マリーゴールド

真坂 ゆうき 

嫉妬、悲嘆。そして絶望

「……今日も寒い、なぁ」


 炬燵に猫のように丸まりながら、手にしたスマートフォンの画面を操作する。

 それ以外に照らすものの無い真っ暗な部屋の中で、画面をいじっているのがバレたら「目が悪くなるからやめなさい」とでも普通なら言われてしまうのかも知れないが、生憎この空間には私ひとりしか存在しない。


 私ひとりしかいない、というのは気楽でいい。


 元々小食な私だけならご飯は適当に済ませれば良いし、お風呂にものんびりと入れる。同居人いもうとがいればちゃんとしたものを用意しなければいけないし、何よりちゃんとした【姉】として【妹】に接しなければいけない。それがどれだけ自分にとって苦痛で、自分を縛る鎖となっていた事か。


 そう、そうしなくてはならなくなったそもそものきっかけは、数年前の冬に起きた、思い出したくもない出来事だった。


 ゴホッ、と軽い咳が漏れる。喉が荒れてしまっていて、じくじくとした痛みを伴う。今年の冬は特に寒くなるだろう、と気象予報では言っていたが、この寒い中で風邪一つひかず、部活動に励んでいる妹や、荒れるどころか更には凍っているかも知れない海で仕事をしている父の事を考えると、自分は違うところの子供なんじゃないか、と考えたりしたことも一度や二度ではない。


 ―—だけれども、そういった私の考えを見透かしていた母親は、今際の際で自分にあんなことを言ったのではないだろうか。


 何のために?


 私ひとりが孤独にならないように?


 それとも、しっかりしなさいという戒めを込めて?


 例えそうだとして、私に、本当にそれができると思っているの?



「―—分からないよ」


 ちゃらりーん、と画面でファンファーレらしき効果音が鳴った。

 スマートフォンで起動させていたRPGゲームで、半ば無意識のうちに敵を倒していたらレベルが上がっていたらしい。


「―—私は」


 きっと、何も変わっていない。あの数年前の時のまま、時間が凍り付いていて、溶け出していないのだ。それをうっすらと自覚しながらも、父や妹のように割り切って、あるいは心のどこかにしまい込みながらも、以前のように振る舞うことが、あるいは前に踏み出していくことが出来ない自分に情けなさと、仕方ないじゃないという感情がせめぎ合っていて、知らず知らずのうちに涙が零れる。


『―—お父さんと、―—を、お願いね。―—灯里あかり


 やだ、行かないでと泣きじゃくる私に、そっと触れられた温かい手の感触。私はそんな事が出来るほど、強くも逞しくもない、病弱なただの子供なのに。


 私は自分の名前が大嫌いだった。たまたま私が冬に産まれたからなのか、それとも父の仕事の関係の由来でそう名付けられたのかは分からない。名前は体を表すとは言うが、髪の毛だけは明るい色つやをしているものの、性格がとびきり明るくて社交的なわけでもない私は、母の願ったような女の子になることは出来なかった。


 ―—そう、妹に距離を置かれるようになったのも、あの冬の出来事があったからだ。身体が弱い癖に無理して、妹の応援になんか行かなければ良かったんだ。

 私とは違って活発で丈夫、明るい子に育った妹は、中学校に入ると陸上部に所属した。そこでメキメキと頭角を現し、将来を期待される有望株として注目されていた。


 そう。あの冬の日、自分の出る大会の応援に来て欲しいとせがまれた私は、運悪くと言うか、直前に風邪を引いてしまって体調を崩していた。だけど、折角の妹の晴れ舞台なのだ。そして母にも言われていたではないか。そう柄にもなく張り切ってしまい、分を弁えなかったのが失敗だったのだ。結局私は競技場の観客席で倒れてしまい、救急車まで呼ばれる騒ぎになってしまった。


 あの時の、妹の悲痛な顔と声は忘れたくても忘れられない。


 応援どころか、却って妹の足を引っ張る結果になってしまって、その結果私は妹に嫌われてしまった。当然と言えば当然だろうけれど。あれ以来、それまでのようにあまり話すことのなくなった妹は、中学校を卒業後は今住んでいる家を離れ、陸上の名門校に進学することが決まっていた。そこでは同じく将来有望な学生達が寮生活をしつつ、毎日練習漬けの日々を送るらしい。


 だから、もう私と会う機会は極端に減るだろう。でも、それでいいと思っている。


 今の私は、どころかにしかならないのだから。


 だったら、父はどうなのか―—いや、そもそも私が父のために何か出来るわけがない。荒れ狂う海に出かけて行って、その腕一つで私達姉妹を養ってくれているような人だ。むしろ私に何をしろというのだろう。そして、親とはいえ一年の大部分を海で過ごす人なので、会うのも実はかなり珍しい。なので、事情をよく知らないであろう父の眼には【妹の面倒をよく見る優しい姉】というふうにでも映っているのかもしれないが、実際には通っている高校に親しい友人など誰一人としていない上に、病気がちで休んだりもする、優良とは程遠い存在なのがこの私なのだ。


 父がを知ったらさぞかしがっかりするだろう。


 なので、今はろくに話もしなくなった妹がいるとはいえ、この冬が終わるころには、私はこの家で一人ぼっちになっているのだろう。でも、それを淋しいとか嫌だとか、そんなふうには全く感じていない。むしろ、背負わされてきた【頼りがいのある姉】の枷が外れるのだから、心のどこかで感謝しているくらいだ。


 と分かり切っているのに、

 苦痛さ。


 それから解放された私は、どうなるのだろう。


 ―—気が付けば、スマートフォンの画面がひときわ明るさを増して、主人公が周りの人々から祝福の声を浴びている場面になっていた。暇つぶしに遊んでいたゲームは、いつの間にか終わってしまっていたらしい。煌びやかな音楽と共にスタッフロールが流れ、やがて浮かび上がってくる文字。



【HAPPY END】



『今から帰るよー』


『お姉ちゃん、起きてる?』


『ねえってば』


 気付けば、妹から多数のLEINが送られてきていた。着信も何度か入っている。


『ごめんね』


 もう少しだけ、私は理想の姉を演じることになりそうだ。もう少しだけ。

 その言葉だけを妹へ返し終わった後は、気だるい身体をやっと炬燵から引きずり出し、部屋の明かりをつけてフラフラと台所に向かう。だけどきっと私は、来年、冬という季節をまた見ることはないだろう。


 ひとりぼっちの私は、無理をしてまでこの世界に生きる意味はないのだから。


 ―—ふと視界が暗転して、私は床に倒れている事に気が付いた。

 誰かが私を呼んでいる気がする。―—これはお母さんの声だろうか。違う。

 それとも、他の知らない誰かの声? 随分と喧しい気がする。乱暴に掴みあげられた気がするけれども、だけど抵抗する気にはなれなくて。


 ―—もういいでしょう。もう、楽にしてよ。



 ……船長! こんなところに女が倒れてやがるぜ!


 ……なんだ? ゲ、本当だ……なんつう不吉な……一体どこから?


 そんなことはどうだっていいだろう! 捨てちまいやしょうぜ!


 いや待て捨てるなんて勿体ねえ……どうせなら……フゲェッ!


 ……喧しい奴らだ。……なんだ、それは……?

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