無職探偵

大間九郎

第1話


 みなとみらいにある臨港パークの海は今日も黒くて、まるで昔飼っていた黒猫の腹みたいだと、ddは思った。


 海に面した階段のような段差に腰掛け、手巻き煙草の紙にタバコの葉をのせ、器用にくるくるとロールさせると紙の端をぺろりと舌で舐める。


 タバコだ、ハーブじゃない、このところ金がなくてハーブはとんと御無沙汰で、仕方なく吸っているメンソールがきいたチェじゃとんとブリれないし吸う量だって増えちまう。健康に悪すぎるぜ、心の中で悪態をつきながら今巻いたたばこに火をつけ大

きく吸い込む。


 金がないのは仕方がない、金は天下の回り物で、俺のところに回ってこない時がチョットばかり長いだけさ、回り物ならそのうち鼻くそほじってても金は回ってくる。それを右から左に受け流し、横に回してやればいい。金なんてそんなもんだ。


 俺は肉も食わないし、酒だってたしなむ程度、着る物だって気にするたちじゃないし髪はバリカンでゴリゴリ刈ってりゃ洗うのだって手間がない。倹約家ってやつだな、生まれながらの倹約家、欲望が俺の腹の中ではトンとお留守で、アレが欲しいコレが欲しい、あの女を抱きたい、あの靴が欲しい欲しいなんて気持ちが全然おきやしない。ナチュラルボーン倹約家だ。


 欲しいものはいつも一つ、鼻くそほじってゴロゴロ寝そべる時間と、ああ、二つだ、欲しいものは二つ、あとはハーブ、ふとまきのラッパみたいに先っぽが膨らんだ贅沢品、俺はハーブが欲しい。


 ddは臨港パークの段差に腰掛け、ウーバーのデリバリーバッグに足をのせ、海を見る。今は午後一時、スマホにはガンガン注文のメールが来ているが無視無視、働くのは好きじゃない、チャリのタイヤもさっきパンクして、心の中にあった最後の勤労意欲と共に空に消えていった。


 ハーブが欲しくて始めたウーバーだったけど、二日持たなかった。


 働くのめんどくせー!


 だが家には帰れない、家に帰ると同棲中のシャムがニヤニヤ、


「ほら、やっぱり働けなかったじゃない。やっぱりddはヒモが天職なんだよ、グダグダごねずに私のヒモとして天寿を全うしなよ、とりあえず、足の指舐めな」


 と、変態プレイを強要してくる。


 家には帰りたくない。


 とりあえず夕方くらいまではどこかで暇をつぶし、今日一日は働いていた雰囲気を出したい。


 そんなことを考えながら、ddは面白くもない海を見ていた。


 黒い海、母音はう・お・い・う・い、黒い海、浮き沈み、そろい踏み、悪魔の実、悪魔の実、あ・う・あ・お・い、神頼み、囲い込み、アイロニイ、遺体処理、黄泉の国、俺はゴミ。


 バイトはダメだ、働きたくない。ここは一発ラップで金を稼ごう。


 ここ横浜でちょっと裏通りに入れば、金をかけた野良サイファーなんていくらでもエントリーできる。


 参加料三千円、数十人の客の前で勝ち抜けば賞金は総取りで二、三万にはなる。


 そこをたまたま見に来てたレコード会社が俺の才能に気がつきデビューなんてことも考えられるんじゃない? そう俺のこの才能があれば。


 捕らぬ狸の皮算用、皮算用、あ・あ・あ・ん・お・う、神羅万象、はばたこう、金掴もう、そんな魔法、歌いましょう、アゲハチョウ、熱出そう、俺はもう、旅立とう、口八丁、で。


 韻を考えながら、次に出られる金がかかった野良サイファーを調べようとスマホを見ると、ウーバー以外から一本のメールが来ていた。


 そのメールを見て、サイファーどころじゃなくなった。


 ふとまきが、鴨葱で、俺の元にやってきたのだ。





 ◇◇◇◇





 黄金長の裏で、大岡川を渡って伊勢佐木町寄りに建ってる雑居ビルは一階がヘルスで、二階もヘルスで、三階は嬢の待合室で、四階はヤクザ事務所だ。


 階段しかないこのビルを三階と四階の中間、踊り場まで上がったddの太腿は乳酸が凝り固まって、今にも痙攣しそうだった。


 四階のヤクザ事務所の前の階段に腰掛け、虎雄はタバコを吸いながら、足を振るわせる俺を見下げ、ニヤついてた。


「おいdd、靴もズボンもティーシャツもGUってのは、自称ラッパーとしちゃどうなんだい? 今時中坊だって持ちっと服に気を使うぜ?」


「ラップはベロが命だ、服は関係ねえんだよ」


「それにしても限度があんだろ? 人は見た目が十割だっけか? そんな話、あっただろ?」


 虎雄は切れそうなほどプレスがきいた黒のスラックスにガラスレザーがビカビカに光る革靴を履き、真っ白な長袖ワイシャツを着て、そのワイシャツからモンモンが透けて見てる。確かに見た目が十割ヤクザだ。


 ddとは中学の同級生、高校は偏差値七十オーバーのエリート校に行き、その後赤門で学士様になったインテリヤクザだ。


 虎雄とddは昔から馬が合い、よくつるんでいた。虎雄がヤクザになって、疎遠だったが、ある事件をきっかけに、またぞろつるむようになり、ddはいい様につかいっパシられているわけだ。


 ddはは虎雄に向かい右手を出す。


「なんだその手は?」


「虎雄、ハーブください」


「いいぜ、最高品のドサンコがありやがる。グラム六千でどうだ?」


「六千!? ぼりすぎだろ!! いつもの三倍じゃねーか!!」


「なあdd、最高級品だ。自生してるやつじゃない、試される大地で、しっかり人の手が入って育てられた芸術品だ。かのボブマーリーもブリブリにしたドサンコのトップオブトップだぜ? お前がいつも吸ってるヨモギかどうだか分からん三流品とはわけが違う、友達価格で六千だぜ、これじゃ俺にだって設け無しだ」


 ddが虎雄のにやけ顔を前に、地団太を踏み、財布を出し、バリバリ開くと、中を確認し、湖畔でホッケーマスクの殺人鬼に会った時みたいに、絶望した顔をした。


「金がねえんだろ?」


「だな、金はねえ」


「貸してやろうか?」


「ヤクザに金借りるバカがいるかよ」


「自慢のベロで一稼ぎすりゃいいじゃねーか?」


「週末まで賭けサイファーがねえんだよ!」


「女から金毟ればいいだろ?」


「もう、足の指は舐めたくないんだ……」


「なら、俺の仕事を受けてもらおうか、名探偵さん」


 虎雄はそう言い、階段を下りて、ddの華奢な肩に手を置いた。


 ヤクザや裏社会では、おかしな事件がおこる。


 密室殺人に、あり得ない場所からブツが消えたり。


 裏社会じゃ、警察に頼んで、現代的科学捜査をお願いするわけにゃいかない。警察に頼れないそんな事件は裏社会の中で解決しなきゃならない。


 そんな裏社会の中で、煌めく頭脳を使い、難事件を次々解決した名探偵として名を上げたのが、虎雄である。


 虎雄は裏社会のシャーロックであり、ポアロでありミスマーブルなのだ。


 まあ、その事件たちのほとんどを、冴えない、ナチュラルボーン倹約家であり、変態のヒモであり、ハーブ中毒者のddが解決していることを知る人物は、虎雄と、ddと、変態シャムの三人だけなのだが。 





◇◇◇◇





 虎雄の車は国産車の四駆で、ヤクザらしくない白色だが、虎雄いわく、買取価格の下がり幅と性能を天秤にかけ、一番我慢できる車がこれらしい。


 虎雄の運転で、黄金町からみなとみらいにとんぼ返りだ。みなとみらいに並ぶタワマンの一棟の駐車場にddと虎雄を乗せた四駆が滑り込んでいく。


 地下の来賓用駐車場に車を止めた虎雄は運転席でタバコに火をつける。


「今回の事件の概要は簡単なようで複雑だ」


 虎雄は事件の概要を話し出す。


「昔、大きな組織が二つ、縄張り争いをしていた。ちんけな縄張りじゃない、金がじゃぶじゃぶ湧き出る油田みたいな縄張りだ。


 そこで、二つの組織は戦争をした。


 そうだな、組織二つをAとBとでも仮称しようか。


 最初はAが優勢で、じわじわBが盛り返し、最後はBが勝利目前だった」


「目前だったてことは、勝ったのはAってことだな」


 つまらなそうにddがそう言うと、虎雄は苦笑いし、


「そうだ、Aが最後に勝った、英雄の出現によってな」


「英雄?」


「そうだ、英雄だ。負け確だった盤面で、ダンビラ一本で敵本部に乗り込み、敵の親分と好戦的な幹部全員を始末した」


「すげえな、昔の任侠映画の主人公みたいだな、アイムヒム!!ってわけだ」


「そうさ、その時に腰に受けた弾丸で下半身不随になっちまったが、Aの中じゃそりゃ大切にされててな、軍神扱いさ」


「それで、どうして俺が呼ばれたんだ?」


 ddはじっと車窓から外の駐車場にたむろする、黒スーツの男たちを見て、虎雄にきく。


「英雄が死んだ」


「そりゃ誰だって死ぬさ」


「英雄は首吊りで死んだんだ、自宅の梁にロープを通して、それで首を吊った」


 車窓から外を見ていたddが振り返り、虎雄を見る。


「そりゃおかしな話だ」


「そうだおかしな話だ」


「英雄は下半身不随だろ、梁に吊ったロープに首が届かねえんじゃないか? 誰か手伝ったのか?」


「いや、そうだな、話すより見たほうが早いか」


 虎雄が車の運転席を下りたので、ddもつられて下りる。


 虎雄に促され、駐車場の奥にあるエレベーターに乗り込み、虎雄が最上階のボタンを押す。


「英雄の城に案内しよう」


 かっこをつけてそう言う虎雄に、


「英雄は死んだんだろ? 棺桶さ、死者の部屋なんてな」


 ddがそう言うと、


「これから行く場所で、そんなナマ言うなよ、ブチ殺されるからな」


 と、きつく言われた。





◇◇◇◇





 そこは面白い部屋だった。


 高層マンションの最上階で、六十畳はある天井が高いリビングの中にガラス張りの部屋が入れ子のように入っている。


 ガラス張りの部屋の中は六角形の小さな庵が建てられており、開いた窓の奥に、畳の部屋が見え、梁から浴衣を着た老人の死体がぶら下がっていた。


 リビングの端で虎雄が恰幅がいい黒スーツの男と笑顔で話している。


 ddは庵を囲んでいるガラス張りの部屋の壁を触ると、


「さわるなダボが!!」


 と、恰幅の言い黒スーツに怒鳴られる。


「おい虎雄!! このガキてめえのとこの子飼いか!? しっかり教育しとけや!!」


 虎雄も怒鳴りつけられ、ペコペコ頭を下げている。


 虎雄が寄ってきて、ddの脇を肘でつつき、


「お前のせいで怒られたじゃねーか、ほどほどにしろよ」


 と、こそこそ文句を言ってくる。


「それより、この水晶宮、どうやって入るんだ?」


 ジロジロガラス張りの部屋を見ながら、一周、周りを見て回った。


 ddの目には入り口らしい場所は見あたらない。


「このガラスの囲いは中にある庵の額縁さ、この庵は岡倉天心が建てた六角堂のレプリカらしい。かなり金もかかってる。


 中で首を吊っているのが英雄だ。


 英雄は岡倉天心の大ファンらしくてな、コレクションの行きつく先が、このレプリカってわけだ」


 ddがリビングの中を見渡すと、確かに日本画が何十点も飾ってある。


「それじゃ本来、この庵は、観賞用で、ガラスの檻に出入り口はないってわけだな」


「そうだな、でもこのガラスの檻に天井はない、頑張れば中に入れるけどな」


 ddも虎雄に言われガラスの檻を見上げると、ガラスの壁は二メートルほどで、飛び上がればガラスの壁の最上段に手をかけ、中に入ることはできるだろう。


「でも下半身不随の英雄さんには、この壁は越えられない、か」


 ddがそう言うと、


「だな」


 と、虎雄も答えた。


「さて、dd、名探偵、英雄殺しの犯人を、教えてくれないかい?」


 ddに向け、インテリヤクザは、インテリらしく、資本主義と権力の臭いがする笑みを浮かべた。




 

 ◇◇◇◇





 ガラスの壁をよじ登り、ddは死体と対面した。


 首は梁に張られたロープに吊られており、足元には蹴られた台が四つ足を天に向け腹出した犬のように見える。


 垂れている糞尿の量は少ない。


 死体の顔は変色し、垂れ下がって数時間立っているのでうっ血してなかなかの表情になってるけど、まあ死体だ、しょうがない。


 格好は黒い浴衣で、麻の帯、高級そうだ。


 浴衣の裾をめくると白いブリーフは糞尿に汚れている。


 なるほどな。


 見事な首吊り死体だ。


 これで英雄が下半身不随じゃなけりゃ、誰も首つりを疑わないだろう。


 後からガラスの壁をよじ登ってきた虎雄に声をかける。


「英雄の体はやせ細っているが、けっこう骨太でガタイもいい、外で殺して、ここでぶら下げるには、二人は必要だぜ」


「だな、車椅子はキッチンにあった、そこで殺されたんだろう」


「なるほど、でも、なんで犯人は、こんなところに首を吊らせたんだ?」


「さあな、自殺に見せかけたかった、とか?」


「だったら、こんなところで首吊らせんだろ、英雄は下半身不随だぜ? ここで自殺するのは、不自然極まりないだろ」


「それじゃ、報復の何かのサインか?」


「英雄が英雄になる戦争では、敵に首とか吊らせたのか? この首つりが報復のサインになるような事件があったとか?」


「いや、その抗争の話しは何度もきいたが、そんなシーンは出てこないな」


 ddと虎雄は、英雄の死体が吊るされた庵の中で、首をかしげるしかなかった。


「おい! オヤジのこと、もう下げてもいいか!?」


 ガラスの壁の外から、恰幅のいい黒スーツの男が怒鳴り声をあげる。


「dd、いいか?」


「かまわん、このままじゃ英雄だって苦しかろう」


 虎雄が声をかけると、じゃじの男たちが、ガラスの壁を乗り越え、英雄を梁から下ろし、白いシーツのような布で包まれ、庵から出され、五人のジャージの若集がよっころえっこら二メートルの壁を超えさせようと四苦八苦してしていた。


「死体をこのガラスの壁の中に運び込むのは、二人じゃ無理そうだな」


 ジャージの若集を見ながら虎雄がそう言って、ddは無言でうなずいた。


 二人はガラスの壁から外に出ると、恰幅の言い黒スーツに勧められソファーに座る。


「どうだ虎雄、犯人分かったか?」


 虎雄は頭を掻きながら、ペコペコと頭を下げる。


「いや、これだけじゃ分からんですよ、そこでオジキ、少しお話しきかせてください」


 虎雄のへりくだった態度に満足したのか、オジキと虎雄に呼ばれた男は若集に淹れさせたお茶に口をつけ湿らせると、滑らかに喋り出す。


「なにがききたいんだ、何でもきけ虎雄」


「それじゃすいません、今回オヤジさんは首吊りに見立てて殺されたわけですが、前の抗争で、首吊りが報復のサインになるような、事件とかってありましたか?」


「俺は前回の抗争の時はオヤジの手足で動いたが、そんな事件、覚えはねえな」


「たとえば、相手の構成員の首を吊って始末したとか、相手側の奴がビビって首吊ったとか」


「全部を知るわけじゃないが、俺はきいたことねえな」


 虎雄は難しい顔になる。


「虎雄、こりゃ報復のサインのはナシだ」


 ddが虎雄に声をかける。


「そうか? ほら、オジキが知らなくても、構成員の家族とか、マイナーな登場人物が首を吊っていて、その事件の報復の、サインかも?」


「そんなマイナーな事件じゃ、報復のサインにならんだろ? サインは相手に分からなきゃサインにならないぜ、だからサインの線はナシだ」


 ddの話をきいて、虎雄は難しい顔になる。


 虎雄にオジキと呼ばれた恰幅のいい黒スーツは、いきなり喋り出したddにいぶかし気な視線を向け、目つきがきつくなる。


「虎雄、トイレ」


「dd、俺はトイレじゃない」


「もれちまうよ!」


「そこ、廊下の先だ、行ってこい」


 ddはへこへこ走り出し、トイレがある廊下のほうに消えていく。


「虎雄、舎弟の教育がなってねえな」


 オジキにそう言われ、頭を掻く虎雄。


「まあ、あいつはこっち関係の仕事専用の人間でして、バカですが、頭の回転はピカ一でして」


 オジキは難しい顔になり、もう一度お茶に口をつける。


「バカとなんとかは紙一重ってわけか、まあいい、それより、オヤジが死んだことで組の士気がガタ落ちだ、まあそれは俺にとって好都合なんだがな」


「オジキは抗争に反対で?」


「当り前だ、俺はあの抗争の生き残りだぞ? ありゃ地獄だった、オヤジが無茶して勝ったは勝ったが、もう二度とあんなのはごめんだ。


 あの地獄を知らん若造たちはオヤジの伝説にあてられて、戦争戦争騒ぐがよ、弾丸一発で盃交わした兄弟が死んでくんだぞ? 避けれりゃ避けたほうがいい」


 英雄が活躍した抗争の再燃が今、起こりそうになっている。


 やはり金が湧き出る極上のシマは、一度の敗北だけじゃあきらめきれない。


 英雄が活躍した抗争は二十年前、もうその当時の地獄を知らない者が敵味方とも多すぎて、敵味方とも交戦派がけっこうな数いる。


 一触即発、と言うほどではないが、ここでネジは巻いておきたい。


 そこでおきた英雄の変死。


 首吊りをできない人間が、首を吊って死んだ。


 この死が、敵の仕業なら、戦争は確実だ。


 犯人は組の威信をかけて、沈めなきゃならない。


 警察の手が回る前に。


 オジキがお茶を飲み終わると同時にddが帰ってきて、虎雄とddは英雄のマンションを後にした。





◇◇◇◇





 白い四駆の運転席に虎雄、助手席にdd、二人は鎌倉方面に国道をドライブしていた。


 内緒の話はドライブ中がいい、人の目と耳が気にならない。


 ddはペットボトルのコーラを飲み、喋り出す。


「英雄の面倒は誰が見てたんだ?」


「オヤジさんは脚が動かないくらいじゃ、人の手は要らねえって、一人でやってたよ、ただ掃除や洗濯、買い物なんかは若集がやってたがな」


「泊まりは?」


「いない」


 そこまできくと、ddは虎雄に手の平を出す。


「なんだその手は?」


「ハーブ、最高級のドサンコだ、太巻きで頼むぜ」


 虎雄は胸のポケットから一本、ぶっとく巻いてあるハーブを取り出す。


 ddは太巻きを受け取り、鼻の下にもっていき、大きく香りを嗅ぐ。


 目を閉じ、冬にションベンした時のように体を震わせる。


 口に咥えると、虎雄がダンヒルの金のライターで、火をつけてくれる。


 大きく煙を吸い込み、鼻をつまみ、息を止める。


 梅干しのように顔をクシャらせ、カッと目を開け大量の紫煙を吐き出す。


 目が充血し、急けを飲んだように目じりが垂れる。


 頭の中で音楽が鳴る。


 首吊りの英雄、う・い・う・い・お・え・い・う・う、しくじりの濁流、腹きりの猛獣、博識で回る地球、機能美で四捨五入、嘘つきの核保有、犬死、慎み、悪食の名優、殺したのは英雄、殺されたのも英雄。


「分かっぜ」


「そうか」


 虎雄は感心したり、驚いたりしたりせずに答えた。


「英雄殺しはいねえ、英雄は自殺だ」


「どうやって?」


「普通にさ、梁の下まで行き、ロープを梁にかけ、台に上り、首に括り、台を蹴った」


「それが英雄にはできない、あのガラスの壁の中は、英雄にとっては密室だ」


「本当に?」


「なにが言いたい?」


「英雄がキッチンで殺されて、その後あのガラスの壁の中に運ばれたんなら、五、六人の人間が必要だ、そんな人間があの部屋に入りゃ、そりゃ場が荒れる。だがガラスの壁の中の庵も、外のマンションのリビングも、全然荒れちゃいなかったぜ、英雄の死体を運び出した跡のほうが、悲惨なもんだった」


「プロの仕事とか?」


「死体運びのプロか? そんなモン五、六人雇うなら、サッと一人できて一人で英雄殺しをしたほうがリスクは少ないし、コスパがいい。


 意味がないんだよ。


 もし報復のサインなら、リスクを取って、やってもいいかもしれんが、誰もサインが分からないんじゃ、やる意味もねえだろ?」


「それじゃ、もし自殺だとして、英雄はどうやって、密室の中に入ったんだ?」


「簡単さ、歩いて、ガラスの壁よじ登って、俺とお前がやったみたいにな」


「だから、英雄の足は、」


「動くよ」


「え?」


「動くんだ、英雄の足は、トイレの車椅子から便器に移る補助バー、埃がたまってたぜ。


 英雄の死体は、垂れてる糞尿が少なかった。


 英雄はみっともない死にざまを見せないため、死ぬ前に下の始末をしっかりしたんだろう。


 どこでだ?


 そりゃトイレだろ?


 英雄は一人暮らしだ、足は動かねえ、それでトイレをするなら、あの補助バーと使わなきゃならないはずだ。


 でも、補助バーには掴んだ後がなく、埃がたまってたぜ。


 つまり」


「英雄は下半身不随じゃなかった」


「だな」


「下半身不随じゃなく、歩けるなら、密室は密室じゃなくなり、奇妙な他殺はなくなり、ただの自殺だけが残る」


「だな」


 ddはもう一度太巻きを大きく吸い込み、吐き出し、コーラを喉に流し込む。


 コーラの甘さはベルベットで弾ける炭酸はアトミックボムだ。


 虎雄は白い四駆をUターンさせ、今来た道を心持速く引き返していく。法定速度は守る。横でハーブを吸ってるddがいるのだ、今、捕まるのはバカらしい。


 虎雄はハンドルを握りながら、目線を前に向け、ddに声をかける。


「なんで英雄は、名優になったんだ?」


 ddは目をとろんとさせ、言葉を投げ出す。


「そりゃ怖かったからだろ? 英雄ってやつは最前線に立つ勇者だ。 勇者は何故勇者か? そりゃ普通に人間が耐えられない恐怖を前に、前に進める金色の心を持つからだ。


 なあ?


 お前、勇者になりたいか?


 俺はヤだね。


 英雄だって、二度とやりたくなかったんじゃねえか?


 勇者なんてよ」


 ddはそこまで言うと、もう一度紫煙を吸い込んだ。


「ビビったってわけか?」


 虎雄の声は、硬く、暴力で飯を食う男の凶器を孕んでいた。


「俺には分からん、俺は英雄じゃないからな」


 ddがそう言うと、虎雄は、


「そうか」


 と言って口をつぐんだ。


 二人は横浜につくまで、一言も喋らなかった。





◇◇◇◇





 ddは肉を食べない。だから虎雄は精進料理の中華の店に連れ出し、個室で二人きり、飯を食わせた。


「高級店なんだぜ、もっとおいしそうに食べろよ」


 虎雄に苦笑いでそう言われるほど、ddはモサモサと高級精進中華料理を口に詰め込み、草食度物のように、モサモサと噛み砕いていた。


 酒はない。ddは好んで飲まないし、虎雄は車だからだ。


「英雄の件、自殺で型がついた」


 虎雄がそう言う。


「英雄は、その力を妄信した部下たちが暴発しないよう、自ら下半身不随の演技をし、組に安寧をもたらした。


 しかし、それでも英雄の力を信じる妄信者の暴走は止まらず、英雄自ら死を選ぶことにより、戦争を回避した。


 話はそうなった」


 モサモサ料理を口に入れていたddは、口の中の食べ物を嚙み砕き、喉に通すと、


「いい話じゃねえか」


 と、言った。


「だろ?」


 虎雄は苦笑いを浮かべる。


 虎雄は胸のポケットから金属でできた、煙草入れのケースを出す。


 真鍮でできた、そこそこ値が張りそうな品だ。


「ここに六本入っている、楽しめブロウ」


 ケースをテーブルに滑らせ、立ち上がり、伝票をもって個室を出ていく虎雄。


「それじゃまた、名探偵」


「ああ」


 ddは金属のケースをズボンのポケットに入れ、またモサモサ、料理を口に突っ込んだ。


 英雄の死、え・い・う・う・お・い、ガラス越し、あと少し、光る星、首つたう死、よそよそしい、煌めく星、あと少し、恐怖心を押し殺し、あと少し、安寧の地、あと少し、雌雄の死、英雄は小心、あと少し、で、逃げられる幻。




「なにがブロウだよ、ヤクザ野郎が」



 ddは虎雄が出ていった扉を睨んでいた。



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