「この世の終わりが届くときに」2
三
「ん、美味しい!関、どーして刑事じゃなくて、お店開いてないの?」
勢いよくご飯に向かって、いただきますをして箸を手に取るとまず炊き込みご飯の匂いをかいでうっとりして、満足そうに笑みを浮かべて食べながらいう鷹城に軽く頷く。
「勿論、引退後は飯屋をひらいて生きていくつもりだ」
「そうだよね、ずっと前からの人生設計だものね。料理屋の前に刑事があるのが理解しがたいけど。…うーん、良い香り!最高!あさりの炊き込みご飯なんて、もう本当に最高!生姜と山椒の匂いがもう素晴らしいし!関、お嫁さんにほしいよね、本当!」
「いってろ。吸いものもくえ」
「うん、…――とろろこんぶ最高、…――ふわふわ」
ふー、と息をつきながら、手削りのとろろ昆布がふわりと吸い物に溶けていくのを眺めて楽しんでくちにする。
「うーん、エンタテイメントだよね、良い香り」
昆布の良い香りが広がって、澄まし汁のしょうゆ味と溶け込んで柔らかく舌を刺激する。肩をそっと疲れが落ちて消えるのがわかるようで、ほーっと息をついてぼーっとしている鷹城に促す。
「ほら、熱いうちに魚」
「うん、…かぼす!いいなあ、…。かぼすだ、―――…実山椒とこの大根おろしって良いよね。からくないし」
焼き色のついた秋刀魚の皮と身を箸できれいに外しながら、鷹城がしみじみと焼けた身と大根おろしに山椒の効いたものに僅かに醤油を付けてくちに運んで。
しみじみ無言でしあわせに浸っている鷹城に、無言でちら、と視線をくれて。その後は、煮物の緑が綺麗な莢と豆に感動しながら、玉葱の甘さだけで軽く炊き上げて煮込んだ牛すじと丸芋の旨さに鷹城が感動して無言で目を閉じてしみじみ頷いていたり。
しゃきしゃきとしたレンコンの歯触りに感動していたり。
少しだけ添えられた鰹節と実山椒をあえて小皿に盛られたものに、白いご飯も食べたいっ!と騒いでいたり。でも、このあさりの炊き込みご飯最高―!と感涙にむせんでいたり。
忙しい鷹城を前に、黙々と飯を食いながら、関は明日の朝は蕎麦にするか、などと考えていた。
―――つけ汁にオクラと葱だな。それにとろろを少々、と。
明日の段取りを考えつつ、黙々と飯を食っている関を前に。
――ご飯、おいしいって本当に最高だよね。…
本当にご飯がおいしい、仕事がんばっててよかった、と。
かなり本気でしみじみ考えている鷹城と。
とろろ昆布、もいいが、山芋で本物のとろろ蕎麦もいいな。
山芋は無いから買い出しにいかないとな、と。市場の馴染みの親父の顔を思い浮かべている関。
平和に、穏やかに夜は更けているようだった。――――
四
「…おい!起きろ!鷹城!―――――…秀一!」
蒼白い肌に冷たい汗を掻いてまるで死人のような寝顔で。響き渡る悲鳴をあげたにもかかわらず目蓋が動くこともない鷹城の肩を揺さぶり、関は大声で喝を入れるようにその名を呼んでいた。
「秀一!起きないか!おい!」
薄く掻く冷たい汗と、僅かに呼吸で動く喉のようすが見えなければ、本当に死体に良く似ている。
隣に布団を敷いて何事も無く就寝した夜中に、突然響いた悲鳴で飛び起きたが。
「鷹城、…おい、秀一?」
額が、黒髪がしずかに冷や汗でしっとりと肌にはりついていて、手でそれを撫ぜて歯を食い縛った。
「しっかりしろ、起きるんだ、…おい、…」
「…関?―――ああ、どうしたんだい?」
ぼんやりと黒瞳が蒼い翳を映したように彷徨ってまだ何か別の物をみているようにしてひらいて。
まだ動くことができないように、浅い息だけを零して。
おとなしく関の腕に支えられたまま、ぼんやりと鷹城がいう。
「僕は、…悪夢がね、…。もしかして、さけんだ?」
「ひどくな。家が一軒家で隣が離れてるのでなけりゃ、とうに通報されてるはずだ。いや、いまもされててもおかしくないぞ」
真面目にいってみせて、それから言葉を切って汗に濡れた黒髪を額から退けて、くちを噤む関に、微かに笑う。
「ごめん、…迷惑かけたね。刑事が通報されたんじゃ、困らないかい?」
「こまるな。…何のゆめを観た?」
穏やかに静かに落ち着いた声が問うのに、―――…ああ、関らしいな、と安心する。けして、こういうときに大声で責めたり、自身の感情を籠めたりはしない。それがどんなに大変な事か、結構随分経ってから理解した。ついでに、自分がどれだけ幸運だったのかも。
半身を抱き起こされて支えられたまま目を閉じる。
あの刻、何かが一つ違っていれば、自分は生きて此処にいないだろう。…
「昔のことか?」
穏やかに問う声に、どれほど支えられてきたことだろうか。
無言で首を振り、腕に支えてくれる体温に感謝する。
「うん、…違う。最近のね、…あっちの方なんだ。…あの刻、へんなものをみてね。きみに言おうとおもって、あの場では機会が無くてとりまぎれてた」
浅く息をついていう鷹城に。
「わかった。きいてやるから、―――…いま話すか?」
その声に、寝巻に着ていた浴衣が随分と濡れて冷えるのに気がついて。紺の絣模様の同じく夜着にする浴衣を着た関の衣に、自らの白に紺で井桁模様の浴衣の濡れて冷たいのが重なっているのに。
「ごめん、濡らしたね。」
「構わん。何にしろ洗い替える。…熱はないな」
額に手をあてていう関に、少しあきれて視線を送ってみせる。
ようやく目をひらいて、あきれたと目で伝える鷹城に。
子供にするように頭をぽん、と叩いて笑んで。
「風呂にでも入るか?」
「そうだね、…。汗がすごいね。布団も干さないと」
「おまえが明日やってくれ」
「わかった。けど、…」
目を閉じて手の甲に額を預け、息を吐く鷹城に。
「どうした?」
「いや、…つかれた、とおもって」
「なおさら風呂だな。此処にいろ」
頭を叩いて、立つ関を思わずみあげて。
あっさりと風呂を仕度にいく背に。
つい苦笑して、軽く叩かれた頭に手をやって。
息を吐いて、目をとじていた。
五
柚子が良い匂いをさせている桧が良い香りをさせる風呂に、久し振りだな、とおもいながら鷹城は身を浸していた。
つかれがほどけるというのは、こういうことだろう。
清らかな湯が波紋を投げ、ふう、と息を吐いて身をしずめる鷹城の周りで波紋がひのきの木肌にふれてくだけて消える。
それを見るともなしに見ながら。
手に掬った湯を肩に掛け、背を湯船に凭れさせて天井を仰ぐ。木肌のみえる天井は湯気に僅かにくゆって霞み、その湯の温かさに大きく息を。
目をとじて、湯をたのしむ。
温かな湯に、透明な水が生み出す波紋。湯気が周囲を僅かに白く煙らせて、湯船にそそぐ掛け流しの湯が立てる波紋と音色が心地良い。湯船から溢れた湯は、簾の子の板に柔らかくあたり、室内全体を温めて流れ落ちる。
――寝てしまいそうだな。
先に夢に訪れた冷たく血を失い寝る―――最期の眠りとは随分と違う。
いや、案外最終的には死ぬ際には、――――…。
気持ち良い死に方なんて、無いものかもしれないけど、と。
苦笑して思い出し掛けた悪夢を首を振っておいやり、温かな湯に一度頭まで沈んでつかって。
息をとめて潜って、勢いよく顔を出して。
笑顔になって、さて、と思っていた。
温かな湯に、いくらか悪夢は後退した。
それでも、退治するには、まだ向き合わなくてはいけないことが多いけれど。
それでも、…――――。
いま、この陣地を選んだのはわるくないよね。…
闘いを挑むのに、それが何であれ、対するに味方を得て、できれば得意な陣地で行うのが最上というものだと。
一人で何もかも抱え込んでも、何も解決しない。
援けてくれる手があるなら。
それがいかに貴重で、一人だけで闘わなくてはならない刻もあるからこそ、必要だと。
死ぬほどの悪夢、…―――――。
別にそれが比喩じゃないなんてね。
微苦笑をして、目を閉じる。
夢に蘇るもの。
あの刻にみた、…――――――――。
―――それは確かに、転がる、己の死体だった。
あの刻、自分は死んだのだと、―――――。
湯の掛け流される音が、ゆるやかにきこえている。
六
「どうした?ふやけたか」
関がいうのに、手に温かな茶を受け取って見上げる。
「ふやけてないよ。ありがとう」
軽く頭をぽんぽん、と叩く関に何もいわずに御茶を手に口許に運んで。新しい浴衣に身をつつんで、さっぱりしたな、と思いながら。
紺の着物を着たままの関に訊ねる。
「きみは入らなくていいのかい?」
その鷹城に手を大きく伸ばしてきて。
手を頭に置いたまま、視線をあわせて覗き込んでくる関にくちを結ぶ。
「あのね、こどもじゃないんだから」
「世話が掛かるのは一緒だけどな。少し落ち着いたか」
柔らかく微笑む関の眸に、少しあきれて息を吐く。
「あのね?…うん、ありがとう」
ぽん、とその鷹城の頭に手を軽く放して。そうして、大きく抱き寄せる手に、ほっと息を吐いていた。
このまま、顔を見せたまま泣くのは絶対にしたくなかったから。
肩に額を置いて、零れてくる涙を問わずに。着物の紺絣に染みる涙を問い掛けずに、関はしずかに鷹城を支えていた。
七
いつの間に寝てしまっていたのか。
「…せき、」
こどものようにおもわず無防備にみあげて、瞬いていた。
「…まったくな、しっかりしろ。大人なんだろ?」
僅かにからかうように温かく笑んで。またしても頭に置かれた手に苦笑する。
「関、…―――そうだね。大人だよ」
あきれに笑んで、見返す鷹城に軽く頭に置いた手をぽんぽん、と叩くように動かす。
「確かにな」
あきれた声でいうとあぐらをくずして立ち、何処かへ行く関に。
さらに、戻ってきた関が手にしていたものにあきれて見返していた。
「おまえ、いまはこれでも飲んでろ」
「いうに事欠いて、ホットココア?牛乳なんだ?つまり?…甘いんだけど」
「甘いものも神経を落ち着ける。とりすぎなければだがな」
「…――子供扱いも極まってる、…。」
「他に何があるんだ」
「うーん?」
思わず牛乳ベースのミルクココア、―――ほっと温まる飲物なのは実に確かだが、―――をつい、誘惑に負けて飲みながら、考え込んで眉を寄せる。
ちなみに、職場では大人としてコーヒーをブラックで飲むが、実をいうと甘めのココアが大好物な事は秘密にしているのだが。
「ひみつなのに」
つぶやいてココアをじっとみる鷹城に、関が冷静に指摘する。
「おい、こぼすぞ」
「わ、…ありがと、ごめん」
慌ててココアの入ったカップを持ち直す。
「まったくな、…。おまえ」
「…ぼくはこどもじゃありません」
主張する鷹城に関が鷹揚にうなずく。
「そうだな。明日は蕎麦じゃなくて、鮭におぼろどうふにするか」
「それって?…焼鮭におぼろどうふ?」
期待につい目を輝かせる鷹城に頷く。
「いただきものの西京漬けがあってな。上司にもらったんだが。柚子味噌を試作した処だから、あれときゅうりに豆乳掛けのおぼろどうふの椀を出そう」
「いますぐ朝食でもいいんだけど」
「いってろ」
頭を軽くはたかれて、ミルクココアを飲んで、少しだけ鷹城が笑う。
そして、そっと考える。
――この世の終わりが届くときに。
できれば、僕はきみといたいなんて、…。
あまえていると、怒られるよね、と。
微笑むと、あまさに眠気がまた訪れて。
ゆっくりとねむりにのまれていく秀一を、関が見守って。
ぽん、と。
頭を軽くたたかれて、布団にねかせなおされる頃には、すっかり鷹城はねむりについていた。
翌朝。
実に美味しい朝食を食べながら、鷹城は何か黒塗りの御重に詰めている関の背をみながら首を傾げていた。ちなみに、おぼろどうふは豆乳からその場で関が作ったもので、実に温かく美味しかった。
「それはなに?」
「弁当だ。おまえにな」
「…―――え?至れり尽くせりなんですけど、どうしたの?関?」
「しっかりめしを食わないから悪い夢をみるんだ。ちゃんとしっかりくえ」
「そ、それは、…ありがたいけど」
関の作った弁当、と手許を覗こうとしながら、見えないのにあきらめて。
きゅうりの軽く塩をして絞ったものに柚子味噌をつけて感動する。
「…美味しい、―――」
しみじみしてしまって弁当の中身を訊きたかったのをわすれる鷹城に。ちら、と背中越しに視線を向けて、あきれながら関が思う。
――しかし、みえないな。確か、二佐っていうのは中佐なんだよな。
ようやく最近仕入れた知識を思い返して。
――二佐って中佐ですよ、わかりやすくいうと。鷹城さんって偉いんですね。
仕入先の山下が感心していっていたのを思い出す。そして、無言でおぼろどうふに感動している鷹城を眺めて。
――絶対に、みえん。
眉を寄せて、どうしても普段はそうみえない鷹城に。
―――これも詰めておくか。
黒塗りの重に一つ仕切りが空くのに、思い出して先日作った肉味噌も入れることにする。
綺麗に詰めて満足して蓋をして。
「食ったか?」
「うん、ごちそうさま!美味しかった、――――」
しみじみして余韻に浸っている鷹城にいう。
「しばらくしたら出るぞ」
「うん、…。御茶が美味しい」
ほっこりと手にした玄米茶を呑んでしみじみしている鷹城に。
顔色は戻ったな。
そう思いながら、風呂敷に御重を包む。仕事は待ってくれるものではない。そして、当然ながら、このばかにいつもついてなどいてやれるような仕事でもない。
――本当に、料理屋をはやくひらくべきかもしれないな。
関が考えながら、始末をして。
「――行くぞ」
「うん」
明るく返事をして立ち上がる鷹城が、いつも表に出しはしないが、重い何かを抱えていることは知っていた。
そして、それを仕事にしていることも。
「今日は送ってやる」
「えー?それって、至れり尽くせりというより、唯のいやがらせ?」
「うるさい。おまえが車酔いするからいけないんだろう!」
「しずかな運転なら大丈夫なんです!」
「なら、おまえが運転してみろ」
「確かに免許はあるけど、ゴールドのペーパードライバーだからね?命預けられる?」
「…―おとなしく車酔いしていろ」
えー、酷いっ、と鷹城が返して。
賑やかに、関家を後にしていく関と鷹城の二人。
いましばらくは、悪夢も届かぬ明るい朝に。
そうして、賑やかに声はあかるく響いている。
――この一刻の平穏に、――。
「この世の終わりが届くときに」
了
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