぼんやりと眺める。私の正面、この部屋唯一の出入り口から、後方、部屋の片隅に築かれた彼女の作業場へ。途中、中央のデスクに座る私の、すぐ右隣を通り過ぎて。

 ただ普通に歩くその姿を、つい目で追いかけていた。

 自身の作業場前まで辿り着くと立ち止まり、そこで、彼女は――服を脱ぎ始めた。

 私は慌てて目を逸らした。

 丁度手元には紙の資料が置かれていたものだから、それを読むポーズで視界を覆い隠す。

 ――いくらインナーを着ているからって、もうちょっと恥じらいを持ってほしいんだけどな。そんな文句が浮かぶものの、初めての出来事でもないため、それは心の中に留めておく。

 代わりになる話題をどうにか見つけ出し、なるべく平静を装って口にする。……背後から聞こえてくる衣擦れ音を掻き消すためにも。

「もう歩いていいの?」

「平気。ようやくフェミィの許可が下りたんだから」

「まだリハビリ中なんでしょ」

「まあね。その一環で今日から機体は通常ノーマル機に戻すわ。パトロールついでに試運転も済ませてきたところ」

「今日は――金星方面か。金星軍の様子はどうだった?」

「どうもこうもないわよ。こっちはケガが治ったばかりだってのに、あの薔薇騎士たちときたら……!」

 語気にたっぷりと感情の乗った声から、何かあったのだろうという察しがつく。平和の範疇には収まっていると思うけど。

 その後暫く愚痴を聞かされた後で、

「まあ、概ね問題なし。例の話も前向きに受け入れてくれたわ。ああでも、気になる話も聞いたわね」

と溢す。

「気になる話?」

 詳細を尋ねようと振り返った後で、しまったと気付くも、既に遅かった。

 折角視界に映らないようにと隠していたユイちゃんの姿を、しっかりと見てしまった。彼女の、白い軍服姿を。

「で、レイルは何やってんの」

 いつの間にか着替えを終えて、こちらを覗き込んで隣に立っていた。

 座っている私は少し視線を持ち上げて、彼女の顔を正面に捉える。

 真っ白な生地に金色の装飾が施された、我らが宇宙軍の制服。ユイちゃんはいつも通り、裾の広がったパンツスタイル。首周りのボタンは外れたままで、内側のインナーを隠す気が無いようだった。

 その白と金の中で、一際目を引くのは左胸の辺り。

 刺繍された赤い薔薇の花と『2』の数字。この紋章エンブレムは、彼女がバフィルードーこの部隊副隊長ナンバー2であることを証明しているのだ。

「うちの部隊の紹介文。上層部うえからの要請で作ることになったの」

 私は彼女の問いに簡潔に答える。

「何それ、わざわざ隊長レイルがやらないといけないこと?」

 ユイちゃんは訝しげにさらに尋ねてきた。

「残念ながらこれは、前回の入隊試験で合格者がいなかったせいで下されたものだから、雑に扱うわけにもいかないの」

「あー……」

 そこまで説明すると合点がいったのか、そこで言葉が途切れる。

 それでもまだ納得はしていない、といった表情を浮かべている彼女に対して、私は付け加える。

「機密をどこまで公表するかの調整もあるし、これは隊長である私が引き受けるよ」

「面倒ねぇ……」

 そう言葉を溢しながら、ユイちゃんは再び自身の作業場へ戻り、勢い良く椅子に座る。

 ここは宇宙。

 とはいえ、地球上で誕生した人類が今まで通りの生活を維持できるようにと、多くの居住空間は地球と同等の重力がかかる設計になっている。それはここも例外ではない。

 故に私達は今でも、立って、歩いて、座っての生活を続けているし、ユイちゃんが脱ぎ捨てたであろう宇宙服パイロットスーツは乱雑に床に落ちている。……あれは後で畳んでおいてあげよう。

 そんなことを考えながら、私も机の正面に向き直る。すると再び、入り口の方から音が聞こえる。

「失礼します」

 そう言って開いた扉の向こう側に立っていたのは、一人の少年。

 まだ少し大きい制服をしっかりと着込む少年の左胸にも、花と数字のエンブレム。

「ツレン! 丁度良いじゃない、レイルさっきの話ツレンに――」

 少年の姿を確認して部屋の外まで響く声で話し始めるユイちゃん。

 それを、更なる大声が遮る。

「見つけましたよ、ユイさん!」

 聞こえてきたのは開いた扉の向こう側。少年の居る方。しかしそれは少年の声ではない。

 少年の奥からもう一人、少女がこちらの様子を覗き込む。私は二人に対して部屋の中に入るように促した。

 カシュッと音を立てて扉が閉まる。

 そこから三歩程入った位置で横に並ぶ少年――ツレン・ザニアと、少女――フェーミリアス・キーサ。私達はフェミィと呼ぶその少女の制服は、白と金の色は共通であるものの、私達のものとは形状が異なる、医療服。ただし胸元には、白と黄色の小さな花、カモミールと『9』のナンバーのエンブレム。彼女もこの部隊の一員であり、唯一の医療士だ。

「ユイさん、今日は検査とリハビリを行うと伝えておきましたよね? もうとっくに時間を過ぎています!」

「あー……そうだっけ……?」

「そうですよ。更衣室に行ってもいらっしゃらないので、探したんですよ」

 ああ、だからさっき着替えていたんだ。

「ごめんごめん、ちょーっと急ぎの用があって……」

「それならせめて連絡はください。おかげでツレンさんまで巻き込むことに――」

「あ、いや、僕は隊長に用があっただけで……」

 少年が小さく反論を溢すも、激しい口論に割って入るには及ばない。

 そのまま室内で繰り広げられる攻防戦の間に挟まりながら、私はツレンが手にしていた届け物を受け取る。用が済んでしまった少年は他にやる事も無い様子で、頭上を飛び交う不毛な会話の終戦をただじっと待ち続けていた。

 そんな少年の胸元に咲くのはオレンジマリーゴールドの花。ナンバーは『8』。

 私はその刺繍の出来栄えをぼんやりと眺めていた。

「あーほら、レイル。試験の話、折角なら二人に聞いてみたら?」

 急に矛先がこっちに向いてきた。

「ユイちゃん、フェミィの言うことはちゃんと聞くように」

「……はい」

 大人しくなった患者を専属医が連れて行こうとした、その時。

 ピッ、と電磁音が鳴る。

 誰かがユイちゃんに連絡を取った合図だ。

 それを境に、病院を拒む子供は、仕事の出来る大人へと変貌する。

 慣れた手つきで電子端末を起動し、慌ただしく指先を動かし始める。たちまちモニターを大量の文字が埋め尽くす。

 どうやら急ぎの用があるというのは本当らしい。そういえばさっき、金星で気になる話を聞いたと話していたっけ。

 この変わり様には流石の専属医も引き下がる。私の机前で立ち尽くしていた少年の横に直ると、私達は三人揃ってしばらく天才の洗練された所作を見守っていた。

 不意に少年が口を開く。

「隊長、さっき言っていた『試験の話』って何のことですか?」

 その質問に、ふと気付く。

 今、目の前に居るツレンとフェミィは、二人とも入隊試験を受けている。むしろ、試験を『受けた側』はこの二人しかいないのだ、と。

 ユイちゃんの方は一向に手の止まる様子がない。折角だし、聞いてみようかな。一呼吸置いてから私は話し始めた。

「実は二人が入った後も隊員の募集は続けていてね。この前その試験があったんだけど、合格者は無し。特に適正検査で、全員……ね」

 ああ、とそれぞれが納得したように頷く。

「適性検査って、いきなり操縦席コックピットに座らされた、アレですよね……」

 苦笑いを浮かべる少年。

「私、医療士なのに同じ試験を受けましたよ……」

 続く少女も、似た様な表情をしていた。なるほど、これが受験者のリアルな反応なのだろう。

 驚いたよね、と話し合う二人。受験者へのアドバイスや合格のコツなど聞いてみても特に心当たりは無い様子。何か参考になる意見を聞き出せないかと、質問を変えてみることにした。

「それじゃ、二人にとってバフィルードーの『適性』って何だと思う?」

 少年は迷わず答える。

「それはもちろん、ヒーロー! 世界を守るバフィルードーは、ヒーローらしくないと!」

 その言葉を最後まで聞き終えると、少女もゆっくりと口を開く。

「私は……信念、でしょうか。私も含め、皆さんそれぞれに強い意志を持っているのだと思います。ツレンさんの『ヒーロー』のように」

 隣で聞いていた少年はふにゃりと笑う。

「ですので、」

 と付け加えて、フェミィはちらりと部屋の奥に視線を移す。

「ユイさんには、そちらの用件が終わってからで良い、と伝えてください。その代わり絶対に忘れないでください、とも」

「わかった、伝えておく」

 ユイちゃんはもうこちらの会話は聞こえていない程に集中している様子だった。

 私がありがとう、と言うと二人は失礼します、と一礼して部屋を後にした。

『ヒーロー』に『信念』か。

 同じ問いをかけられたとして、自分では答えないであろう二つの言葉を、噛み締めるように繰り返していた。

 ふと、背後から聞こえていた音がいつの間にか止んでいることに気付く。

「何か、緊急事態?」

 そう尋ねてみるとユイちゃんの声が返ってくる。

「まだそうと決まったわけじゃないんだけどね」

 私は椅子を回して彼女の方を向く。

「金星で聞いた話っていうのは?」

「最近、あの辺を所属不明機アンノウンがうろついてるらしいの。ただの賊やホームレスの類なら良かったんだけど」

 話ぶりから、そうではないらしい。というか、賊やホームレスだとしても良くはないはずなんだけど。

「とりあえず火星からの情報待ちね。リョータに頼んであるから――来たわね」

 そう言って、ユイちゃんは立ち上がる。

 独特に伝わってくる小さな振動と音。

 宇宙空間への玄関口に近い立地のこの部屋では、その玄関扉の開閉くらいは体感で認識することができる。タイミング的に、火星方面へ定期視察パトロールに行っていた隊員メンバーが帰ってきたところだろうか。

 ユイちゃんは手早く机上を整え、持ち運べるサイズの電子端末を一つ手に取る。

「迎えに行くの?」

「うん。こういうのは少しでも早い方が良いでしょ。レイルも行く?」

「うん」

 私も手早く資料を片付けて、ユイちゃんと一緒に玄関口へ向かうことにした。


 * * *


 歩く、から、跳ぶ、へ。

 徐々に重力が失われていく通路を抜けた先、一枚の扉が開く。

 眼前に広がるのは広大な玄関口、格納庫内の光景――ではなかった。現れたのは、扉の向こう側から勢いよく飛び込んで来た、影。

 私の前を歩いていたユイちゃんと、その影が正面衝突をする、その寸前で、互いに一歩退く――正確には、慣性を無理矢理反対方向に入れる。

「おっと、すいません――て」

 見事な反射神経で華麗にバックステップを決めた影、宇宙服パイロットスーツを着た少年とばっちり目が合う。

「ゆっ、ユイさん⁉ それにレイルさんまで!」

 声を上げた少年は私達を見つめたまま、バックステップ途中の体勢で固まってしまった。慣性に流されてゆっくりと遠ざかっていく少年を、こちらへ近付く別の影が押し戻す。

「もぉ〜危ないよぉ、リョーちゃん。……あ、隊長さんたち〜! どうしたんですか〜?」

 明るい声の主、薄ピンク色がふわりと波打つ髪の少女が、こちらに気付いてにっこりと微笑む。

 そのまま少年と少女は私達の前に並んで着地する。

 少年が着ている宇宙服は、先程ユイちゃんが脱ぎ捨てたものと同じ宇宙軍製。その見慣れた白銀色とは対照的に、少女が着ている宇宙服は、赤。厳密には紅梅色に近い、赤をピンクで薄めたようなその色は、通称『火星色』とも呼ばれる。即ち火星軍製。

「二人が帰ってきたみたいだったから格納庫こっちに来たのよ」

 いつの間にか私の隣に着地していたユイちゃんが答える。

「そんな……わざわざ来てもらわなくても、俺たちの方から行ったのに」

「リョーちゃん。こういう時は、まずこう言うんだよ〜」

 少女は姿勢を正し、足を揃えて右手を額にあてる。

「リョーちゃんとメイス・カーリレン、ただ今帰還しました! ――って」

「リョーちゃん、じゃない! リョータ・アラント、ただ今帰還しました」

 少女、メイスに対して否定を述べながらも、少年、リョータも後に続いて敬礼の姿勢をとる。私とユイちゃんもそれに応えた後、格納庫内に場所を移してから本題に入る。

「でも、助かりました。頼まれていた件ですよね?」

 ええ、とユイちゃんが頷くのを確認してから、真剣な顔つきでリョータは話し始める。

「ユイさんが金星で聞いたという所属不明機ですが、火星軍でも同様に観測しているそうです。今のところ特に被害も出ていないらしいんですが――これを」

 そう言って小さな部品を差し出す。

「これは?」

 私が尋ねると、今度はメイスが答える。

「火星軍の軍事衛星の位置データです〜。小さいものも合わせて、全部で二十箇所。どれも今は使われていないはずなんですが、中には基地や工場がそのまま残っているところもあって、それを悪い人たちが利用しているんじゃないか〜って」

「それで、俺たちバフィルードーにそれらを『調査』してほしいって頼まれたんです」

 調査。つまり、もしもそこに『何者か』が居たのならば捕縛し然るべき所へ、ということなのだろう。すると、リョータに渡されたデータはそのための立入可能範囲。戦時中の火星軍の軍事力を考えると二十という数にも納得がいく。

「さすがは優秀な火星軍。話が早いじゃない」

 私があれこれと考えている間に、ユイちゃんは差し出された情報媒体をひょいと拾い上げ、早速その中身を自身の端末に映し始める。

「リョータもありがとねー」

 と後から付け加えた言葉に、少年は、

「いっ、いえっ!」

 と今日一番の畏まった声を上げた。が、当の彼女はそんな少年の様子には微塵も気にかけることなく、自身の端末と向き合い続けていた。代わりに、耳が真っ赤に染まった少年の横顔は、隣の少女がじっと、頬に空気を溜めながら見つめていた。

 さて。と、二人の注意をこちらへ向けさせる。

 ユイちゃんは集中モードに入ったみたいだし、私も隊長としての務めを果たさないと。

「それで、火星圏視察の結果はどうだった?」

 少年と少女は私の方へ向き直って、それぞれに報告は始める。

「復興も早く、居住区ではもう戦前の生活に戻っているところもありましたよ。火星を離れていた人たちも徐々に帰り始めていますし。軍内部はまだ再編の途中で混乱していましたが……それでも、だいぶ良くなったと思います」

「それと、パパにも会ってきました〜。軍への復帰にはまだ時間がかかるみたいですけど、今のままでも出来る限りのことはするって言ってました〜。それに……」

 少女の言葉はそこで止まり、口元が大きく緩んでいく。

 何かを思い出して幸せに浸っているようで、満面の笑みを隠そうともしない少女の代わりか、少年の方が言葉を繋ぐ。

「バフィルードーでのメイスの活躍を、ちゃんと知っていたんですよ」

「はい〜!」

 嬉しそうに声をこぼす少女。

 良かったね、メイス。

 同じことを想ったのか、リョータも優しく少女を見守っていた。

 穏やかな沈黙が暫く流れた後で、そうだ、と思い出したように少年が言った。

「次世代機の件も聞いてみたんですが、返答は保留だそうです。まずは火星内部を立て直すのが最優先、ということでしたので」

「そう……思慮深いところも流石は火星軍、だね」

 一筋縄ではいかない相手、さてどうするか……と深く考え込むのは一旦後回しにして、

「――だってさ、ユイちゃん」

 と言ってみる。

 んー、と当然こちらの話など聞いていなかったであろう生返事が返ってくる。

 声の主は、無重力を良いことに背中だけを壁に預けて、膝を立てて座る体勢で宙に浮かんでいた。小さな端末が映し出す情報は自分だけに見えるように、胴と足の間に抱え込んで。

 早くも私に名前を呼ばれたことなど無かったかのように、じっと同じ動作を続けていた。

 どうせ目の前の事が片付いたら自分から聞きに来るだろうし、今は好きにさせておいてもいいか。それで本当に、とんでもないことを成し遂げてしまうのが彼女だ。

 後でいいよ、と相手に伝わることは半ば諦めながら、そう言い残す。

 一方で、報告を済ませた少年少女には全てしっかりと聞かれていた。

「リョーちゃん。メイスたちはもう少しこのまま待っていようか〜。隊長さん、訓練場って空いていますか〜?」

 格納庫に引き止めてしまった上に、後の出撃の気配を察知して着替えずに待機してくれるようだ。

 後輩達の気遣いに感謝しつつ、私は自分の記憶を辿る。

「今は確か……マサト君達が使っていたはず」

「レイル」

 鋭く名を呼ばれ、身構える。

 声のした方、数秒前と同じ方へと、再び顔を向けると先程までとは一変、真っ直ぐこちらを見つめるユイちゃんが居た。


 * * *


 訓練場。

 有重力のだだっ広いその部屋の中に設けられた、対人戦闘訓練用区画。言わば道場みたいな造りになっているスペースで、二人の人物が、互いに一歩踏み込めば手が届く、という距離で向かい合い、立つ。

 他に人の気配のしない、張り詰めた静寂に、

「始めっ!」

 の合図と共に、激しい衝撃音が響き渡る。

 蹴る、殴る、掴む、投げる――何でもアリの徒手戦闘。

 一方は、相手との距離を詰めながら次々と攻撃を繰り出し続ける。

 もう一方は、ひたすらにそれらを避け、防ぎ、接近してくる相手から離れながらも、時折反撃カウンターを挟む。しかし攻手も、これにはしっかり反応する。

 一進一退。見る者によっては互角の戦いだと捉えるかもしれない。だが、実際の戦況はあまりにも一方的なものだった。

 攻手が右の拳を大きく振りかぶり、体重ごと勢いに乗せて一気に左前方へ突き出す。防手は上半身を仰け反らせ、ギリギリでこれを躱す。

 攻手は空振った拳を素早く開き、床に手を叩きつけて体を支える。そのまま左足を軸に体を捻りながら、右足を相手の胴体目掛けて振り上げる。防手は左腕で正確に受け止めるものの勢いは殺しきれずに、重心は後方に傾く。

 これで両者体勢を立て直し……になるかと思えば、防手は傾いた身体のバランスを取るよりも先に、右手を前に構えていた。

 拳や手刀が届く位置関係ではない。その手に握られていたのは、銃。

 タン――

 それで、決着がついた。

 ばしん、と痛そうな音で床に倒れ込んだ攻手はそのまま動かなくなった。

「一本、だな」

 と、防手。

 こちらは発砲後にきちんと体勢を立て直したのか、右手に持つ銃の先を自身の肩に乗せ、余裕の佇まいでいた。

「……生きてんの、あれ」

 審判役として、安全地帯から一部始終を見ていたが、決着がついたのなら近付いても平気だろう。

 未だピクリとも動かない敗者の容態を、念の為確認しに行く。

「死ぬほどいたいだけで死にやしねーよ」

「マサト、感想は?」

「死ぬほどいてぇ」

「だろうな」

 右の脇腹を両手で押さえてうずくまったまま、声だけで返事をした友。そのすぐ側には、死ぬほど痛いと噂の銃弾が転がっていた。

「弾はゴムか」

「ああ」

 人差し指と親指でつまみ上げ、ぐっと力を加えてみれば、銃弾は簡単に形を変えた。

 確かに痛そうだ。しかもかなりの至近距離で喰らっていなかったか?

「タクも一発撃ってもらったら?」

「いーよ俺は」

 出血はしていないようだし、本当にただ痛い〝だけ〟なんだろうな。

 二、三度銃弾の弾力を味わってから、元の所有者にそれを返す。弾は再び銃にセットされた。

「つーかなんだよそれ! 卑怯だろ!」

 脇腹を押さえていた内の片方の手で銃を指差し、元気良く叫ぶ。

「訓練用の銃。危なくねーように、ちゃんと胴に撃ってやっただろ」

 持っている銃を指で回してみせた後、その銃口を、自身を指差す相手へと向ける。

「だからって、徒手戦スデの訓練でそれを使うのは反則じゃあないのかなぁ、よぉ?」

「テメーが実戦を想定した訓練やりたいって言うから、こうして仕込んできてやったんだろーが。なぁ、?」

「お前等なぁ……」

 銃を模したポーズの指と訓練用の銃を向け合って、分かりやすく互いを挑発する友人二名。なんで毎度訓練がケンカになるんだよ。

 こっちも分かりやすく溜息を吐きながら、間に割って入る。

「今のが実弾なら確実に死んでいる。文句なら死んだ後で言うんだな」

「言ってろ。くそ、機体戦だったら負けねぇのに……」

 両者、銃は渋々下ろすものの、全く反省の色が見えない会話が続く。

 これ以上止める気力も無く、次ラウンドの審判役に戻ろうとした、その時。

 後方で、電子音が鳴る。

 俺等全員の注意が瞬時にそちらへ向かう。男三人、それだけの部屋に高く鋭い声が響く。

『三人とも、そこにいる? 緊急事態エマージェンシーよ、今すぐ集合』

 それだけ言って、ユイからの通信は切れた。

 エマージェンシー、という単語の重さとは裏腹に、ユイも俺等もそれをいつもの事として処理していく。

「動けるか?」

 座り込んだままだった一方に、手を差し伸べる。

「……まだ、死ぬほどいたい」

 そう言って友は俺の手を掴んだ。


 * * *


 カシュッ、と音を立てて扉が開く。

「――揃ったわね」

 ユイちゃんが告げる。

 扉から入ってきたのは、訓練場にいた三人――軽戦闘服ジャージ姿のタクミ君、アドリー君、マサト君。

 部屋の中には他に、宇宙服パイロットスーツを着たままのリョータとメイス、先程と同じく制服姿のツレンとフェミィ、そしてユイちゃんと私。

 これで九人。隊員全員が集まったことになる。

「新たなテロの情報が入ったわ。バフィルードーあたしたちの十人目の隊員メンバーからね」

 そう話しながらユイちゃんは、ツレンが居る方へ視線を送る。それを受け取ったツレンは、ぱっと明るい表情を浮かべた。

 小さく頷いて、ユイちゃんは説明を続ける。

「わかっているのは、相手が『反バフィルードー』を掲げる武装集団であること。その他、規模や目的は不明。だけど、先手を取れるのならこちらから仕掛ける」

 いいわね、と全員の同意を視線だけで確認し、作戦会議はより詳細なものへと移っていく。

 ――そうして、全ての話し合いが終われば、いつもの様に締めくくることになる。

「バフィルードー、出撃!」

 いつもの、隊長の言葉で。


 * * *


 もう間もなく、決行の日だ。

 火星宙域に浮かぶ廃棄衛星で、思索に耽る男がいた。

 男は自らテロリストを名乗り、反軍活動組織を興していた。そのターゲットを、宇宙最大の勢力とされる宇宙新星軍と、その中枢的部隊であるバフィルードーに据えて。

 ターゲットを倒すべく入念な下調べをし、火星軍の元軍事衛星を探し当て、これを根城に武力を集め、仲間を集めた。

 その準備もいよいよ大詰めとなり、今、男は思索に耽っていたのだった。

 計画は完璧。もう間もなく憎きバフィルードー共を倒し、我等が宇宙の新たな支配者となるのだ。そして――

 男が胸中で語る言葉は根拠の無い自信か、それとも自身に言い聞かせる暗示だろうか。どちらにせよ、男には反軍活動を興す大義名分があった。

 地球に帰る。

 かつて地球と宇宙の権力者達が勝手に取り決めた条約により、現在宇宙に居る者は地球に行くことができない。それどころか、一切の通信すら許されないため、現在の地球の情勢は全く分からないのだ。

 地球に妻子を残してきた、という者も宇宙には少なくない。この男のように。

 故に男は、自ら権力を乗っ取り地球帰還のみちひらく、という大志に至ったのだった。それが現実的であるかはさておき。

 こうして「反軍・反バフィルードー」を掲げた男の元には、理由は様々にその理念に共感する協力者達が集っていった。その数、五十を超える。約二ヶ月間の出来事としてはこの上ない成果だった。

 ただ、その共感者の中に、倒すべき相手と通じる者がいたことは知らなかった。

 ビ――ビ――、とけたたましい音が鳴る。

「何事だ⁉︎」

 突然の警報音に思索を遮られた男は叫ぶ。

「れっ、レーダーに反応! これは――」

 焦る協力者オペレーターの声と共に、正面のメインモニターに映像が映し出される。

 映っていたのは、白い人影――HWハーヴェーと呼ばれる、この宇宙せかいにおいて最も一般的な個人用搭乗機――が、光の尾を引いて宇宙空間をはしる姿。

 入念な下調べをしていた男は予感していた。

 そしてその予感は、オペレーターの報告によって確定となった。

「バフィルードーです!」

「馬鹿な……!」

 男は椅子から弾け飛ぶように立ち上がる。

 室内――本拠地である廃棄星の基地司令室内に居た者達も皆、慌てはじめる。

「なぜバフィルードーがここに⁉︎」

「数は⁉ 他に反応は⁉︎」

「一体だけ……ですがっ、物凄いスピードでこちらに向かってきます!」

「まさか、もう見つかったというのか⁉︎」

「お、落ち着け、ただの偵察パトロールという可能性も……」

 その様はまさに、混乱。

「どうします、リーダー⁉︎」

 誰かがそう言うと、室内は一斉に静まり返る。代わりに全員の注目が男に集まる。

 男もまた、混乱していた。

 楽観と最悪、双方の可能性が同時に浮かび、どちらを選ぶべきか決めあぐねている間にも、映像の中の白い機体はぐんぐんと前に進む。

 やがてスピードを落とし、その白い機体――白と黄色に彩られた機体は、男達が拠点とする星の目の前で立ち止まった。

 バレてる――

 男は最悪を悟った。

『……あーあー。こちらバフィルードー№5、マサト・コーヤ』

 司令室のスピーカーから聞き知らぬ声が流れる。

 その声に、その名前に恐怖心を駆り立てられた男は、ようやく覚悟を固めた。

「……主砲を準備しろ」

「はっ――しかしあれはまだ……」

「構わん! この場所が見つかった以上、計画は前倒しだ!」

「りょ、了解!」

 基地の中を慌ただしく人が行き交う中、スピーカーから流れる声は止まらない。

『テロの準備会場はここで合ってるか?』

「総員、今こそ決行の時! 奴に我等の力を見せてやるのだ!」

 敵の声を掻き消すように、男は叫んだ。



 一方で、

「反応ねぇな……おーい聞こえてるかー。おーい」

 基地内部での混乱など露知らず、マサトは機体の心臓部コックピットで呑気に喋り続けていた。

『マサト君』

 と、レイルの声。

 頭をすっぽりと覆う宇宙用ヘルメットに内蔵された、耳元のスピーカーから聞こえたものだ。

『そんな言い方じゃ、かえって警戒されるだけだよ』

 マサトはマイクの出力先を内部通信に切り替えてから、再び話し始める。

「いやいや、このくらいラフにいった方がむしろ相手も油断するって」

『だといいけど。マサト君が油断しないようにね』

「そこは心配なく」

 その証に、マイクを切り替えた瞬間以外、両手は機体の操縦桿に常に据えられていた。

「けど、さっきから静かすぎるんだけど。本当にこの辺で合ってんの?」

 そう尋ねると、今度はユイの声が返ってきた。

『間違いないわ。所属不明機アンノウンの目撃情報があったのは確かにその座標ポイントよ』

「となると、この中のどれか、か」

 ぐるりと辺りを見渡せば、マサト機から見てそれぞれ別の方向に三つ、『星』と呼ばれる巨大な人工建造物がそびえ浮かぶ。

 そのいずれから弾が飛んでくるか分からない、と警戒しながらも、内部の様子をどうにか覗こうと正面の一つにさらに接近してみる。

 おそらく一番大きいデカい星だろう、と直感で選んだそれが、まさか本当に当たりを引いているとは。テロリスト達にとっては不運でしかなかった。

「もしかして、もうこっちの動きがバレて逃げられた後、だったりする?」

 口では変わらず、軽い調子で話し続ける。

『あの子がそう簡単に察知されるとは思えないけど。どうする、レイル?』

 ユイが問いかけると、少し悩んだのか間が空いてレイルが答える。

『アドリー君達はそのまま潜入準備を。このまま何も反応アクションがないようなら――』

 マサトが、機体が感知した高熱源反応を方角として認識したのと、

『避けてマサトっ!』

 ユイの声を聞いたのは、同時だった。

 一瞬の間に視界は激しい光に覆われ、全長十数メートル、白と黄色に彩られた鉄の身体からだごと、マサトは光の激流に飲み込まれた。



「当たっ……た? やったのか……?」

 男から漏れ出た声は歓喜というよりも、困惑。

 まさか本当に命中するとは。

 それが正直な第一声だった。というのも、軍の精鋭部隊であるバフィルードーならば、例え背後から不意を突こうとも容易に躱すものだろうと、男は見立てていた。

 その上で相手を倒す為の策を何重にも用意していたのだから、初めの一射で、しかもほぼ反射的に放った砲撃一つで片付いてしまったとなれば、男が呆気ないと感じてしまうのは無理もない。

 現在、高エネルギー砲を放った影響か、司令室の機器類は全て麻痺しており、敵機の安否は不明だった。しかし、最後にカメラに映った映像では、確かに人影は砲撃の中に飲まれたように見えた。

 まだだ、相手はバフィルードー。この程度で終わるはずがない。

 必死に心に言い聞かせる。

 間もなく有線で繋がっていた星内部のカメラが回復し、土煙のようなモヤが立ち込める外殻付近の映像が映し出された。

 ぽっかりと空いた丸い穴。分厚いモヤの奥にはかすかに宇宙空間が見える。それは、先刻放たれた砲撃の威力を物語っていた。すなわち、人一人用の機体など跡形も残るはずがない、と。

 途端、男には人を殺したという実感が湧いてきた。

 それが恐ろしくなった。

「ば、馬鹿め! こんなところにノコノコと現れるから、こうなるのだ! そうだ……貴様がここに来なければ、いっ……命までは奪わなかったというのに……!」

 男の言い訳は加速する。聞こえるはずもない相手に向けて。

「悪いのは貴様だ、キシル!」

『――……ぇなぁ』

 相手には聞こえるはずもない、そのはずだった。

「は……?」

 男は固まる。

 スピーカーに乗った雑音が、人の声に聞こえたから。黙れ、と言われた気がしたから。

 それがただの気のせいで済んでいたのなら、どれほど良かっただろうか。しかし、

『――警告も無しにいきなり違法兵器こんなものを撃ってくるとはな』

 今度ははっきりと聞いた。先程と同じ、機械越しの声を。

 そして、見た。土煙を貫いて星の内部へと飛び込んで来る、人影を。

「き、機体反応、健在ですっ!」

 それは、五体満足の白と黄色の人型機。

「馬鹿な……無傷、だと⁉︎」

 バフィルードーを相手に、この程度で終わるはずがなかったのだ。

『お前達、覚悟はいいな?』

 司令室のメインモニターの中で、その機体は真っ直ぐに男を見据え、銃を向ける。

 化け物、め――!

「ええい、迎撃だ! 出せる人型機HWも全て出せ!」

「はっ!」

 男――テロリスト達のリーダーが放った号令で、基地内に居た全てのテロリスト達の行動は決定した。

「何としても奴を撃ち落とすのだ!」



(続き執筆中)

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バフィルードートルート 水無 @sui_7

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