はい、スカイ君とスカルくんと清十郎君の物語を終えて、ここまで長いお話を小説として書くのは久しぶりだったので、あとがきのような物を書きたくなり、書いています。
このお話を書き始める前に考えていたことは、「web小説は保守的だ」と言う言説に、少し疑問を持ったからです。
男尊女卑的とか、家父長的とか、マチズモとか、その辺が、保守的と言われているゆえんであることは理解できます。
でも本当にweb小説は保守的か?
保守主義とはリベラリズムのカウンターとしてイギリスで生まれた考え方で、横の国、フランスさんが、革命でとかやらかして、王族ギロチンしたりして、あれじゃ国てんやわんやになるわな、国が立ち行かんわな、なら、こっちは古い伝統、つまり、自分たちの文化を生かしながら、急速な変換じゃなく、ゆっくり、今生きている人に合うように、良い感じに微調整していきましょ、的なもので、昨今言われてる攻撃的なうようよしたモノとはけっこう違うと僕は考えています。
保守的、web小説が? いやいや、ラブコメも異世界転移もダンジョン配信もくもらせも、なんでもいいけど、結構多くのランキング上位に上がっている作品は、伝統的家族性とか、僕たちコミュニティーの文化とか、大切にしてないじゃん、そう言うの糞喰らえで、めちゃくちゃ個人の欲求に忠実、どちらかと言えば究極の個人主義じゃん。と思い、では、本当に家族的とは何か、保守的とは何か、を考えて、そのことを背骨に、この小説を書きました。
保守主義のメインコンテンツは、宗教と家族制度です。
僕はこの点をもってしてもweb小説はハーレムしちゃうし、神さまの扱い雑いし、保守的ではないと思っちゃいます、まあこの話しは良いとして。
僕は少し前に書いたお話しで、ヌル君を使い、僕なりの信仰とか、宗教について考え、物語を作りました。
なので、今回は家族の話を書きたいなと思い、『ダンジョンは金になる』を書きました。
家族はどこまでが家族か? どこまで拡張していけるのか?
家族を結束させるのは、何か? 愛情とは家族間でどのように表現されるのか?
家族の中に異物があった場合、それをどのように包み込むのか?
と、言う家族への疑問。
それにライトノベルと言う意匠を着せ、楽しく、おかしく、書けたらいいなと、頑張ってみました。
ヌル君の物語の三倍近いお話しになって、びっくりです。
神さまより、家族の方が、もっと答えがあるんじゃないか、もっと、もっと、と、色々考えることが出てきて、長くなった気がします。
スカイ君も。
スカルくんも。
清十郎君も。
僕のために痛い思いや辛い思いをしてくれて本当にありがとう。
みんな、本当に良く頑張ってくれました。
そして、こんな、偏屈な物語を、読んでくださった読者の皆様も、本当にありがとうございます。
考えるために書き、書くために考える。
僕の中で小説を書く営みとは、そのようなモノで、でも、それ以外でも小説は書けるし、何なら今の世、書かなくても小説はできあがるし、お客さんの欲望にフィットさせ、お金を稼ぐ小説を書く人もいるでしょう。
さすがに僕だって誰も読まれたくない小説を書くときは、誰かの目に触れる場所には出しませんし、人目に触れるところで書くなら、それなりの目垢がついてほしいと考えます。人間ですから。
でもそれと共に考えるために書き、書くために考えています。
この感覚は、量子力学的感覚と僕は呼んでいます。
小説は波であり、粒であるのだと、人に読まれるための書くことと、自分のために書くことは観測されるまで不確定なのだと。
また新しい小説を書きたくなったら、お付き合いただけたら幸いです。
今はただただ、この物語を支えてくれた、三人の主人公に、拍手を送っていただけたら、大間望外の喜びでございます。
大間九郎