「鷹城秀一くんの普通な一日」

「いいですよね、黒蝶貝」

「はい、お勧めいたしますのは、こちらの黒蝶貝で作りましたボタンですね。最近はご存じの通り天然物の黒蝶貝が採れる量も少なくなりまして、手作業でそれをボタンに加工する職人も年々少なくなっておりますから」

行きつけの紳士服店店主に示された箱に入った見本の綺麗なボタンをみて説明を聞きながら、秀一が気に入ってそれを眺めていると。枯れた好々爺のような紳士服店主がにっこりと手袋をした手に箱の中にあるボタンを示して促す。

「どうぞ、一つ手にとって御覧になってみてください」

「ありがとうございます。綺麗ですね、本当に」

秀一が手にとった黒蝶貝のボタンが光を受けて七色の遊色をしめしてきらめくのを楽しそうに眺めていると。

「では、こちらで御作りいたしましょうか?」

「そうですね。お願いします」

にっこり、笑顔で店主を見返して、秀一が依頼したのは。




「にいさん、忙しい?」

楽しげに秀一がデスクの前から手をついていうのは、滝岡総合病院外科オフィスにある滝岡のデスク。

 うつむいて書類とモニタを前に仕事をしている滝岡を前から覗き込むようにして、秀一が話し掛けているのに。

 顔を上げずに滝岡が書類のデータを読み込み、ちら、と視線を上げて左に置かれたモニタに映し出された画像を見てまた視線を書類に落としながら云う。

「それで、どうした?秀一、…。神尾、ちょっと来てくれないか?」

滝岡の視界からは手許だけがみえる秀一に対していいながら、書類に視線を止めると左手を伸ばし内線を押して神尾を呼び出す。

「どーしたの?神尾さん?」

「うん?…ああ、―――」

「仕事ばっかりはよくないよ?いまお昼だよね?」

「しってる、…」

ぼんやりと応えながら滝岡が、視線をデータに落としたままで足音に反応していう。

「これなんだが、神尾」

秀一が顔を上げると、丁度、神尾が入ってくる処で。秀一が興味深く見ていると、一礼して入ってきた神尾がまっすぐ滝岡の横に来て、デスクの手許に置かれた資料とモニタに映し出された画像を眺める。

「はい、これですか」

「…ああ、そうだ。いま鑑定してもらっている、――――」

いいながら滝岡が差し出すデータが載る書類を神尾が手に取り、視線を落として読み込んでいく。

「いま、先方から送られてきた。どう思う?」

「…そうですね、―――」

モニタに視線をあげて神尾がいうのに、滝岡もモニタに向き直る。

 そっと秀一が二人の様子をみて身を引いて。しばらく眺めているのにも気付かずに情報を交換して検討している二人に。

 少し微苦笑を零して。

 しずかに外科オフィスを出て行く秀一に滝岡がわずかに何かいおうとしてやめて。神尾と届いたばかりのデータを検討することに意識を集中して。



「それで、何だったんだ?おまえ」

「え?何の話?にいさん」

関家のカウンター。いつもながらに平和に夕飯を、久し振りだなー、とおもいながら白木のカウンタに座って、にこにこ満足気に笑顔でとっていた秀一だが。

 隣で同じくしずかに満足しながら食事をとっていた滝岡に話し掛けられて顔を向ける。

 不思議そうな顔でみる秀一に。

「だから、昼間だ。おまえ、わざわざうちにきて、何を言いたかったんだ?」

同じく不思議そうに見返す滝岡に、秀一が思い出して瞬いて見返す。

「えーと、おひる?確かにそういえば」

「だから、何の話だったんだ。あのときはちゃんと聞いてやらなくてすまなかったな。どうした?」

穏やかに訊く滝岡の顔をしみじみ見返して。

「…にいさんって、ときどきまめだよね」

「時々とは何だ、…。まあ、忘れてることもあるとおもうが。で?どうした?」

「いーよ、大したことじゃないし。それに考えてみると、にいさんにいってもね」

「おまえな」

滝岡が眇めた眼で秀一をみて、頭にぽん、と手を置く。

「…お、ま、えな?」

そのまま頭をくしゃくしゃと掻き回す滝岡に慌てて秀一が抗議する。両手をあげて手を止めようとして。

「なにするんだってば!にいさん、あっ!こら!だめでしょ!」

「…何がダメでしょ、だ!もっとかきまぜてやる」

「うわー!やめて!せっかく綺麗に整えてるのにっ!…にーーさん!こらっ!」

「ふん、おまえが気をもたせることをいうからいけないんだろ」

「…なにが、――横暴だって!にいさん!こら!まて!」

「おまえ、本当に人をいぬ扱いするな?だれが待つか!」

「…何やってるんだ、おまえ達。滝岡、秀一」

両手で髪を掻き回す滝岡とそれに抵抗しようとしている秀一を。カウンタの向こうに戻ってきた関があきれて声を掛ける。

「二人とも、食べる処でふざけてると、もうこの奈良漬け食わさないぞ?」

奥から出してきた壺を手にいう関に、滝岡と秀一が振り向いて同時に固まる。

「いや、その、あの、――関?」

「…関、すまん、そのだな、…―――」

振り向いて困り切った顔で焦っている滝岡と。焦りながらもちょっと面白がっている秀一に。

 あきれて、関が一つ息を吐いて。

「まったく、おまえらはな?…――せっかく、奈良漬けが出来たんだ。食わない気か?おまえら。…結構時間が掛かるんだぞ、これは」

「前にもそういってたな。…満足するのが出来たのか?」

好奇心を顔に出してカウンタを覗き込んでくる滝岡に、壺から漬け物をあげながら軽く笑む。

「まあな、前よりは良い。おまえたちに毒味をさせてやるから、ありがたくくえ」

「…前のもじゅーぶんおいしかったけど」

「確かにな。…前のもうまかった。何がいけなかったんだ?」

「…こんばんは、――どうしたんですか?」

コートを手に入ってきた神尾に関が顔をあげる。

「どうぞ、実は奈良漬けを試してみましてね。どうですか?嫌いでなければ」

「…いいですね。好きです。へえ、御自分で?」

「そうなんですよ。中々、うまくはいきませんがね」

微笑んでさらりと取り出した奈良漬けの一本をまな板において軽く切る。

 小皿に整えて粕を落とさずに奈良漬けを数切れ並べて

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

滝岡と秀一も無言でそれぞれ一切れとって。

「…――うまい」

拳を口許において滝岡が幾度も頷く。その隣で秀一が無言でうんうん、とうなずいていて。

 関が首を傾げて視線で伺うのに、一切れくちにした神尾が。

しばらくして、そっとほころぶように微笑んで。

「――美味しいですね。じっくりと染み込んでいて、かなり長いこと漬けられました?」

「ええ、…はい、苦労しました。これが中々うまくいかなくてね。前に作ったときにはどうも味が浅くなってしまって」

「難しいですよねえ、奈良漬けは。酒粕はどちらの?」

「神戸の酒蔵から。近くに支店がありましてね。新酒を試しに買うときに、少しわけてもらって」

「いいですねえ、もしかして、先日飲ませていただいたひやおろしの?」

「ええ、実に良い酒でしょう?」

「…――呑みたくなるな」

奈良漬けをもう一切れとってかじりながら滝岡が呟く。

「…――のみたくなるよねえ」

秀一も、ぽり、とひとくちかじって両手に頬をあずけて天井を眺めてみて。

「だな、実にうまそうだ」

しみじみと肩を落としていう滝岡に秀一がそっと視線を。

「今日もダメなんだ?」

「…――今日は非番だが呼び出されるかもしれないんだ」

でも、この奈良漬けはうまいな、と肩を落としていた滝岡が奈良漬けを食べて笑顔になる。

「単純だねえ、にいさん」

それを眺めてあきれていう秀一に、ぽん、と手を頭に置く。

「おまえはそれで、何をうったえていたんだ」

「しつこい」

「そうだな?」

笑顔になる滝岡にすねてみあげて。

「だって、にいさんにいってもわかんないでしょ?僕って孤独」

「…誰がだ、どうした?」

あきれて見返す滝岡に、じっと見返してみて。

「これ、わかる?」

顎を両手で支えてみせていう秀一に滝岡が眉を大きく寄せて首を傾げる。

「…何がだ?」

黒蝶貝が綺麗に輝いている新しいシャツの袖が、滝岡の目の前にはあるのだが。

「…わからん」

「いーって、まったく。にいさんに期待する方がやぼ」

つーん、と向こうをむいてみせる秀一に苦笑いして、滝岡が頭をぽんぽんと叩く。

「わかったから、…。うーん、そういえば、そうか。多分だが、そのシャツ、新しいか?だろ?」

「――当りっ!一応にいさん気がつくよね」

顔が明るくなる秀一に滝岡があきれながらも笑顔になって秀一の髪をもてあそぶ。

「…当たったのか、で、何がもらえるんだ?」

「――何にも!大体、当てるのおそいし!」

「すまなかったな、当てただけいいだろ?で、何をくれるんだ?」

「だから、何もないってー!第一、肝心なことがわかってないでしょ?」

「…――何だ?肝心なことというのは?わかるか?関」

驚いて目を見張って、関を振り向いて滝岡が問い掛けるのに。

 神尾と、酒粕の扱い方から漬け物の漬け方、仕舞いに最近話題の食材についてディープな話をしていた関が振り向く。

「何がだ?」

「いや、おまえ、こいつがシャツを新しくしたの以外に何か肝心な事があるらしいんだが、わかるか?」

滝岡の問い掛けに、無言で関が一つ眉間に鋭いしわを寄せて難しい顔でみる。

「シャツ?新しい?おまえ、いつも思うが、よくそんなことがわかるな?こいつがおしゃれとかいって服を新しくしてるのはいつものことだろ」

難しい顔で睨むようにしていう関に秀一がつーん、と横を向く。

「いいもんね。関に解るとは最初から思ってないもん。僕って孤独」

「…だから、何が孤独だ、…神尾、わかるか?」

「え?ええと、何がですか?」

手にしていた新しく関が仕入れたという粗糖の袋をみていた神尾が問い返すのに、滝岡が謝る。

「いや、すまん、そっちをみていていくれ」

「いえ、…秀一さんの?」

「僕、シャツを新調したんだけど、わかる?」

「ええと、…新しい物何ですね?」

「そ!でも問題はそこじゃないんだよね。ね、わかる?神尾さんは?」

明るい黒瞳で少し期待して秀一がみるのに、神尾が近付いて秀一とシャツを見るのだが。

「…すみません、良い生地ですよね?厚みがあって丈夫そうですけど」

「…うん、良い綿なんだ、けど、…えーと」

神尾のコメントに少し返しに困って見返す秀一を、正面から神尾が見つめ返して。

 ちょっと見つめ合ってみている神尾と秀一に、あきれて関が。

「あのな、…神尾さんも、つきあわなくていいですよ、こいつに」

「こいつってなにー、関ってひどーいー」

「いってろ、神尾さん、すみませんね、…。滝岡、おまえもこいつが我儘してるの少しは止めろよ」

「…うん?ああ、うまいな、これ」

関が振るのに滝岡がまったく神尾と秀一に構わずに奈良漬けを食べてお茶を飲んでいた顔をあげていう。

「…おまえな、…」

関のあきれた顔に戸惑った顔をして滝岡が見返す。

「どうした?」

 あきれて関が神尾に謝る。

「いや、すみませんね、神尾さん」

「いえ、僕は別に、…。気になるんですけど、秀一さん、何が肝心なんでしょう?」

好奇心で輝いている神尾の黒瞳に、そっと秀一が視線を逸らす。

「えーと。…服で肝心なのは何だと思う?」

問い掛けられて関が眉を寄せる。

「服なんて着られればいいだろ」

あっさりと関がいうのに、真面目に滝岡が首をひねって。

「――服か、…清潔で丈夫なことかな?神尾はどうだ?」

「僕ですか?…そうですね、一応、やはり丈夫なことでしょうかね?清潔さに関しては妥協が必要なこともありますから」

「…清潔は大事だぞ?」

淡々という神尾を困った顔で滝岡が見あげる。それに、あっさりと。

「砂埃とか、乾いている分には我慢しないと、中々水は貴重で洗濯できないことも多いですからね。日よけになって皮膚を守ってくれれば、それが一番です」

「そういうものなのか、…日本では洗うよな?」

困った顔のまま眉を寄せていう滝岡に神尾が笑う。

「ええ、日本では勿論です。水が手に入る限りはですが」

「それはそうだが、…――洗濯はしよう、な?」

「…はい、ちゃんとします」

「そうしてくれ」

困った顔のままの滝岡とおかしそうに笑いながらいう神尾を交互に秀一がみて。

「…僕が間違ってた、…――」

「何がだ、まったく」

カウンタからこちらにやってきた関が秀一の前に湯呑みをだしながら、無器用に頭に手を置くのに。

「えーと」

「何がえーとだ。服なんて着られればそれでいいだろ」

むすっとして関がいうのに、秀一が明るく笑む。

「いーけどね」

「何がだ、ったく」

すぐに背を向けてカウンタの内側に戻ってしまう関をみて。

 秀一が、そっと袖口の黒蝶貝のボタンを思いながら。

 少し微笑んで。

 ――僕って孤独。

と、少し楽し気に微笑んで、神尾と今度は洗濯について話している滝岡と、まな板に何か取り出して包丁を使い始めた関を眺めてみたりして。

 少しばかり楽しんで、まったく服に興味のない滝岡達の傍で、美味しい焙じ茶を飲んでいたりとするのだった。


極々平和な、鷹城秀一くんの普通な一日。

                          了。

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